ねくろまんす

寧依

ねくろまんす


カーテンの向こう岸に彼女がいると思う

春も夏も秋も冬も永遠に

風ではためくその向こう

大切なものを置き去りにして

私だけが大人にならなくちゃいけない


中身のないプラスチックドールみたいに

量産される幸福や成功を得ようと

足掻いている振りをしなくちゃならない


はめ殺しの窓がいくら光を集めても

私の世界が照らされることは二度とない


遮光カーテンで囲った四角の中に私を座らせて

お人形遊びをしているみたい


彼女がいたら

もっと丸い家に住んだのに


彼女がいたら

開けられる窓を選んだのに


彼女を躊躇せず失わせた世界を心底憎んでいる


当の昔に渡りの船代は用意してある


向こう岸に行きたい、早く


彼女に会いに行きたい


だから用意した


色々のものを


カーテンの向こう岸に行くために必要なものを


幾つかは簡単に手に入り

幾つかは骨が折れた


女一人で果たしたのだ致し方あるまい


学んだ方法のうち最も古いであろう記述を参考に

床面へ紋様などを描いた


用意したものと自分にもそれぞれ必要な処理を施す


全ての季節は彼女と共にあるべきなので

四季折々の花々を部屋の四隅に盛った


特に、彼女の好きな百合の花はたくさん



むせかえる香りに彼女の輪郭をみる


紋様の中央に立ち三つ程の言葉の組み合わせを

用意したものに吹き込む


それからねっとりと時間をかけて

彼女を思い出しながらそれの隅々にまで触れる


流れる体液が段々と彼女に似てくるのを確認して

ますます高揚する


だらしなく垂れた舌で床の紋様を舐め取っていく


全ての工程を体内に取り込んで

ずりずりと中央へ這い戻る


この日のために伸ばした黒髪がべっとり体に絡み付いて、抱き締めてくれる


歓喜に打ち震える指先で瞼に触れる

四つ程言葉を発して薄い皮膚を持ち上げる


あは、


一つも濁りのない瞳がぐるんと回った私をみた


数秒の震えの後にぎしぎしとぎこちなく起き上がる


あははっ、


彼女だ


彼女だ!


あらかじめ用意してあった鏡に彼女がうつる


汗ばんでしっとりした肢体を抱き締める



会いたかった会いたかった

会いたかった会いたかった


涙と鼻水と涎と汗とで

ぐちゃぐちゃの私の背中に

ギコギコと腕が回される


ざらり


私の背骨を上下になぞる


優しい


彼女はいつだって優しい


繊細に震え続ける眼球が

左右ばらつきながら必死に私を探している


頬を両手で包み込んで

待ってあげる


何て愛おしい時間だろうか


数秒か数分か尊い時を刻んで

両目がしっかり私をとらえる


かわいた唇が彼女の名前に沿ってひび割れる


滲んだ血液がやつれた顔に紅をさす


あは、


何て、何て、愛おしい


彼女の名前をもう一度だけ呼ぶ


この世で最も美しい音がする


鏡の彼女がおいでおいでをする


うん、そうだね


もう一度だけ抱き締めて


彼女と床に寝そべる


浅くなる呼吸


重くなる瞼


もう一度だけ彼女を見つめる




愛してる


それで全部


それが全部



瞳を閉じて、向こう岸へ

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ねくろまんす 寧依 @neone

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