第35話 そして雨は仙台を濡らす
海潮が見櫓に登ってしばらく。一人の大男が上から降りてきた。
既に従者の数名は打ち倒していたので、劣勢を覆しにやってきた助っ人かとも思ったが、どうも様子が違う。格の違いが一目瞭然だった。
「こいつは?」
「
なるほど、納得した。要するにこの連中の親玉と言う事だ。
雨垂はお偉いさんに相応しい顔のままに、お偉いさんに相応しい声で尋ねてきた。
「何が目的だ」
「…そう言われると、何だ? 恋泥棒?」
「やってることは強盗ですけどね」
小生は戯け、鶴子はチクリとツッコミを入れる。相手の調子に合わせないのが狐狸貂猫の鉄則だ。もしも相手が怒り出してくれでもしたら儲けもの。視野の狭くなった奴ほど化かし易いモノはない。
「上に来ている人間を手引きしたのはお前らか?」
だが、こちらの思惑通りに動いてくれるほど簡単な相手ではないようだった。
「さあ? 人間が雲野原に来れるのか?」
「富沢の。貴殿はその者についているのか?」
逆にこちらが怒り出したくなるほど、こちらの意を介さずに自分を崩してくれない。取り乱さずに自分の置かれた状況を分析する、小生の最も苦手な人種であった。
「私は里佳様に付いております」
「そうか」
その言葉で、雨垂の状況分析は十分だったようである。背中に差していた刺又を構え、小生らに敵意をぶつけてきた。
「どのみち、ここは許可のないものは踏み込んではならない聖域。相応の覚悟はできているだろうな」
「あんた、櫓の上から降りてきたよな」
ここまで来てしまえば恍ける事に何の意味もない。敵意には敵意を以って答える。小生は海潮の安否を喧嘩腰に尋ねた。
「櫓に上って行った人間はどうした?」
「彼奴であれば、奥方様と話をしている」
小生は拍子抜けした。奥方様という言い方に釈然としなかったものの、更に厄介な事態になるかという懸念は払拭された。意外と話が分かる奴なのかもしれないと思った。
「それなら俺達の目的は終わった。あいつの話が済めば大人しく帰るよ」
「そうは行かない。聖域を犯した者は即座に罰する規則になっている」
「待てよ。あいつは姫と話をしているんだろう」
「奴は特例だ。人間がここに来るなど想定していない。だから当然、聖域を犯した人間相手の罰則がない。奥方様からの嘆願もあったため、例外的に認めているに過ぎん。しかし、貴様ら狐狸貂猫は話が違う」
話尻を言い終えた後は一瞬だった。
小生は鶴子と一緒に吹き飛ばされ、床に伏していた。そこで初めて雨垂の刺又で右薙ぎに撃打されたのだと気が付いた。骨は折れていないが、あまりの痛みに小生らは変化が解け、貂と狸の姿に戻ってしまった。
雨垂は矮小になった小生らを更に刺又で押さえ付け、身動きを封じた。そして、地に響くような声で言う。
「聖域を侵した狐狸貂猫に対する罰則は―――下界への追放だ」
言うが早いか、床に大穴が開いて小生らは抵抗もなく落下していった。雨垂や従者たちは見えない板の上にいるかように重力を無視していた。
◇
劈くように風が全身に当たってはすり抜けていく。口にも鼻にも上手く空気が入って行かず、とても息苦しかった。
視界が悪いのは雲の中にいたからだったようで、それから飛び出た後の仙台の七夕の夜景がとても眩しかった。小生は何とか尾を伸ばし、ともに落下している鶴子を絡めとった。自慢の真っ黒の尾が他の貂よりも少々長かったことに感謝した。
すかさず鶴子を乗せていても問題ないくらいの大烏に化けた。体力も残り少なく、大掛かりに化けたこともあり、よろよろと頼りない飛び方だった。けれども、辛うじて仙台の中心部にあるアーケードの屋根の上に降り立つことが出来た。無我夢中で飛んでいたので気が付かなかったが、定禅寺通りに面したアーケードの一番端に降り立っていた。
道の両脇の通路だけに屋根が掛かる区画で、上がぽっかり空いていたのだが、七夕の飾りつけが目隠しになってくれたお蔭か、下で小生らに気が付く人間はいない。小生は人間に化け、鶴子を抱きかかえた。
「大丈夫か、鶴子」
「ええ。助かりました。有難うございます」
気絶はしていなかったようで、腕から降ろすように弱弱しく頼まれた。
鶴子はあくまで余裕であるかのように人間に化けた。鶴子は狸の姿を他人に晒すのをとても嫌う。相手が目上の狐狸貂猫であったとしても、正体を曝さないのは昔から変わらなかった。
ともあれ強がれるような余力があるようで小生は安心した。が、途端に別の不安が頭を過ぎり、天を見上げた。
「まずいな。まさか海潮も同じ目に…」
もしそうならかなり絶望的だ。上空から落ちてくる人間を受け止められる術などない。しかも、何時、何処に落ちてくるのか予想もできない。
青い顔をしている小生を他所に、鶴子はやはり冷静に告げる。
「里佳様がお近くにいらっしゃるのであれば、手荒な事はしないでしょう。雨垂様は道理で動く方ですが、話の分からない方ではないはずです」
「こんなことされたじゃ説得力がないけどな」
けれども、鶴子の言う事には妙に納得した。手ひどい目に遭ったが雨垂の人となりには同意見だし、姫がみすみす海潮を危ない目に遭わせたり、見殺しにするというのも考えられない。
安堵感は一気に疲労感に変わり、小生はへたり込んだ。
小生は今もなお、立ったまま空を見上げている鶴子に尋ねる。
「で、何でいきなりこっちの味方になったんだよ」
「理由は色々とあります」
鶴子はこちらも見ずに語り出した。
「へえ」
「一番は雁ノ丞のせいでしょうね」
「?」
「あの子が何故私や富沢家を謀ってまで、海潮様に組するのか。それが気になってしまったのです」
「…他には?」
「里佳様を信じていた、と言えばあなた方の反感を買うかもしれませんが――」
「うん?」
ふと鶴子を見ると、今度はうな垂れるように下を向いていた。
そよ風に靡く長い髪をかき上げながら下唇を噛み、もの悲しそうに、それでいて笑みとも取れる顔つきで小生と目を合わせてきた。
「あなた達が海潮様の告白が上手く行くと信じて画策したように、私も里佳様はそれを断るだろうと信じていたのです」
「姫が断る?」
それは聞き捨てならない。ほでなす達は誰一匹として、姫は告白を受ける前提と信じて動いてきた。少なくとも小生はそうだ。
「ええ。根拠はありませんけれど、あの方はきっと断るだろうと」
言い終わると、ほぼ同時にポツリポツリと雨粒が小生らを叩いた。瞬く間に叩かれる回数は増していき、盆をひっくり返した様な雨となった。
「雨、ですね」
「あぁ―――降られちまったか」
アーケードの下を行き交う人たちの喧騒が、雨に飲まれてかき消えた気がした。
夏の雨はどこか暖かいものだと思っていたが、全身を濡らす今日のこの雨は、ずっとひんやりとしている。
仙台七夕には必ず雨が降るというジンクスがある。
逢瀬が叶った彦星と織姫の嬉し涙か。
それとも、それが叶わなかった悲し涙なのか。
どちらにしても小生も鶴子も雨宿りをすることはなかった。この雨には打たれなければならない、そんな気がしてならなかったのだ。
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