第2話

 足の傷痕を修復したオトイは、最後にもう一度少女の全身をくまなくチェックした。ほかに修復が必要な場所がないことを確認すると、左手で目頭をグッと押さえながらため息をつく。


(こうして見た目は修理できても、きみの現実は愛玩人形プゥパのままだ)


 愛玩人形プゥパは文字どおり愛玩されるために作られた人形ダルのことだ。人形ダルがあふれていた時代から盛んに作られていたもので、かつては絡繰人形パストムでよく作られていたと言われている。絡繰人形パストムの製作技術が失われた今では機巧人形アウトマで作られたものがほとんどで、ペットのように可愛がる人もいれば、この少女の持ち主のように性的な目的で手に入れる者もいた。現在そうした性的な人形ダルの扱いは各国政府によって禁止されているが、グレーゾーンとして見て見ぬ振りをされているのが実情だ。

 かつて人形ダルそのものが禁止された一因は、そうした愛玩人形プゥパがあまりにも蔓延したせいだった。世界中で人としての倫理観を問われた結果、すべてを人形ダルのせいにして世界中の人形ダルを廃棄、製造が禁止されることになった。


(そのせいで貴重な技術が失われたっていうのに、人は過去を顧みず同じ過ちをくり返そうとする)


 ようやく復活した人形ダルも結局は昔と同じ状況になりつつある。その証拠に、今の機巧人形アウトマの一割ほどはこうした愛玩人形プゥパとして作られていると言われていた。そのせいで、いずれまた復活した技術さえも禁術に指定されかねない状況だということに誰も気づこうとしない。


「いや、さすがにもう禁止することはできないか」


 オトイがそうつぶやくほど人は数を減らしすぎた。そんな状況で人形ダルを失えば、残された人は寂しさのあまり種そのものが絶えてしまうだろう。実際、禁術を復活させるきっかけになったのは「人肌を恋しがった人々が再びパンドラの箱を開けた」というのが定説になっている。


(別に愛玩人形プゥパが悪いわけじゃない)


 人により添うように作られ始めたのが愛玩人形プゥパの成り立ちだ。生涯のパートナーとして大事にされていた歴史もある。オトイはそうしたかつての在り方に戻ってほしいと願っていた。


(そうでなければ、俺が引き継いだ絡繰人形パストムの技術は無意味になってしまう)


 オトイの祖父は絡繰人形パストムの技術を受け継いだ数少ない人形師コンダクタだった。幼い頃から紫眼を気持ち悪がられていたオトイは、そうした目で自分を見ない人形ダルに惹かれるようになり、祖父から技術を受け継ぐ道を選んだ。だからこそ少女のような扱いを受ける愛玩人形プゥパが憐れでならなかった。


(……まるでオレを見てるみたいで嫌なんだ)


 愛されることがなく蔑まされる姿が自分に重なる。


『わたしが愛してあげますよ』


 不意に懐かしい言葉が蘇った。今と変わらない優しい笑顔のメルリアの顔が浮かぶ。


(そうだ、オレにはメルがいる)


 美しい顔立ちにすらりとした体躯、何でも器用にこなす助手は近所でも評判の男前だ。女性たちは年齢問わずメルリアに夢中で、商店の男たちも働き者だと誰もが褒める。生活力のまったくないオトイが生きていられるのはメルリアのおかげだと誰もが、いや、オトイ自身もそう思っていた。


(……そろそろ帰ってくる頃だな)


 メルリアは寄り道をしない。オトイが頼んだ人形ダルの部品を買ったら港見物などせずに帰路に就くだろう。寄るとしても近所の商店街くらいで、それでも予定どおりの時間には帰ってくるはずだ。

 柔らかな布で全身を丁寧に拭ったオトイは、不慣れなことが丸わかりの手つきで少女にビスチェとペチコートを着せた。そうしてペチコートの中に手を入れて起動スイッチを押す。


(こんなところにスイッチを付けるなんて最悪だな)


 持ち主の性格が手に取るようにわかる。ますます不愉快そうに眉を寄せるオトイの耳に、起動を確認する機械音声が正常に動き出したことを告げた。


「気分はどうかな」


 オトイが声をかけると、それまでガラス玉のようだった赤い眼に光が灯った。赤い眼は人形ダルの大きな特徴の一つで、見た目は人のように完璧に作れたとしても、この人工眼の赤い色だけは隠すことができない。かつての絡繰人形パストムは人工眼さえ人のように作ることができたと言われているが、その技術も失われたままだ。

 停止中は透けて見えていた視神経繊維が赤色に紛れて見えなくなる。一度瞬きをした少女の愛らしい唇が微かに開いた。まるで深呼吸をするかのように動いたあと少女らしい声が聞こえてくる。


「ありがとう。すっかり綺麗になったようね」

「依頼を受けたからには、完璧に修理するのがオレの信条だからね」


 オトイの言葉に微笑み返した少女は、左胸を見て「あら」と声を出した。ビスチェからわずかにのぞいている精石せいせき周りの皮膚の様子に気づいたのだろう。


精石せいせきの部分まで綺麗になっているわ」

「きみを作った人形師コンダクタは、もう少し辛抱強さと丁寧さを学ぶべきだ」

「ふふっ、やっぱりあなたは優しいわね」


 満足げな笑みを浮かべた少女は、赤いワンピースドレスを慣れた手つきで身につけ始めた。最後に頭のリボンを器用に直し、少し乱れた金髪を手櫛で整える。そうして椅子に置いてあったポシェットを優雅な仕草で手にした。


「金額はこれで足りるかしら」


 少女の小振りな手がポシェットから取り出したのは札束だった。それを作業台に置くと、続けてもう一つ何かを取り出す。


「これも差し上げるわ」


 少女の手にあるのは、くすんだ暗い色の石だ。


「……これは誰の?」

「わたしの姉のものよ。残念ながらいい人形師コンダクタに出会えなくて、こうして精石せいせきだけが戻って来たの」


 少女の声に悲しみの色はなく、世間話をするような淡々とした口振りだ。それを聞くオトイのほうが顔をしかめ、少女の姉だという人形ダルに思いを馳せる。


「もうほとんど力は残っていないけれど、あなたなら使い道があるかと思って。今回のお礼に差し上げるわ」

「……受け取っておくよ」


 少女はもう一度「ありがとう」と口にしてから扉を開けた。階段に足を伸ばす前にくるりと振り向き、にこりと微笑む。


ネットワークどおり、あなたはとても優しいわ。あなたのそばにいられる人形ダルはとても幸せね」


 少女の言葉に一瞬目を見開いたオトイは、口元を緩めながら小さな声で「そうだといいんだけど」と口にした。


  ・ ・


 少女が自宅兼仕事場を出てからしばらくすると、誰かが仕事場にしている地下へと降りて来た。背が高く長い黒髪を後ろで一つに結んでいるその男は、静かに扉に近づくと音を立てないように扉を開ける。


「……やっぱり寝ていましたか」


 男の黒眼に映るのは、椅子に座ったまま作業台に突っ伏しているオトイだ。並外れた集中力で作業をするせいか、オトイは一段落するとこうして電源が切れたように眠ってしまう。以前は寝室まで行く努力を見せることもあったが、床や階段で力尽きるため「危ないから仕事部屋で寝ていてください」とメルリアに注意されてしまうほどだ。

 それからはこうして作業台に突っ伏して寝るようになった。それを見つけて食事を取らせ、必要なら風呂に入れるまでが助手メルリアのもっとも大事な仕事だ。


「オトイ、起きてください」

「んー……」

「夕飯は食べてくださいね。そうしないと明日起きられなくなりますよ」

「わか……」


「わかった」なのか「わかってる」なのか、むにゃむにゃと返事をするオトイにメルリアの黒眼が優しく微笑む。


「眠気覚ましにコーヒーをいれましょうか。ちょうど豆を買ってきたところですし」

「ん……」

「ブラック? それともカフェオレ?」

「カ……」


 おそらくカフェオレと答えたかったのだろう。「カ」以外は掠れて聞こえなかったが、こうしたオトイに慣れているメルリアは「砂糖も入れたほうがいいかな」と考えながら傍らに立つ。そうしてそれなりの背丈があるオトイを軽々と抱きかかえた。横抱きにしたまま部屋を出て階段を上り、奥にある寝室ではなく手前の居間に入る。


「ベッドで寝るのは食事をしてからにしましょうか」


 そう囁き、起こさないようにそっとソファに下ろした。


「あなたのことですから、また依頼人に心を砕いたんでしょうね」


 メルリアがそうつぶやいたのは、帰りに立ち寄った商店街で見慣れない少女を見かけたからだ。赤いワンピースドレスは仕立ての良いもので、下町と呼ばれるこの辺りでは滅多に見かけないから目立つ。さらに赤い眼を見れば少女が人形ダルだということは一目瞭然だった。

 この辺りには数人の人形師コンダクタがいるが、人形ダル自身が客として赴くほどの人形師コンダクタはオトイしかいない。メルリアは誰よりもそのことをよく知っていた。

 人形ダルは独自のネットワークで繋がっている。各国政府が管理するために登録や接続を義務づけているものとは別に、人形ダルだけが接続アクセスできるネットワークがあった。それは人が社会を築くように、人形ダルたちが生き残るため自ら築いたコミュニティに近い。


(優秀な人形師コンダクタとしてオトイの名前がネットワーク上で頻繁に見られるようになってきた)


 おかげで腕はもちろん、人形ダルに誠実で優しいことも多くの人形ダルが知るところとなった。メルリアはそれを誇りに思うとともに複雑な感覚を抱く。


「まったく、あなたは昔から人形ダルに大人気だ」


 メルリアの整った唇が、フッと息を吐くように笑った。


「あなたは人形ダルに優しいから人気なのもわかりますが……」


 眠り続けるオトイの前髪を指先で払い、現れた額を優しく撫でる。


「ですが、あまり優しすぎるのもどうかと思いますよ?」


 髪を梳くように長い前髪を撫でながら「人形ダルにも嫉妬心というものはありますからね」と微笑むメルリアの黒眼が、窓から差し込む夕日に照らされかすかに赤色に光った。

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人形師(コンダクタ)と少女 朏猫(ミカヅキネコ) @mikazuki_NECO

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