茜に藍を、愛に心を

紫音

第1話

春風が心地良く吹いている。

空は悲しいほどに優しい夕焼けで染まっている。

空色から橙色、橙色から緋色、緋色から紺色ヘ。完成されたグラデーションが綺麗すぎて目に染みる。


この場所は街からは少し離れているから、知っているのはおそらく2人だけ。言わば “秘密の花丘” だ。四季に合わせて様々な花が咲き乱れるこの丘は、真ん中に佇む大きな桜の木が一際目を惹く。


私たちは何度もこの桜の下で時を過ごした。花びらの中で笑うあの子は正しく天女のようだった。


あの日からちょうど1年が経つ。

眼前でまたあの時と同じように笑顔が花開くのを、私は茜色に染まりゆく世界の中で見たのだった。

━━もう見ることは叶わない、サキの姿を。





私とサキが出会ったのは病院だった。よくある話。同じ病気━━咲花癌さっかがんに罹っているという共通点から話すようになり、そのうち自分以上に大切に思えるくらい、親友すら超えた存在になった。そうなる頃にはお互いに自分の命がもう長くはないことも自覚していた。

咲花癌は心臓にできる特殊な癌だ。名の通り心臓に根を張り人体を糧に成長し、やがて宿主の体を突き破って花を咲かせる。人を養分にして最期に咲き誇る花は、この世にあって良いものではないと思うほどに美しいらしい。


私たちはその時が来るまでにやりたいことを全てやり尽くそうと誓った。花見も、買い物も、食事も、全部、全部。皮肉なことだが不治の病に罹ったことで何事もなくただ平穏に一生を過ごして死ぬよりよっぽど有意義で幸せな人生だったと思う。

そんな私とサキの一番のお気に入りがこの花丘だった。誰にも知られず、大勢の人に見てもらうわけでも愛でてもらうこともないのに、ただただ美しく命を輝かせるここの花々が私たちは大好きだった。私たちもそのように在りたいと願った。この花々のように、この場所で、花々と共に散りたいと。


そうして、別れの足音は静かに近付いてくるのだ。


私たちは恒例のように花丘へ出向いた。いつもと何も変わらず時が過ぎる。……はずだった。

別れは前もって訪いを告げない。

隣で笑うサキが血を吐く。


あぁ、ついに。


知っていた。私たちの体は心臓に種が宿ったときからこの時のために在ったから。だからせめて運命に抗うために、喪う以上の多くを得てきたはずだ。なのに今、私はどうしようもなく怖かった。自分の死なんかよりもずっと、サキを喪うというそのことが。

約束を、していた。どちらが先でも笑顔でいようと。こんなのも、ありきたりだけど。

だから私は悲しい顔はしない。したくない。してはいけない。

表情筋を総動員して無理矢理笑顔を貼り付ける。なのに感情はなお隠しきれなくて、どうしようもなく涙が溢れて止まらない。

そんな私にサキが手を伸ばす。頬を伝う涙を拭って、おどけたように微笑んで。ちょっと、約束したじゃん。笑ってよ、と。

あまりにもいつも通りで、ようやく貼り付けた笑顔に感情が追いつく。泣き笑いには、なってしまったけれど。


とうとう、サキの体が倒れる。

その心臓からは確かに名もなき至上の花が咲いていて、でも、どんな花よりも、サキの最期の笑顔は美しすぎた。


花吹雪が私の視界もサキも何もかもを覆い隠していく。





あれから1年。私は毎日丘へ足を運んだ。夏の新緑も、秋の紅葉も、冬の雪景色も見届けて、また桜が咲いた。

ちょうど1年前を思い出しながら、心なしか去年よりも綺麗かもな、なんて考えて、ただぼんやり木の下で座っていた。

空が夕方の気配を帯び始めた頃、口の端から血が一筋流れた。何も強くはない。ようやくか、と無感動に思うだけ。

地に倒れ伏す直前になって、視界の端に何かが映った。

茜色の世界で、桜吹雪の中にサキが立っていた。

サキがいつかの私のような泣き笑いの顔で差し出してきた手を、私はしっかり握りしめた。











翌年。

とある丘で桜の大木の根元に並ぶ2つの双葉を見た物は誰もいない。

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茜に藍を、愛に心を 紫音 @hanarokushou-no-yoru

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