人形師(コンダクタ)と少女

朏猫(ミカヅキネコ)

第1話

 その日、人形師コンダクタであるオトイの元を一人の客が訪れた。決して繁盛しているわけではない仕事場に客というだけでもあまりない光景だが、それより珍しいのは人と話をするのが苦手なオトイ自ら接客していることだ。いつもなら助手のメルリアが対応するところだが、美丈夫で人当たりのいいメルリアの姿はどこにもない。


「確かに修理は可能だけど、きっとまた同じことになると思うよ」


 メルリア以外とは滅多に話をしないオトイにしては、やけにはっきりと言葉を紡いでいた。淡い茶色の長い前髪に隠れた紫眼もしっかりと客を見ている。


「そうね、九割の確率でそうなると思うわ」

「いや、百パーセントの確率だ」

「そうかもしれない。それでも新品のように直してほしいの」


 オトイと話をしているのは美しい少女だ。十歳前後くらいに見えるその少女は真っ白な肌をしていて、フワフワの金髪に赤いリボンがよく似合っている。リボンと同じ色の赤いワンピースドレスは少女のために仕立てられたようにぴったりで、オトイと対等に話す姿は小さなレディといった感じだ。


「修理よりも主人を選び直すことをお勧めするよ」

「それはできないわ。そうできないことはあなたもご存知のはずよ?」


 そう答えた少女は年齢にそぐわない艶やかな笑みを浮かべた。赤い眼をにこりと細めると、ためらうことなく服を脱ぎ始める。そうしてビスチェとペチコートだけになると再びオトイを見た。


「お金はちゃんとお支払いするわ。だから直してほしいの」


 露わになった少女の腕の皮膚はあちこちがめくれ上がっていた。背中にはひどいミミズ腫れも見える。足には古そうな切り傷がいくつもあり、ペチコートをめくった先の太ももにも真新しい大きな傷が三つあった。

 どれもひどい傷に違いないが、どこにも瘡蓋かさぶたのような痕がない。抉れた皮膚はそのままの形で、傷口を覗けば皮膚の下が見えてしまいそうな具合だ。そんな奇妙な傷痕を一通りチェックしたオトイは、大きなため息を吐きながら小さく頭を振った。


「直すのは難しくないし何度でも直せる。だけど、人形ダルがこんなふうに扱われるのは我慢ならない」


 オトイの言葉に少女の赤い眼が笑う。


「噂どおり、あなたは人形ダルに優しいのね」

「……そうじゃない。ただの道具のように扱われるのを見てられないだけだ」

「ほら、やっぱり優しいわ」


 そう口にした少女は、ためらうことなくペチコートの中に右手を入れた。艶やかな微笑みを浮かべ「修理、お願いね」と口にするのと同時に「ヒュン」という小さな電子音が鳴る。裾から出てきた右手は動きが緩慢でどこかぎくしゃくとした様子だ。不自然な動きで直立したかと思うと、少女の動きがぴたりと止まった。

 オトイは再び小さく頭を振ると、不機嫌ともとれる表情で仕事道具を取りに部屋の奥へと向かった。それを見つめる少女の赤い眼はガラス玉のようにただ光っている。

 オトイは人形師コンダクタと呼ばれる人形ダル専門の職人だ。人形ダルとは文字どおり人型をした造形物のことで、かつては二種類存在した。一つは再び広く流通するようになった機巧人形アウトマと呼ばれる種類で、作業用や接客用、愛玩用など用途に合わせて作られる。もう一つは絡繰人形パストムと呼ばれるもので、生き人形といわれるほど精巧な作りが売りだった。しかし随分昔に世界中で製造が禁止されたため、どのくらい現存しているかわからず幻の人形ダルと呼ばれている。オトイは機巧人形アウトマの修理を主な生業にしていた。

 高価な機巧人形アウトマを個人で所有できるのは富裕層しかいない。そんな人種が客になる商売なら濡れ手で粟状態のはずだが、オトイは路地裏の小さなアパートの一角に仕事場を構えていた。人が苦手なため太い客が付くことはなく、この先裕福になる見込みもない。そんなオトイの仕事や生活が成り立っているのは、ひとえに助手のメルリアがいるおかげだった。


(メルが帰ってくるまでに終わらせるか)


 いつもなら近所の店で買い物を済ませるメルリアだが、今日はハマと呼ばれる大きな港街まで買い出しに出かけている。頼んだのはオトイで、あと四時間は帰ってこないだろう。メルリアが帰ってくるのは夕方だろうから、それまでに終われば夕飯は二人で食べることができる。そんなことを考えながらオトイが手にしたのは、人工皮膚を扱うための道具一式だ。


(もう少し丁寧に扱えば、もっと綺麗にしてやれるのにな)


 拡大鏡を片目に着け、少女の腕を手に取る。腕のあちこちに何度か皮膚修復を施した痕があった。不完全なそれを見ながら再び大きなため息をつく。


(これでいったいいくら請求したんだか)


 作業台にいくつかの道具を拡げたオトイは、覚束ない手つきでビスチェとペチコートを脱がせた。そうして体中に散らばっている傷痕を細かく観察する。

 露わになった素肌は傷さえなければ美しいもので、わずかに膨らんだ胸が少女らしさをかもし出していた。しかし左胸のやや上には杏子ほどの穴が開いており、そこから紫色に輝く精石せいせきが覗いている。

 精石せいせきとは人形ダルを動かすための呪術が込められたこぶし大の石で、人形ダルの心臓のような役割を果たしていた。今は採掘できなくなった古の鉱物は、本来は人工皮膚で覆い隠すべきものだ。多くの人形ダルがあった時代には完全に埋め込むことができたものの、その技術は人形ダルが廃れたときに失われてしまっている。


「隠せないにしても、もっと綺麗に処理するくらいしろって言うんだ」


 思わずそうつぶやきながらオトイが眉をひそめた。顔をしかめたくなるほど精石せいせきを囲む人工皮膚の縁は歪み、引きつるように盛り上がってしまっている。こんなずさんとも言える処理を見れば、この少女を作った人形師コンダクタの技量は自ずとわかるというものだ。

 ため息をつきながら、それでもオトイは丁寧に精石せいせきを包む人工皮膚をはがし始めた。そうして縁を綺麗に伸ばし、精石せいせきの輝き方を見ながら引きつらないように貼り直していく。


(ほら、こうすればこの子を輝かせる宝石みたいにできるのに)


 精石せいせきを包む人工皮膚は歪みも引きつりもなく、まるで宝石をはめ込んだ指輪の台座のような状態になった。出来映えに少しばかり満足したオトイは、次に腕に残る傷の修復に取りかかることにした。


(この質感と光沢は……ナンバーシリーズか)


 腕を取り、角度を変えながら表面の光沢を観察しては指で感触を確かめる。いくつかの種類を思い浮かべながら、人工皮膚をストックしてある引き出しを開け数枚を取り出した。似たような光沢を放つ中から一枚を選び、腕に当てながら違和感がないかと再度確かめる。


(素材に金をかけても人形師コンダクタの腕が見合ってない)


 少女の肌に使われているのはナンバーシリーズと呼ばれる最高級品だった。そうしたものを使えば生き人形と呼ばれた絡繰人形パストムに匹敵するものを作ることができる。しかしいくら素材が高級でも腕が伴わなければどうしようもない。

 製造が禁止されたことで廃れた技術は、そう簡単には蘇らない。とくに人形ダルは膨大な知識と繊細な作業を必要とするもので受け継ぐこと自体が難しかった。かつて錬金術とも呼ばれていた技術の一部を現代の人形師コンダクタが引き継いでいるものの、いまや玉石混淆ぎょくせきこんこうといった具合でそれを見極められる客は少ない。

 オトイは慎重に専用のピンセットを動かしながら、めくれ上がった腕の皮膚を伸ばした。破れないように少しずつ引っ張りながら、革をなめすように丁寧に貼りつけ直す。それでも覆うことができない部分は新しい人工皮膚を張り、継いだ部分がわからないように馴染ませた。

 腕の次に取りかかったのは背中だった。ミミズ腫れのように膨らんでいる人工皮膚を剥がし、その下にある繊維組織に傷がないか確かめる。深い場所まで傷ついているわけではないことにホッとしたオトイは、それでも不機嫌さを隠さない表情で繊維組織の一部を交換した。皮膚を剥ぎ取った部分は少し大きめに切った人工皮膚で塞ぐ。下処理として渇くと透明になる特殊な接着用の液体に浸し、重なりを極限まで避けながら周囲に馴染ませていくのが腕の見せどころだ。


(一体どれだけ傷をつければ気が済むんだ)


 傷は腕や背中だけではなかった。とくにひどいのは腹や尻、内股で、局部には明らかに性的な行為の延長線上でついたであろう傷も残っている。

 オトイはそうした傷のすべてを丁寧に剥がし、繊維組織に問題がないかチェックした。繊維に傷があれば新しいものに取り替え人工皮膚を被せていく。一般的な人形師コンダクタなら数日はかかる作業を、オトイは類い稀な技術と集中力で三時間とかけずに修復し終えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る