【16】大胆不敵な王女殿下は、恐いものなし

 これは大変なことになったな、とティムはどこか他人事のように思った。

 実際に、この状況はティムに悪い影響を及ぼさない。

 少々、ジョヴァンニが胃痛に苦しんで、クロードが不憫な思いをするだけだ。


(あとは……それをフォローするローザちゃんが、可哀想だなぁ……)


 ぽやっとした新入りの少女の顔を思い出し、ティムはちょっぴり同情する。

 ジョヴァンニやクロードが多少痛い目を見てもなんとも思わないが、女の子が悲しむのはよくない。


『いい、ティム。女の子は例外なく大切にするべきなの』


 と、ティムの愛する婚約者の少女から、何度も言い聞かされているのだ。

 ケチなジョヴァンニはなかなか出したがらない、高級茶葉を煮出した紅茶のカップとソーサーをトレイから机に移しながら、ティムは客人の姿をこっそりと盗み見る。

 応接間のソファに腰を下ろすのは、若い女だ。


(いやー、ほんと、顔だけはいいんだよなぁ)


 年齢は十代後半か。大人びた雰囲気を持ちながら、なかなかの気迫があった。

 目が眩みそうな金色の豊かな髪は、腰まで伸ばされている。やや目つきは鋭いが、美人、それも滅多に見ない美貌の持ち主だ。ティムも街中ですれ違ったら、婚約者のいる身でありながら、思わず振り返ってしまうだろう。

 首元をスカーフで覆った全体的に質素な装いは、どこにでもいそうな町娘のような出で立ちだが、滲み出る高貴さは、イマイチ隠しきれていない。

 まさにお忍びのお嬢様といった風体の彼女の正体は、どこぞの貴族のご息女などではない。


 アンジェリカ・ミル・オネドスク。


 オネスドク王室の第三王女殿下。まさしく張本人である。

 本来であれば、ティムは平伏する身分ではあるが、今の彼女は、


『自称正体不明の、美人過ぎるお嬢様』


 らしいので、ティムは「ああそういう設定ね」と素直に受け入れて、ちょっといいところのお嬢さんを相手どるように接していた。

 婚約者に散々振り回されているティムは、柔軟な対応を得意としていた。なかなか、機転が利く、器用な男なのである。

 しかし、〈ミュトス〉の代表であるジョヴァンニは、そうもいかないらしい。


「……これは、どういうことなんでしょうねぇ? アンジェリカ王女……ではなく、アンジェリカお嬢様」


 整った美貌に浮かぶのは、不自然に貼り付けた笑みだった。

 ジョヴァンニはやんわりと、イタズラをしでかした子どもに問いただすように訊ねた。

 胸の下を手で押さえているのは胃が痛むためか。

 対するアンジェリカは、鼻歌でも歌い出しそうなご機嫌な様子で、彼の問いに答えた。


「そなたがなかなか〈星葬画〉の修繕に着手しないからな。〈玉瑠璃〉の入手にさぞ難儀していると思い、慈悲深いわたくしが手づから用意したのだ。泣いて感謝するとよいぞ?」


「ご厚意は大変有難く存じますが……。しかし、以前〈玉瑠璃〉は用意するのが大変だとおっしゃっていたのでは?」


「ああ、だからコッソリ、王城の宝物庫から盗み出したのだ。流石のわたくしも、今回ばかりは、ちょっとばかし骨が折れたぞ」


 ちょっとばかし骨が折れたぞ、の一言で片付くレベルの難易度ではないだろう、とは思ったが、彼女の余裕綽々な表情を見るに、案外事実なのかもしれない、ともティムは思う。

 オネスドク王室に魔術師の才能を持つ者は多い。例に漏れず、この少々ヤンチャのすぎる王女殿下は、噂に聞くに、風属性の魔術の使い手らしい。

 魔術。魔力を用いて、火を起こしたり、風を起こしたり、意図して自然現象を発生させる特殊な技術というのが、ティムの大雑把な認識だった。


(たぶん、魔術を使って盗みに入ったんだろうな。でも、魔術の行使には、難解な術式の起動を必要とするんだっけ……)


 つまり、魔術を使うためには、魔力だけではなく、たくさん勉強をする必要がある。ティムのような平民には、まるで縁遠い話である。

 魔力に恵まれた彼女は、難しい魔術の勉強をして、風属性の魔術を使いこなせるようになったらしい。風属性の魔術は、隠密行動にうってつけなのだ。

 王女殿下が供も連れず、画家組合に顔を出せるのは、彼女が風属性の魔術を使える、それが大きな理由となっているのだろう。


(まあ、魔術が使えなくとも、王女殿下なら何とかできそうな気もするなぁ……)


 何せ、王家の宝物庫に盗みに入るような肝の据わった……恐れ入らずの少女である。

 王城の宝物庫は、オネスドク創立から保有する稀少な宝も有しているだろう。その警護も手厚いはずだ。


「よく、バレずに盗み出せましたね?」


 ジョヴァンニはひくひくと、頬を引き攣らせながら言った。

うむ、うむと、アンジェリカは自慢げに頷く。


「すごいだろう! 驚いたか? いやな、宝物庫に忍び込むのは、これで十を数えるが、未だに知られておらぬのだぞ?」


 盗人なのに、どうして自慢げに話すのか。これが一国の王女の姿として正しいか、ティムは大いに疑いを持った。

 正直、聞かなかったことにしたいなぁ、とも、ティムは思った。

 それはジョヴァンニも同じだったらしい。

 彼女の言葉を流して続けた。


「こちらの〈玉瑠璃〉は国宝ですから、元の場所に戻したほうが宜しいかと」


 王女殿下の返答は至ってシンプルだった。


「わたくしが手に入れたのだ。つまり、〈玉瑠璃〉はわたくしのもの。使い道は、わたくしが決める」


 堂々と言い切る少女に、ティムは内心、称賛を贈った。


(アンジェリカ様って、王家に不満を持ったら、あっさりとクーデターでも起こしかねない危険人物だな……。何も弱点がなさそう)


 純粋に疑問に思ったティムは、好奇心から口にする。


「アンジェリカ様って、無敵の人ですよね。何か恐いものって、あるんですか?」


 だいぶ失礼な、遠慮のない問いかけに、アンジェリカはしばし考え込んだのちに言う。


「わたくしが恐れるのは、『永遠』、それに限られる」


「はぁ……」


「わたくしは、今を生きるこの一瞬を大切に思うからこそ、永遠が恐ろしいのだ」


 難しい勉強をたくさんしているだろう、彼女の答えは哲学的で、平民のティムにはあまり理解できなかった。


***


「ではな。ジョヴァンニ。〈星葬画〉の修繕を期待しておるぞ」


 と言い残し、お忍びのお嬢様こと、アンジェリカ王女殿下は、応接間の窓から、風のように去っていった。

 窓枠を蹴って、金色の髪の毛が、ふわりと翼のように広がる。

 風の魔術を使って、空を飛ぶ姿はさながら鳥のようだ。


(王女殿下って人生が楽しそうだなぁ)


 金色になびく美しい髪を眺めながら、ティムは羨ましく思う。

 人形のように、感情に乏しい婚約者の少女も、空を飛べば、花咲くような笑顔を見せてくれるだろうか。

 窓の傍らに立つティムの背後で、ジョヴァンニは背中を丸めて、項垂れていた。

 陰鬱な気配を漂わせる師に、ティムはニコニコと笑いかける。


「えーと。先生。良かったな。〈玉瑠璃〉が手に入って」


 クロードが〈玉瑠璃〉を手に入れられるとは、正直なところ、ティムも欠片も信じてはいなかった。

 オークウッド侯は温厚な人柄で評判、というのがティムの認識である。


『あのご老体、だいぶ捻くれているんですよねぇぇぇ……』


 とジョヴァンニは愚痴っていたけれど、直接会ったことはないので、ティムとしては、何とも言えなかった。

 〈玉瑠璃〉は大変、貴重なのだ。いくら評判通りの人間と言っても、交渉には苦労するに違いない。

 ジョヴァンニがそのほかにも伝手を辿って、交渉に難航している話は聞いている。

 必ずしも手に入れられる状況下にはなかったので、アンジェリカの大胆不敵な行動は、むしろ助け船となったはずだ。


「……アンジェリカ王女殿下は、宝物庫に忍び込んだのは、十回目だと、言いましたね」


「ああ、そうおっしゃってたな」


 相当手馴れているのだろう。あまり褒められる行いではないが、彼女の手腕を、ティムはすごいなぁ、と素直に感心していた。

 ジョヴァンニは金色の頭を抱えて、ブツブツと呪詛のように呟く。


「そのうちの九回は、〈ミュトス〉のために盗みに入っているのですよ……?」


 つまり、すべてが〈ミュトス〉を思ってのことである。

 ジョヴァンニに無理難題を吹っ掛ける、ちょっと困った王女殿下だが、案外〈ミュトス〉を重用しているんだな、とティムは意外に思った。

 先代トラヴィス・ブルーの死後、〈ミュトス〉の代替わりに大層揉めたらしい、とティムはそれとなく話に聞いている。

 何せ、当時ティムは〈ミュトス〉に入りたてで、その実情は詳しく知らなかったのだ。

 ジョヴァンニが〈ミュトス〉の親方になる決定打となったのは、アンジェリカ王女殿下の推薦であるらしい。

 ジョヴァンニが〈ミュトス〉の親方になって、長い月日が経つ。

 現状、安定とは程遠い。

 ジョヴァンニは整った眉間を指で押さえて言う。


「そのうちの九回。すべて、陛下にバレています」


「はぁ」


 自称賢いティムには、その後に続く言葉に、何となく予想がついた。


「そして、その補填を、〈ミュトス〉はすべて担っているのです」


 ここまで言えばわかるでしょう、とぼやいて、ジョヴァンニは口を閉ざした。

 ティムは〈玉瑠璃〉の資産価値を脳内でパチパチと算出する。

 途方もない金額に、うーん痛い出費だなぁ、と、ティムはやはりどこか他人ごとのように考えた。

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星葬画家と妖精の愛し子 藤宮晴 @fujimiya_hare

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