クマノミとサンゴ

 水が溢れかえった閉鎖空間で狂ってしまった体内時計で五分程経った頃、俺の前を人影らしきものが過ぎ去った。武蔵か!? 慌てて追いかけたがどうやら俺は判断を誤ったようだ。


「あんた......誰だ!」


「それはこちらもだよ。初めまして、私は里美。あなたは?」


「......凛」


「よろしくね、凛君」


 軽い挨拶を済ますと里美さんはこちらへと手を差し伸べてきた。握手をしたい......という事か。


「......よろしくです」


 最悪だ。俺はただでさえ他人と話すのが苦手だというのに異性ともなればもう終わりさ。

 里美さんの手に俺の手が交わる。緊張が酷い......変に圧とかかかっていないかな、大丈夫かな......? 握手が終わった。手から緊張感が伝わってしまったのか、里美さんは握手の後に優しく微笑んでくれた。その優しさが一番苦しかった。


「凛君はここで何してたの?」


「あっ、えっと......」


 言葉が......! 上手く出てこない......!


「ゆっくりで大丈夫よ。時間はたっぷりあるもの」


お土産コーナーここで友達を待ってて....人影が見えたので追っかけたんです......」


 事情を述べただけなのに何故だろう、ほっぺたが急激に熱くなった。


「あら奇遇ね、私も友人を待ってるところなの。これも何か縁、一緒に行動しない?」


「......いいですよ」


「じゃあ、改めてよろしくね、凛君」


「......お願いします」


 なんだか勢いのままに同伴する事になったな....まぁ、いいか、悪い人じゃなそうだし。


「ねぇ、凛君はどうして綿津見水族館に来たの?」


「......趣味です」


「趣味、ね〜」


「にしては水槽越しに生き物を見ている時の君の目、すっごいキラキラしているね」


「......! いつから俺を!?」


「うふふ、そう警戒しないで。私ね、君にがあったの」


 綿津見水族館に閉じ込められたと気付いてからは水槽に目をやれていない、不安で見ている暇が無いから。ならもっと前から!? 本当の初めましてだったのは俺だけ!? 一方的に認知されている可能性が突如として浮上してきた。水族館なのに海洋生物じゃなくて俺みたいな何のオーラも発していない一般人に興味をそそられるなんて変だよ! 変!


「......変、ですね」


「私もそう思うわ」


 自覚あるのが一番タチ悪い。悪い人じゃなさそうって少しでも考えた数分前の俺を殴りたい......!

 でも、少し、ミジンコ程度だけど里美さんの会話が辛くなくなってきた......


「....俺のどこに興味を?」


「うーんそう言われると出てこないな......」


 閉じ込められていなかったらすぐにでも綿津見水族館ここを出ていた、そんな確信が湧き出てくるぐらいには俺は恐怖を抱いている。


「思い出したら教えるね」


「....はい」


 出来れば一生思い出さないで欲しいと願う俺と理由が気になって仕方ない俺が両立している。間を取って「何となく」って答えて欲しい......

 というか、こんな事している場合じゃなかった。俺は少女誘拐の犯人を探している最中だったんだ。俺一人でやるにはあまりに重いからと人手......武蔵の力を欲していた......里美さんに目をやった。____信用、していいのか......?

 俺の中でせめぎ合う疑心と純朴の気持ち、決めた。


「里美さん」


「うん?」


「実は、お土産コーナーここに身元不明の少女がいるんです....その子曰く俺ぐらいの大人に連れてこられたらしくて......手伝ってくれませんか!」


 言い切れた......返事を聞いてもいないのに満ちてくる安堵、気分は富士山登頂し切ったような、気持ちがいい達成感が胸をスッと抜けていった。

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水族物語 紅杉林檎 @akasugi__ringo

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