滑る足元

相生蒼尉

サクラチル



 公園の桜はもうそのほとんどが舞い落ちて色を失っていた。


 わずか十日くらい咲き誇り、そして散っていく桜という花。刹那の美しさとか言われても、他にも綺麗なものはあるだろうとひねくれてしまう私。


 数日前にこの公園の中の大きなホールで地元の大学の入学式が行われていた。その時は大雨でざまあみろと思って通り過ぎた。その雨が桜の花をたくさん散らせたのだろう。


 公園の中に造られた小川沿いに桜は何本もある。その小川沿いに歩くと、ほんの少し足が滑った。


 ……足がほんの少し滑るだけじゃなくて、大学も滑って落ちてしまったのだけれど。


 上を見ていて気付かなかったが、足元には桜の花びらがそれこそ絨毯のように敷き詰められていた。これでは足が滑るのも当然だろう。ひょっとしたら、来年もまた私は滑るのかもしれない。


 学校の先生をしている叔父さんが、昔は試験の不合格を「サクラチル」と表現していたと教えてくれた。別に知りたくもない情報だ。


 叔父さんは浪人して時間を使うのも悪くはないと言う。自分も一浪して進学したと笑っていた。私と叔父さんは別の人間なので同じ気持ちになるとは限らないのに。


 春休みで暇な叔父さんがやってきたのは、たぶんお母さんが呼んだんだろうと思う。私を励ましてもらおうとか、そういう考えで。


 私は逃げるように家を出てこの公園にやってきた。そして、叔父さんが言った「サクラチル」の現実を見てしまった。散った桜の花びらで滑るとか、もう耐えられない。私は足元の桜をサッカーボールのように蹴った。


 ばさっと桜の花びらが舞う。面白くなったので何度かそうやって蹴った。舞い落ちる桜の花びらのうち、いくつかが小川の方へと落ちた。


 それを見つめていると今度は小川を流れる桜の花びらに興味が出てきた。ここからどこまで行くのだろう。公園の小川沿いは遊歩道として整備されている。私はそこを歩いて行く。


 途中で小川は地下に吸い込まれるように消えた。当たり前だ。人工物なのだから。


 そういえば、この公園のあっち側、道路の向こうに大きな溝があった。どこからつながっているのか分からなかったけれど、この小川とつながっている可能性もある。


 私は公園を出て、道路の押しボタン信号のボタンを押した。あっという間に信号が青に変わる。進め、と言われた気がした。そのまま横断歩道を渡るとすぐそこに大きな溝が見えた。


 予想通り、その溝にはたくさんの桜の花びらが流れていた。途中の何かに引っ掛かっているものもあるけれど、それでもその多くはその先へと流されていく。


 私はそのまま桜の花びらの行方を追った。散った桜の行く末が知りたかった。


 溝を流れる桜の花びらはさらに大きな溝へと流れ込み、そこからまた川へと流れて、泳いでいく。川の土手にある桜の木から散った新たな花びらを仲間に加えて。


 この川はまた大きな川へと合流し、そのまま海へと流れている。散った桜も大海へと旅立つのか。


 不意に叔父さんの言葉を思い出した。「大学を出たその先に、長くて大きな世界が広がっている。だから数年間の浪人くらい、その先と比べたら小さなことだよ」と叔父さんは言った。散った桜の花びらも大海へと消えていくはず。私もいつかは大きな世界のどこかへと旅立つ。


 叔父さんの言葉が少し心に届いた。だからといってそれを素直に認めたくはない。それなら、叔父さんからはお小遣いをもらおうか。落ち込んでいる姪が甘えたらたくさん渡すに決まっている。


 叔父さんからお小遣いをもらったら、叔父さんを誘って甘い物でも買いに行こう。そして、元気を出して次へと進む。


 明日から、私の予備校生活が始まる。





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