【14】弟子だってたまにはやり返したい
「ルイ・ハスケルと何を話したの?」
「えっ」
宿屋の部屋のベッドの上で、横に寝るクロードに、ローザは問い詰められる。
昨日に続けて〈妖精國〉の話をしてあげるとクロードに言われ、断り切れなかったのだ。
しかし、彼は〈妖精國〉の話をせずに、切り出したのである。
「し、仕事の話、です。オークウッド侯爵様の、こととか……」
ローザが下手に言い繕うと、クロードは疑うような視線を向ける。
「ローザ。おまえは、嘘をつくのが下手だね。すぐに顔に出る」
「えっ、そうなんですか!?」
そんなに分かりやすいのか。
ローザが不安そうに顔をペタペタと触れば、クロードはくすり、と笑ってその手首を掴む。
「うん。教えて。僕には言えないような話をしていたの?」
まるで不貞を犯した妻を問い詰めるような夫であった。
ローザは確かに、嘘をつくのが上手ではない。
嘘をつくと、心臓が掴まれるような痛みを覚えるから。
それにクロードの美しい金色の瞳は、ローザの心の底もすべて見透かしてしまいそうで。
だからローザは、洗いざらい話すことにした。
「そう。ルイ・ハスケルは僕のことを、勝手に話したんだね」
事のあらましを聞き終えたクロードは、溜息まじりにぼやいた。
クロードは裏でコソコソと言われるのが大嫌い、と公言している。
気を悪くしただろう。ローザはビクビクとしていたが、クロードはくちびるを尖らせて言った。
「彼に聞かなくとも、僕のことは、僕自身がローザに教えてあげるよ」
「えっ?」
「すべて教えてあげる。ローザ。おまえだけに許すよ。誰も知らない、僕のこと。ねえ、何が知りたいの? 教えてあげる」
その声は蕩けるように甘いて、うっかり勘違いしてしまいそうだ。
ローザがまるで、特別扱いされているように。
ローザが困惑で固まっていると、クロードが手を伸ばしてきた。
またローザの顔をこねくりまわし始めたのだ。
「ローザ。僕の妖精。可愛い顔で、何を教えて欲しいって、強請るの?」
ローザはくちびるをわななかせた。
「せっ、せん」
「うん?」
「先生ばっかり、ずるい、ですっ!」
ローザの感情が爆発した。
「え?」
突然怒り出した弟子に驚いたのだろう。クロードは目を丸くしている。
「あたしだって、先生の顔、好きです! 大好きです! だから、あたしだって、触る権利があると思います!」
勢いのままに、言い切った。
(いってやった! いってやった! いってやった!)
ずっと考えていたことだ。
彼がローザの顔や表情を好き、と言うように、ローザだって彼の顔が好きだ。
「先生は知らないと思うけど、笑うとき、目じりが下がるんです。そうすると柔らかい印象になってふわってした感じになるんです。あと、ジョヴァンニさまと言い争うとき、頬を膨らませるのも、こどもっぽくて可愛いんです。絵を描く時、夢中になって、真剣な眼差しになっているのも、おばあちゃんみたいでかっこいいんです。普段はだらしない格好をしているのも似合ってるんですけど、たまに着飾ると『妖精の騎士』さまみたいで、見惚れちゃうくらい素敵なんです。あと、度胸があって、頼もしいところも。あたしを信じて、そっと背中を押してくれるところも。臆病なあたしの手を引っ張ってくれる、手の暖かさも。歩く時、迷子にならないように手を繋いでくれるところとか、本当は早足なのに、あたしに合わせてくれるところとか、視線を合わせて話してくれるところとか、あたしの髪を綺麗に整える優しい指先とか、意外と食いしん坊なところとか、歌声が綺麗なところとか、可愛いって言ってくれる声が優しいところとか、とにかく、ぜんぶぜんぶ、ひっくるめて、大好きなんですっ」
ローザに言われて初めて、自分がどんな恥ずかしいことを言ったりしていたか、彼もようやく行動を顧みるに違いない。
ローザは満足感から、むふーと鼻息を荒くする。
「そう、だったんだ……」
呆然とした顔のクロードを目にして、ようやく分かってくれたかとローザは胸を撫で下ろす。
「ローザ。おまえは僕のことが、大好きなんだね」
「…………えっ?」
「そうか。嬉しいな。『綺麗な顔立ちをしている』はもうすっかり聞き飽きたけど、顔が好きっていったのはおまえが初めてだし、僕が知らない僕を教えてくれたのも、初めて」
彼はあどけなく笑うと、続けた。
「気づいてあげられなくて、ごめん。おまえも僕のこと、触りたかったんだね」
そういうと、彼はローザの手首を握り、頬に触れされた。
「ほら、好きにして?」
(こ、こんな展開、予想してないよぉ!?)
急展開に、ローザは混乱した。震える指先が、彼の頬を掠めた。
じれったそうにクロードは訊ねる。
「この姿勢だと、触りづらい?」
それなら、と彼は躰を仰向けにして、ローザの腰を掴むと、腹に座らせた。
「ひぃっ!」
「ほら存分に触るといいよ。ローザに見下ろされるのって、新鮮で、楽しいな」
ローザは全然楽しくない。
腰を浮かしかけると、彼は危ないと言って、拘束を強くした。
「どきます、どきます! お、おなかにのっけて、重いです、よね……?」
村にいた頃は痩せすぎていたと思うが、最近、腹をつまむと肉が余るのが気になっていた。ローザも年頃の乙女なのである。
「うん。ちょっと重いかも」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
「嘘だよ。ローザは軽い。妖精みたい。羽が生えていたら、ふわっと飛んでいきそうだね」
冗談めかして言う。その笑顔はやけにあだめいていた。
(どどど、どうしよう、どうしよう……)
青ざめたローザの脳内には、様々な思惑が入り乱れていた。
まず、こんなことジョヴァンニに知られたら、大変なことになる。
ジョヴァンニはクロードに対して過保護だ。辛辣そうに見えて、実際は溺愛しているといってもよい。
その愛する弟弟子クロードの、弟子になったばかりの少女が、一緒のベッドに寝て、馬乗りになったなんて耳に入ったら――。
「うちの大切な弟弟子に何をするんです?」と冷酷な微笑みを浮かべて家から叩きだし、破門にするに違いない。それだけで済むかも分からない。
最悪の未来を想像して、ローザは泣きそうな声で懇願した。
「あの、先生っ、このことは、誰にも、言わないで、くださいっ……!」
「なんで?」
「お、お願いですぅぅぅ」
「ローザのお願いなら、いいよ」
それから彼は、イタズラっ子のような笑みを浮かべて言った。
「ふたりきりの秘密って、なんだかゾクゾクするね」
ゾクゾクどころか、ローザの心臓は止まりそうである。
この人は貞操観念というものがないのか、とローザは内心不安に思う。
ローザはにわかに心配になって、口にした。こどもに教えるような、親の気分である。
「あの、先生? こういうことは、簡単に許しちゃ、だめですよ」
「誰にでも触らせないよ。ほかならぬ、ローザだからね」
「えっ?」
「顔が好きって言ってくれる弟子の頼みを、師匠は断れないよ」
ローザは思わず無言になった。
つまり彼は、弟子で、顔が好きと褒めちぎれば、簡単に触らせてくれるのだろう。
だったら触ってもいいか、とローザは思い始めていた。
「……触り、ますね」
「うん」
クロードの金色の瞳が、キラキラと期待に輝いて、ローザを見つめる。
(や、やりにくい……)
目を閉じてくれと頼むと、「ローザが言うなら」と渋々といった様子で瞼を閉じる。
まじまじと眺めながら、綺麗な顔をしている、とローザは改めて感心した。
おっかなびっくり手を伸ばすと、彼はくすぐったそうに身じろいだ。
「ごっ、ごめんなさい!」
慌てて手を放すと、クロードはくちびるを緩めた。
「ううん。続けて?」
クロードに促され、ローザは慎重に彼の顔に触れた。
作り物めいて見えるけれど、触ると確かに温かくて、彼の生を実感する。
眉は細く、かたちよく整っている。流れに沿うように、ローザは指を滑らせた。
髪と同じ、銀色の睫毛は長く、緩くカーブを描いている。
鼻は高く、頬に影を落とす。頬から顎にかけてのラインは、どこから眺めても、芸術品のように美しい。
食生活は改善されてきたが、夜遅くまで起きがちな彼の肌は意外とすべすべで、滑らかだ。
産毛の一本一本を確かめるように。肌をなぞる。
彼の顔かたちを、指先で覚えるように。
最初は恥ずかしくて仕方がなかったが、いつしかローザは夢中になっていた。
(先生の顔、本当に綺麗だなぁ……。好き、だなぁ……)
クロードがローザの顔を触りたがる気持ちが、なんとなく理解できるような気がする。
ずっと触っていたい。叶うことなら、永遠に。
(あたしって、本当に、悪い妖精みたい……)
ローザが密かに溜息をこぼすと、すう、と寝息が聞こえる。
ローザは目を瞬かせた。
クロードはいつの間にか、すやすやと眠っていたのだ。
繊細な顔つきに反して、こんな状況で寝られるのだ。豪胆な心臓の持ち主である。
唖然としながら、ローザはくすりと笑ってしまった。
(ううん、先生らしいや)
クロードの手はだらりとベッドの上に落とされていた。
ローザはそっと腰を浮かして、悩んだ末に、彼の隣に横たわる。
安心しきった顔で眠る彼は、悪夢なんて、見ないだろうけれど。
ローザはたまに、クロードが子守唄を歌ってくれる夢を見る。
夢を見た日は、とても幸福な気持ちで朝を迎えるのだ。
ローザは歌い慣れない子守唄を口にする。
「温かいミルクに、蜂蜜を一匙。あなたのこころがあたたかくなったら、おやすみ、妖精。わたしの、妖精……」
歌い終えて、ローザは長く迷った末、クロードの額に軽く口づけた。
(別に、変じゃない、変じゃないよね……! だって子守唄を歌ったら、おばあちゃん、最後にそうしてたし! そう、これはおまじないみたいなものだもん……!)
決して卑しい気持ちはないと言い聞かせながら、ローザはいそいそと眠りにつく。
「……おやすみ、僕の妖精」
眠りに落ちるまどろみの中、誰かの優しい声が聞こえた、そんな気がした。
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