【13】クロード・スノウ
「侯爵様は、どうして……」
ローザはぎゅっと膝のスカートを握る。『お城』で寂しげに語る、クロードの姿は脳裏にこびりついていた。
「クロード先生と血縁関係だって、ジョヴァンニさまから聞きました。どうして、当時両親を亡くしたばかりの幼い先生を、引き取ってくれなかったんですか?」
「その質問をされるのは、初めてだ。クロード張本人も、彼を引き取ったトラヴィス・ブルーも、兄弟子であるジョヴァンニ・モローも、面と向かって私に問いただすことは今までになかったからね」
オークウッド侯は微笑んだ。彼はいつも優しく微笑んでいるひとだ。
けれど、その時の彼の表情にはどこか憂いが含まれているように思えた。
「仮定の話をしたところでもはや意味をなさないし、起きてしまった過去は覆らない。ひとりの孤独な少年の養父にはなれないのだ。だが仮にだ、私がただのルイであれば、彼を引き取った、その可能性はあっただろうね」
オークウッド侯は憂鬱そうに溜息をこぼす。
「私には配偶者がいないし、愛人もいない。だから、私の兄弟の子がオークウッドの爵位を継承することになっている。そんな状況で、彼を引き取り養子としていたら、どうなることだろうね?」
これはさすがにローザでも理解できた。
「先生が、オークウッド侯爵家を継ぐか、問題が起きる……?」
「そう」
オークウッド侯は頷いた。
「家督問題が出てくれば、もう私とクロードだけの話ではすまなくなってくる。言い訳じみているが、私にとってもある種、悩ましい選択だったのだ」
オークウッド侯は母方の叔父と聞いている。
彼よりも近しい縁者はいくらでもいるはずだ。
「……侯爵様以外に、親族の方はいたんですよね?」
『お姫様』にも家族はいたはずだ。どうして彼らはみな、男の子に手を差し伸べてくれなかったのだろう?
オークウッド侯の言った通り、過去のことをあれこれと考えてもしかたがないことは、ローザは理解している。
感情的になって、誰かに怒りをぶつけてもクロードが傷ついたことがなかったことにはならないのだ。
それでも、幼い男の子の姿を思い浮かべたとき、何とかして、手を差し伸べられなかっただろうかとローザは思ってしまう。
「畏れ、だよ」
オークウッド侯は気難しい顔をしながら、話を続ける。
「もともと、クロードと彼の母親の存在は疎まれていたんだ。ふたりを愛していたのは、クライブ。クロードの父と、当時のスノウ伯爵とその夫人、つまりの父方の祖父母しかいない。そしてクライブの兄は、クロードと彼の母親を憎んでいる」
ローザは息を呑んだ。どうして、と言葉を継ぐよりも、ハスケルは先んじて口を開く。
「あの凄惨な事件が起こってすべてが変わった。弟と両親の命が失われたのだ。もともと、クロードの母を疎んでいた現スノウ伯爵は、愛する家族を奪われたことで、その怒りの矛先を何も知らず、ひとり帰ってきたクロードへと向けた」
「悪いのは……先生の家族を襲った、強盗じゃないですか……」
「そうだ。それは、皆分かっている。だが、その強盗も行方知れず。現スノウ伯爵は、今でもクロードの母こそが元凶と信じて疑わない。彼女が『呪いの姫君』と」
「『呪いの姫君』?」
ローザは眉をひそめた。ハスケルは指を組み、重々しく口を開いた。
「彼の母親は、隣国の現王の妹なのだ。スエニフィラフ南大国の第二王女フェリシー・フィケ・スエニフィラフ」
「えっ? お、王女様っ!?」
ローザは思いがけず目を見開いた。
あの日、クロードなりの冗談だと思って聞き流してしまったが、お姫様であることは比喩ではなく、事実だったのだ。
ローザが驚いて声を上げると、オークウッド侯はおや、と片眉を上げる。
「君のその様子を見るに、彼が王族の血筋であることは知らなかったのかな?」
「いえ、以前先生が話してくれました。でも……」
ローザは口ごもる。
「お姫様、のことは、最初オネスドク王室のことだと思って……。わたしは話半分に聞き流してしまいました……」
「私の妹が、スエニフィラフ前国王の側妃となった。美しいと評判の妹で、国王の目に留まったらしい。正妃は子が望めず、彼女の産んだ息子は現王となった」
つまり、オークウッド侯はスエニフィラフ国王の叔父でもあるらしい。
ローザは今、とんでもなく偉いひとを目の前にしているのだ。
「当時、クロードの父親クライヴと母親フェリシーの婚姻は秘密裏に行われた。これは、フェリシーがある種の傷物だったことがひとつの原因ともいえる」
「傷物?」
「フェリシーは本来、ジニオカペラ神王国の神官長と〈契約〉を結ぶつもりだった。君は、ジニオカペラ神王国について、どれほど知っているかな?」
ローザは首を振る。名前だけはかろうじて知っている程度だ。
スエニフィラフ南王国を挟んで、反対側にある国。
なるほど、と頷いたオークウッド侯、丁寧に説明してくれる。
「ジニオカペラ神王国はニル神を崇拝する、非常に敬虔な徒の多い歴史ある国だ。ジニオカペラ各地には、ニル神に所縁の地も多く、それぞれに神殿が建てられている。すべてで八つだったかな。そして神子と呼ばれる、神の寵愛を受けた神秘の力を持つ者たちがいる」
「それって、特別な魔術が使えるってことですか?」
ローザは魔術が使えないが、ラファエラが教えてくれたので、少しは知っている。魔力というものを使って、火や風を起こしたり、水を生み出したりすることができる、すごい力なのだという。
ローザの質問に、オークウッド侯は頷くと続けた。
「そう。彼らは〈奇蹟〉と呼ばれる法術が使える。五十年前、ジニオカペラの半島で、感染症が広まった。致死率が高く治療法がない。それこそ神に祈る以外には何もできない有様で、島の九割強の住民が命を落としたという。その病が広まるのを阻止したのが、当時の神子たちだと言われている」
オークウッド侯はそれが神子たちの異能のおかげだと信じてはいない口ぶりだった。
だが、他国の事情に口出しはするつもりはないようで、長く続けなかった。
「それ以来、ジニオカペラ王家や元老院よりも、神殿と神子たちが力を持つようになった。スエニフィラフ南大国としても、いわくは不確かでも、聖なる力を持つ人間と協力関係を結ぶことを望んだのだよ」
神殿としても、隣国の王家とつながりが持てれば、よりさらに地盤が強固になるだろうと考えたのだろう。なるほど、両者にメリットしかない婚姻だ。
「その橋渡しとして、フェリシーが選ばれた。年齢的には釣り合いがとれた、グラシエ神殿の長の子を、彼女は産むために、〈契約〉を結ぶことために」
〈契約〉。オークウッド侯が繰り返すその言葉に、ローザは嫌なものを感じた。
「その、ジニオカペラの神官は、結婚が許されたのですか?」
ローザが訊ねると、オークウッド侯は首を振って否定する。
「神子たちは婚姻が許されていないが、その異能は子に引き継がれる。そのため、彼らの才を次世代に残すために要する母体、彼らいわく、苗床が存在する。神子と苗床は子を残すためのつがいであり、それ以外に何もない」
話を聞いて、ローザはひどい嫌悪感を覚えた。
「そんな、こどもを生むためだけに必要とされたってことですか?」
「その約定はフェリシーが生まれた頃より、決定されていたのだよ。スエニフィラフ南大国は四方を国に囲まれている。建国からずっと戦争を繰り返してきた。島国であるオネスドクにはない悩みを抱えているのだ」
ローザは口を噤んだ。ローザは戦火から逃れて、オネスドク古王国に来たらしい。
つまりもとはオネスドク古王国の人間ではないのだ。
「十五年前……スエニフィラフ南王国はどこかと戦争をしていたのですか?」
オークウッド侯はまじまじとローザの顔を見た。どうしてそんなことを聞くのか、疑問に思ったらしい。
「あたしが生まれたとき、おばあちゃん……祖母はあたしを連れて、オネスドクの村に逃げ込んだんです。どこから逃げてきたかは言わなかったけれど、村長さんたちもよく、『戦争が起きたら、隣国から逃げてくる人間が多い』と言っていました。だから、あたしもスエニフィラフの生まれなのかなって」
もしかしたら両親もその戦で……。ローザはくちびるを噛みしめた。
「ああ……」
ハスケルはローザの考えを察したのか、不憫そうな声色で言った。
「ちょうど、戦争の只中だった。その戦争の引き金となったのも、ある種フェリシーと言えよう。疑問に思わなかったかい? 外国の王女様フェリシーは、オネスドクの貴族の次男に嫁いだ。そして、クロードを産んだ」
よく考えてみればそうだ。ローザはぎこちなく頷いた。
「フェリシーが嫁ぐ前に、火種が生まれた。当時、スエニフィラフ王室には王位継承権の高い子が生まれてね。和平の記念にと、ジニオカペラの神子が特別な祈りを捧げた。だが、その数日後に子は亡くなった。亡くなった子の母親はフェリシーのひとつ上の姉だった」
「神殿が何か、悪さをしていたんですか?」
オークウッド侯は分からない、というように首を横に振る。
「どうだろう。だが、結果としてフェリシーの結婚はとうぜん白紙になった。しかしフェリシーは生まれる前から、ジニオカペラに嫁ぐことが決まっていたような娘で、そのような子が嫁ぐ先はなかった。自らの甥を亡くした、いわくつきの女性だ。王室は持て余したが、誰も受け入れる先は無い。あるとすれば、海を隔てた先の外国、つまりオネスドク古王国だった」
そうして彼女は、小さなお城へと移ったのだ。
「まだ、戦争は続いているんですか」
ローザは顔を曇らせた。隣の国のことなのに、ローザはあまりにも何もしらない。
オークウッド侯はローザを安心させるように、穏やかな声で言った。
「今から十年前に、戦争は終結したよ。ジニオカペラ神王国は王室と神殿とで内紛を起こしていたのも、勝敗の決め手となったか。スエニフィラフ南王国に莫大な慰謝料を払うことで両国ともに合意している」
ローザはほっとした。戦いでひとが死ぬのは悲しいことだ。
「私の姪は哀れな子だよ。フェリシー。生まれる前から、己の命が定められていた。彼女の躰は、心は、しかし彼女のものではなかった。私の知っているフェリシーは綺麗な顔をした、人形のような娘だったんだ。嫁ぎ先で愛された、それもつかの間の幸福だった」
「……」
「可哀想なフェリシー。彼女を愛したクライヴと、義理の父母とともに、惨殺されている。そして愛する息子は〈妖精國〉に攫われて、一年後にふらりと姿を現した」
静かに耳を傾けるローザに、オークウッド侯は続ける。
「クライブの家にあった、特に絵画の類はすべて没収された。価値あるものだったから、王家で預かることになったんだよ。しかしある晩、王権の宝物庫で、ぼや騒ぎが起きた。明るい光と、黒い煙と、そして、何かから逃げるように飛び立つ妖精たち。駆け付けた衛兵たちは驚いた。一枚の燃える絵画の下に意識を失って倒れているのは、ほんのこどもだった」
それがクロードだったのだろう。
「燃える絵画――それは美しい湖の絵画だったという」
ローザは躰をブルリ、と震わせた。
少年がお気に入りだった〈妖精画〉。
雨の日に一日眺めていられるような。
楽しげに湖の絵画を向かい合う男の子の姿が、脳裏に浮かぶ。
(まさか、それって……)
ローザが口を開きかけたとき、クロードがちょうど、応接間に戻ってくる。
抱いた疑念を、ローザは口にすることができなかった。
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