戦火に煙立つ町の非日常的な風景を眺めながら僕らは日常的なお茶を淹れる。

鳥辺野九

宇宙戦争で僕とお茶を


 見返した戦争業務日誌には、一ページだけ意味不明の文字列が書かれた箇所がある。

『お茶、ごちそうさま。とても美味しかった。また攻めに来てもいいですか?』

 そもそも僕はこの文字が読めなかった。




 僕らは宇宙連合憲章に則った戦火に晒されている。すなわち、宇宙人に侵略されているのだ。

 そこにSF映画に見られるような圧倒的な科学技術力による大量虐殺行為はない。宇宙連合憲章と呼ばれる厳密なルールと第三者勢力による公正な審判が存在する対戦競技のような宇宙戦争である。

 宇宙の侵略者からこの星を守るため、とか。愛する人のため、とか。そんな見目麗しいイデオロギーなんて、あいにくと僕は持ち合わせていない。

 従軍すれば終戦まで仕事を長期休業できるから。そんな漫然とした理由で宇宙連合憲章に書かれている惑星間協定に従って兵役に志願した。

 臨時兵卒として戦争に就いてから三週間が経つ。意外と慣れるのも早かった。とは言え、週休三日の就業体制での三連休明けの通勤はやはり気怠い。

 普段の路線バスは通勤時間帯で混んでいて空席がなかった。まだ戦争時間前だし、戦争外で日常生活を送っている人たちも大勢いる。せめて駅まで座りたかったが、仕方がない。バックパックを胸に背負い直し、窓がよく見える立ち位置を陣取る。

 吊り革に掴まって車窓を流れる景色をぼんやりと眺めていると、平凡な街並みに黒点が近付いてくるのが見えた。何だろう、と目を凝らすと、先週末までは営業していたはずの飲食店が閉店していた。電気が消えて店内は薄暗く、入り口のガラス戸が無残に破られ、黒く焼け焦げた壁が足早に流れ去った。




 ターミナル駅はこの地域でも最重要拠点である。まだ業務開始一時間前だというのに、すでに本職の軍人さんが拠点防衛に就いていた。さすがに三週目ともなると顔を覚えてもらえるようで、僕を認めると軽く目礼をしてくれた。僕も頭を下げて、でも任務中である軍人さんに話しかけたりはせず、駅構内へ降りた。

 構内には僕が配置された戦闘区域の作戦本部がある。改札側の駅員室では軍人さんたちが慌ただしく動き回っている。就業開始前の諸連絡に忙しいのだろう。

「おはようございます」

 軍人さんと違って僕は臨時兵卒だ。そこまで従属的な上下関係はない。「おはようございます」と軍人さんたちが次々に挨拶を返してくれるのを軽く目で追いながら駅員室を抜けて、更衣室の自分のロッカーを開ける。

 普段着のジャージを脱いで防弾ジャケットを装備する。防弾性能がある分だけ厚手で、これからの暑い季節は少々難儀するだろう。下は丈夫な作業用のカーゴパンツのまま。自前だ。僕レベルの臨時兵卒には重装備は支給されない。

 それでも防弾ジャケットを羽織るだけで戦争感がぐっと上がる。ここから先は非日常だ。日常生活はバックパックに詰めてロッカーにしまっておく。

 続いてヘルメットと長距離ライフル銃を取り出して、基本的な作動確認を行う。

 戦闘行動を記録できるアイカメラ、正常作動。ライフル銃も各部位滑らかに動作する。それから弾倉を準備し、予備弾倉を補充する。戦争準備、完了。

 就業時間まではまだ時間があるが、早出に関しては特に厳しい規定はない。タイムカードをレコーダーのスリットに通して勤務時間を記録する。

「では、行ってきます」

「はい。ご武運を」

 軍人さんの中でもまだ僕よりも若そうな女性通信士さんが見送ってくれた。いつもなら無愛想な年上の通信士さんが「よろしく」とだけつぶやく。

 僕のささやかなモーニングルーティンが変えられてしまったような気がした。




 地下鉄は通勤客に混じって武装した臨時兵卒の人たちも利用している。配置先が違うのでお互い名前も階級も知らない。それでも毎日の通勤で同じ車両に乗り合えば、軽く頭を下げる程度の奇妙な仲間意識も芽生えるというものだ。

 作戦本部が設置されたターミナル駅から地下鉄で六つ下った駅が僕の就業場所、ある意味戦場となる。

 住宅地に程近い地下鉄駅で、小規模ながら商業施設が併設されている。バス停留所も路線を三本中継していて、付近の住人にとっては重要な交通のハブとなっている建築物だ。

 別の角度から見れば、緑地の色濃い森林公園を背後に背負っており、大きな丁字路の合流地点に位置していている防衛に適した拠点と言える。

 真正面のバス通りを行けば新興住宅地へ。左に曲がればやがて細い坂道を登り古い世代の住宅地に続く。右を向けば幹線道路につながる太い道路が伸びる。背中側は非戦闘区域の公園だ。敵が攻めてくるとしたら右の道からしか考えられない。敵が来たら撃って追い返す。簡単な業務だ。

「よう、早いな」

 戦争開始十分前になって、僕と同じシフトに入っている同僚がようやく出勤してきた。

「業務開始十分前ですよ。おはようございます」

「おはよう」

 僕よりも三つ歳上で、兵役期間七ヶ月目の先輩臨時兵卒があくび混じりに返した。長距離ライフル銃を事務机にどんと音を立てて放置して、安物の椅子の背もたれにぎしりと体重を預けて座った。

「真面目なのもいいけど、敵さんもこんなとこまで来ねえって」

 ヘルメットも着けずに、自前の飲み物の入った保冷ボトルをくいっと傾ける。

「まだ一度も戦闘行動してないくらいだし」

「そうそう。俺が一ヶ月目くらいの時は数発くらいは撃ったかな。別の勤務地だけどな」

「交戦経験があるんですか。知らなかった」

 ふと、通勤バスの車窓を思い出した。焼け落ちた飲食店が通り過ぎていく非日常の光景を。日常に紛れて、非日常はそこまで忍び寄ってきている。ただ僕らは見えないふりをしているだけだ。

 僕らの就業場所は急拵えという言葉がぴったりのプレハブ小屋のトーチカだ。土嚢に覆われてはいるが、防御に関しては期待できそうにない。ロケット弾一発であの飲食店のように黒焦げになるだろう。

「交戦って呼べるレベルじゃないけどな」

「協定の範囲内での試し撃ちみたいな?」

「それだそれ。所詮はお偉いさんが決めたルールがある戦争ごっこだ」

「ごっこって、まるでゲームみたいですね」

「敵さんだってごっこ遊びで死にたくはないだろ。のんびり戦争しようぜ」

 プレハブ内には簡素な事務机が三つ置いてあり、机の上には業務日誌帳が一冊と有線電話が一個だけ敷かれている。僕らは就業終わり時間まで、この狭い室内で射撃窓からライフル銃を構えて来るはずもない敵を待つのだ。

 午前九時。地下鉄駅舎がサイレンを奏でる。戦争開始の合図だ。




 協定では雨が降ろうと野外での戦争は中止されない。当然だ。むしろ視界が悪く、拠点を攻め落とすには絶好の機会かもしれない。

「そういえば、聞きましたか?」

 今日シフトが一緒になった同僚はやたらとお喋り好きだ。プレハブトーチカを叩く雨音に負けないくらい喋り続ける。

「何をです?」

「新港の防衛ラインあるじゃないですか」

 ターミナル駅からそう遠くない位置に工業港がある。物資の輸送の要となる最重要拠点の一つだ。

「ありますね。防衛にかなりの戦力を回してるはずです」

「そこの臨時兵卒の一人が、たまたま担当した砲座で敵船を一隻沈めたそうです」

「それはすごい」

 敵船を撃沈したことよりも、敵が工業港に攻めてきたことの方に驚いた。戦争に従事して四週間。僕は未だ交戦経験がない。

「惑星間協定の規則通り、特別報奨金を独り占めできたそうです」

「それは景気の良い話ですね」

「電子マネーですぐに振り込まれて、早速車を買ったそうです」

「へえ。いいなあ」

 そうです、ばかり言う彼は相当羨ましかったのか、大きなため息を一つ漏らしてライフル銃を構え直した。雨はやかましく降り続けていて、当然、敵の気配すらない。

「私も配置換えを申請しましたよ。こんな住宅地の地下鉄駅に敵なんて来やしない」

 惑星間協定では敵兵を戦闘から除外させれば、第三者宇宙人の戦争審判から特別報奨金が支払われる。これが大きい。ボーナス目当てで臨時兵卒に志願した者も少なくない。彼もその一人だろう。

「臨時兵卒の基本給じゃ足りませんか?」

「逆に聞きます。足りますか?」

 僕は口を濁して、雨降るバス通りに目線を戻した。彼とはどうにも会話が成り立たない。

「珍しいですね。金銭目的以外で宇宙戦争に参加するなんて」

 言われてしまった。

「派手に武器をぶっ放したいってタイプじゃなさそうですし」

 返事をせずに射撃窓から雨を眺める僕に彼は喋り続ける。

「どうしてこんな退屈な宇宙戦争に志願したんですか?」

 何て答えようか。彼がどんな答えを期待しているのか、そのぼんやりとした輪郭を推測しながら言葉を見繕う。

「宇宙人が侵略してきたから、かな」

「そこに敵がいるから、ですか。消極的理由ですね」

 言われて、改めて僕は何故宇宙戦争に参加したのか考えてみた。

「いや、違うか」

 ライフルの銃口がぶれる。誰もいない雨の町を右へ左へ。僕は何のためにライフル銃で敵を撃とうとしているのか。

「変わりたかったのかもしれません」

「何にですか?」

 彼は見た目通りしつこい性格のようだ。僕を真正面に見据えようと身体を斜めに傾けて、ライフルの銃身なんて下を向いてしまっている。

「何かに、でしょうね」

「だから何に?」

「だから何かに」

 納得してくれなかった。




 町中に戦争休止の明るめのサイレンが鳴り響く。

 待望のお昼だ。戦争はこれより一時間のお昼休みに入る。宇宙憲章にも書かれている。これより先は敵も味方もない。戦闘禁止時間だ。

「やったあ。今日も敵の姿を見ないままお昼休み突入ですね」

 ようやく事務机の簡易的な銃座席から離れられる。そんな解放感を両手を振り上げて彼女は喜んだ。僕も朝から構えっぱなしの重たいライフル銃をようやく手放す。

「今日もって言うより、僕は六週間連続で敵を見ていませんよ」

「まだ従軍四週間目ですが、私もです」

 同僚の笑顔を見るだけでこちらも自然と笑えてくる。この人とシフトが一緒の時は戦争時間中でも気が楽な方向へ向くので助かる。

「敵なんて、ほんとにいるんですか?」

「そういう陰謀論もあるみたいですね」

 椅子の背もたれに身体を預けて、うーんっと背伸びをしながら彼女は小首を傾げた。

「陰謀論?」

「うん。宇宙戦争だなんて言ってるけど、実は宇宙人も宇宙連合も政府がでっち上げた架空の存在で、本当の敵は海の向こうの隣の国だった!」

 僕もついつい乗ってきて口がよく回る。気分が軽い。お昼休みの効能だ。この人と同じシフトに入った時の楽しみの一つがお昼ごはんだ。なんと、僕の分までお弁当を作ってきてくれるのだ。

「えー。でもテレビでは敵の戦力分析とかで宇宙人の映像を放送してるじゃないですか」

 宇宙人は僕らととてもよく似ている姿形をした知的生物だ。

 似たような惑星の似たような重力環境下では似たような生物進化を遂げるらしい。だから似たような発展途上惑星間同士で侵略戦争が勃発する。

「僕は本物の宇宙人をこの目で見たことないので知りません」

「見たことないからこそ、宇宙人なんてほんとは存在しないのかも」

「で、僕らは誰も来るはずのないバス通りで戦争している?」

「架空の宇宙人とね」

 彼女は味気ないプレハブトーチカに携帯コンロを持ち込んで、お湯を沸かしてお茶を淹れてくれる。

 これが美味しいんだ。

 ふわりとしたお茶の香りが非日常の戦争行動から日常の食事へと引き戻してくれる。トーチカの室内までもまるで色味が違って見えてくるから不思議だ。

「観測することで初めて存在が確定する宇宙人ですか?」

「私たちが観測しなければ、宇宙人はそもそも存在しない。少なくとも二人一緒にごはん食べている間は索敵監視はなしですからね」

 事務机を射撃窓から引きずり離して、椅子を持ち合い向かい合わせに座る。

「そんな哲学的な思考実験ありましたよね」

「ああ、うん。あれね、あれ。誰々さんの何か」

「誰の何って?」

「誰かさんの何かって実験よ」

 戦闘行為禁止のお昼休みは一時間しかない。姿を見せない敵に緊張した時間の中でも、こんな緩やかな時間を過ごせるのなら、宇宙戦争も悪くはない。そんな錯覚に陥る。

 彼女が作ってくれるお弁当はいつも美味しい。お茶の香りもいい。こんな日常がずっと続けばいいのに。




 就業時間が夕暮れ時に近付く頃には誰だってだれる。宇宙戦争なら尚更疲労の色が濃くなる。僕とは絶望的に話が合わない彼がうっかり口を滑らせたのも仕方のないことだ。

「配置換え届けが通ったんですよ」

「通った?」

「空港に異動が決まりました」

 そんな大事なことを同じ戦闘区域の同僚である僕に、しかも異動の辞令が出る前に言っちゃっていいものなのか。

「そりゃあ、おめでとうございます、なのかな」

「違うんですか?」

「違うも何も、空港って言えば、宇宙に最も近い基地拠点じゃないですか。一番最初に狙われる場所です」

 彼の考え方は僕とは根本的に角度が違う。

「希望通りですよ。週に二度は戦闘が行われてるそうです」

 予想外の言葉が返ってきた。

 兵役に就いてからこちら七週間で一度も敵の姿を目視したことすらない僕にとって、週に二度の戦闘だなんて桁外れに多い数字に聞こえる。

「大丈夫なんですか、そんな激戦区で」

「装備品も高度な物で、強力な兵装だそうです」

 いつもの彼の口癖、そうです、が続く。彼自身それに気が付いていない。

「敵も多く兵器も強力だということは、一攫千金のチャンスだそうです」

 いったい誰に聞いたんだろう。夢物語を語るその目で実際の戦闘を見たのだろうか。自分が歴戦の兵士だとでも思っているのだろうか。

「それだけ危険な任務地ってことでしょ?」

「とにかく稼げる現場だそうです」

 ライフル銃を持ったまま彼は椅子から身を乗り出すようにして僕を真正面に見据えて、熱に浮かされたみたいに語り出した。銃口が窓枠から外れて室内に向く。

「この宇宙戦争は我々人類にとって宇宙に羽ばたくチャンスだそうです」

 戦争が終われば、侵略されようが敵を撤退させようが、宇宙連合から惑星復興のため高度な宇宙航行技術が提供される。宇宙憲章に書いてあった。

「でも、撃たれて怪我をするかも。場合によっては戦死するかもしれない。その可能性は考えないんですか?」

「侵略者の勢力は大したことがないそうです。現に、一度だって敵の姿を見たことがありますか? 戦闘したことがありますか?」

 ぐいとさらに身を乗り出して僕に迫る。

「そんな戦場で撃たれるわけが──」

 理屈で理想を語る彼が物理的に吹き飛んだ。

 何が起きた?

 目の前の現象に理解が追いつくよりも先に銃声が聞こえた。彼のライフル銃が暴発でもしたのか。吹っ飛んだ彼の身体とライフル銃の行方を目で追う。彼は椅子ごと派手に転がって、ライフル銃はプレハブの床にごとりと落ちた。

 僕は事務机に片肘をついてライフル銃を構えたまま固まっていた。全神経が目玉に集中してしまい、一切の情報処理ができないでいた。

 数秒経つ。彼が撃たれた、と理解できた。

 そこでようやく身体が動いてくれた。

 倒れた彼から視線を引き剥がして射撃窓を見やる。動くものは何もない。一枚の絵のようにいつもと同じ平凡で退屈な日常がそこにあった。

 いや、日常なんてもうどこにもない。

 日常はとっくの昔にぶっ壊された。僕は非日常の真ん中に置き去りにされたんだ。戦争を見て見ぬふりをして日常に浸っているつもりでいたんだ。ここは非日常だ。

 撃たれた彼は生きているか。

 ライフル銃を構えたまま銃座席を離れ、倒れたまま動かない同僚に歩み寄る。彼はぴくりとも動かない。横たわる彼を覗き見る。防弾ジャケットのど真ん中、ちょうど身体の急所になるがそれだけ防御力も高い部位に破損と焦げ跡があった。弾は防弾ジャケットを貫通していないようだ。見る限り出血もしていない。着弾の衝撃か、倒れた時に頭を強く打ったか、気絶しているだけだ。

 よかった。死んではいない。

 安堵の息を漏らして、ふと顔を上げると、先ほどまで毎日変わらない風景を映していた窓に人影があった。

 夕陽を浴びて光が斜めに翳り表情は窺えないが、僕らによく似ている誰かは僕らとは何かが違う目で僕をじいっと見つめていた。

 自分でも驚くほど冷静にライフル銃をその人影に向けた。彼女は慌てる素振りも見せずに長身の銃火器を僕から外した。彼女? 何となくそう思った。この人は女の人で、宇宙人で、敵だ。

 彼女はライフルの射線を避けるようにゆっくりと身を捻り、物音一つ立てずに窓の枠外へと消えた。

 僕は動かない。いや、僕は動けない。ただ状況の変化を待つしかなかった。

 十数秒後、不穏な空気に包まれているプレハブトーチカの出入り口が小さくノックされた。

「……はい。どうぞ」

 少し間を置き、ノックを受け入れる。

 トーチカ出入り口の扉に鍵なんてない。無抵抗にするりと開かれ、でもそこには人影はなかった。

「どうぞ。入ってかまいません」

 僕はわざとらしく音を立ててライフル銃を事務机に置いた。その音の意味が通じたのか、扉の向こうから、長銃の引き金から指を外した腕がにょきっと伸びた。

「──、─?」

 意味はわからないが、その声は甲高くて澄んだ音を奏でていた。やがて、そうっと、僕らにとてもよく似ているがどこか違和感がある顔が扉の影から少しずつ現れる。

「──。───」

「はい。どちらも、武器は、なしで」

 敵性宇宙人の言語はまだ学習していないので、彼女が何を言っているかまるでわからない。おそらく向こうもそうだろう。僕は出来るだけゆっくり簡単な言葉を使ってみた。

「ハイ。─、──リン」

 はい、って聞こえた。

 彼女は小さく頷いて、扉の影から全身を現した。武器を下ろした宇宙人は僕よりも小柄で、僕らの軍隊と似たような防御繊維素材の宇宙連合憲章推奨戦闘服を装備して、それでも女性だとわかるしなやかな身体でゆっくりと歩み出た。

「─、リン」

 リン、と言って彼女は武器の銃口を足下に向けて下ろし、足音を立てずに歩いた。ゆっくりとした動作で指を折り曲げて自分の胸をとんとんと二回突ついて、もう一度彼女の星の言葉を繰り返した。

「──、リン」

 僕に戦闘の意思はない。それを言葉もわからない敵にどう伝えたらいいのか。武器を置いて両手を上げるだけでは降伏と理解されてしまう。戦わないが、警戒していないわけではないという意思表示のため、片方の手を突き出して手のひらを大きく開いて彼女に示した。手を突き出して相手との合間に置く。宇宙人にも野生動物にも効果的な牽制姿勢だ。

 一歩、二歩、後退してスペースを空ける。もう片方の手で手招きするように手首を軽く振るって、そして扉を閉めるようなジェスチャーを繰り返して見せた。

 それを理解してくれたか、彼女は僕から目線を逸らさず慎重に後ろ手で扉を閉めてくれた。

 扉がきちんと閉まる音が世界で最後の音だったかのように静まり返る。それで彼女の緊張がほんの少し緩んだか、その口からもう一度彼女の星の言葉を紡ぎ出した。

「─、リン。──」

 指で自分の胸を二回突き、その指を僕の胸へ向ける。見えない何かを披露するかのようにくるりと手のひらを上へ向けた。

 僕は応えて、彼女の動きを真似して見せた。自分の胸へ手を置いて、倒れて動かない同僚を指差す。

「僕の名はシュウ。彼はベイツ。大丈夫、戦死していません」

 そしてその指を壁に掛かった時計へ向けて見せた。時刻は16時45分。本日の宇宙戦争業務終了まであと15分ある。

 彼女はベイツの安否を確認するかのように彼の顔、防弾ジャケットの焦げ跡を覗き見て、少しだけ安心したような目を見せてくれた。また「ハイ」と頷いて次に壁に掛かった時計を見る。時間の表記は彼女の星と同じなのだろうか。

 15分間。敵性宇宙人と密室の拠点で二人きり。なんて長い15分間だ。

 僕はそろりと視線を外し、彼女にもわかりやすい動きで事務机を見た。彼女も僕に従って目線を事務机へ向ける。机の上には弾が込められたライフル銃と、携帯コンロとお茶のセットが置いてある。

 本日の宇宙戦争業務終了まであと15分。少しくらい残業しても構わないだろう。




 その日以降、ベイツは戦場に出勤してこなかった。




 ベイツの代わりに若い軍人さんが地下鉄駅の拠点防衛に就いてくれた。

「おはようございます」

 本職の軍人さんなので挨拶までいちいち礼儀正しい。

 僕が普段通り業務開始三十分前にプレハブトーチカに入ると、軍人さんはすでに事務机に着席して自主的に防衛業務を始めていた。

「ベイツさんはどうしましたか」

「異動願いが受理されていましたが、それを取り消して、負傷による除隊届けが新たに提出されました」

「そうですか」

 それでいい、と思った。理想を語る彼にこれ以上戦争は無理だろう。

「戦争業務開始前に、一つ確認したいことがあります」

 軍人さんは事務机に置いてあった業務日誌帳を手にした。そして目的の箇所を開いて見せる。

「この業務日誌はあなたが記述したものですか?」

「はい。僕が出勤の時は、僕が書いています」

「そうですか。このページです」

 見返した戦争業務日誌には、一ページだけ意味不明の文字列が書かれた箇所がある。

『お茶、ごちそうさま。とても美味しかった。また攻めに来てもいいですか?』

 そもそも僕はこの文字が読めなかった。

 いつの間に業務日誌帳に書き込んでいたのだろう。文字列を書いたのは彼女だ。リンと名乗った敵の宇宙人だ。

「それは、敵の人が書いたものです」

「やはりそうですか。敵性宇宙人がこの拠点に侵入したのですね」

「侵入は許していません。戦争業務終了時間後でしたので、正式に招き入れました」

「正式に?」

「はい。客人として招待しました」

 軍人さんから業務日誌帳を受け取り、もう一度読めない文字列を一文字ずつ眺めてみた。とても丁寧に綴られたメカニカルな文字だ。リンの細やかに気が利く性格がよく出ているきれいな文字だと思う。

「その文字の意味がわかりますか?」

 本職の軍人さんなら敵の言語も学習済みだろう。彼女の言葉の意味を知りたくて、僕は翻訳を頼んだ。

「これは敵の惑星の言語です。おそらくは地球の日本語というカテゴリーに属すると思われます」

「地球の日本語?」

 それが敵の、宇宙人の、彼女の言語。

「敵性言語はとても複雑な体系に分派していて、一度持ち帰らないと自分には翻訳解読できません」

「そうですか。では、この文字列の翻訳をお願いしたいです」

「はい。では、業務日記帳を預かります」

 軍人さんは無遠慮で不躾な僕の申し出を快く引き受けてくれた。そして思い出したように続けて言う。

「ところで、あなたはなぜ、敵性宇宙人を招待したのですか?」

 本職の軍人さんのさりげない詰問に、臨時兵卒の僕が答えないわけにはいかない。

「戦争業務を終了させてからお茶を飲んで一息つくのが日課となっていました。戦争業務終了の17時を過ぎていたので、ついでに敵性宇宙人の分もお茶を淹れただけです」

 僕は嘘をついた。

 僕にとって戦争は日常になりつつあった。この惑星間戦争が終わることは、地球人によっての侵略行為が完遂することを意味する。そして侵略者による統治という非日常が始まる。宇宙連合憲章によれば、それは僕らの文明の終焉と変貌を表すことだ。

 日常が壊れて非日常化するならば、そこに新たな日常をぶち込んで安定化させればいい。

 僕は侵略者である地球人に、一つの提案をした。

「また一緒にお茶を飲みませんか?」

 リンが僕の言葉を理解できたのかわからない。

 彼女がお茶を楽しみにここへ再び訪れることは、この拠点が決して占領されないことを約束するものだ。

 リンに美味しいお茶を淹れてあげる。

 それが僕の宇宙戦争だ。

 僕とリンの戦争は継続されなければならない。宇宙戦争によって壊された惑星の日常と、お互いの非日常のために。




 週に一度、敵性宇宙人は武器を所持して単独で侵攻にやってくる。その日は特別に残業任務を申請して、僕も一人でそれを迎撃せずに拠点へ招き入れる。

 戦争業務終了15分前、僕とリンはともに武装を解除して、一緒にお茶の準備に取り掛かる。

 お湯を沸かしつつ、茶葉を吟味してポットへ入れる。ヘリツガ産のお茶はフルーティーな甘味がいい。

 それを穏やかな目で見ていたリンは茶褐色した板状の物体を差し出した。地球のお菓子のようだ。お土産だ、とたどたどしい公用語で教えてくれた。チョコレートという。香りは悪くない。お茶によく合うだろう。

 戦火に煙立つ町の非日常的な風景を眺めながら僕らは日常的なお茶を淹れる。

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戦火に煙立つ町の非日常的な風景を眺めながら僕らは日常的なお茶を淹れる。 鳥辺野九 @toribeno9

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