第3話

 帽子から覗くポニー。汗を吸うジャンパー。季節外れの短パンにタイツ。空気の入った靴。

 正に全身ランナーの出で立ち。


 住宅街は、点々とだけ光を残して。

 敷き詰められた ぬばたまの夜行列車が、縦横無尽に空を行き交っている。全てが藍色、紺色。区別の付かない暗闇たち。支配されていく。

 家々を飛び越して見やる、山際こそ黒ければ。空との境界は僅かばかり、主張されていた。


 邪魔者の居ない。やかましい騒音もない。陰影の跳ね返った水墨が魅せるは静寂のステージ。


 汗を流してやる。ソレだけで、

 風を切ってやる。ソレだけで、

 孤独な僕はまた一段ト、孤高へと近づいていくのだ。


 孤独の終点は一つ。

 寝静まった外套に開いた僅かな穴。抑えきれない太陽が、遠くから泣いている。鉄箱も数匹ばかり、そこにたかっている。

 砂漠で水を求めるように、夜に漱がれた僕は今日もまた、そこへと太陽を求めていくのだ。


 付いたとき、僕はまた今日も一段と死にかけていた。

 流るる汗を掻き上げて、しばらく蒸気が沈むのを待って。それからようやく扉を開けた。日常が一つ終わりを告げるのだ。


 ――戻ってきたとき、僕の手にはプロテインが握られていた。

 

 蓋を開け、口を開け、ノドに垂れる液体の感触に、味があることを思い出す。


 丁度そのときだった。


「――ミラ?、


 僕は思わず口に出した。飲む手は一瞬止めたが、シャクだったので飲みながら見ることにした。

 ソレは反対の通り、昼間でも人気の少ない路地裏へ溶け込んでいく猫の姿だった。

 僕はいらだちを隠さなかった。同時に少しほくそ笑んだ。


 バカが、そうやって深夜起きてるから授業中寝るんだろうが。いい加減にしろよ。

 大体、何しようってんだ、ママ活か?

 おもしろい。退学処分にしてやる。喜べ校長。来週の朝礼は大盛況だぜ。マスコミだって来るさ、止めたってね。


 逸る気持ち。気色悪くつり上げた口角。良いんだ。どうせ見せる相手なんて無い。


 足早に点滅する信号を越えて。僕はミラが消えていった路地裏に耳を澄ました。

 一秒、二秒。心臓は直ぐに使い物にならなくなった。何か恐ろしいお囃子が鳴り響いて、僕の心音をたぎらせたのだから。


 もうバレてもいいだろう。いつの間にか僕は頭をもたげ、ミラの凶行をこの目で捉えてみせるトいう決意にとらわれていた。 まだか、まだか。まだか! ぼんやりト片目にしか映らぬその姿がどう歪んでいくのか。僕はソレだけを必死で見ていた。



 「――変身っ、 



 ミラは何かを唱えた。

 わざとらしく深呼吸までした僕に、終ぞ気付くコトは無かった。


 まばゆい閃光が目をつんざく。僕は手遅れの両手で目を塞ぎ、口を必死で噛み潰し、ヒザで息込むようにしゃがみ込んだ。


 閃光は蝶のカタチになった。

 蝶は群れとなり、たちまちどこかに飛んでいった。

 ようやく目を開けるコトが出来たとき、そこには一つ、蝶が織りなした彫刻があった。


 僕は目を見開いた。見開いてそのまま、路地裏に捨てた。使いものにならない。そう悟ったから。


 深紅の垂れ目。やかましいオレンジ頭。小さい顎。華奢な四肢。全てがミラだった。けれどこの違和感はなんだ。なんだコレは!?

 フリフリの袖、透明感のあるミニスカート、髪に似たレオタード。アダルトチックに潜むアイシャドウ、妙な色気のある真赤のグロス。そんな全身が描くは何処も曲線ばかり。丸みを帯びた胸とお尻、どう考えても僕と同じカタチはしていなかった。


 それは少女だった。

 アニメに出てくる美少女であった。

 魔法少女ト、言うヤツであった。

 えも言えぬ燦めきを纏って、彼女はコツコツ、コツコツ、ヒールを鳴らして辺りを見渡した。

 

 すぅと息を吸い、ヒザを曲げる。

 次の瞬間、彼女ははるか天空へと飛び立った。このまま夜の蚊帳をうちやぶり、世界じゅうをねぼすけにしてしまうような力強さがあった。


「ミラッ、


 思わずの叫びは届かない。彼女は天空で制止した。翻ったフリルの下、当たり前のように覗くレオタードと太もも、お尻のせめぎ合いが、思春期に焼き付いた。ミラを見る僕の目は今、世界で一番卑しく醜く染まった。


「勝負だ! ベール男爵!


 叫ばれたミラは、手に杖を持っていた。

 お菓子のようだった。

 妙に甘ったるいその声が鼓膜に轟いて、僕の脳を残らず蹂躙していく気がした。


 空がこまねいて、呼ばれた怪物が顔を出した。そんなコトどうでも良かった。


 やがてミラと怪物は取っ組み合い、殴り合いを始めた。

 やがてミラが何かを叫んだ。怪物は絶叫と共に消滅し、辺りは夜に戻った。改めて言おう。そんなコトどうでも良かった。


 ミラが戦っていた。


 ソレだけで十分だった。


 ミラが戻ってくる。


 不思議な確信を元に、その場を足早にした僕は、今にも溢れそうな後悔と焦燥を口にこごめ、まるで口に手を縫い付けられたようにして走っていた。ソレは、今までの全ての、そう全ての答え合わせであった。


 そりゃそうだ。


 ハラも減るだろう。

 授業も寝るだろう。

 キズも増えるだろう。


 僕は、僕は、僕は――、


 その日、僕はずっとベッドにいた。

 夢トやらのチケットを買って遊ぶには、どうもこの現実が残した課題は巨大過ぎた。。


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2024年12月12日 22:00
2024年12月13日 22:00

ヤンキー♂は過労死寸前の魔法少女。助けたら僕もチソを取られました ねんねゆきよ @NENE_tenpura

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