10 不運令嬢 シチューを作る
「奥様、よろしいですか?」
ルナの声で目覚めたルミティはベッドから体を起こした。窓の外から差し込んでいるのは夕日。泣き疲れて眠ってしまい、こんな時間になっていた。
(私ったら、こんな時間まで。しかも、エリアスのあんな夢を見てしまったわ)
彼女の脳裏に浮かぶのはベッドに腰掛けて自分に「愛している」と囁くエリアスの姿だ。夫に愛されていないと自覚した途端、そんなふしだらな夢を見てしまった自分にうんざりする。
「ルナ、もう体調は大丈夫。入って」
「あぁ、奥様。とても心配しましたよ。エリアス様が様子を見て眠っているからそっとしておくようにって」
「え……? エリアスがここに?」
「はい。奥様が心配だから様子を見るってお部屋に入られて……数分で出てこられました。なんでも奥様がソファーで眠ってらしたからベッドにご移動させたと。エリアス様もご心配なさってたから、お呼びしますね」
「ルナ、いいわ。私は大丈夫。けれど、こんな時間まで眠っていたら夜に眠れなくなってしまうわね」
「では、夕日が綺麗ですしお庭を散歩してはいかがでしょう? 」
(エリアスがこの部屋に……じゃああれは夢なんかじゃ……)
ルミティは心の中のモヤモヤと向き合うためにもルナの案を承諾した。部屋着から動きやすい普段着に着替え、髪を軽く整える。泣いたせいで少し目の下が赤くなっていたが、ドレッサーに置いてあったパウダーでさっと赤みを隠した。
夕日に照らされた中庭にやってくると、涼しい風に揺れる花々が綺麗でルミティは息を呑んだ。昼間の美しさとは違って、夕日のオレンジ色が少しだけ寂しくて儚いようなそんな雰囲気を感じることができた。耳をすますと、お屋敷の通りに面した街道を歩く馬車の音やご婦人たちのお話し声。子供たちの楽しそうな声が聞こえる。
ベンチに腰掛けて、噴水の水音を聞きながら目を閉じれば瞼をすかしてオレンジ色の世界が広がった。すると、ルミティはエリアスの顔を思い出す。いつもは軽薄そうな笑顔を浮かべ、ブルーノに怒られることもあるくらいやんちゃな性格。けれど、動物にも植物にも優しくてルミティの本音を掴むような発言をさりげなくしてくれる。
そして、ベッドで愛を囁く彼はいつもとは違って真面目な表情、どことなく雰囲気の違う声色。考えるだけでルミティは頬が紅潮し、心臓が高鳴った。
(ダメよ、エリアスは『推し』。彼は麗しい人だけれど……私と旦那様の契約結婚に巻き込んではいけないわ。彼には素敵な将来が待っているべきだもの)
「そんな……どうしましょう」
「シェフ、お気を確かに!」
「すぐにお医者様を」
何やら慌しい声がして中庭から食堂の方を眺めるとルナやブルーノを含めた使用人たちが騒いでいた。ルミティは話の内容も気になったので急いでそちらに向かった。
すると、厨房から真っ青な顔色のシェフが運び出され彼の両脇を抱えたメイドたちが心配そうに声をかけている。
「どうしたの?」
「あぁ、奥様。どうやら、今日のお夕食に使うために仕入れたキノコが毒キノコだったようで……味見をしたシェフと厨房のメイドたちが……」
「大変、すぐにお医者様を呼ばないと! ルナ、シェフたちが食べてしまったキノコの残りはある? もしあればお医者様にお渡しして。それから、手の空いてる子は厨房と使用した調理器具や衣類を洗浄していただける?」
農業地区で過ごした時間の長かったルミティにとって「毒キノコ」の対処は慣れたものである。この時期になると、シチューによく合うキノコにそっくりな毒キノコが稀に出回ってしまうのだ。ボルドーグ家のシェフは毎朝市場へ新鮮な食材を買い付けに行くので、きのこを買う際に紛れてしまったのだろうと推測された。
「はい! 奥様!」
メイドたちがルミティの指示に従って、動き出す。体調を崩しているものはみな使用人用の宿舎に運ばれ、時期にやってきた医師がそちらへと向かった。
皆が無事であることを祈りながら、ルミティは厨房へと向かう。メイドたちが厨房の掃除を完了したがもう夕食の時間になっていたのだ。とは言っても、厨房勤務の使用人は全滅、他の使用人たちも看病や医師の補助などで出払っていた。
「奥様、よければエリアス殿と外でいかがでしょう?」
ブルーノにそう提案されて、ルミティが視線を上げるとそこには軽薄そうな笑顔を浮かべて手を振るエリアスがいた。
(今この状況で彼とご飯……⁈ ダメよ、変な気を起こしてしまうわ)
「ねぇ、せっかくの食材が無駄になってしまうし。私がシチューをお作りしましょうか? ほら看病に出ている子たちも食べられるように」
厨房には、寝かせてあったパンの生地とにんじん・じゃがいもなどの根菜、冷蔵庫には高そうなお肉が入っている。調味料類は豊富に揃っている。普段からお菓子作りを趣味にしていたルミティは手慣れた様子でピカピカの調理器具を手に取った。
「奥様、こちらを」
エリアスがルミティの後ろへと回ると白いエプロンを彼女に着せた。首に優しくかけ、その後腰を一回りするようにリボンを通してから背中で優しく結ぶ。普段から距離感の近いエリアスだが、今日ばかりはルミティもドキドキが隠せない。
慌てた様子で彼から離れると
「ありがとう。大丈夫よ」
と冷蔵庫に向かった。エリアスはルミティの反応に少し疑問を抱きつつも
「じゃ、僕は野菜を洗おうかな」
と言って腕まくりをし、水場へと向かった。
ルミティはブルーノに頼んでオーブンに火を入れてもらい、まずは生地の状態のパンを焼く。その間にエリアスが洗ってくれた野菜たちを一口大の大きさにカットすると華麗な手順でシチューを調理していく。パンがこんがりと焼ける良い香りと、お肉と野菜たっぷりのシチューの香りが厨房から漂い始める。
「奥様はお料理もお上手なんだね」
「あら、エリアスだって野菜を切るのがとても上手だったわよ」
「斬ることには慣れてるんだよ、騎士だからね」
「まぁ……。うふふ、面白い。じゃあ、熱々のパンを切っていただける?」
「おやすい御用だよ」
エリアスはオーブンから出したばかりのパンをさくさくとスライスしていく。ルミティはその横で十分に煮えたシチューを皿に分け、仕上げにハーブを飾った。
「シチューは得意料理でね。実家でもよく作っていたの。領民の皆さんが季節のお野菜を持ち寄ってくれるからこうして私やお母様がたくさんのシチューを作って皆さんをおもてなしするの。今度はみんなが元気な時にまたお料理できたら嬉しいわ」
ブルーノが食堂の支度を済ませて戻ってくると、ルミティとエリアスに席に着くようにと告げた。
「エリアスも食べていくでしょう?」
「もちろん、なんてったって野菜を洗ったのは初めてだからね」
「まぁ、都市部のご貴族様はやっぱり違うのね」
そんな冗談を言い合いながら、席に着くとブルーノがシチューとパン、それからワインを配膳した。焼きたてのパンには後から乗せたバターがじゅわりと溶け、シチューからはスパイスの食欲のそそる香りが立っている。牛肉のうまみがたっぷりと出たシチューを一口食べてみれば、肉と野菜の甘みが口一杯に広がり塩辛さも相まってどんどんと食が進む。
「美味しい」
「よかった。ブルーノさん、今日は皆んな大変だったのだしよければ使用人の皆さんも一緒に食べませんか? シチューが冷めてしまいますし」
「あの〜、僕、おかわりをいただいても?」
「まぁ、エリアスったら」
早々に食べ終えたエリアスがおかわりをとりにいくついでに厨房裏や給湯室にいた使用人たちに声をかける。食中毒になっている者たち除いた使用人たちがゾロゾロと食堂に集まった。「奥様たちと同じテーブルになんて」と恐縮するものやエリアスやルミティを『推し』にしていて浮足立つものまで様々であった。
といっても、ルミティの隣はエリアスとルナががっちりと確保している。
「奥様、ありがとうございます!」
それからというものの「奥様のシチューが食べたい」と口にする使用人が増えることとなった。
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