【15】〈妖精國の宮廷画家〉
「さて、今日は君のおばあさま、〈妖精國の宮廷画家〉ラファエラ・モッロの話をしないかい?」
「あたしの、おばあちゃん、ですか?」
ローザはクッキーを齧る手を止めて、首を傾げた。
オークウッド侯の〈星葬画〉を描く。そのために話をする必要がある。
だが、昨日彼は、ローザの師匠クロードの過去を語った。
そして今日は、ラファエラの話をしたいのだという。
それが彼の〈星葬画〉に必要なことか、分からない。だがオークウッド侯が求めているのであれば、従うべきだ。
それにローザ自身も、ラファエラについて興味がある。
ローザは肯定するように頷いた。
――〈妖精國の宮廷画家〉。
ローザはフォークを皿に置くと、オークウッド侯に向かって、ずいっと身を乗り出した。
「教えてください。そもそも宮廷画家って、オネスドク王室のですよね? ジョヴァンニさまも宮廷画家だって、聞きました」
いつか彼は、オネスドク王室の宮廷画家だと教えてくれた。
政の席に座らず、統治する領地も持たず。
ただ家名を持つだけの存在だと、彼は謙遜していたけれど。
「おばあちゃ……祖母は、家名を持っていないし、爵位を持っているとは……あたしが覚えていないだけかもしれませんが、たしか、聞き覚えはまったくなくて……」
ラファエラは自らが描いた〈星葬画〉に、署名を忘れることはなかった。
これは何と読むの、と興味深々に訊ねた幼いローザに、彼女は笑いながら言った。
――ラファエラ、と。わたしの名前を書いたのよ。
彼女が教えてくれたから、ローザは文字が読めなくても、『ラファエラ』という名前だけは唯一読めるようになったのだ。
『ラファエラ・モッロ』と書いたことは、一度としてなかった。
オークウッド侯はティーカップを優雅に持ちながら、教えてくれる。
「ジョヴァンニ・モローは王室より、『宮廷画家』の称号を賜った。話に聞いているだろう? 一代限りの爵位を与えられる。その手は王侯貴族のためにある。王家の秘密を守るために」
「……そこまでは、聞いて、ないです」
「〈星葬画〉を描くとき、本来であれば、ひとの魂に触れる。その時、画家は相手の魂の秘密を知ることになる。それは同時に、相手側にも筒抜けになるものだ」
魂に触れられないローザにはピンとこない話だが、画家が触れることで、画家の心中も知られてしまうものらしい。
「……画家の気持ちは、相手にも分かるんですか?」
「ああ。だから、王家の抱える秘密が部外者に漏れてしまう可能性がある。その出口を閉じるためにも、その名称は与えられるのだ。一つの抱え込みで、制約のようなものさ」
「へえ……」
ジョヴァンニはクロードに代わって、ローザに常識を教えてくれるが、まだまだ覚えることは多い。
いつだったか、自由に絵を描きたいがために、クロードは『宮廷画家』の打診を蹴ったと話に聞いたけれど。確かにその制約上、絵を描く機会は減ってしまうだろう。
「だがね、〈妖精國の宮廷画家〉とは、こちらの宮廷画家とはまるで異なる意味合いをもつ。ひとつの栄誉称号だ」
かつてのジョヴァンニもまた、『徒名のようなもの』と称していた。
「その称号は、祖母にしか与えられなかったんですか?」
それほど特別な画家だったのだろうか。
ローザからすれば、優しくて頼りになる、たったひとりの家族だった。村のみんなからも慕われていたけれど、聞けば聞くほど、それほど偉大な人間だと思えないのだ。
ローザが首を傾げて問うと、オークウッド侯は懐かしむような声色で言う。
「ああ。私が六十年生きてきて、その名を与えられたのはついぞ、彼女だけだった。その事実が彼女の異質さを際立たせているとも言える」
「オークウッド侯は、祖母について、詳しいんですか?」
「まあ、それなりには」
彼は紅茶でくちびるを湿らせると、穏やかな口調で語り始めた。
「私の知るラファエラ・モッロは、妖精画家として名が知れはじめてからになる。それ以前のことは、何も知らないんだ。彼女の生まれも、育ちもね」
それは孫であるローザでさえ知らない。
「彼女は若いころより、妖精画家としての才能を発芽させた。しかし、はじめ数年は彼女もまた平凡な画家のひとりとして数えられていた」
くすくすと、オークウッド侯は笑った。
「意外に思うかい? しかし、誰も初めから、飛びぬけた才能を持つ人間ばかりではないということだ」
ローザの脳裏には、影ながら努力を重ねるラファエラや、クロードの姿が思い浮かんだ。
初めから何でもできる人間ばかりではないことを、ローザは知っている。
ローザはラファエラほど手先が器用ではない。
けれど、花冠を編むのはローザのほうが早いし、網目もしっかりとしている。
料理だって、ローザの方が美味しくできる。
おかしいわと首を傾げるラファエラの悔しそうな顔を、ローザは今だって覚えているのだ。
「彼女の転換期となったのは、彼女が一枚の〈星葬画〉を描いたことによる。それは妖精女王の〈星葬画〉だった。この世に〈妖精画〉は数あれど、妖精を弔う画を描いたのは、彼女が初めてだった」
感慨深く口にするオークウッド侯に、ローザは驚いて聞き返した。
「妖精の女王様の、〈星葬画〉ですか?」
「ああ。題名は『さよなら私の妖精』。彼女が、まだ二十五歳の頃。そのころ私が二十歳になったばかりで、四十年前になるかな」
オークウッド侯は視線を宙へと向ける。何もない。だがその視線は、在りし日に見た〈星葬画〉を思い出すように、細められている。
「その絵を見たとき、心が震えたよ。その頃の私は絵に関する知見は殆どなくて、立場上、目にする必要があって彼女の絵と対面したのだ。噂には聞いていたが、目にするまではその評価を信じようとも思わなかった。とても、言葉に言い表せない、美しい絵だった」
オークウッド侯は長い溜息を漏らした。
「妖精の女王は棺の中で眠っていた。純白の薔薇が一面に敷き詰められて……多くの妖精たちが、彼女の魂に寄り添うよう宿る〈妖精画〉だ。私は多くの〈妖精画〉を見る機会に恵まれたが、これほど多くの妖精に愛された絵は初めて見た。後にも先にも、それが最も妖精が集った〈妖精画〉であると断定するよ」
「おばあちゃんは、妖精女王の、おともだち、だったんですか?」
ローザの素朴な質問に、オークウッド侯は重苦しく口にする。
「彼女は、その妖精女王を、生涯でもっとも愛する友人だと言った。それが事実であるか分からないが、ただ一つ言えることは、妖精女王は妖精ではなかった」
「え……?」
「妖精女王は、人間の女。つまり彼女は、〈異端画〉を描いたんだ」
(おばあちゃんが、〈異端画〉を描いた……?)
「その様子では、やはり、知らなかったのかい?」
困惑顔のオークウッド侯に問いかけられ、ローザは信じられない思いで頷いた。
知らなかった。誰も教えてくれなかった。
(クロード先生も、ジョヴァンニさまも、意図的に隠していた……?)
ラファエラのことを知りたいと思って、彼らにそれとなく聞いたことがある。
だが、二人とも口を濁していた。それは愛する祖母を亡くしたばかりのローザの心情を慮ったものだと考えていたけれど。
いつだったか、クロードはローザに訊ねた。
――ラファエラも異端の画家だったの?
クロードは知らなかったのか。いや、〈妖精國〉について調べていた彼が、知らないはずがない。
「ローザ?」
黙りこくるローザを心配してか、オークウッド侯に控えめに名を呼ばれる。
ローザはひとつ深呼吸をする。
(落ち着いて……。先生たちに何か考えがあったとしても、それはあたしを傷つけるものじゃない。だって、そういうひとたちじゃ、ない)
「侯爵様、続きをお願いできますか?」
落ち着いた声で促せば、彼は躊躇いながらも、続きを語りだす。
「それが〈異端画〉であれ、当時これほどまで妖精の祝福を受けた〈星葬画〉はなかった。いちばん優れた〈星葬画〉と評し、また彼女を〈妖精國の宮廷画家〉と持ち上げる声もある一方で、批判の声もまた大きかった」
今でさえ異端裁判にかけられるのだから、当時はより否定されたのだろう。
「ラファエラ・モッロは〈異端画〉を描いた〈悪しき獣〉の魔女と糾弾され、身内である君には言いにくいのだが……命を狙われた」
ローザは言葉を失った。
そんな過去、一度だって話してくれなかった。彼女に壮絶な人生があっただなんて。
呆然とするローザに、オークウッド侯はポツリ、と呟く。
「私もその後、彼女が生きているとは思わなかった。〈異端画〉を公表して一年足らず、彼女は表舞台から姿を消して、それから彼女の存在を耳にすることはなかったのだから」
だが、ラファエラは生きていた。戦火から逃れて、孫娘ローザとともに、田舎の村でひっそりと暮らしていた。
「彼女が亡くなって、その孫娘が『異端』と呼ばれながらも、妖精に愛される〈星葬画〉を聞いたと耳にしたときは、本当に驚いたよ」
(あたしは、何も知らない……)
愛していると言いながら、優しい祖母としての一面しか知らない。
ローザが幼い頃、〈異端画〉を描きかけて、きつく咎めたのは、過去の自分と姿を重ね合わせていたのだろうか。
(ああ、ごめんなさい……おばあちゃん……)
どんなに謝ったところで、なかったことにはできない。
それにローザは、誰に何と言われても、後悔していない。
愛する祖母の願いを裏切っても、〈異端画〉を描いたことを、間違いだと思わない。
それでも。
「ローザ。君は祖母を愛していたのだね」
「はい……」
ローザの目から、はらはらと涙の粒が零れた。
愛する祖母を思い出して涙を流すのは久しぶりのことだった。いろんな感情で、ぐちゃぐちゃになって、痛くて、苦しくて、堪らない。
そして、会いたい。
「おばあちゃん、おばあちゃん、会いたいよぉ、会いたいよぉ……」
嗚咽をこぼすローザの顔をハンカチで拭きながら、オークウッド侯は穏やかな声色で言う。
「私も祖母が大好きで、愛していた。そして君のように、少年時代に彼女を亡くしている」
涙で歪む視界で、オークウッド侯は寂しげな微笑みを浮かべていた。
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