11 不運令嬢 愛の告白を受ける
「そう、ここでこのハーブを加えて……お野菜はこの順で一旦火を入れるのよ。半分はペーストにするとシチューによりコクが出るわ」
「ほほぉ、奥様は農業地区を領地にもつ伯爵家のご出身だとか。もしや、野菜の見分けも……?」
「えぇ、もちろんよ。たとえば、この人参なら……」
厨房の中、すっかり回復したシェフと二人で楽しそうに話しているルミティ。甘みのある野菜の見分け方や食べ頃の判断なんかはお安い御用なのである。
「そうそう、苦味があるというこの野菜もこんなふうに湯掻いてあげれば甘みが出るからお子さんも食べやすいかも? 確か、小さいお子さんがいるって」
「奥様、そうなんです。あぁ、ありがとうございます」
「いいえ、いつも美味しいご飯をありがとう」
「とんでもございません、ではリクエストのものが完成しましたらブルーノさんにお渡ししますね」
「ええ、よろしく」
ルミティは厨房を出ると自室へと戻った。乗馬用の服に着替え、長い髪を頭の後ろでキュッとシニヨンに結ぶ。
というのも、今日はここから少し行ったところにある新しい領地に向かうのだ。なんでもエリアスの口利きでヴェルズが新しい領地として近くの乗馬場を買い上げたそうで、カローニャを連れてより広い場所で過ごす予定である。
「奥様、ご準備は?」
「エリアス、おはよう」
「おはようございます。カローニャは先に乗馬場に送ってきたよ。今頃、日向ぼっこと砂浴びで忙しいかな。さ、お荷物はこれかい?」
「えぇ、代えの服にブランケット。お昼の軽食は今シェフが用意してくれているわ」
「よかった。でも、旦那様が私の希望を叶えてくださるなんて」
「当たり前だろう?」
「でも、愛のない契約結婚ですもの。それにお兄様が言っていたでしょう? 王宮にもいない、この本邸にもいない。どこにいるんだって。もしかすると、正式に結婚はできないけれど愛する人がいるとか?」
「あぁ、奥様。どうかそんなふうに思わないでやってくれ。あいつには女の影はないよ。それは……ロビンさんもよく知っているはずだ」
「そうなの?」
「あぁ、中等部からずっと彼には多くの令嬢からのお見合いや顔合わせが殺到していてね。けれど、相手がどんなに綺麗だろうが金持ちだろうがお断りさ。だから彼に女性の影があるとは思えないけど」
必死に弁明するエリアスに不信感を感じながらも、ルミティは他の可能性を考え何かを思いついたように手を叩いた。
「だから心配する必要ないさ」
「わかったわ。男色ね……」
「は……?」
「きっと、旦那様は男性を愛していらっしゃるのだわ。最近、そういった美しい男性同士の小説もあってね。旦那様が学園時代に御令嬢たちとのご婚約を全てお断りになったのも、私との契約結婚も。旦那様が女性を愛していないからかもしれないわね」
「あ、えっと……奥様それは」
まごまごするエリアスは何か言い訳を考えようとするも頭が真っ白になってしまった。そこで、扉の外にいたブルーノが助太刀をする。
「お二人とも、シェフよりランチボックスの準備ができたとのことでございます。ささ、出発のご準備を」
***
まるで牧場のように広い乗馬場で既にカローニャが走っている。砂場や水飲み場、芝生は短い場所から草原のように長い場所まで用意されており、彼女はのびのびと羽を伸ばしているようだった。
「いやー、広くていい!」
エリアスが両腕を広げて大きく息を吸う。その隣でルミティは彼を見ては顔を赤面させ、どうにか自分の気持ちに理由をつけようと努力をしていた。エリアスは誰がどう見ても魅力的な男性である。人気だと言われている金髪を持ち、顔の造形はいわゆる黄金比に近いような美しさ非常に優しいし紳士的なのに何処か悪戯っぽくて放っておけないような雰囲気がある。そして、ルミティが幼い頃に恋焦がれた『華麗なる王子』という童話のエリート王子にそっくりなのだ。先日、彼のおかしな夢を見てから妙に意識してしまう自分と必死で戦っている。
「ルミティ、カローニャが来いってさ」
ルミティが顔を上げると、そこにはカローニャと彼女を撫でるエリアスがいた。カローニャの背にはあの二人乗り用の鞍が装着されており、彼女もルミティたちを乗せる気まんまんで鼻を鳴らしている。
「カローニャ、こんにちは。もう背中に乗ってもいいの?」
カローニャはブルルと鼻を鳴らし、ルミティの手をハムハムと唇で撫でた。
「さ、手をとって」
エリアスにエスコートをされつつ、カローニャにまたがりルミティは手綱を握った。すぐにエリアスも後ろに乗っかると以前と同じようにルミティと一緒に手綱を握った。カローニャがエリアスの指示でゆっくりと歩き出す。裏庭よりもはるかに広い乗馬場で馬の上から見える景色は格別である。ルミティはエリアスの近さにドキドキしながらも十二分に乗馬を楽しんだ。
しばらく乗馬場の中を駆け回ると、カローニャが足を止めたので二人は彼女を自由にした。鞍と手綱を外してやると彼女は日の当たる芝生へと駆けていき、草を食べ始めた。
「あら、お腹が減っていたのね。私たちもランチにしましょうか」
乗馬場の端っこ、木陰になっている場所でブランケットを敷いてその上に腰掛けた。シェフが持たせてくれたピクニックバスケットを開くと、中にはランチボックスと、紅茶が入った水筒とティーカップ。
「おぉ、シェフお手製?」
「そう、私がリクエストして作ってもらったの。さ、食べましょう」
ランチボックスの中に入っているのは、パンとチーズとハム。それを重ねて可愛らしいピックを刺しただけの軽食だ。パンにはシェフ特製のソースが塗られているので味の種類も豊富だし、何よりもフォークやナイフを使わずに片手で食べられるのがちょうど良い。
「ん、美味しい」
エリアスは一口齧ると幸せそうに目を細めた。ルミティも一つ手にとって口に運ぶ。時間が経ってもふわふわのパン、乗っかっているチーズとハムは程よい塩味と芳醇な香り。シェフ特製のソースがピリッと聞いていて食が進む。
「公爵婦人がこんな風にお食事をしていたらはしたないわね」
「ははっ、大丈夫。ここはボルドーグ家の敷地だしそれにここにくればきっと王宮のお姫様だってそうしたくなるさ」
ひとしきり、美味しい軽食を楽しんだ後二人は紅茶を嗜んだ。ほのかに温かい紅茶を飲みながらカローニャや馬車馬たちがのんびりと過ごすのを遠くから眺める。
「馬というのは素敵ね」
「奥様は昔からお好きだと言っていたね」
「えぇ、あの綺麗で優しい目が好きなの。賢くて、自分で考えて行動ができる。強くて仲間思いでそれから風のように自由に過ごすことだってできる。なのに、人間のそばにいてくれるのよ」
「確かに、人間と馬じゃ人間は武器を持たなければ絶対に勝てないからな」
「でしょう? 彼らは私たちが弱くて強欲な存在だと理解していてもこうして共生してくれているのね。共生……」
「共生?」
「いいえ、ちょっとね」
ルミティの表情が陰ったのを見て、エリアスは心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。
「話してくれ。騎士として、奥様のことは知っておきたい」
「旦那様のことよ」
「彼は男色ではないぞ」
エリアスはあわてて否定するとルミティは不思議そうに首を傾げ
「まぁ、そうであってもそうでなくてもいいの。私に愛がないことは変わりないでしょう? だけれどね。愛がなくても共生はできるんじゃないかって思ったの」
エリアスは複雑そうな顔をしつつ、彼女の話に耳を傾ける。
「せめて、一度はお会いしてこんなに幸せに暮らせているお礼を伝えたいとか。烏滸がましいかもしれないけれど、旦那様のお力になれることが少しでもあれば……なんて。名前だけの夫婦かもしれない、旦那様にとって私はただのお飾りかもしれない。けれど、私にとっては私を素敵な生活に導いてくれたとても素敵な旦那様なの」
「奥様、大変失礼だが……実家での生活はいいものではなかったとか? 爵位の違いがあるとはいえ、この家での生活は特に変わったものではないと」
ルミティは小さく息を吐いてから
「ここだけの話にしてくれる?」
と可愛らしくお願いをした。眉を下げ、首を傾げた表情があまりにも可愛くて、エリアスはそっけない返事をする。
「あぁ」
「実はね、私が不運に見舞われて多くの殿方との縁談をダメにしていたからあまり良く思われていなくてね。優秀な兄姉と比べられたり末妹にはそれを理由にわがままを言われたりしていたの。家族のことは大好きだけれど、実家での生活は窮屈であまり幸せとは言えなかったわ」
「そうか……」
「だからね、旦那様と結婚してからはそんなふうに比べられることもなければ私をかわいそうな目で見る人もいない。それどころか、奥様・奥様って慕ってもらえるでしょう? なんというかすごく幸せなのよ」
エリアスがぐっと拳を握りしめるのをルミティは見て、首を傾げた。彼の横顔はどこか悩ましげで、その理由は彼女には分からなかった。
「じゃあ、奥様はこんな仕打ちを受けているというのにヴェルズを愛していると?」
「うーん、まだお会いしたことがないから愛している……とは違うかもしれないわね。けれど、心から感謝をしているわ」
「あのさ……僕じゃダメ?」
「え?」
「実は、ずっと言えなかったんだが、僕の役割は奥様の騎士として奥様をお守りすること。それから……」
「それから?」
「奥様が望めば、愛人として貴女に尽くすこと」
エリアスはルミティと向き合うように座り直すと彼女の両手を握った。目の前の彼女の瞳が揺れ、視線が落ちる。不器用な愛の告白は失敗のようだった。
「あのね、エリアスはとても素敵だと思うわ」
「じゃあ、どうしてそんな顔をするんだい?」
「エリアス。貴方は旦那様にそう言われたかもしれないけれど……私が望めば愛人になれと言われたかもしれないけれどダメよ。貴方の貴重な愛と貴重な時間は本当に愛する人のために使ってね」
「そんな、僕の時間は奥様のもので……」
「いい、それはこの屋敷にいる間だけ。心まで命令に従ってはダメよ。そのかわり……」
「そのかわり?」
「今後はもう少しだけ、わがままを言わせてもらおうかしら」
(エリアスが優しかったのは旦那様に命令されていたからだわ。これからは彼を困らせてはいけないし、ちゃんと『推し』として線引きをして接しないといけないわね)
「奥様」
「今度、港町にお出かけしたいのだけど……お忍びで」
悪戯っぽく笑って見せたルミティにエリアスは「わかりました」と頷いた。
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愛のない契約結婚ですが、推しができたので問題ありません!〜不運令嬢は推しに溺愛される〜 小狐ミナト@ダンキャン〜10月発売! @kirisaki-onnmu
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