亡霊のいる井戸
Code:1 神話と書いてミステリは無理がある
初夏の日差しも昼下がりとなるとさすがに厳しく、僕は座って早々窓辺の席は失敗だったと悟った。
学内のカフェテリアは広々としており、中庭に面したガラス張りの壁は開放感こそ素晴らしいものの、南向きの設計のせいで夏場の暑さと眩しさといったら酷いなんてもんじゃない、と専らの評判だった。
もっとも僕は入学したての新入生であり、ほんの数分前までは体験談ではなかったのだが。
奥の席に座れば良かった、と思いつつも移動するのは億劫で、鞄から真新しいノートPCを取り出して起動する。
立ち上がるのを待っている間に手元に目を向ければ、ついさっき持ってきたはずのコップの外側にもう水滴が流れ落ちていることに気づいた。
思考を晴らそうと頼んだアイスコーヒーの氷が涼しげな音をたてる。
これでは、すぐに溶けきってコーヒーが薄くなってしまいそうだ。
早く飲んでしまわないと、と焦ってストローに口をつける。
むさ苦しい日差しに冷たい喉越しが心地よかった。
-
ぬるくなって薄まったアイスコーヒーほど不味いものはない。
僕はブルーライトと紫外線を浴びながら八つ当たりのような気持ちで考えた。
一向に進まないレポートの気分転換になればいいな、と立ち寄ったカフェテリアでこんな目に遭うとは思ってもみなかった。
むしろ余計に疲れてしまっている。
時計を見ればもう一時間もだらだらとPCとにらめっこをしていたようだ。
そろそろ一度休憩_すでにカフェテリアにいるのに休憩である_しようかと体を起こせば、ぴろん、と控えめにPCの通知音が鳴った。
新着メールらしい。
こういうのはスマホよりもPCの方が気づきやすい。
何気なくそれをクリックして、メールの画面を開く。
一瞬の更新の後、一番上に出てきた未開封のメールを開く。
どうやら学校から提供された学生用のメールアドレスに届いたメールらしかった。
━━━━━━━━━━━━━━━
白百合神話倶楽部
───────────────
件名:新入部員募集
───────────────
募集人員一名。先着。
希望者は部活棟三階部室まで。
━━━━━━━━━━━━━━━
なんだこれ。
読み終わった感想がこれである。
文章の意味は理解出来ても、どうにも飲み込むには苦しい内容だ。
一部活がどうやって個人にメールを送ってきたのか、とか、そもそも何だこの部活は、とか。
メールから得られる情報は限りなく少ない。
大半の生徒は怪しいと感じて無視してしまうであろう。
真面目なメール、というよりは誰かが巫山戯て送ったメールや迷惑メールである方がまだ頷ける。
ただ、僕にはこれが“本物”のように思えた。
だからこそ考える。
誰が、どうやって、なんのために?
興味が湧いてくるのと、立ち上がるのはほぼ同時だった。
退屈なレポートと太陽の暑さにやられていたのかもしれない。
ただ、面白そうだと思った。
周りをちらりと窺って、僕と同じような人間はいないかと探してみたが、どうやら興味を示したのは僕だけのようだ。
行ってみようかな、とPCを閉じてみる。
顔を出した好奇心は留まってはくれなかった。
なに、要は経験だ。
興味がなければ帰ればいいし、騙されたならそれも一興。
知ることこそ意味がある、と自分の理性を無理やり納得させるとリュックに荷物をしまって。
三分の一ほど残したアイスコーヒーを捨てて、僕はメールが指定した場所に向かって歩き始めた。
-
週の半ばである水曜日、構内は人で溢れ返っていたが、目的地に近づくにつれてその人通りは疎らになっていった。
部室のドアにたどり着く頃にはすっかり人気が無くなってしまう。
ドアには「白百合神話倶楽部」と書かれた薄っぺらい紙が申し訳程度に貼り付けられていて、年代物らしきドアの見た目とも相まってどことなく不気味である。
ドキドキなのかワクワクなのか分からない胸の高鳴りを抱えたまま、ゆっくりとドアをノックする。
こん、こん、こん、と3回ドアを叩くと、すぐに中からどうぞ、と少女の声がした。
「失礼しま…す」
捻ったドアノブを掴んだまま手前に引く。
見た目通り老朽化しているのであろう、ドアは軋んだ音を立ててゆっくりと開いた。
中を覗き込むと埃臭さが漂って、壁一面に本がぎゅうぎゅうに詰まった本棚が並べられているのが見えた。
ポットなど娯楽用の小物は置いていないようで、殺風景な長机とパイプ椅子だけが部屋の中心に寂しく立っている。
その奥に佇む車椅子の少女。
まず目を引いたのは彼女の目元を覆う薄汚れた包帯だ。
染めたことがないのだろう、艶のある黒髪は長く、前髪も切りそろえられているものの目元は半分ほど隠されてしまっている。
痛々しいようで、どこか惹き付けられるような魅力も感じる。
手元に抱えられたクマのぬいぐるみのせいか、彼女はやけに幼く見えた。
少女は僕の不躾な視線を気にもとめずに車椅子を器用に動かすと、机の反対側に座るよう身振りで促した。
僕が席につくと、彼女はどこからともなくメモ帳を取り出しボールペンを走らせる。
「“やあ、入部希望者くん”」
こちらに向けられたのはその文字列だけで、彼女は返事を待っているようだった。
「あ…どうも」
いくら幼く見えても先輩だろう、と控えめに返事をして、少し首を捻る。
「“喜ばしいことに君が一番乗りだ。今から簡単なテストをさせてもらう”」
何かがおかしい。
おかしいはずだが、どうにも答えが出てこない。
「はあ。…あの、」
それについて訊ねるべきか、と口を開きかけるが、まずはテストとやらの内容を聞くべきだろうと言葉を切った。
少女はうっすら微笑んだまま、ページをめくってこちらに向けた。
「“君が感じた違和感の正体はなんだと思う?”」
問いかけを見て、思考に集中する。
この短時間で違和感を感じるなんて普通じゃない。
僕がしたことといえば、メールを見て、ここまで来て、ドアをノックして、入室して、二言三言会話しただけだ。
…ん?会話?
そういえば、今は筆談のようだが、ドアを開ける時、僕は確かにその声を聞いて__。
カチリ、とピースのハマる音がした。
あぁ、まるで気分は名探偵だ。
僅かな高揚感に煽られるがままにその推理を口に出す。
「さっき、僕はどうぞ、という声を聞きました。しかし、貴女は今筆談をしている。本当は喋れるんですよね?」
沈黙。
時計の針が進む音がする。
静寂。
誰も喋らない。
僕は少しだけ不安になってくる。
もしかして、間違っていただろうか。
瞳を左右に揺らして、意味もなく本のタイトルに目を滑らせてみたりする。
何も言われないのが、余計に居心地の悪さを感じさせる。
「日本都市伝説事典」というタイトルを見つけた時、視界の端で彼女がこくりと頷いたのが見えた。
バッとそちらを向けば、口元が弧を描いているように見える。
「“答え合わせをしよう”」
彼女はメモ帳を長机に置くと、膝の上に抱えていたぬいぐるみを机に乗せた。
茶色いクマのぬいぐるみはやはりどこかアンバランスに感じる。
可愛いですね、とか言った方がいいのだろうか。
そんなくだらない事を考えていると。
「どうぞ………これで分かったかな?」
それは確かに目の前から聞こえた。
少女の声、確かに僕がさっき扉の外で聞いたのと同じ声だ。
目の前の少女の口元は動かない。
先程の微笑みのままぴくりとも動かない。
じゃあ、誰が。
ナニが、喋ったというのだろう。
「いつまでアホ面晒してるんだい入部希望者くん」
立った。
少女じゃない。
机の上で、茶色のやわらかそうな肢体が確かに直立している。
「…え?」
「オレはエニグマ。この子は千百合」
クマのぬいぐるみは器用に右手を動かしながらそう言った。
いや、クマのぬいぐるみが言うなんておかしいはずだが、確かに声はそこから聞こえてくる。
少女は小さく頷く。
どうやら僕はさっきの暑さで頭がおかしくなってしまったらしい。
クマは続ける。
「君は名乗らなくていいよ。Kと呼ぶから。本名を晒すのは僕らにとってとても危険な事だ、わかるね?」
全然わからない。
目の前で起きていることも、会話の内容も、そもそも僕は今一体どんな状況にあるのかも、全く。
理解が追いつかないまま話は独走していく。
「歓迎するよ、K。ようこそ白百合神話(ミステリ)倶楽部へ」
両手を広げたクマの奥で少女はこちらにメモを向けた。
「“秘密を知ったからには退部できないから”」
予測など出来るはずもない展開に目眩がする。
「神話と書いてミステリは無理があるだろ…」
咄嗟に口をついて出たのはのはそんな言葉だけだった。
白百合神話倶楽部 @2lie_kanai
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。白百合神話倶楽部の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます