秘密のにっき
斑猫
雨降って地固まる
「俺が死んだら」という名のデジタル遺品対策ソフトが世間にはあるらしい。曰く、指定したファイルやデータを抹消し、しかもその間に思い出のアルバムの展開を行うような超ハイテクソフトである。
しかしそれは、デジタル遺品にしか適応されない代物である。アナログで、紙媒体で見られたくないものを保有している場合は、一体どうなってしまうのだろうか?
※
齢三十二にして、俺は幸せの絶頂にいた。いやもしかしたら、より幸せな日々が訪れるかもしれない。
アラサーでオッサンに片脚を突っ込んだような俺がここまで有頂天になっているのは、可愛い彼女と結婚したからだ。同じ職場ではないが仕事を通じて知り合って、順当に交際して結婚に至ったという事だ。彼女から妻になったミホは可愛らしい女性で、しかも結婚してからも妙に所帯じみた所は無い。
誰だよ結婚は人生の墓場と言ったアホは。墓場どころか毎日ヘブン状態だぞ俺は。
そんな風に新婚生活をエンジョイしていた俺とミホだったのだが、日々の暮らしというかそうした物とはやはり無縁ではなかった。
要するに、年末の大掃除というイベントが我が家にも巡ってきたのだ。
と言っても、部屋数も少ないし今はまだ二人暮らしだ。だから要らない新聞や雑誌やうっかり食べ忘れた賞味期限切れのお菓子などを処分して、後は風呂場とか台所を掃除すれば良いのだと思っていた。
つまるところ、俺はたかを括っていたのだ。油断していたのだ。
俺が若い頃にしたためていた、あの日記をミホが見つけ出すまでは。
※
「ねぇケイ君。このノートってなぁに?」
ミホが可愛らしい声で問いかけたのは、大掃除も中頃まで迫った頃であった。彼女は小首をかしげ、さも不思議そうな表情を浮かべている。可愛かった。
しかし俺が、新妻の可愛い仕草を眺めていたのは数秒ほどの事だった。ミホが手にしているノートを見た時に、それが何であるか思い出してしまったからだ。というか、まだあったとは。
気付けば俺は、ひったくるようにノートを奪い取っていた。ミホが驚きの声を上げ、それから抗議の声を上げているのが遠くから聞こえていた。
「ちょっとケイ君。急に乱暴な事をしないでよ」
「ら、乱暴な事と言っても、その、こんなのがあったと知って、落ち着いていられるかよ」
言いながら、俺はノートの中身を確かめた。確かにこれは、俺が中学から高校の頃にかけて使っていた日記だ。
いや、日記などと言う高尚な物ではない。中二病を煮詰めに煮詰めた黒歴史の集大成だ。特級呪物と言っても過言ではない。
「こんなのって、ケイ君の若い頃の記録でしょう? 良いじゃないの別に」
「若い頃の記録だからこそ、恥ずかしいんじゃあないか」
言いながら、俺はふとある事に気付いてしまった。確認するのは恐ろしい。しかし引き返す事など出来ない。
「ミホ。もしかして、中身を確認したのかい?」
「ええ、少しだけ」
ノートの中身を確認した。その事をミホは素直に認めていた。目を伏せたその顔は赤みがさしている。大昔の事と言えども、夫の中二病ぶりにドン引きしているのだろうか。女性ってオタクを嫌がる習性もあるというし。
ああ、もう終わりだ。そう思っていたまさにその時、ミホは顔を上げていた。重大な決意をしたかのような表情で、俺をじぃっと見つめている。
「勝手に見てごめんなさい。だけど私……少し安心したの」
「安心だって? お、俺のクッソ恥ずかしい趣味というか過去を知って、何で安心するんだよ……」
「恥ずかしくなんかないわよ!」
ミホがいきなり大きな声を出したので、俺はびくっと怯んでしまった。ここまで彼女が怒りをあらわにした事なんて、本当に珍しい。
「ケイ君には隠していたけれど、私も実はサブカルオタクだから……ジャンルは違うけれど、同人誌だって作った事もあるし。何なら今も作りたいなって思ってるくらいだもの」
「そっか、そういう事だったのか」
俺の中で恥ずかしい気持ちはもはや沈静化していた。それどころか、愛する妻もまたそっち側の人間だったという事を知り、心強くなったくらいだった。
そんな訳で、件の黒歴史ノートは本棚に収まっている。その隣にかつてミホが出したという同人誌が並んでいるのはまぁご愛敬だ。
秘密のにっき 斑猫 @hanmyou
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