久々に会った元カノが妊婦だった。

焼おにぎり

未冬

 私は、言葉を失っていた。

 待ち合わせのカフェに現れた女が、一目見て分かるような妊婦だったから。


──未冬みふゆ


 彼女はかつて私を狂わせた女、と言いたいところだけど、つまるところ三年くらい前まで付き合っていた元カノで、今はただの他人だ。

 ほっそりとした体なのに、お腹だけがみぞおちのあたりから不自然に張り出していて、その姿はなんだか痛々しくも見える。

「……身重なら、なんで言っておいてくれなかったの」

 知っていたら、待ち合わせ場所に都内こっちを指定しなかったのに。

 私にだって、妊婦を気遣う心くらいはある。しかしこれでは、知らないうちに悪者に仕立て上げられたも同然だ。

「えへへ、言い忘れちゃった」

 おどけて笑う未冬。そんなはずないでしょ、と思ったけど、私は何も言わなかった。

「とりあえず、なにか注文しないとだよね」

 やたら大きなハンドバッグを椅子の背もたれに引っ掛け、未冬は私の向かいの席に着いた。

 茉侑子まゆこはもう飲み物頼んだの? と訊かれ、私は小さくうなずく。テーブルに着いてすぐに、ブレンドコーヒーを注文してあった。

 未冬はメニュー表をざっと眺め、レッドルイボスティーを注文していた。以前の彼女なら、カフェでは私と同じくコーヒーを頼んでいたはずだった。

 ほどなくして、私の注文していたコーヒーが席まで届いた。カップの中に視線を落とすが、黒い液体に映りこむ顔からは、うまく表情を読み取れない。


「今日は時間作ってくれてありがとう。正直、本当に会ってくれるかわからなくて、不安だった」

 未冬のその言葉にはてらいがなかった。

 私も、こうして再び会うことになるとは思っていなかった。自宅を出る直前ですら、迷いがなかったと言えば嘘になる。

 私は、未冬の結婚式にはどうしても行けなかった。

 招待状に書かれた新郎の名前を見たとき、絶句してしまった。あの彼なのか、と思った。

 当然、新婦の元カノに招待状なんて送ってくるなよ、という怒りもふつふつとわいてきた。

 落胆もした。私はあのとき、何も言わずに飲み込んだだけだ。それを未冬は、円満に別れたものと捉えていたんだなって。


絵里加えりかから連絡がなかったら、会ってなかったと思う」

 今回、未冬に会うことを決めたのは、共通の友人である絵里加からの連絡あってのものだった。

「未冬ちゃん、茉侑子と会って話したいって言ってたよ。会ってあげられない?」とのメッセージを見て、ついにこの時が来てしまったかと思った。

 絵里加には、私が未冬と恋人として付き合って、そのうえ別れた、なんてことは話せていない。けれど、関係性に亀裂が入ったことは察しているだろう。ずっと三人では会ってないし、なにより、私は未冬の結婚式にも欠席してしまったから。

「それでも、久しぶりに顔を見られて嬉しい」

 心の底から嬉しそうな笑みを浮かべる未冬に、私はどんな表情を返せばいいのか分からなかった。

「私に話したいことって、なんなの」

 なんだか身の置きどころが悪くて、私は話を急ぐ。

「実は、この子の名前を茉侑子に一緒に考えてほしくて」

「この子?」

 眉をひそめる。いやな予感がした。

「お腹の子」

 未冬はいつくしむようにお腹をさする。

「男の子なんだって」と未冬は言った。「あたし、赤ちゃんの性別が分かるようになるまでけっこうかかると思ってなくて、先生に呆れられるくらい聞いちゃったんだけどね」

「お待たせいたしました! レッドルイボスティーになります」

 はきはきとした店員の声で、未冬の話は遮られた。振り向いた未冬が、「わあ、きれい」と感嘆の声をあげた。

 未冬の前にそっとソーサーが置かれ、その上に空のティーカップが乗る。テーブルの中ほどに置かれたガラス製ティーポットは、中のルイボスティーの色を際立たせ、赤い宝石のように輝いていた。

「お熱いので、お気を付けくださいね」

 未冬が「ありがとうございます」と笑顔で会釈してポットに手を伸ばしたので、私はあわてて椅子から腰を浮かせた。

「いいよ、私がぐから」

「え、いいの? じゃあ、お願いしちゃおうかな」

 おとなしく手をひっこめるのを見届け、私は未冬のカップに赤く透きとおる液を注いだ。ふんわりと、芳醇な甘い香りが広がる。

「知らずに注文しちゃった。ポットとカップで持ってきてくれるんだね。おしゃれだね、東京。すごく良い香りがする」

「そうだね」

 ゴト、とティーポットを置いて、ソーサーの上にカップを戻した。未冬が、「ありがとう」と手に取るところを見守る。

「なんだか思い出すよね」と未冬がつぶやいた。

「なにを」

「茉侑子の部屋でお茶会したときのこと。まあ、お茶会ってより、あたしのせいでたこやきパーティーになっちゃったけど。懐かしいよね、あの時は絵里加も一緒だった」

 未冬はゆっくりとカップに口を付けた。くちびるを濡らす程度だけに留め、静かにカップを置く。

「ん、おいしい」

「うそ。今、ほとんど飲んでなかったよね」

「もー、あたし猫舌なんだってば。知ってるでしょ」

 その口ぶりに懐かしさを覚えて、口元が緩みそうになるのを、私はぐっとこらえた。

「あのさ。さっきの話だけど、受けられないよ。私が受けていい話じゃないし」

「さっきの話?」

「赤ちゃんの名前を一緒に考えてほしいって話。名前は、その子の父親と二人で話し合って決めるべきものでしょ。私みたいな赤の他人の意見は要らないんだよ」

「他人だなんて」

 驚いた顔をしたあと、未冬は「ふふ」と笑った。

「気にしなくて大丈夫だよ。すーくんは、あたしの好きなようにしていいって言ってくれたし」

 すーくん、か。

 今もまだそう呼んでるんだ。

「大丈夫なわけないじゃん。住吉すみよしくんに失礼だよ。未冬はさ、もうちょっと彼のこと気にかけてあげないと、いつか後悔するんじゃないの」

 言ってから、なんで私が未冬の夫すーくんのフォローをしてるんだ、と自分でもわけがわからなくなる。

「でも、すーくんはあたしに不満を言ったことなんて一回もないんだけどなぁ」

 へえ、そうなんだ。何でも理解してくれる夫くんっていいね。そんな嫌味が飛び出そうになるのを、すんでのところでこらえて、私はきっぱり言った。

「できないものはできない」

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