(カクヨムコン10短編)シガーキス
麻木香豆
🚬
タバコを吸い始めたのは、二十歳になったばかりの春だった。
当時付き合っていた年上の社会人の彼氏は、僕の初恋の相手だった。大学のサークルで出会った彼は、年齢や経験が全然違って、最初はただの憧れの対象だった。でも、ある日、彼が僕にタバコを分けてくれた。
彼がライターの火を僕のタバコに近づけ、その瞬間、胸の奥で何かが弾けるのを感じた。タバコを吸うことで少しだけ気持ちが落ち着く。でも、それ以上に彼の存在が僕を引き寄せていった。
彼はタバコだけじゃなく、色々なことを教えてくれた。体の関係もその一つだった。
どんどん僕は彼の手のひらの上で転がされているような気がして、抗うこともできなかった。最初はただの遊びだと思っていたけれど、だんだんと彼のことを好きだと感じていた。でも、僕がどれだけ想っていても、彼の気持ちはどうだったのか、今でもわからないままだった。
その関係が自然と終わり、僕は結局、ただの都合の良い男だったんだと思った。
大学を卒業して就職し、名古屋から東京へ引っ越して一年目、関西から異動してきた文哉さんと出会った。
席も近くて、妙に気さくで声が大きいその人に最初は戸惑った。初めて喫煙所で話したときのことを、今でも覚えている。
「おしゃれなタバコ吸うんやな」
箱を見ていたようだ。僕はこれが吸いやすくて好きだった。安くて長く吸える。
「あ、一本どうですか?」
「ええか? おおきに」
そう言いながら手を伸ばし、一本取って火をつける。
途端に咳き込み、僕に向けてふてぶてしく笑ったその顔が、妙に印象に残った。
それから喫煙所で顔を合わせるうちに、僕たちは自然と話すようになった。
文哉さんは関西弁混じりの軽い口調で、会社や人生についての雑談を繰り返す。いつの間にか僕の日常に溶け込んでいった。
ある日のこと、出張先での夜、僕たちは繁華街のバーに立ち寄った。商談もうまくいきほっと一安心し、気分を晴らすためにタバコを吸いに出たベランダからは、夜景が一望できた。カップルたちが肩を寄せ合う中、僕たちだけが妙に浮いた存在だった。
「なんか場違いやな」
文哉さんが苦笑する。
「ですね」
僕も思わず笑ってしまう。
タバコに火をつけようとするが、ライターが点かない。
僕が手こずる様子を見て、文哉さんもポケットを探るが、どうやら彼のライターも行方不明らしい。
「ライター貸してや」
「いや、もう一回やります」
もう一回付けるとようやく火がついた。文哉さんはふっと笑った。
「タバコの火、分けてもらうで」
そう言うと、僕の腰に手を回し、ぐっと距離を詰めてきた。咥えたタバコの先と先が触れ合う。小さな火がじりじりと移り、文哉さんのタバコに灯る。
「シガーキスってやつな、やってみたくて。好奇心」
煙を吐き出しながら笑う文哉さんの顔が、やけに近い。目が合う。長いまつ毛の向こうに、吸い込まれるような視線があった。
「……文哉さん」
名前を呼んだ瞬間、文哉さんはタバコを手に持ったまま、僕にキスをした。
冷たい夜風の中で感じるその温もりに、僕はただ、抗えなかった。
その後、何かが変わったようで、変わらない日々が続いている。
文哉さんは相変わらず、喫煙所でタバコを吸いながら他愛もない話をする。僕の心臓を跳ねさせる一方で、それ以上踏み込もうとしない。
タバコの煙が空へ溶けていく。あの夜、文哉さんがキスしてくれたことが忘れられない。酔った勢いだと思おうとするけれど、どうしても胸の奥で温もりが残る。あれはただの遊びだったのか、それとも何か違ったのか、答えが出ないままだった。
前の恋で弄ばれた悲しい記憶が胸を締めつける。そのことが僕を躊躇わせているのかもしれない。
次に進む勇気を、まだ持てない自分に苛立ちながら、煙を口から吐き出した。
終
(カクヨムコン10短編)シガーキス 麻木香豆 @hacchi3dayo
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