第34話 告白
「風梨さん」
六畳もない見櫓の天辺に海潮の声が響いた。
「え? 嘘。どうして」
あり得ないはずの声に、姫は慌てて振り向く。正しく幽霊でも見たような顔をしていた。海潮は海潮で星明りの下、丹寧な化粧をして花嫁衣裳に身を包まれた風梨里佳の姿に見惚れ、圧倒される思いであった。
けれども次の瞬間、本当に圧倒された。不意に後ろから圧し掛かる力になす術なく組み伏せられた。ギリギリと首を回して自分に乗っかっている何かを見る。さっき階段のところで追い掛けてきた連中とはまた違う衣を着た大男がいた。全身で組み伏せられているのかと思いきや、実際に海潮を押さえているのは二の腕だけである。それでも到底力で敵う気がしなかった。
「待って」
「そういう訳にも参りません。ここは選ばれた者以外は入ることを許されてはいないのです。ましてこの者はどう見ても人間」
「
姫は毅然として言った。普段の柔和な声しか知らない海潮は、それに少々驚いた。
「お知り合いのようですね」
「ええ。だから手荒な事はしないでください」
「…私の立場もご理解ください」
雨垂と呼ばれた大男の声音が柔らかくなったが、腕の力はそのままである。
「山王蔵様に、もしお叱りを受けるようなら私が説明します。お願いだから待って」
「一人…でここまで来れるはずもないか。仲間がいるのか? 下の騒ぎも貴様らの仕業か?」
海潮は答えたくとも顔を押し付けられているのでくぐもった声しか出せない。それに気が付いたのか、後頭部に掛かる力が少しだけ緩んだ。
「この方に危害を加えるつもりはないな」
「当たり前だ……です」
強気で発したものの、雨垂の目を見た途端に気圧されて萎んでいく。
「なら、何をしにここまで来た」
「風梨さんと話がしたい」
雨垂は破顔して、ほんの少し口角が上がった。
「人間の分際で、ここまでやって来るその意気や良し。奥方様に免じて目を瞑りましょう」
海潮の体から重みが消えた。今まで味わったことのない過負荷だったので、勢い余って自分の体重も無くなってしまったように思えた。
すぐに姫が駆け寄ってしゃがみ込み、両の手を付いて心配してきた。
「海潮っち、大丈夫?」
「うん」
「この者達はすぐ下に控えさせます。それ以上は譲れません」
雨垂と姫の脇に控えていた従者二人は、するすると下へ降りて行った。
海潮と姫は、床に座り込んだままに互いの顔を見て一呼吸した。
「どうしてここに?」
「萩太郎に無理を言って連れてきてもらった」
「萩ちゃんに? じゃあ、下で騒いでいるのは」
「萩太郎と欅と雁ノ丞と青鹿。あと鶴子さんって狸も」
「鶴子も!?」
一番意外な名前だったのだろう。姫は驚いた。
その顔が海潮にはおかしくて、微笑みながら続ける。
「関係はよく分からないけど、協力してくれた」
「無茶苦茶だよ。一体どうしたの?」
海潮はようやく体の感覚が戻ってきて立ち上がった。それでもよろけてしまったので、姫は慌てて手を添えた。
「風梨さん、卒業旅行来れなくて残念だったね」
途端に姫の顔が曇った。その理由は勿論分かっている。責めるつもりで言った訳ではないので、海潮は心苦しくなった。
「…うん。楽しみにしてたんだけどね、用事が出来ちゃった」
「これ、お土産。帰りにみんなで選んだキーホルダーなんだけどさ」
「え?」
海潮はポケットに入っていた小さな紙袋を取り出した。騒動でしわくちゃになってしまっていたので、慌ててそれを伸ばした。
「できれば、みんなと一緒に今度の部会で渡したいんだけど。どう?」
姫の顔は曇りから雨になりそうだった。受け取ろうと伸ばしていた手を力なく引っ込めた。
「ここまで来て、こんなあり得ない風景を見て落ち着けてるんだから、もう全部知ってるんだよね?」
「うん。全部知ってる。だから本当ならここじゃなくて部室で渡したいって思ってる」
「…ごめんね」
「卒業記念の旅行に出れなかっただけだよ。学祭だってあるし、卒業展示だって残ってるし、何なら冬休みにもう一回みんなで遊びにだって行ける」
「もう……行けないんだ」
とうとう姫の瞳からは雨粒が零れ始めた。
海潮は歯を食いしばり、全身に力を込めた。
「ごめん。そんな事を言いに来たんじゃないんだ」
海潮は姫の手を取って、お土産の紙袋をそっと持たせた。
急に手を取られた姫は少し驚いてビクリと尻ごみ、恐る恐る海潮の顔を見た。
姫と目が合った海潮は、妙な落ち着きと普段以上の焦りが入り混じって頭が真っ白になった。時間がない中、丹念に考えてきた台詞など既にどこか遠くに消え失せている。
「風梨さん」
そして姫の手を取ったまま、今の自分の中に、今湧き上がる、今の言葉を紡いだ。
「俺は風梨さんが好きだ。一年の時にサークルの見学会で会った時から一目惚れだった」
「うそ」
「嘘じゃないよ。引き留めるために言ってるんでもない。本当に好きなんだ」
海潮は笑うしかなく、姫は泣く事しか出来ないかのように二人の表情は変わらない。姫は自分で決めた覚悟が崩れていく音が聞こえ出した。そして、それを必死で持ち直そうとするが、感極まって高くなろうとする声を抑えるのが精一杯だった。
「でも、聞いたんでしょ? 私、結婚するんだよ?」
「聞いたよ。全部聞いた。神様と結婚するんだよね」
ズボンの後ろにぶら下げていた手拭いを取ると、姫の涙を拭いた。小豆色の手拭いに白粉が付く。
「うん」
「それと、もし人間の誰かと婚約出来れば、それは無効になるとも聞いた」
「え?」
「だから、言いたいことは全部言うよ」
海潮は手を姫の両の肩に添えた。口から飛び出しそうな心臓の代わりに思いの丈を言い放つ。
「学生の内は無理かもしれないけど、卒業したら。東京だけど就職先も決まってるし、一緒に東京に来てくれないか」
「海潮くん…」
姫はその続きを聞きたいような、聞きたくない様な顔をした。
けれども姫が何を言ったところで、海潮はもう自分で自分を止められない。
「俺と結婚してくれませんか?」
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