呑まれゆく世界の果てに

DAFU

第1話 揺れる馬車と戦場の風

 馬車の荷台ががたがたと揺れ、時折、強い衝撃が体を前後に揺らす。ディレンは無言で目を閉じ、ひたすら鼓動を落ち着けようとしていた。

 まだ戦場には遠く離れているはずなのに、風に乗って耳に届く魔獣の唸り声や、死臭の混じった嫌な匂いがどうにも心をざわつかせる。

 周囲には見知らぬ兵士たちが腰を下ろし、緊張と不安の入り混じった顔で押し黙っている者もいれば、そわそわと隣と話し合う者もいる。 


 その中で、目の前の少女が蒼白な顔で俯き、震えた手で口元を押さえていたが、ついに我慢しきれず隅で吐き出してしまった。

 酸っぱいにおいが充満する。皆が一瞬固まり、気まずい静寂が荷台に広がる。


「おいおい、初陣ってのは、そんなもんだろ?」


 フォリックが軽い調子で言った。彼は酒瓶を片手に、ディレンの隣に座りながら片肘をついて楽な姿勢で揺れに身を任せている。

 兵士たちが彼の方を振り向くと、フォリックは笑みを浮かべ、少女に向かって軽くうなずいた。


「気にすんな」


 彼は肩をすくめて言い笑いかける。


「す、すみません…」


 と少女は恥ずかしげに小声で謝るのをあしらうように笑った。


「俺も最初は同じさ。馬車に酔うわ、敵の顔を想像してはビビるわ、吐くだけなら、お嬢さんの方がまだマシさ」


「フォローになっているのか、ソレ…」ディレンは、横目でやり取りを見ながら思うが、言葉にはしない。

 フォリックは、酒をひと口飲み、軽く鼻を鳴らして少女に酒瓶を差し出した。


「ちょっと飲んでみろ。戦場に着く頃には元気になるからさ」


 少女は戸惑いながらも、フォリックの目を一瞬見つめて、そっと酒瓶を受け取り、一口だけすすった。よほど強い酒だったのか、思わずむせ返り、顔をしかめる。

 それにフォリックはおかしそうに笑い、


「そうそう、戦場じゃ色んな味を知るもんさ」


 と肩を叩いて励ました。

 フォリックのそんな態度に、ディレンは少しばかり感心しながらも、「気楽なもんだ」と内心で呟いた。


 フォリックが少女を慰め終えると、酒瓶を片手にディレンたち小隊の方へ戻ってきた。彼は、小隊のメンバーに目を向ける。


「さて、これから一緒に戦うわけだ。軽く自己紹介でもしとくか」

「そこでムスッとしてるのが、ディレンだろ。上品そうなお姫さんがリリアナ。元気そうなピンク髪がクルシュだ。そんでこのオッサンがフォリックだよろしくな」


 俺たちの小隊長となったフォリックが小隊の仲をまとめようと、気さくに話し始めたところで、荷台の外をのぞき込んでいた誰かが声を上げる。


「おい…何だあれ!」


 突如馬車が揺れ、次の瞬間、巨大な衝撃が車体を襲った。横転する馬車から全員が宙に投げ出され、砂埃が舞い上がる。


「うおっ…!」


 地面に叩きつけられたフォリックが転がりながら体勢を整えた。


「なんだよ、もうちょい優しく頼むぜ!」


 ぼやきながら立ち上がるフォリックを横目に、ディレンは、咄嗟に転がって衝撃を逃し、刀を抜いた。

 周囲に視線を巡らせると、目の前には複数の赤い瞳が光りゆらゆらとうごめいている。


「馬車が狙われてる!」


上ずった声のする方に目をやると、馬車の操者が横転した車体の近くで倒れ込んでいるのが見えた。

 襲撃者-狼型の魔獣は、彼を囲むようにじりじりと距離を詰めていた。

 ディレンは迷わず駆け出した。

 操者は恐怖に駆られ、地面を這うようにして後退していたが、崩れた荷台の破片に引っかかり身動きが取れない。

 一匹の魔獣が彼に飛び掛かる。

 瞬間、ディレンはその間に割り込んで刀を振り抜いた。鋭い刃が魔獣の胴体を切り裂き、血飛沫が宙に舞う。


「大丈夫か?」


 ディレンが振り向いて声をかけると、操者は震える声で答える。


「は、はい…ありがとうございます!」

「ここにいろ。無闇に動けば死ぬぞ」


 ディレンが冷静に命じると、操者は必死に頷いた。

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