もしもシンデレラのストーリーをバレー部所属の男子大学生主人公に変えてアレンジしたなら。

野谷 海

もしもシンデレラのストーリーをバレー部所属の男子大学生主人公に変えてアレンジしたなら。



「サラガドゥーラメチカブーラ、ビビデバビブー♪ モップかけてピカピカーに、ビビデバビデブー♪」



時を告げるチャイムの低音が響き、体育館で楽しそうにモップがけをする青年が顔を上げる。

「まだ少し時間あるし……今日はボールも磨いちゃおう」


彼が1人きりで部活動の後片付けをしている理由は、30分ほど前に遡る――

「――今日はここまでにして飲みにでもいかね?」

そう提案したのは、葉限大学バレー部部長の赤木。

「いいっすね〜! 先輩の奢りっすか?」

「バーカ、割り勘に決まってんだろ!」

赤木はそう言うと、チョロチョロと辺りを見渡す。

「あ、いたいた! キュウちゃん、今日も片付けよろしくね〜」

「……はい!」

と、二つ返事で厄介ごとを引き受けるキュウちゃんこと『灰谷九太郎はいたにきゅうたろう』は、つい先日大学2年生になったばかり。

彼が入部してからというもの、部活動の後片付けはいつも彼が1人で担っていた。

「キュウちゃんよろしく〜」

先輩達だけでなく、同級生も全く悪びれる素振りもなく……正しくは蔑んだように体育館を後にする。

「うん……お疲れ様」


こんな日々が続いたなら、常人であればきっと数日で投げ出すだろう。だが彼はこれを苦と思わない程に、バレーボールを愛していたのだ。身長も体重も平均的で、運動神経に秀でている訳でも天賦の才を持って生まれた訳でもない。それでも彼が今までの人生で触れてきた様々なスポーツや娯楽、芸術の中で、何よりも心躍る瞬間を味合わせてくれたのがバレーボールだった。


「このボール、だいぶハゲてきちゃったな……」

そう呟くと、次のボールに持ち替え、また磨きだす。

「これもだ……」

葉限大学バレー部は、弱小も弱小。毎年大会には出場するものの、近年一度の勝利すらない。部員達の多くは趣味感覚で所属しているだけの、ほぼ飲みサー状態と化していた。そのような部にロクな部費などおりる筈もなく、ボロボロのボールを使い続けていた。


「あ、ヤバい遅刻しちゃう……」

九太郎が足早にボール籠を倉庫に戻して向かった先は……とある居酒屋。

「おはようございます!」

彼は例の飲み会に遅れて参加した訳ではなく、アルバイトに出勤していたのだった。むしろ九太郎は入部以来、一度も部員間の集まりに誘われた事はない。だがこの生粋のバレーボール馬鹿は、その悲しい現実を悲観するだけではなく、毎日バレーボールが出来る喜びに比べれば大したことではないと、自分自身を納得させている始末だった。



バイト仲間が食器を洗いながら何気なく声をかける。

「キュウちゃんは今月の給料入ったら何に使うの?」

「部のボールを新しくしようかなって思ってる」

「え? また部活の備品に自腹切るの?」

「部費がおりないから仕方ないよ」

「そんなの部員みんなで割り勘にすればいいじゃん!」

「みんなは……趣味でやってるだけだから、お金出すの嫌がるんだ。僕の我儘に付き合わせる訳にはいかないよ」

「でも……まぁキュウちゃんがいいならいいか……」

「僕はバレーが出来れば、それだけでいいんだ……」


「あ、そういえばこれ貰ったんだけどさ、俺は使わないから……いる?」

それはバレーボールのマスコットキャラクター『バレボ』のキーホルダーだった。

「貰っていいの?」

「こんなの欲しがるのキュウちゃんだけだと思って持って来たんだ」

「ありがとう! 大事にするよ!」

朝から晩までバレーボールの事しか考えていない九太郎には、休日に一緒に遊ぶような友人や恋人などは居らず、他人から見た彼の大学生活は多少寂しく映ることだろう。



この日、体育館はいつもより騒がしかった。

「待望の女子マネージャー、入ってこないっすかね?」

「ウチなんかに来る訳ないだろ……って自分で言ってて悲しくなるわ!」

「でも期待するのはタダっすよ先輩!」

今日は新入生の部活動見学が開始する日で、部員達はソワソワとしながらも、いつもより少しだけ真面目に練習に取り組んだ。もちろん新しい仲間が増える事は、九太郎においても楽しみなイベントだった。

部員達の期待も虚しくこの日の見学者は男子のみで、練習が終わると1人の新入生が九太郎の元へ駆け寄る。

「先輩! 僕も手伝います!」

九太郎はそれに応えようとしたが、赤木の声に遮られる。

「いいのいいの! 後片付けはキュウちゃんの仕事だから! キュウちゃんのキュウは『給仕係』のキュウ〜、なんちゃって〜」

赤木の言葉に皆は声を大にして笑った。学生間の陰湿な暗黙の了解に順応し、新入部員達が九太郎のことを『キュウちゃん』と尊敬の意を込めずに呼ぶようになるまで、さほど時間はかからなかった。

そして部活動見学の最終日、部員一同が歓喜に沸くサプライズが起きる。

「初めまして。マネージャーとして入部した『姫野硝子ひめのしょうこ』です。よろしくお願いします」

悲願であり待望の女子マネージャーは、初日にして部員達の心を鷲掴みにしてしまうほど器量の良い女性だった。



「灰谷先輩、私も手伝います!」

部活終わりに硝子がそう声をかけるも、先日と全く同じ展開になり、部員達の貶めるような笑い声が体育館中をこだました。

「僕は1人で大丈夫だから……」

余計な事をしてしまったと感じた硝子は、申し訳なさそうに一礼をしてその場を離れる。



「サラガドゥーラメチカブーラ、ビビデバビブー♪ モップかけてピカピカーに、ビビデバビデブー♪」

こんな仕打ちを受けても、彼はいつも通りの平常運転でモップを床に滑らせていた。

「あ、あの……!」

「うわぁっ!!」

後ろからいきなり声をかけられ、情けない声を上げ振り返ると……声の主は硝子だった。

「ど、どうしたの!?」

「やっぱり手伝おうと思って……」

「もしかして……今の聞いてた……?」

「すいません……聞こえちゃいました……」

硝子は笑わないよう顔に力を入れている様子だったが、僅かに緩んだ目元までは隠しきれていなかった。

「……」

九太郎は小恥ずかしくなり口を結んでいた。

「それって、魔法を使う時の歌ですよね?」

「わ、分かるの?」

「はい、小さい頃私もよく歌ってました。灰谷先輩って意外とロマンチストなんですね」

そう言って向けられた笑顔に、思わず赤面する九太郎。

「本当に魔法が使えたら、すぐに綺麗に出来るんだけどね……」

「2人でやればすぐに終わりますよ!」

硝子はモップを手に取った。


床の掃除が終わり、2人でボールを磨いていると硝子は九太郎に当然の疑問を投げかける。

「いつも1人で片付けやってるんですか?」

「うん……。でも嫌いじゃないから辛くはないよ?」

「後片付けまで含めて部活なのに……なんだかいい気はしないですね……」

「人それぞれ持っている熱量が違うのは仕方がない事だし、適材適所ってやつだよ」

「熱量がないなら、辞めればいいのに……」

九太郎は豆鉄砲をくらった鳩のような、間の抜けた顔で固まった。

「私、なんか変な事言いました?」

「い、いや姫野さんって意外と真面目だなと思って……てっきりもっと――いやごめん、なんでもない」

「あ、今絶対チャラそうとか言いかけましたよね?」

硝子はジロッとした目で彼の心中をズバリと言い当てた。

「もしかして……心が読めるの?」

「読めなくてもあそこまで言ったら誰でも分かりますよ!」

「ご、ごめん……」

「いえ、自分でも分かってますから。大学生になって髪を染めたら、思ったより明るくなっちゃって、最近よくそう言われるようになりました。やっぱり黒に戻そうかな……」

硝子は人差し指に髪をくるりと巻きつけていた。


九太郎は磨いているボールを見つめながら呟く。

「上辺の見た目なんて、関係ないんじゃないかな……」

「え……?」

「このボールだってさ、見た目はボロボロでみすぼらしいけど、これまで数えきれない程の名場面やドラマを生んできたと思うんだ。この中にあるのは空気だけじゃなくて、色んな人の想いも込められてる。だから新品のボールよりも、ずっと価値があるんだと思う……」

「灰谷先輩、やっぱりロマンチストです……」

そう言った硝子は半笑いだった。

「ちょっと、からかわないでよ!」

「ごめんなさい。でも先輩がバレーを大好きなのがすごく伝わってきました。私、この部に入って良かったです」

この時の硝子の表情を例えるならば、砂漠に咲く一輪の花のようで、九太郎の渇いた心に安心と救いを同時に注いでくれたのだった。



それからしばらくの間、硝子は他の部員が帰ったタイミングを見計らい、九太郎の手伝いをするのが日課となっていた。九太郎もいつしかそれを楽しみに待つようになり、バイトのない日には2人で一緒に帰る事もあった。



「今日は新人歓迎会だから早めに練習切り上げよう。キュウちゃん、今日もお願いね〜」

この新人歓迎会にも、当然のように九太郎は誘われていなかった。何も聞かされていなかった為、バイトのシフトを入れていた。もはや鋼のメンタルを持つ彼は何とも思わなかったが、片付けの前に用を足そうとトイレの個室にいると、後から入ってきた赤木達の会話が聞こえてくる。

表情は見えはしないが、こそこそとした声に違和感を感じ、音を立てないよう気配を消す――。

「今日の新歓で硝子ちゃんをベロベロに酔わせるの協力しろよ」

「え、流石にそれはまずくないっすか?」

「酔ってたって言い訳がありゃ、持ち帰っちまえばこっちのもんだよ。それに硝子ちゃんチャラそうだからきっと大丈夫だよ。むしろあっちから誘ってくるかも……」

「じゃあ俺にも変わってくださいよ?」

「分かった分かった。でも俺が最初だぞ?」

その2人の笑い声に虫唾が走る程の嫌悪を抱いた九太郎の頭の中で、言葉にならない焦燥感がキシキシと音を立てるように巡った。


この事実を彼女にありのまま伝えるべきかとも考えたが、それをしてしまえば、きっと彼女はこの部活を辞めてしまう。事態を穏便に収める方法はないかと頭を捻るが思いつかず、結局人に頼ることにした。

「もしもし、南?」

「どしたの? 電話なんて珍しいじゃない」

九太郎が助けを求めたのは、この大学で唯一電話番号を知っている幼馴染みの『瓜田南うりたみなみ』だった。

「――なるほどね。あんたその子のこと好きなんだ?」

「い、いやそうじゃないけど、このまま黙ってはいられないっていうか……」

「ふーん。じゃあその飲み会に一緒に乗り込んであげるから、あんた今日バイト休みなさいよ。私が一緒ならそいつらも女子が増えて嬉しがるでしょ?」

「ありがとう南。恩にきるよ」

「でも彼氏と約束あるから、0時には帰るけどそれでもいい? そこからはあんた1人でどうにかしなさい」

「わ、分かった……」


南との通話を終えた九太郎は、急ぎバイト仲間に連絡を入れる。

「悪いんだけど今日のバイト変わってくれないかな?」

「何かあったの?」

詳しい内容は伏せたが、いつも助けて貰っているからと快く引き受けてくれた。

「本当にありがとう」

「俺たち友達だろ? 理由はよく分かんなかったけど、バレー以外に必死になれるものが見つかったみたいで俺も嬉しいよ」

九太郎はシフトを変わって貰えた事よりも、彼が自分を友達と呼んでくれた事に驚き、まるで蚊に刺されたかのように胸の辺りが熱くむず痒くなった。

「ん? どうかした?」

「ううん、ありがとう」

九太郎ですら今の今まで気付いてはいなかったが、彼は周囲の人々が思っているほど不幸な人間でも、孤独な人間でもなかった。決して恵まれているとまでは言えないかもしれないが、それでも困った時に手を差し伸べてくれる友人が二人もいた事が、マイナスの域に達していた彼の自己肯定感を一気にプラス域まで浮上させた。



「部長、今日は灰谷先輩は来てないんですか?」

乾杯を終えると、九太郎の姿が見えない事を不思議に思った硝子が尋ねる。

「あぁ。キュウちゃんはこーゆーのには参加しないの」

「そうなんですね……」

「硝子ちゃん、まさかあんなのが好み? んな訳ないかぁー!」

赤木の言葉で一同が沸く。

「でもキュウちゃんが居たら空いた皿下げたり、飲み物持ってきてくれるかもしれませんよ? だってキュウちゃんのキュウは給仕係のキュウですから!」

硝子にとって、極めて不愉快な笑い声がその場を包む。


「――すみません! 遅れました!」

その声と共に、噂のご本人登場に場が静まり返る。

「え? なんで……」

部員達は皆、唖然としている。

「呼んだの誰だよ……」

「居たら悪口言い辛いじゃん……」

などと言う小声が聞こえてくると、九太郎の後ろからヒョコっと顔を出す南。

「実は私、キュウちゃんの幼馴染みでバレー部の人紹介して欲しいって無理言って連れてきて貰ったんですー!」

部員達が南の姿を一瞥すると、しばしの沈黙の後、歓声が起こる。

「よっ! キュウちゃん!」

「あんたが主役!!」

回しすぎて骨折するのではと思わんばかりの手のひら返しによって、一躍スター扱いを受ける九太郎であった。



南がうまく立ち回り場を盛り上げてくれたおかげで、九太郎が浮く事なく一軒目はお開きとなり、部員達は意気揚々と二軒目のカラオケへと向かっていた。

「南、気を遣ってくれてありがとう」

「何言ってんの。このくらいの演技はいつものことよ。あんたもちょっとくらいは外面良くしないと、あの子に振り向いてもらえないわよ?」

「だからそんなんじゃないって……」

「どうでもいい女の子に、こんなに必死になる訳ないじゃない。初めて見たわよ。あんたのそんな顔……」

南は俯きながらそう言うと、スマホを見る。

「姫野さんは、僕と対等に接してくれたんだ。それに女の子1人で知り合いもいない男ばかりの部に入部するなんて、きっと勇気が必要だったと思う。そのくらい……彼女も僕と同じように、きっとバレーが大好きなんだ。そんな人が悲しむ姿なんて、見たくない」

「なら……絶対守ってあげなさい」

「うん……」


スマホを鞄にしまい、今度は斜め上を見上げる南。

「ねぇ覚えてる? 小学生の時、私が友達と喧嘩しちゃって、クラスで無視されてた時のこと……」

「そんな事あったっけ……?」

「はぁ……」

南のため息が春の夜空に流れて行く。

「ごめん……」

「あんた、私が無視されてるのを喜んだのよ? 休み時間にバレーする相手が出来たって……」

「僕そんな無神経なこと言ったの?」

南はクスッと笑いながら頷いた。

「でもね……私はそれに救われたの」

「えぇ? 本当に?」

「あの時……もしあんたにまで無視されてたら、不登校になってたかもしれない……。誰がどんな事で救われるかなんて、なってみないと分かんないのよ。でも、人が傷付く前に止められるのなら、それに越した事はないわ」

南は自らの初恋を思い出すと、ほどほどの酔いも相まって人肌が恋しくなった。

「じゃあ私は彼氏に会いに行くから、あんたは今度こそ本物の王子様になってきなさい!」

「王子様って、大袈裟な……」

「うるさいばーか」

南は「べーっ」と下瞼を押さえながら舌を出した。

それを見た九太郎は、ますます女心というものは分からないと思ったが、彼女なりに背中を押してくれている事だけは、なんとなく理解できた。



カラオケに着くと大きなパーティルームへと案内された。

「あれ? キュウちゃん、南ちゃんは?」

「あぁ……用事があるみたいで帰っちゃいました」

「えぇー!? マジかよー! 連絡先も聞けてないよ、後で教えてくんない?」

「はは……聞いてみます……」

九太郎は空返事をしてその場を乗り切ると、すぐに夜は老けていった。

皆はかなり酔っている様子で、呂律の回っていない者もいたが、ここで赤木がある提案をする。

「ゲームやろうぜ!」

いわゆる飲みゲーというノリが始まってしまい、慣れていない九太郎は、一旦その場から離れトイレに避難した。


鏡に映る自分を見つめ、気合いを入れ直す。赤木があのゲームで硝子を酔わせるつもりなのを分かってはいても、酒の弱い自分がその場に飛び込んでもミイラ取りがミイラになるだけだと知っていた。だからこそ、もしもの時の為に酒に飲まれる訳にはいかなかったのだ。

部屋に戻ると、恐れていた事態が起きていた。

「あれ? 硝子ちゃん全然飲んでなくなーい?」

「……ぅう」

先程までは平気そうだったが、今では虚ろな目をして、先輩の不快なコールによる呼びかけにも、ろくに返事すら出来ていない硝子の姿があった。

「おい、タクシー呼べ」

赤木が後輩にそう言うと、電話をかけ始める。

「俺、責任持って硝子ちゃん送ってくから」

「えー? ずるいっすよ部長!」

他の部員達がブーブー言っている中で、九太郎は部屋の外に出た。


それから10分ほど経ち、タクシーが到着する。

「じゃあ硝子ちゃん起こし上げるから手伝ってくれよ。片方の肩貸してやってくれ」

赤木が硝子に触れようとしたその時、九太郎が勢いよく部屋に入り、大声で叫ぶ。

「大変です! 警察が来ました! 未成年飲酒を取り締まっているみたいです!」

それを聞いた赤木がボックス内からロビーを覗き込むと、2名の警察官の姿があった。

「マジかよ……どうする……?」

赤木は分かりやすく動揺していた。その理由はもちろん、自分達の中にも20歳未満で飲酒をしている部員がいたからだ。

「20歳以上の皆さんは先に帰って下さい! 先輩達が残ってたら、飲酒を強要したと思われるかもしれません!」

「じゃあ、後は任せた」

20歳以上の部員はすぐに店を出ていき、部屋には数名が残された。しばらくして警察が居なくなると、「今のうちに」と、硝子を残して皆は駆け足で店を出ていった。

「はぁ……」

九太郎は落ち着いて、安堵のため息を漏らす――。


警察官を呼んだのは、九太郎自身だった。彼はカラオケ店のロビーで女性が男に絡まれているという、嘘の通報をしたのだ。もちろん悪い事なのは分かっていたが、彼女を助ける為にはこれしかないと、止むを得ずの判断だった。


そして九太郎は硝子をおぶってタクシーに乗り込み、家まで送った。何度か一緒に帰った事で、彼女が一人暮らしをしているアパートを知っていたのが役に立った。

「姫野さん、家着いたよ? 鍵開けられる?」

「ん、うぅん……」

反応はあるが会話は出来ず、悪いとは思ったが鞄を漁り、鍵を開け部屋に入るとベッドへと寝かせた。帰りにはしっかりと鍵を閉めて、ドアポストから部屋の中へと鍵を戻し、帰路についたのだった。

こうして九太郎の長い1日が終わった。


翌朝、目が覚めた硝子は、自分が家で寝ていた事に驚く。自力で帰ってきた記憶はない。だが1つだけ、手がかりが残されていた――それは何故か握り締めていた見覚えのない『バレボ』のキーホルダー。

「誰のだろう……?」

彼女が九太郎におぶられた際、彼の鞄についていたキーホルダーを強く握り締めた事で鞄から外れてしまい、そのままずっと手に持っていたのだ。九太郎もそれに気付いておらず、後になって無くした事を知る。


「硝子ちゃん、大丈夫だった?」

土日を挟んで迎えた月曜日に、赤木が尋ねる。これを受けた硝子は、家まで送ってくれたのは赤木だったのだと、大きな勘違いをしてしまう。

「はい、ありがとうございました。迷惑かけてすみません」

「え? あ、あぁ俺は全然……」

「お詫びに今度、何かさせて下さい」

「じゃ、じゃあ2人で飯でも行かない?」

「分かりました。今日部活が終わったら、あれもお返ししますので……」

思わぬ棚ぼたに、有頂天になっていた赤木は彼女の最後の言葉に何の疑問も持たなかった。


部活が終わり、硝子がキーホルダーを返そうと赤木を探していると、男子トイレからそれらしい声が聞こえた。

「おい、聞いてくれよ! この前のお持ち帰り計画は失敗したけど、今度硝子ちゃんと飯行く事になったんだよ」

「えぇー!? なんでですか?」

「なんかこの前のお詫びがしたいから何かさせてくれだってさ! こんな事なら無理やり酔わす必要なんてなかったぜ。一体どんなエロいお詫びしてくれるんだろうな」

「マジっすか? 硝子ちゃんって、やっぱりヤリマンだったんすね……」

「この部に入ったのも男漁りの為だったのかもな!」

このやりとりを聞いてしまった硝子の目から、一筋の涙が流れた。

「っ……!?」

トイレから出てきた赤木は彼女の姿を見てたじろぐ。

「これ、お返しします」

『バレボ』を突き出しながら言ったその声は、震えていた。

「な、なにそれ?」

「部長のじゃないんですか?」

「あぁ、俺のじゃないよ」

「そうですか……失礼します」

彼女は何がなんだか分からずに、胸に穴が開いたような虚しさに襲われていた。



硝子がバレーボールを好きになったきっかけは、兄の影響だった。幼い頃から優秀な兄は県内でもトップクラスの実力で、試合に応援に行く度に自分もいつかああなりたいと思うようになる。

だが、その思いとは裏腹に硝子の身長は小学五年生から伸びる事はなくなり、兄のようにプレーが出来ない事に憤りを感じるようになった。

そして悩んだ末、高校入学を機にプレーヤーではなく裏方として皆を支えようと、兄の所属する男子バレーボール部のマネージャーになる事を決意する。

大学では学びたい分野を専攻する為、県外に出て親元を離れた。これも全て、将来はバレーボールに関わる仕事に就きたいと思っていたからだ。

大学では部活をやるつもりはなかった。だが、つい気になってしまい体育館を覗いてみると、そこにはたった一人で楽しそうに掃除をする男の姿があった。

彼女には彼が自分と同類だと一目で分かった。自分と同じくらいバレーに情熱をかける人がいるのならと、最終日に滑り込みで入部を決めた。真面目に練習に取り組む部員は少なかったが、バレーボールに関わる事はやはり彼女の心を高揚させた。それに、気の合う先輩も出来た。


そんな折に、自分の大好きなバレーボールに関わる人間から裏切られた事で、自分の存在自体を否定されたような気持ちになった――。


なんとか平静を装って、彼女は今日も後片付けを手伝う為に体育館へと戻る。

「サラガドゥーラメチカブーラ、ビビデバビブー♪ モップかけてピカピカーに、ビビデバビデブー♪」

――そこにはいつも通りの彼がいた。

「あ、姫野さんお疲れ様」

「お疲れ様です……」

2人並んでモップをかけていると、彼はいつもとは少し違う様子で話しだした。

「姫野さんさ、社会人チームとか興味ない……?」

「え……? いきなりどうしたんですか?」

「実は昨日、見学に行ってきたんだけど、そこがマネージャーもぜひ募集中って話でさ、良かったら2人でそっちに移籍するのはどうかなぁって……」

それを聞いた硝子は口をつぐんだ。

「もし嫌なら全然断ってもらっていいから!」

彼女は思わず声を上げて泣き出してしまった。

「え!? そんなに嫌だった!? ごめん今の忘れて!!」

「違うんです……。嫌じゃないです……」


硝子が溢れる涙を拭くために、ポケットの中からハンドタオルを取り出すと、キーホルダーが床に落ちる。

「そ、それ僕も同じの持ってるよ! でも最近無くしちゃったんだよね……」

九太郎のこの言葉で、硝子は微かに記憶に残る背中を思い出す――そしてこのタイミングで社会人チームに誘われた事で彼女の中の点と点が繋がった。

「先輩だったんですね……」

「え……?」

「先輩のお誘い、謹んでお受けします……」

彼は涙を流しながら笑った彼女の顔を、とても美しいと思ってしまった。


そして彼女は、以前は不快に思ったあのあだ名は、自分を救ってくれた彼にピッタリだったと認識を改めた――


もしかすると2人は初めて出会った時には既に、魔法にかけられていたのかもしれない。



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もしもシンデレラのストーリーをバレー部所属の男子大学生主人公に変えてアレンジしたなら。 野谷 海 @nozakikai

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