悪役令嬢は数学オタクな侯爵令息と契約婚約する

ミクラ レイコ

悪役令嬢は数学オタクな侯爵令息と契約婚約する

「アロイス、帰りにカフェに行きたいんだけど、あなたも付き合って!」


 放課後の教室で、長い金髪の女生徒が明るい声で言う。彼女の名はロザリー・バレシュ。現在十八歳の彼女は、公爵家の令嬢である。


「え……僕、図書館に行こうと思ってたんだけど」


 そう応えたのは、黒いショートヘアに黒縁眼鏡の男子生徒。彼の名はアロイス・ドナシアン。ロザリーのクラスメイトである彼は、侯爵家の令息である。


「図書館なら、カフェに行った後寄ればいいじゃない。付き合ってよ」

「……しょうがないなあ……」


 アロイスは、静かに溜息を吐いた。


 明るく美しいロザリーと大人しく地味なアロイス。正反対に見える二人だが、実は婚約している。何故そんな事になったかと言うと、話は二人が八歳の時に遡る。



 ロザリーは八歳の誕生日に高熱を出し寝込んだのをきっかけに、自身の前世を思い出した。彼女は前世で平凡なOLだったが、交通事故で亡くなったのだ。

 そしてロザリーは、自分が前世でやり込んだゲームの登場人物である事に気付いた。


 そのゲームは典型的な乙女ゲームで、ヒロインは平民ながら魔力が高い為、貴族が通う学園に通う事になる。そして王子や騎士といった攻略対象と愛を育むのだ。

 そしてロザリーは、ヒロインが第一王子と結ばれるルートでヒロインを虐める悪役令嬢。公爵家の令嬢であるロザリーは第一王子の婚約者で、ヒロインに嫉妬するのだ。


 前世を思い出した幼いロザリーは思った。まずい。このままだと将来、ヒロインを虐めた罪で断罪される。国外追放ならまだいいが、処刑されたらたまらない。

 そうだ。今日が八歳の誕生日という事は、まだ第一王子と婚約していない。数日後に延期された自分の誕生パーティーで婚約の話が出るはず。だったら、第一王子と婚約する話が出る前に他の誰かと婚約すればいい。


 そして誕生パーティー当日。婚約するのに丁度いい令息がいないか、ロザリーは会場となった庭をキョロキョロしていた。すると、本を片手にブツブツ言っている一人の少年が目に入った。

 黒髪のあの少年は、確かアロイス・ドナシアン。ゲームに出てこないモブだが、数学の本ばかり読んでいる風変わりな子と聞いている。彼なら家柄も申し分ないし、頭は良いようなので、結婚したら公爵家を盛り立ててくれるだろう。なにより、よく見るとイケメンだ。


「ねえ、お話良いかしら?」


 ロザリーが声を掛けると、アロイスは怪訝な顔をしてロザリーを見つめた。


「構いませんが……どういったご用でしょう?ロザリー・バレシュ様」

「あら、私の名を知っているのね」

「ええ、あなたは有名ですから」


 そう言えば、ゲームでは既にロザリーは我儘わがままな令嬢として有名だったなとロザリーは思い出した。


「私の事を知っているのなら話は早いわ。単刀直入に言うわね。アロイス・ドナシアン、私と婚約して欲しいの」


 アロイスは、怪訝な顔のまま考え込むと、口を開いた。


「……僕達、初対面ですよね。何故僕なのですか?」

「それは、あなたの家柄と頭と顔が良いからよ」

「……婚約して僕に何の得が?」

「我が家には大きな書庫があってね、そこにはあまり出回っていない数学の本が幾つもあるわ」

「成程、読み放題というわけですね」


 しばらく沈黙が流れた後、再びアロイスは口を開いた。


「……僕は数学の本を読んでばかりいるので、気味悪がられる事が多いのですが、本当に僕でよろしいのですか?」

「ええ、問題ないわ」

「……では、よろしくお願い致します。父には僕からも婚約について話しておきますが、バレシュ家から正式な婚約の申し込みをお願い致します」

「ええ、分かったわ」


 こうして、ロザリーとアロイスは、利害の一致した契約婚約とも言える婚約をする事となった。



 そして現在。ロザリーとアロイスは、街にあるカフェに足を踏み入れていた。

「結構人がいるわね。どこに座ろうかしら……」


 ロザリーが辺りを見渡すと、店の壁に飾られているポスターが目に入った。そこには、カップルが「カップルシート」なる席に着きケーキを食べると、飲み物をサービスするといった旨の記載がある。見ると、カップルシートは現在空席のようだ。本当はアロイスとカップルシートに座りたいが、彼は恥ずかしがるだろう。


「カップルシートに座らなくていいの?」


 アロイスに聞かれて、ロザリーは動揺しながらも答えた。


「ほ、他の席にしましょう?私達は契約婚約をしているだけの関係なんだし」

「ふーん……分かった」


 アロイスは、無表情で応えた。



「うーん、やっぱりこのカフェのケーキは美味しいわー」


 数分後、ロザリーはケーキを一口食べると満足そうに言った。


「そう、良かったね」


 そう言うアロイスは、ロザリーの向かいの席で紅茶を飲んでいる。いつの頃からか、アロイスはロザリーに敬語を使わなくなっている。ロザリーは、無表情で紅茶を飲むアロイスをチラリと見た。


 アロイスは、優しい人だ。ロザリーが授業で分からない所があると、放課後根気よく教えてくれた。学園でロザリーが体調を崩した時も、いち早く気づいて医務室に連れて行ってくれた。

 今だって、図書館に行く用事があるのにカフェに付き合ってくれている。彼は今ケーキを食べながら、「このケーキが美味しい理由を数学的な観点から検証してみたいな」などと言っているが。

 

――いつの間にか、ロザリーは本気でアロイスに惚れていた。


 今は利害が一致しているだけの契約婚約だけど、いつかカップルシートに堂々と座れるくらい愛し合う関係になれたら嬉しいな。そう思いながら、ロザリーは再びケーキを食べ始めた。


       ◆ ◆ ◆


 その数日後の昼、ロザリーは調べ物があり、学園に併設されている図書館に向かった。図書館の中に入ると、そこにはロザリーと同じように調べ物をしていると思われる生徒が数名いた。

 目当ての本がどこにあるか分からずカウンターに向かうと、アロイスの姿を見かけた。声を掛けようとして、ロザリーは固まった。

 アロイスは、カウンターの内側にいる女子生徒と楽しそうに話していた。恐らく彼女は図書委員だろう。彼女は、茶色い髪を三つ編みにしていて、アロイスに向かって微笑みながら話している。


 ロザリーの頭は真っ白になった。アロイスのあんな笑顔初めて見た。自分と一緒にいる時には絶対に見せないような優しい笑顔。


 ロザリーが茫然としていると、アロイスと目が合った。アロイスは、ロザリーの方に歩いて来ると声を掛けてきた。


「ロザリー、どうしたの?学園の課題をするのなら本を探すのを手伝おうか?」


 アロイスの表情は、いつもの無表情に戻っていた。


「ううん、いいの。用事を思い出したから、課題は後でやるわ……」


 そう言うと、ロザリーはフラフラとその場を立ち去った。



 どうやって帰ったのか覚えていない。気が付くと、ロザリーは自宅のベッドに横になって泣いていた。

 アロイスは、ああいう女の子が好きなんだ。優しくて賢そうな女の子。そういう子と結婚したいんだ。

 涙が止まらない。……こんなにアロイスの事が好きになっていたなんて。

 悲しいけど、アロイスには幸せになって欲しい。その為にはどうすれば良いのか。考えて、ロザリーは一つの結論に達した。


        ◆ ◆ ◆


 翌日の昼休み、ロザリーはアロイスを学園の中庭に呼び出した。


「で、今日はなんで呼び出したの?」


 アロイスが、無表情で聞いてくる。


「……あのね、私、そろそろあなたを解放してあげようと思うの」

「解放?」


 アロイスが、眉根を寄せてロザリーを見る。


「ええ。……私達、婚約を解消しましょう」


 アロイスが、大きく目を見開く。


「……どうして急に婚約解消なんて言い出したの? 他に好きな男でも出来た?」


 ロザリーは、ゆるゆると首を振った。


「……違うわ。私、反省したの。今まであなたの気持ちも考えずに振り回してばかりだったなって……これからは、あなたが本当に好きな人と幸せになってね。……婚約解消については、私から父に話しておくわ。じゃあね、アロイス。今までありがとう」


 そう言ってロザリーは、アロイスに背を向けた。そして、足早にその場を立ち去ろうとする。早くこの場を離れないと。彼を諦められなくなる前に、この涙を見られる前に。


「待って!!」


 アロイスが、ロザリーの右腕を掴んだ。


「確かに君には振り回されてきたけど、それを嫌だなんて思った事は無い。……僕は、君の事を愛してるんだ!」

「え……」

「僕は昔から、数学に没頭していて気味悪がられてきた。君だけだったんだ。僕に普通に接してくれたのは。それで……気が付いたら、本気で君に惚れていた」


 ロザリーは、しばらく茫然とした後、呟いた。


「……でも、あなた、図書館で図書委員らしき女の子と楽しそうに話してたじゃない。……私、あなたのあんな笑顔初めて見たわ」


 アロイスはしばらく宙に視線を彷徨わせた後、思い出したように言った。


「ああ、あの子か。あの子は本に詳しいから、ちょっと質問していただけだよ。楽しそうにしていたのは、多分、恋愛小説について話していたからだと思う」

「恋愛小説?」

「うん。君、読書は好きじゃないけど、恋愛小説なら読みたいと言ってただろう?だから、あの図書委員の子にお勧めの恋愛小説は何か聞いてたんだよ。……もうすぐ、君の誕生日だろう?アクセサリーも見飽きただろうし、恋愛小説はどうかなと思って……」


 アロイスは、プレゼントを渡して喜ぶロザリーの顔を想像して笑顔になっていたのだ。彼が普段無表情なのは、美しいロザリーを見ると緊張してしまうので、平静でいようと努めた結果だった。


「私の誕生日プレゼントを用意しようとしてくれてたの……?」

「うん……ロザリー、君は僕の事を形だけの婚約者としか思ってないだろうけど、婚約解消するのは待ってくれないか。お洒落にも気を遣うようにするし、もっと社交も頑張るから」

「ち、ちょっと待って!!」


 ロザリーは、慌てて言った。


「それじゃまるで、私があなたの事を愛していないみたいじゃない。私だって、あなたの事を愛してるわ!」


 アロイスは、大きく目を見開いた。


「本当に……?だったら何でカフェでカップルシートを避けたの?」

「それは……アロイスが、カップルシートを恥ずかしがると思って……」

「……そうだったのか……僕はてっきり、形だけの婚約者とイチャイチャするのは嫌なのかと……」

「そんな事思ってないわよ……」


 ロザリーは溜息を吐くと、次の瞬間には悪戯っぽい笑みを浮かべ、アロイスの服の袖を引っ張った。


「……じゃあ、これからもあなたを振り回して良い?」

「……程々にしてくれると助かるよ、我が婚約者殿」


 二人は見つめ合うと、青空の下、そっと唇を重ねた。

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