第10話 「また会えることを楽しみにしている」

 僕は呆然としたまま家に帰った。どうしようもない喪失感が心の中を支配していた。昨日遭遇した出来事は、全て白昼夢に過ぎなかったのだろうか。いや、確かにあの建物は存在していた。幻なんかじゃない。本棚もあったし、実験室だった部屋もあった。天與さんが座っていた椅子もあった。でも、他には何もなかった。僕は妄想の中で、あの建物の中に入ったのだろうか。外国語の本ばかりで読めないと思っていたのは、実は存在していなかったからで、よく知らない魚が出てきたのも、実はそんな魚などいなかったからなのだろうか。魚の名前はなんと言ったっけ。ピラニアみたいな名前だった気がする。でもあの魚はピラニアではなかったと思う。実際のピラニアなんて見たことないけど......。

 考えがぐるぐる巡って落ち着かない。作り置きのごはんも、全然箸が進まなかった。昨日僕があそこで何をしていたのか。それが理解できないと、僕は僕自身のことを何も信用できないように感じた。今見えているごはんだって、本当は何か違うものなのかもしれない。その疑いを晴らすことができない。僕は何を信じたらいいのだろう。天與さんだったら、何と答えただろうか。

 そうだ、天與さんだ。天與さんはどこに行ったのだろう。あの建物の中に、椅子以外に彼女の痕跡は何もなかった。彼女もまた僕の妄想の産物に過ぎなかったのだろうか。でも天與さんが単なる妄想でしかなかったとは、どうしても信じられない。彼女が存在しないということが信じられないということよりも、僕があの存在を作り出せるとは到底思えないからだ。独特の語り口で、僕が思いもよらないものを見せてくれた。僕は彼女の言っていたことの半分も理解できなかった。何かとても壮大なことを言っていた気がする。無重力を作るだとか、死なないようにするだとか、死んだ人を生き返らせるだとか...はっきり言って荒唐無稽の、SFの世界だ。死んだ人を生き返らせるなんて正気の沙汰じゃない。もしかすると、あれは僕の中の隠れた願望が表れたものだったのだろうか。隠れた願望...あの子にもう一度会いたいという、自分勝手な願望。他の二つはよく分からないけど、あれも現在からの解放とか、永遠なものへの憧れとか、そういった思いの表れだったのかもしれない。天與さんは、僕が僕自身を救うために作り出した妄想の人物だったのか?まるで二重人格のような。

 だけど、彼女の言っていたことで気になることがあった。天與さんは「共同事業」がどうとか言っていた。それが何なのか結局よく分からなかったけど、天與さんはその「共同事業」が僕を呼んでいると言っていた。あれは一体どういう意味だったのだろうか。僕が呼ばれていることと、あの子のことに何か関係があるのだろうか。天與さんはまた、それが和解だとも言っていた。彼女にまた会いたいというのは僕のエゴに過ぎないのに、それが和解になるというのか?それは贖罪であって、和解とは言えないんじゃないか?つくづく、天與さんのワードチョイスは僕から出たものとは考えられない。やはり彼女は存在していたんじゃないだろうか。


「あれ、あんたまだ食べてなかったの」


 振り向くと、母さんがそこにいた。もう仕事から帰ってきたのかと思い時計を見ると、すでに10時を回っていた。僕はだいぶ長い時間こうしていたみたいだ。


「いや、今日は今から食べるとこ」

「あっそ。早く食べちゃいなね」


 母さんは着ていたコートを脱ぎ、ハンガーにかけた。


「あ、そういえば」

「ん?」

「はいこれ。あんた宛てだけど」


 母さんは僕に封筒を手渡した。それは少し古びた横長の封筒で、宛名には僕の名前が書いてあった。裏返すと、今どき珍しく蝋で封がしてある。印には「180」という数字のみ書かれていた。180……もしかして。

 僕はすぐに封筒を開けた。封蝋はペリッと心地よい音を立てて取れた。封筒には一枚の便箋が二つ折りで入っていた。僕はそれを開いて手紙を読み始めた。


「親愛なる少年へ。昨日は我々の図書館を訪問いただき感謝申し上げる。また我々の計画に参加してくれたことをとても嬉しく思う。願わくば、これから我々の計画に手を貸してほしい。さて、キミに通知しておかねばならないことがある。我々の図書館は移転した。移転先の住所はこの手紙の下部に記載してある。そう遠くない場所だ。今度からは新しい図書館を訪ねてほしい。キミにはまだ見せるべきものがたくさんある。そして、事業の協力者にもぜひ会ってもらいたい。キミが言うところの『仲間』だ。キミも今や計画の一員なのだから、彼らに会って話をする必要があるだろう。我々の図書館はいつでもキミを歓迎している。また会えることを楽しみにしている。よき日を。第180番図書館 司書 天與 勝姫」


「何の手紙?あやしいDMなら捨てちゃいなさい」

「いや、大丈夫。知り合いからだから」


 僕は急いで夕食を食べ、自室に戻った。そしてすぐさま手紙に記載されていた住所を調べた。確かに、前にあった場所からそう遠くないところにある。学校が終わった後からでもギリギリ寄れなくない距離だ。

 よし、明日の放課後の予定は決まった。僕も天與さんたちに会って話す必要がある。図書館のこと、天與さんのこと、計画のこと......あの子のこと。全部教えてもらわなきゃ。

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少年が図書館で不思議なお姉さんに会って魚を生き返らせたり無重力になったりする話 古澄舎 @Cosmisha

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