第2話 再会



「えへへ、あたしってば綺麗になったでしょ?」


 そう言って笑う、とっくの昔に疎遠になった幼馴染の女の子──古賀こが 琴音ことねさん。やはりその姿はどう見ても、俺の知ってるココネとは別人だ。


「……君が本当に、あのココネなのか?」


 自己紹介された今でも、まだ納得できない。だって俺が知ってるココネは、気が強くて男勝りで口より先に手が出るような奴だった。面白い動画を見つけたとか言って、エロ動画を見せてくるような馬鹿だった。


 あれからもう5年以上経っているとはいえ、人というのはここまで変わるものなのだろうか?


「疑うなー。あたし、ほんとに加賀 琴音だよ?」


「いや、それはそうなんだろうけど、実感が……」


「実感、か。……あ、そうだ。ほら、ここ見て? ここ。ここにあるでしょ? ホクロが、二つ。これ見たら、流石に思い出すんじゃない?」


 そう言って少女が、ワイシャツのボタンを外して胸元を見せてくる。大きな胸の谷間の辺りに、二つの小さなホクロが見えた。


「……あ」


 そのホクロを見て、ふと思い出す。そういえば昔、ココネの胸元にある二つのホクロを指さして、乳首が見えてるとか言ってからかったことがあった。それで怒った琴音に、ぶん殴られたんだった。


 それは最悪な黒歴史ではあるが、確かにこのホクロには見覚えがある。


「……って、いきなり胸元なんて見せるなよ!」


 俺は慌てて目を逸らす。少女……古賀さんは、照れた表情ですぐに胸元を隠した。


「あははは、ごめんごめん。なんか懐かしくて、変なテンションになっちゃった」


「いや、謝らなくてもいいんだけどさ……」


 ただいきなりこんな美少女に胸の谷間を見せられると、どうすればいいのか分からなくなる。


「でも、そうか。じゃあやっぱり、君が本当にあのココネなのか」


 そこでもう一度、ココネ……古賀さんの方に視線を向ける。


 風に揺れる綺麗な茶髪。陶器のような滑らかな白い肌と、思わず視線がいってしまう大きな胸。どこをどう見ても欠点のつけようがない、完璧な美少女。本当に、別人みたいに綺麗になった。


 驚く俺を見て、古賀さんは少しだけ不服そうな表情で言った。


「そんなに驚くことかな? あたしからすれば、落葉くんもかなり変わったと思うよ?」


「え? 俺?」


「そ。あたしも最初、誰だか分からなかったもん。背、すごい伸びてるし、雰囲気も昔と全然違う」


「あー、まあ、俺はアレだよ。髪とか染めてるし」


「やっぱりそれ、染めてるんだ。突然変異かと思った」


「どんな変異だよ。これはちゃんと、美容院で染めてもらったの」


「えー、意外。ちゃんと美容院、行ってるんだ。昔はお母さんからもらった散髪代、ゲーム買うのに使いたいとか言って、自分で切って落武者みたいになってたのに」


「……子どもの頃の話だろ、それ」


 呆れたように息を吐く。古賀さんはこちらに一歩近づき、何かを確かめるように辺りに視線を向けた。


「でも、落葉くんの家ってこの辺りじゃなかったよね? こっちの方はお店もないし、こんな時間にこんなところでなにやってたの?」


「それは……」


 実は今、付き合ってる子に浮気されてるかもしれなくて。でもそれを、深く追求することもできなくて。そんな自分が情けなくて当てもなく走っていたら、ここにいた。


 ……なんて、カッコ悪くて言えない。


「んん? もしかして、何か言いにくいことだったりする?」


 黙り込んでしまった俺を見て、古賀さんが首を傾げる。俺は誤魔化すように、視線を逸らした。


「……別に、大したことじゃないよ。ちょっと気分転換に、散歩してただけだから」


「そう? それなら、いいんだけどさ」


 古賀さんはうんうんと、納得したように頷く。


「まあでも落葉くん、エッチなところは変わってないみたいで、安心したよ」


「適当なこと言うなよ。昔、面白い動画があるとか言ってエロ動画とか見せてきたのは、古賀さんの方だろ?」


「あれ? そうだったっけ? でも落葉くん、さっきあたしの胸、食い入るように見てたじゃん。昔から大きいおっぱい好きだよね? 落葉くん」


「……それも、そっちが先に見せてきたんだろ?」


 何だか照れ臭くて、河川敷の方に視線を逸らす。


 月明かりに照らされた河川敷。昔はよくこの辺りで遊んだが、最近はめっきり来なくなった。……なのにどうして俺は、こんなところに走ってきてしまったのだろうか?


「あれ? どうしたの? 落葉くん。また急に黙り込んじゃって……。もしかして何か、悩みごと?」


 古賀さんが心配そうにこちらを見る。俺は小さく笑って、首を横に振る。


「いや、ちょっと思い出してたんだよ。昔、よくここで水切りしたなって」


「あー、そういえばよく勝負したよね。どっちが先に向こう岸に届くかって。それでいつも、あたしが勝ってた」


「そうそう。それでココネはいつも、罰ゲームとか言って俺に──」


 ……あれ? なんか、とんでもないことをされていた気がするが、気のせいか? 確か、昔のココネは俺に──


「そ、そうだ! 久しぶりに水切りしようよ! 水切り!」


 俺の思考を遮るようにそう言って、古賀さんは逃げるように坂を下る。


「ちょっ、古賀さん⁉︎」


 俺は慌てて、そんな古賀さんの背を追う。……もしかして古賀さんも、あの罰ゲームのことを思い出したのだろうか? 慌てた様子の古賀さんは、向こう岸に人がいないのを確認してから、その辺に落ちていた石を掴んで投げた。


「あら」


 しかし、石は水の上を跳ねることなく、ぽちゃんと音を立てて沈んでしまう。残念ながら、これだと水切りとは言えない。


「って、あ」


 そして、久しぶりに水切りをしてバランスを崩してしまったのか。古賀さんはそのまま川の中に──


「危ない……!」


 慌てて手を伸ばす。反射的に体が動いた。思い切り地面を蹴った俺は、何とか古賀さんの腕を掴んで、彼女が川に落ちるのを阻止することに成功する。


「……あ」


 しかし、勢い余って止まることができなかった俺は、そのまま川に落ちてしまう。静かな夜の河川敷に、ばしゃーんと馬鹿な男が川に落ちた音が響く。


「ちょっ、落葉くん大丈夫⁈」


 古賀さんが慌てて川に飛び込もうするが、俺は首を横に振る。


「大丈夫。ここ、浅いから」


 子供の頃ならいざ知らず、今だと膝くらいまでしか水がない。流れも速くないし、流される心配もない。


 ……まあそれでも、制服はびしょ濡れになってしまったのだが。


「ほんと、何やってんだか。……ははっ」


 何だかおかしくて、笑ってしまう。俺は今まで、何を悩んでいたのだろう? たかだか彼女に浮気されたくらいで死のうだなんて、何をそこまで思い詰めていたのか。


「くっ、あはははははは!」


 可笑しくて仕方がない。久しぶりに、本心から笑った気がする。


「……落葉くん、大丈夫? なんか変なとことか、打ってないよね?」


「大丈夫、大丈夫。ちょっと、思い出し笑いしただけだから」


「……とにかく、まずは上がりなよ」


 古賀さんが、こちらに向かって手を差しだす。


「…………」


 でもどうしてか俺は、その手を取るのを躊躇してしまう。


「ん? どうかしたの?」


「……いや、ありがと」


 余計な思考を振り払い、古賀さんの手を取って川から上がる。……古賀さんの手は、とても温かかった。


「ごめんね? あたしのせいで、制服びしょ濡れになっちゃって」


「あー、まあいいよ。明日までには、多分、乾くと思うし」


「でも、落葉くんの家、ここからだと距離があるでしょ? このままだと風邪ひいちゃうかも……って、そうだ!」


 何かいい案が思い浮かんだと言うように、古賀さんの目が輝く。


「今から、うち来なよ! うちすぐそこだし、久しぶりに美海子みみこもお母さんも、落葉くんに会いたいと思うしさ!」


「いや、いきなりそんなこと言われても、こっちにも都合が……」


「もしかして、このあと何か用事でもあったりする?」


「いや、ないけどさ……」


「じゃあ、決まり! ……行こ?」


「ちょっ、俺はまだ──」


「もう決まったから、ほら行くよ?」


 強引に手を引かれて、歩き出す。……正直、振り払おうと思えば簡単だった。でも今の俺に、そんなことをする理由もない。今さら俺が、榊さんに気を遣って断るなんて真似をする必要は、ないはずだ。


 そうして急遽、何年振りかに古賀さんの家にお邪魔することになってしまった。



 ◇



 さかき 沙織さおりは、苛立っていた。



「……繋がらない」


 沙織が坂島 落葉を置いて、教室から出て行ってからしばらく。どういう心境の変化があったのか、沙織は珍しく自分から落葉に電話をかけていた。


「…………」


 自室の大きなソファに座り、じっと一点を見つめながらスマホを耳に当てる。……けれどいくら待っても、電話は繋がらない。彼女の胸に、小さな苛立ちと不安が広がる。


「なにを、私は……」


 愛されているのなんて当たり前で、冷たくあしらうのもいつものこと。たとえそれで拒絶されたとしても、それはそれで構わない。



 ──だって彼は、『都合のいいキープ』でしかないのだから。



「……もういいです」


 そこで我慢の限界がきたのか。沙織は乱雑にスマホをテーブルに置いて、そのままベッドに倒れ込む。


「関係ない……関係ない、はずなのに……」


 どうしてこんなにも、不安になってしまうのか。もしかして自分は、『都合のいいキープ』だなんて言ってしまったことを、悔いているのか。それとも無意識に、落葉のことを……


「そんなわけない」


 沙織は小さくそう呟き、目を閉じた。


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塩対応のお姫様に『都合のいいキープ』と言われたので、他校で一番の美少女を彼女として紹介したらどうなるか検証してみた。 式崎識也 @shiki3

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