第36話 ほでなすの会、再び

 その後の七夕天空合戦は、当然ながら大騒ぎだったらしい。


 雲の上から落とされた小生と鶴子は、再び雲野原には上がれなかったので詳しくは知らない。尤も大竹が倒れ、神域を侵すほでなすが出て、おまけに雲野原に人間が現れたという事実を踏まえて考えれば、その後の騒ぎとやらは想像に難くない。


 特に御上座敷に忍び込んだのが、小生らだったために富沢家と八木山家には、諸々の疑惑が向けられたそうだ。だが両家とも、知らぬ存ぜぬを決め込んでいる内に話が終わってしまったらしい。確たる証左が無かったことと、後に恭しく現れた肝心の山王蔵ノ主が姫の嘆願を聞き受け、今回の騒動で争いを起こさず、詮索をするなと言及したことが利いたそうだ。


 結局、前代未聞の事件が起こった七夕天空合戦は、制勝者なしという前代未聞な戦績をもってお開きとなった。一番割を食ったのは演化の機会すら与えられなかった泉家の面々だったろう。


 あの夜、小生は鶴子と別れると愛宕神社へと急いでいた。到着した頃には、雨は弱まっていたように思える。


 八木山家一同に連れられて、神社の縁の下から這い出してきた海潮は小生の顔を見ると笑って、


「言いたい事は全部言ったよ」と言ってきた。


 海潮はそのまま一人で愛宕神社を後にした。


 ◇


 それから週が二つ明けた、八月二十一日。


 七夕から二週間が経った日の事である。


 相変わらず照り付ける太陽の主張が強い日が続いている中、ほでなすの会が空の騒動の後、初めて開催された。小生はそこで二週間ぶりに海潮の顔を見たのだった。


 二、三日の内は訪ねていたのだが、海潮の顔を見るどころか部屋に上がることも叶わなかった。


 それからはしばらく時間を空けた方がいいと思い、訪ねるのを止めた。小生はその後、疲労からか熱が出て寝込んでしまった。ようやく回復し、何事もなければ明日もう一度訪ねようかと考えていた矢先だった。


 聞けば青鹿がアパートの住所を欅から教えてもらい、新参として招待したのだそうだ。ご丁寧にレジャーシートを穴蔵神社の境内に敷き、盛大に酒宴の準備をしている。


 そして海潮が来たこと以上にほでなすの会は衝撃に包まれていた。


 まさかの富沢鶴子も酒を持参し、新参として席を同じくしていたのである。


 全員が酒を手に持つと、一先ずの主催である青鹿が高らかにやる気なく言った。


「えー、先々週あんな大騒動を起こしたくせに、無事にほでなすの会を開くことが出来ました。つきましては騒動の大元たる我らが夏月海潮さんに乾杯の音頭を取って頂きたいと思います。拍手」


 拍手をさせるなら酒を持たすなと文句を言いつつも、全員が一旦酒器やら缶やらを置いて生温い拍手を送った。


 海潮は照れながら立ち上がって、慣れない口上を述べ出した。


「ただ今ご紹介に預かりました、夏月海潮です。初参加ながら乾杯の音頭を取らせて頂きます。そもそも先々週は、ここにいる皆さんから多大なるご助力を賜りまして空の上に忍び込みました。何とも形容し難い七夕も見させても頂き、また私個人としても人生の大きな一歩を踏み出すことが出来ました。しかし、その為に狐狸貂猫の皆さんには相当のご迷惑を掛けることになってしまい、申し訳の弁もございません。そこまでしてもらったのにも関わらず、お礼も遅くなってしまったことは――」

「さっさと呑ませなさいよ」


 欅の苦情に海潮は咳ばらいで返事をした。そして小生が知るいつもの海潮の顔で高々にビール缶を掲げた。


「とりあえず、七夕ん時は助けてくれてありがとう! 乾杯」

「乾杯!」


 各々が一口飲み終わると鶴子から一番遠い所にいた欅が文句を言い出した。


「で、何でそいつがいるのよ」


 欅は、五光飲み猪鹿蝶赤短狙いのこいこいをカスだけで勝負されたかのような渋い顔をしている。仙台弁が出ないのは割る用のウーロン茶を飲んでいるからだ。大方、鶴子の前で酔っぱらうのはプライドの許さないのだろう。


「いけませんでしたか? この会は来る者拒まずと伺いましたが」

「まあまあ、昨日の敵は今日の友ってことでいいじゃない。僕の姉でもあるんだし」

「関係ないでしょ。姉弟揃って、のこのことよくアタシの前に顔が出せたわね」


 言っている事はキツイが口調は穏やかだった。雁ノ丞は微笑み、鶴子は面倒な対応は弟に任せて缶酎ハイを飲んでいる。


 そして、我が道を行く青鹿は、


「いやぁ、未だかつてない酒の豪華さだね。海潮さんも鶴子もバンバン顔出してよぉ」


 と只々のんびりとそう言った。


 鶴子は何故か青鹿にはまともに取り合った。それも飛び切り良い笑顔で応えていた。


「ええ。またお邪魔させてもらいますわ」

「俺も、東京に行くまでだったらなるべく来るよ」

「因みにどちらへご就職なのですか?」

「東京の『ペアウィンディ』って会社なんだけど」

「そうでしたか。なら安心しました」

「海潮さん、やっぱり東京行っちゃうんだ」

「ああ。色々とね、頑張ってみたい気分なんだよ」


 そう言って一気に自前の日本酒を呷った。けれども変なところに入ったのか一人盛大に咽ていた。隣にいた鶴子が心配そうに背中を擦っている。


 小生らはその様を笑って肴にしていた。


「けど偶には戻ってくるんでしょう?」

「勿論」


 ざわざわと風が騒めき出した。そして、得も言われぬ気配が海潮を優しく包んだような、そんな錯覚を小生は見た。それは他のほでなす共も一緒だったようで、全員の目が海潮に集まっている。


「今更だけど、神様と結婚ってすごいよなぁ」


 そう言って目を拭った。風でゴミでも入ったか、それとも目から溢れる何かを拭いたのかは分からない。

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