第5話
***
その日は突然やってきた。
「失礼します。生徒会です」
俺達の部室の扉を開けたのは、生徒会長で俺やタカオと同じクラスでもあるニイナだった。
普段足を踏み入れることのない人物の訪れ――、しかもその人物が生徒の中で一番権力の持つ人間だったら、要件は聞かなくても分かった。
「精査の報告に来ました」
ニイナの言葉を聞いて、あの噂は本当だったのだと、今更ながら実感した。この日のために今まで準備したというのに、実際に当日を迎えた俺の心境は、どこか他人事のようだった。俺以外の四人も、その顔は達観しているように見えた。
精査の対象から逃れるために考案した『生徒お助けキャンペーン』が不発に終わって、早半月。その後、部員全員で話し合って、やれることは全力でやったのだから、結果がどうなろうと待ち構えるだけだ。
ニイナはキョロキョロと部室を見渡すと、これからの発言のための間を作るかのように一呼吸入れた。まるで最後の審判のような緊迫した空気が、総合文化部を満たす。
そして――、
「総合文化部は、ちゃんと活動しているようですね」
ずっと俺達が欲しかった言葉を、言ってくれた。
「この高校に対してだけではなく、地域に対しても活動的……。うん、問題はありませんね」
ニイナは手にしていた紙に、シャッと小気味いい音を立てながらペンを動かした。
結果がどうなろうと受け入れている心構えは出来ていたけれど、総合文化部が残ると分かると、やはり嬉しい。各々労い合うように言葉を掛け合い、部室内の空気はワッと盛り上がった。
紙から目を上げたニイナと、ふと目が合った。はにかんだような微笑は、総合文化部が残っていることを祝福してくれているようだった。けど、それだけじゃない気もした。
その意図を訊ねる前に、「それでは、失礼しますね」とニイナが部室から出て行った。気付けば、ニイナの後を追って、俺も部室を飛び出していた。
廊下を出てすぐ、窓辺に寄って外を見下ろしているニイナを見つける。まるで俺が来ることを分かっていたかのように、ニイナは視線を俺の方に向けると、
「どうしたの、ジンくん」
そう悪戯っぽい笑みを浮かべながら問いかけて来た。その仕草一つで、全部分かってやっているということが分かった。
俺はふっと息を吐くと、
「会長としてじゃなくて一生徒として、一つだけ聞いていいか?」
「うん、もちろん」
同じクラスでもあるニイナとは、深くは話さないけれど、用があれば話すくらいの顔馴染みではある。
「本当に俺達の活動って役に立ってたって思うか?」
ずっと聞きたかったことだ。
方向転換してから、ひたむきに頑張って来た。最初は上手く行かなくて無視をされることも多かったけれど、次第に手ごたえを感じるようになった。だけど、続けている内に、「ただ当然のことをしているだけなのでは」という疑問が頭を満たすようになって、俺達の活動が役に立っているのかという実感がいまいち湧かなかった。
周りからの評価なんて、当事者には案外分からないものだ。
しかし、何を愚問を、と言わんばかりにニイナは肩を竦めると、
「ここから見える景色が答えだよ」
窓の外を見つめながら、ハッキリと断言した。
ニイナが言う『答え』を確かめようと窓に近付こうとしたら、
「逆に私からも質問していいかな?」
そう訊ねられてしまい、その場から動くことが出来なくなった。「俺に答えられることなら」と言うと、ニイナはにこりと微笑んだ。
「なんで『挨拶』っていう選択をしたの?」
「へ?」
思ってもいなかった疑問に、間抜けな声が漏れる。
「一か月前にタカオくんが精査の話を聞いて、それから最初の半分の時間は待ちの体制だったでしょ?」
疑問口調ながらも断定した言い方に、思わず「知ってたのか」と返した。「うん」とニイナは楽しそうに言う。
「だって、私が先生達から初めて話を聞いた時、タカオくんも職員室にいたからね。精査の話を聞いた総合文化部がどう動くか、少しだけ興味を持ってたんだ」
すると、『生徒お助けキャンペーン』をして不発に終わった時も、ニイナには知られてしまっていたのか。当時は何も思わなかったけれど、今思うと何て傲慢な活動だろうと思う。
そんな自分の愚かさを嘲笑すると、窓の外に広がる茜空に目を向けた。
「単純な話だよ。最初の方針だと何も変わらなかったから、方法を変えただけ」
再起を決意した総合文化部は、徹底的に話し合った。
分かり易いアイディアがすぐに出たわけではなかったけれど、話し合っていく内に、自分よがりな活動ではなく、高校自体を真剣に活性化させたいと願うようになった。
「その内にさ、総合文化部が目指す文化とは何かっていう根本的な疑問が湧いて来たんだ。それから、文化について考えていくうちに俺達が導き出したのは、挨拶だったんだ」
一番初めに疑問を上げたのはやはりカナエで、挨拶というアイディアを出したのはメグミだった。けれど、二人とも鼻につくことはなく、話し合いをしなければ浮かばなかったと謙遜するように言った。
「――挨拶は文化。世間一般的にもよく言われる言葉だけど、意外と根付くのって難しいよね。この高校も浸透していなかったし」
「そうそう。だから、俺達は挨拶することを主な活動にした」
時間があるわけではなかったけれど、堅実にやることが一番の近道だと思った。
最初は当然無視された。それはそのはずだ。生徒会でも何でもない奴らが、いきなり登校と共に挨拶を始めたんだから、怪しむのは仕方がない。
「俺達に関心を持ってもらうためには、先に俺達が何かしないとって思ったんだ。そうしないと何も変わらないだろ」
と言いつつも、恐らく挨拶を始めてから翌週に至るまで、状況は何一つ変わらなかった。それでも、どんなに白い目を向けられても、総合文化部から先に挨拶をすることは続けた。やめる、という選択肢はなかった。
だけど、週明けの月曜日、少しだけ状況が変わった。「おはようございます」という俺達の声に、風に紛れるような囁き声だけど「……おはようございます」という言葉を確かに耳にした。認められたようで嬉しくて、俺達は更に声を張り上げるようになった。
次第に、俺達の存在は認知されるようになり、朝の校門近くでは挨拶の声が絶えなくなった。
達成感に近い、得も言えぬ感情が満ち溢れていた。
「楽しかった?」
ニイナの単純な問いで、俺は自分の気持ちの正体に気付くことが出来た。
最初は部活存続のためとか理由を付けていたけれど、今は違う。途中から俺を満たしていたのは、単純明快だったんだ。
「ああ。この半月……、いや部活を残そうとしたこの一か月が、部活やってる中で一番楽しかった。多分、本気で向き合ったからかな」
「ふふ、だと思った」
ニイナはあざとく笑うと、窓辺から離れた。
「これからも総合文化部の活動に期待してるよ」
そして、そのまま廊下を歩き始める。まだ精査の続きが残っているのだろう、忙しいニイナに向けて俺は心の中で労いの言葉を囁く。
一人廊下の真ん中に佇んでいたけれど、そろそろ部室に戻ることにした。時折教室から漏れる楽し気な声に、俺も早く混ざりたい。今のニイナとのやり取りを伝えたら、きっともっと喜ぶだろうな。
「……っと、その前に」
俺はニイナが立っていた窓辺に近付いた。さっきニイナが言っていた『答え』とやらを確認していないことに気付いたからだ。そのまま窓の外を見る。
聞いてるこちらが自然と元気づけられるような、そんな活気にあふれた声が、校庭から響き渡っていた。
<――終わり>
居場所を守れ 岩村亮 @ryoiwmr
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