第37話 一本締めにて


 結局、姫は海潮を選ばなかった。


 海潮の告白は、見事に玉砕したのである。


 家のためなのか。はたまた、海潮に対する思いなどはとっくに消えていたのか。


 姫は狐狸貂猫の四家と特別に認められた海潮に見送られ、山王蔵ノ主と共に天上へと消えていった。慎ましく、それでいて普段の姫の笑顔のままに神婚の儀を執り行っていたと欅たちから聞かされた。


 その時の様子も姫の真情も、海潮の心情も小生には勝手に想像する事しか出来ない。


 二人には結ばれて欲しかった。これは小生の本心だ。けれども、これで良かったとも思えるのは何故だろうか。


 この二週間、心の整理をしていたのは海潮だけではないのだ。欅も雁ノ丞も青鹿でさえも、名前を知らない感情の置き所を探していた。ひょっとしたら、空の上では姫も考え込んでいるかもしれない。


「当事者でないから」と言われればそれまでなのだが、小生は妙に今回の騒動の結末に納得してしまっていた。


 そういえば、鶴子は一体どんな事を考えたのだろう。もしくは、騒動の後片付けに追われ、感傷に浸る暇など一切なかったのかも知れない。話をしてみたい、と誘ってみたら応じてくれるだろうか。先々週までなら絶対に芽生えなかったであろう考えに、自分で可笑しくなった。


 当の鶴子は心配そうに何かをじっと見ている。その目線を追って小生も驚いた。海潮が見たこともないペースで酒を飲み、見たこともないくらいに顔を真っ赤にしていた。


「おい、海潮。大丈夫か」

「酒を飲むと魂が神様に近づけるらしいよぉ」

「良く言う話だよな」


 完全に出来上がっている海潮は、立ち上がって御社の方へと歩き出した。


「折角だから風梨さんも飲んでもらおう」

「そこは姫を祀ってはいないんだよ」

「社なら何かしらで繋がってるだろう」


 呂律も回らず、実に酔っ払いらしいことをやり始めた。


 海潮は、


「これを収めよう」


と言って、自分が持ってきた一升瓶を神前に供えた。


「やめろ、勿体ない」

「また今度持ってくるから堅い事いうなって」

「面白そうだから海潮の好きなようにさせましょう」

「さすが欅。いい事言う」


 海潮はケタケタと笑った。ここまで酒が回ると笑い上戸になるという事を初めて知った。


「そりゃどうも」

「ちょいと場所をお借りします」


 義理堅く賽銭まで入れると柏手を打った。一間、黙って祈っていたが目を開けるとその恰好のままどこか遠い目をした。


「そう言えば、キチンとおめでとうって言えなかったな」


 海潮は再び目を瞑り、今度は謡うように祝詞を唱え出した。


「高天原に神留坐す、神漏岐、神漏美の命以ちて皇親神伊邪那岐の大神、筑紫日向の橘の小門の阿波岐原に、禊祓い給う時に生坐せる祓戸の大神等、諸々禍事罪穢を、祓へ給い清め給え申す事の由を、天神地神、八百万神等共に天の斑駒の耳振立て聞食せと、畏み畏み白す」


 酔っているくせにつらつらと淀みなく、それを唱える海潮を見て小生はまた驚いた。寧ろ一年足らずの仲間付き合いと考えれば、知らない面の方が遥かに多いのだろう。


 祝詞を上げ終わると、黙って頭を下げた。海潮に付いていた得も言われぬ気配は剥がれ落ちた様な気がした。そして今度は海潮の隣にまとまり、共に車座に加わってきたように思えてならなかった。


 それからの海潮は絡み酒になった。初めの内は付き合って酒を飲み交わしていたのだが、その内全員が慣れぬ海潮の対応にうんざりしていた。


 それでも鶴子だけは甲斐甲斐しく相手をしていた。


 改めて思う。鶴子はお堅いのではなく、単に人間の世話を焼くのが好きなだけなのだろう。姫の想い人だった男の恋路を致し方なしとはいえ邪魔だてしていた事も何かを感じているのかも知れない。


 鶴子とは今後は上手く付き合って行けると、漠然と思った。もう小生は、誰かの為に動くのを馬鹿馬鹿しいと笑いはしない。


 やがて、飲みきれないと思っていた程に用意した酒は全てなくなった。その半分近くを平らげた海潮は絵に描いたように潰れている。


 そのまま寝かせて、残った狐狸貂猫たちはいそいそと後片付けを始めた。


「さ、お開きにしよう」

「なあ、みんな。本当にありがとう」


 寝言かどうかも分からない海潮のその言葉に、小生らは思わず笑ってしまった。


「最後はどうする? 一本締め?」

「そいつはいいねえ」

「海潮、立てるか?」

「当たり前だ」


 とは嘯いたものの、海潮はよろけて倒れそうになった。


 傍にいた鶴子と欅が慌てて助けていた。二匹とも顔を見合わせ、バツの悪そうな顔をしつつも、そっと海潮を横にした。何度か呼びかけてみても、気絶したように眠っている。


「駄目ね、潰れてるわ。萩太郎が音頭取ってよ」


 そう言われ小生は負けず劣らず酔っ払いながらも、手締めを仕切ることとなった。


 小生は全員を見回した。柄にもない事を言ってしまうのは、酔いのせいにしてしまおう。


「海潮には悪いんだけど全部終わっちまえば、俺は楽しかったとしか言えない。きっと、俺は自分のやりたいと思ったことが全部できたからだと思う。みんな思う事は違うだろうけど、ともあれ空の上の姫と、ここに集った狐狸貂猫と、ついでにここの人間のご多幸を祈りまして一本締めでお開きにしよう」


 両腕をピンと伸ばし、夏真っ盛りの空気を思いきり肺に入れた。


「それでは皆様、お手を拝借。よぉっ!」


 穴蔵神社の境内に手と手が重なり合う、何とも小気味よい音が響く。


 この音は、空の上と男の夢の中にまで届いてくれることを願った。



 了

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こりてんみょう 音喜多子平 @otokita-shihei

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