第三章「鳥かごの中の鳥は、自由な君に憧れる」Ⅰ


 肖像画のモデルになることを承諾してからの数日間。

 ぼくは終礼から塾までの、たった数時間を彼女のために割いた。

 モデルというと、澄ました顔で身動き一つしてはいけないように思っていたのだが、彼女の場合はそうではなかった。

 先日、ぼくが夢中になって写真を撮っている姿を描きたいと言ったとおり、ぼくにポーズや立ち位置、表情を要求することなく自由にさせてくれた。

 待ち合わせ時間や場所だけは決め、あとはぼくの好きな場所、好きな景色が見える所へ彼女を連れていった。

 それは何故かは、ぼくにもわからない。

 自分自身が満足したい、楽しみたいという気持ちだけではなく、ぼくのお気に入りの場所や景色を彼女に見せたいという願望も少しはあったのかもしれない。

 ただ、二人で一緒に出掛けているのにも関わらず、ぼくたちはそれぞれの時間を楽しんでいたように思う。

 ぼくはぼくで、カメラに夢中になっていたし、彼女は彼女でそんなぼくの一挙一動をスケッチブックの中へと閉じ込めていたのだから。

 これが恋人同士であれば、なんとも色気のないデートだと言われるだろうが、ぼくにとってはこの時間が心地よく、唯一現実を忘れられる息抜きでもあった。

 

 *****


 それは二学期の終業式を三日後に控えていた日のことだった。

「あ、そうだ。わたし、明日から三日間は会えないんだった」

 自分からモデルになるよう頼んでおきながら、勝手なことを言うようで申し訳ないと、彼女は困ったような顔をした。

「大丈夫だよ。どうせこの時間帯は、勉強するしか予定なんて無かったし」

 我ながら寂しい奴だと思いながらも、彼女の罪悪感を少しでも和らげたくて、自虐ネタを晒す。

 ホッとしたように息をつく彼女は、「……検査なんだよね」と不安そうにポツリと漏らした。

 検査をするのは彼女ではなく、入院中の義理の母親であることぐらい、すぐに理解できた。

 彼女の表情はいつものように明るくはなく、複雑な想いを抱えているかのように顔を歪めている。

 そんな彼女を見れば、たとえ血が繋がっておらず、互いにどこか一線を引く間柄だとはいえ、義理の母親も彼女にとって家族であることには変わりはないのだなと少しだけホッとする。

 年明けには退院できると話していたが、もしかしたら検査の結果次第では延期になるのかもしれない。

 彼女が、心配するのも頷ける。

 底抜けに明るい性格の彼女とはいえ、根は優しい人だというのは、ほんの僅かな時間とはいえ、この数日間、一緒にいただけでもよくわかる。

 検査期間中は、ずっと義母に付き添っていたいのだろう。

「そっか。君は無理しそうだから、体には気を付けるんだよ」

 あえて母親の病気については何も聞かず、彼女の身を案じる。

「うん、ありがとう」

 何となくぎこちない笑みを浮かべる彼女を元気づけたくなった。

「次に会う時は、ぼくも冬休みに入っているから、もう少し明るい時間帯に会えるしさ。そしたら、とっておきの場所に君を連れていくよ」

 少しでも不安が消えるようにという思いを込めて、ニカッと笑いながら親指を立てるポーズをした。

 表情の乏しいタイプだと自負しているぼくの、不器用な笑顔に彼女は目を丸くした。

 けれど、ぼくの思いは伝わったようだ。

 深刻な表情をしていた彼女がくしゃりと笑う。

「ふふ。君のお気に入りスポットに連れて行ってくれるんなら、こんな顔してちゃ駄目だよね」

 自分自身に気合いを入れるように、彼女は両手でパンパンッと自分の頬を叩いた。頰を赤くした彼女の顔はスッキリとしている。

「それじゃあ、また連絡するね」

「うん。わかったよ」

 それから互いに無言で歩き出す。

 行き先は、ぼくたちが初めて出会った場所だ。

 夜道を女の子一人で帰すわけにもいかないので、紳士なぼくは彼女を病院まで送っていく。

 いくら付き添いとはいえ、病院で寝泊まりしているわけではないとは思うが、ぼくとの時間が終わると必ず義母の元へと戻る。

 それ以外の場所に送っていくことは一度もない。

 だからぼくは、未だ、彼女がここに滞在中、どこに住んでいるのかを知らない。

 とはいえ、彼女が住んでいるところを知ったところで、それは仮の住まいだ。

 彼女は来年になれば、本来いるべき場所に戻るのだから聞く必要もないのだが――なぜかそのことが少しだけ寂しいと感じていた。

 けれど、その気持ちが育たないよう、ぼくは自分の心に蓋をする。

 たわいもない話をしていれば、あっという間に病院に到着した。

 まだ面会時間内なので、病院は煌々とした明るさを保っていた。

 光の中へと吸い込まれるように彼女は自動ドアを通り抜けていく。

 その後ろ姿を見送るぼくの視線に気がついたのか、彼女は振り返り、子供のように手を振った。

 同じようにとはいかないが、小さく手を振りそれに応える。

 すると、彼女は少々不服そうに頬を膨らませたものの、ペコリとお辞儀をした後、奥へと消えていった。

 会えないとはいえ、この地域では知り合いのいない彼女のことだ。

 暇を持て余して、MAINEでのメッセージくらいはくるだろうと思っていたぼくの予想は大きく外れ、結局三日間、彼女から連絡が来ることはなかった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年12月12日 20:00
2024年12月13日 20:00
2024年12月14日 20:00

君と見る景色を 小森 櫂 @yukainaousama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画