【12】古城の主

 ローザとクロードは翌日から、オークウッド侯の古城に通い詰めることになった。

 当初、オークウッド侯から客人として逗留の提案があったのだ。宿や食事への負担も考慮したらしい。

 しかし、クロードはその申し出を断った。


「僕は天蓋付きのベッドだと眠れない。宿の固いベッドくらいが、ちょうどいいよ」


 ローザはちょっとだけ、もったいないなぁと思った。

 オークウッド侯の古城はいかにも〈妖精國〉に出てくるような趣のある城で、天蓋付きのベッドはローザの幼い頃からの、憧れでもあったのだ。

 けれど、今にして思えば、正しい判断だった。

 まさか師匠と弟子が寝所を共にしたと知られたら。クロードは平気かもしれないが、ローザはもう、お嫁にはいけないだろう。

 絶対に口外しないでください、とクロードにはきつく口留めしたが、あまりよく分かっていない顔をするクロードに、ローザは心配しかなかった。


 ***


 オークウッドの古城は、建城され悠に三百年は経っているという。

 過去幾度か大掛かりな修繕がされていると聞くが、景観を損なわない程度に手が入れられているのだろう。

 外装も内装も重ねた歴史を感じさせる厳かさがあり、調度品も古めかしく、珍しい。

 妖精も好むのか、応接間に向かう道中、壺や手すりに腰かけたり、眠ったりする姿を見つけられる。


(すごい、すごい! まるで、妖精女王のお城に、迷い込んだみたい!)


 ローザは浮足立つ声音を隠せず、隣を歩くクロードにコッソリと話しかける。


「先生っ、オークウッド侯のお城、面白いものでいっぱいですね……!」


「そうだね」


 クロードも同じように感じているらしい。ローザのようにきょろきょろと顔を動かしはしないけれど、彼の視線は好奇心で、一際輝いているように見えた。

 応接間に着くと、にこやかな笑顔を浮かべたオークウッド侯に出迎えられる。

 オークウッド侯は、背筋をピン、と伸ばし、礼儀正しく座っている。

 対するクロードは、太々しく足を組んで、どっしりと構えるように座った。

 これではどちらが城主か分からないな、とローザが密かに呆れていると、クロードが言う。


「ねぇ、ルイ・ハスケル。ここ、いい城だね」


 クロードの素直な称賛は礼に欠いていたが、オークウッド侯は親しみのある、気さくな笑顔を浮かべて提案した。


「宿から移りたくなったら、いつでも言っておくれ。歓迎するよ」


「それは嫌。こんな掃除が大変そうなところに、住む人間の気がしれない」


「せっ、せっ、先生!?」


 初っ端から、なんて失礼なことを口走るのだろう。

 いっそこの口を塞いでいたほうがいいのではないかと、ローザが手を伸ばすと、オークウッド侯は「そうなんだよ」と相槌を打った。


「この古城は訪問した誰もが素晴らしいと手放しに称賛する。私も誇らしく、鼻が高い。欠点は、城の景観を美しく保つために、多くの使用人を雇わなければならないという点だな」


「ふうん。ジョヴァンニも似たようなことを言ってた。『人件費と資産税が高すぎます。どうせ〈ミュトス〉に住んでいるものですし、いっそのこと我が館を手放してしまいましょうか』って。金持ちには金持ちなりの、悩みがあるんだね」


 身内の事情をペラペラと話すクロードに、オークウッド侯は困り顔で同意した。


「そうだよ。まあ、ジョヴァンニ殿も、冗談で君に言ったのだろう」


「ジョヴァンニ先生が〈ミュトス〉に顔を出さない日は、あたしが弟子入りしてから数えるほどもないわ。あれほど仕事熱心な人もいないわよね」と、いつだったか呆れたように言ったベティの顔を思い出し、あながち冗談ではないかもしれない、とローザは密かに思った。


「その悩みもいいかと思えるほどに、私はこの城に思い入れがあるんだ」


「ふうん。なるほどね」


 クロードはイマイチ分かっていないような顔で頷いた。追及するほど、彼の心情に寄り添うつもりはないらしい。


「さて、本題に入ろう」


 オークウッド侯もさっくりと話を終わらせて切り出した。


「絵を描くために、ローザには私のことを知ってもらわねば。クロード。君には、席を外してもらいたい」


 これにはクロードも予想外だったのか。不機嫌そうな声色を隠さずに言う。


「なぜ? ここに僕がいては、不都合でもあるの?」


「ああ。絵を描くのはローザだ。私のことを知るのは彼女だけでいい。私は恥ずかしがりだから、あまりみだりに、『心』を見せたくはないのだよ」


「……分かった」


 不承不承といった様子ながらも、クロードはあっさりと素直に頷く。

 ローザは内心、焦っていた。


(えっ、先生、いなくなっちゃうの!? オークウッド侯爵様と、ふたりっきりになるの!?)


 慣れない場所に、会ってまだ二回目の依頼人。

 とてもではないが、ローザの拙い話術で乗り切れると思えない。

 どうにか理由をつけて食い下がってくれないものかと、ローザが縋る視線をジョヴァンニへと向けると、クロードはキリっとした顔と声で言う。


「忘れてしまった? 依頼人の前で、自信のない様子を見せては、ならない」


「あっ……」


 ローザがハッとしたように瞼を瞬かせると、彼はローザの両手を包み込むように握り、語りかけた。


「大丈夫。ローザ。おまえにならできる。僕は、誰よりも信じているからね」


 そうだ。彼はいつだって、ローザを疑うことなく、信じてくれた。

 彼の言葉が、視線が、ローザに勇気を与えてくれる。


「……はいっ、クロード先生! あたし、やる! やれます!」


「そう」


 それから、クロードは口元を緩めると、誰にともなく言った。


「ローザの頼れる友人。何かあったら知らせておくれ」


「友人?」


 ローザは眉を潜める。

 ローザはきょろきょろと周りを見渡すが、ここにいるのは、クロードとオークウッド侯。それから部屋の隅に佇む執事くらいで、他に頼れそうな人間はいない。

 何故か、笑いを噛み殺すオークウッド侯と目が合ったけれど。


「ルイ・ハスケル」


 クロードはローザから手を放すと、オークウッド侯への頼みを口にする。


「待っている間の時間つぶしに、おまえの蒐集物を見せてよ。弟子を残して、ひとりで宿に戻るわけにもいかないからね」


「かまわんよ」


 とてもではないが、侯爵に対しての口の利き方ではなかった。

 今度こそこの温厚な侯爵さまもクロードを叩きだすのでは……、と内心ローザはハラハラしたが、オークウッド侯はローザの予想を超えて、温厚な人間だった。

 彼は鷹揚に頷くと、執事にクロードを案内するよう、命じた。


 ***


 そしてクロードはいなくなってしまった。

 沈黙が辛い。何か話さなければと思うのに、どう切り出せばいいのだろう。

 ローザが所在なくモジモジしていると、オークウッド侯はにこやかな笑顔で言う。


「ローザ。そう緊張しないでおくれ。お茶と菓子を用意したから、食べながらこの老人とのおしゃべりに付き合ってくれるかい?」


「あっ、はい……」


 気を遣わせてしまった。ローザは遠慮がちにクッキーに手を伸ばして、齧る。

 そして目を輝かせた。

 使用人によって出されたお菓子は、ふだん口にするものとはまるで違う。

 温かい紅茶には牛の乳を入れて飲む。まろやかで薫り高い。

 出された茶菓子も、果物をたっぷりと使ったケーキや、型抜きにも拘りがあるクッキー。菫の砂糖漬けなんて、初めて食べた。


「気に入ってくれたかい?」


 人の良い笑顔を浮かべたハスケル侯爵に聞かれ、ローザはそのとき初めて、仕事を忘れお菓子を食べることに夢中だったと気づく。

 ローザはフォークを右手で握ったまま、コクコクと首を頷かせる。


「おっ、おいしいです……。このケーキ、宝石のようで食べるのがもったいないと思っていたのに、果物が甘くて、瑞々しくて……。クッキーも口に入れると、さくさくの触感で、香りも良くてっ」


 思い出すだけでもうっとりとしてしまう。

 早口で捲し立てると、オークウッド侯はくすくすと笑いだす。ローザは顔を赤くして、モゴモゴと言い訳する。


「……ごめんなさい。お菓子に夢中になって。あたし、お菓子に目が無くて、その、お話を聞こうと思ったのに」


「客人に美味しいと喜んでもらえたら、それを作ったのは私ではなくとも、嬉しく思うよ。当家の料理人たちにも伝えておこう。可愛らしいお客人に褒められたのであれば、とても光栄だろうね」


 オークウッド侯は控えていた使用人に、「手持たせてやれ」と指示を出す。

 オークウッド侯に声をかけられた使用人も、笑みを堪えているように見えた。田舎者の卑しい客人と思われただろうか。

 ローザは慌てて、「大丈夫です」と断りを入れた。


「そうか。だが、君の先生は食べていないだろう? 戻ってきたら、菓子を前に談笑するような人間なのかね?」


 オークウッド侯は苦笑する。

 ローザはその言葉にハッとした。確かに、クロードの食べる分を考えてはいなかった。

 気を遣わせてばかりいる。

 ローザがしゅんとしていると、彼は表情を和らげた。


「ほら、見てごらんなさい。妖精がいる」


 ローザの食べ残した菓子の皿に、淡い光が、妖精が集っている。

 掌ほどの大きさの男の子だ。金髪をさらりとなびかせて、葡萄色の瞳はキラキラと輝いている。

 甘い香りに誘われたのだろうか。だが、彼らが口にするには大きすぎる。

 オークウッド侯は白い手袋を脱ぎ捨てると、クッキーの一枚を手で小さく割って、それから皿に乗せてやる。すると彼らは、小さな欠片を食べ始めた。

 ローザと同じく、夢中になっているのだろう。幸せそうに笑みを浮かべいた。ローザもつられて笑顔になる。


「妖精にも認められた菓子だ。当家の料理人も鼻が高いだろうね」


「オークウッド侯は、妖精が目に見えるのですか?」


 妖精は見える人間と見えない人間に分けられる。

 どうして、そのように違えるか理由はわからない。

 村の人間たちは妖精が見えた。だが、街の人間たちは妖精を見ることのできないほうが多数派なのだと気づいたのは、つい最近のことだ。


「見えるよ。彼らは人間のよき隣人であり、友だ」


「オークウッド侯は、妖精のともだちを大切にしているんですね」


 ローザの言葉に、オークウッド侯はくしゃり、と柔らかな笑みを浮かべる。


「そう! ともだちだからね。私は妖精が好きだよ」


 口元の皺が深くなる笑みを見ると、ラファエラを懐かしく思う。

 妖精が好きな人に、悪い人はいないと、ラファエラが言っていた。

 だからオークウッド侯は良いひとだとローザが思っていると、彼は口にする。


「クロードは、自由きままで、まるで妖精のような男の子だね」


「〈妖精の愛し子〉……」


 ローザが呟くと、ハスケルは意外そうに眉をあげた。


「ほう。君もその所以を、知っているのだね」


「はい……」


 〈妖精國〉に連れ去られて、人間の国に戻った男の子は、妖精に愛される容姿に変貌を遂げた。ローザはそっと目を伏せる。

 妖精に愛されたとされる男の子は、人間に受け入れられることはなかった。そして、オークウッド侯もまた、彼を拒絶したひとりだ。彼と血の繋がりがありながら。


「ローザ。私とクロードの関係性は知っているね」


 ローザの心臓が跳ねる。オークウッド侯の言葉は、まるでローザの心を見透かしたかのように思えた。

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