マサカリ道中
水也空
それは戦前
田舎のとある集落にて。
真冬の晩のことだった。
農家の古い一軒家。
囲炉裏をぐるり囲むのは五人の家族。
それぞれ火にあたっているところへ、どんどんと戸口を叩く音。吹きすさぶ風も手伝って、ギクリとする勢いだった。
「こんな夜に」
と、夫が立った。土間におりると戸板に耳を近寄せた。
外はひどい吹雪で、おまけに夜だ。只人が気楽に出歩けまい。
「誰だい? 何の用かね」
「となりの村のもんで」
と、くぐもった声がした。
「治郎吉さんのことでおしらせが」
「えっ、
「いやそれが」
と戸の向こうの声が語るに、妻の実父が危篤らしい。長患いをしていたのは周知の事実。加えてこの厳寒。なにがあってもおかしくないぞと、夫婦ともども泡を食って戸を開けると、ビュッと隙間風。ぶるっと身震いしたその目と鼻の先、
大男だった。
苦労して歩いてきたらしい。姿かたちが雪をかぶって真っ白だった。その奥の人相は分かり難く真っ暗だったが、夫婦は気にしている場合でなかった。
急ぎ身支度にかかったところ、男が言った。このすさまじい雪だからと。
「おふくろさんが言うに、娘だけ来てくれと」
「しかし」
「子どもがちいさい。お婆ひとりにまかせるのも、どうかね」
それでもと、夫の方はだいぶ渋った。その間に妻は身支度を終えていた。子どもをお願いしますとだけ言い置いて、男のうしろについて出ていった。
半時ほどして。
ふたたび戸口がどんどん鳴った。
はっと夫が顔を上げた。
「もう帰ったのかね」
「いや、それが」
例の男の声だった。
おどろいて戸口を開けると、男のみ。妻の姿はどこにもなかった。
ごうごうと唸る吹雪を背に負いながら、男は前かがみになって言った。
「旦那さん」
と、煙のような息をひとつ。
「やっぱりあんたも来てくれと。奥さんが」
「ああ、言わんこっちゃない。やはり、その、舅はそんなに悪いんだな」
「ここひと晩が峠だと。間に合えばいいが」
「お婆! 子どもをたのむ」
振り向きざまに言うや、夫は大股で出ていった。
それからまた半時ほどして。
どんどんと鳴る戸。それに例の男の声。
「お婆お婆。開けとくれ開けとくれ」
老婆が膝をさすりながら立ち上がる。
男が言う。
「早く早く。開けとくれ開けとくれ」
「いま行くよ。またあんたお一人かい。今度は何だい」
「子どもも連れていく」
「えっ」
「早くしとくれ。開けとくれ」
「あんたこの夜更けに。それに雪。無茶お言い」
「いいから」
「だめだよ。子どもはだめだよ」
「いいから」
「子どもが死んじまう!」
どんどんどんと戸を叩く音。雷に似る。
家ごと叩き割る勢いだったと、祖母は語って、電気を消した。
「えっ、それで???」
わたしは枕から頭を上げた。
「それでどうなったの。ねえねえねえ」
と、すぐ隣りで横たわる祖母を揺すりに揺すった。これで寝ろというのが無理だった。
「当時、新聞にもなったよ」
祖母は暗い天井をまっすぐ見上げて、語ってくれた。
「赤いマサカリがね。蓑の隙間から見えたってさ。ちいさな子どもが言ったことだから、わかんないけどさ」
「マサカリって、なに???」
「首ちょん切ったやつ」
「えっ、首ちょん切ったの」
「村と村のあいだに橋があってね。どうしても渡らないといけないんだ。その真ん中あたりでやられたらしい。親ふたりの身体だけ、あとからバラバラ見つかった。」
「え、首は???」
「喰っちまったんじゃないかとさ」
「げっ、犯人は???」
「分かんないね。つかまってないから」
「なんでそんなことしたの」
「だから分かんないよ。知りたくもない」
「のこった子どもは???」
「弟はすぐ死んだ。生まれたときから食が細くて弱かった。姉の方は、奉公で大阪まで出されてね。どこでもいじめられて苦労した。見合いもしないで漁師の男と結婚してみたら、これがまあ、三年ばかり外洋に出ずっぱりで音沙汰なし。顔もだんだん薄れてきてね。やあっと戻ってきたと思えば、がっかりされた。あとはバラバラ。首はちょん切って喰っちまいましたとさ」
えっとわたしの息が止まった。と同時、どっと外で音がした。
思わずそのほうを見ると、障子にべったり大きな影。ゆらゆらゆらゆら揺れていた。中庭の柿の木だった。風がつよくなってきていた。
ふううっと大きなため息が横で聞こえた。
祖母の白い目と目が合った。
マサカリ道中 水也空 @tomichael
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