三毛猫、大型犬と同居する

 オレは犬が嫌いだ。図体はでかいし声もでかい。遠吠えなんてただの近所迷惑でしかない。そもそもオレたちのことを見下して偉そうにしているのも気に入らなかった。吠えれば逃げると思っていい気になりやがって。猫と犬の共存区域ってのがあるにはあるけど、そんな甘チャンなところに好んで住む猫の気がしれないとずっと思っていた。


(そう思ってたのに……)


 犬は嫌いだ。でも、猫はもっと嫌いだ。そう思って生きてきたのに犬に拾われてしまった。しかも超大型犬にだ。真っ黒な髪の毛に黒い目で、耳も尻尾も黒いからか威圧感がハンパない。言葉は厳しいし口うるさいし、無表情の顔なんて最初は仮面かと思ったくらいだ。

 こんな犬に拾われるなんて最悪だ。飯を食って金目の物をいくつか頂戴したら家を抜け出そう、そう思っていた。


(それなのに、うまい飯なんて食わせてくれるから……)


 うっかり居着いてしまった。その後も出て行けと言わないから居座り続けている。そんなオレのことをあいつは邪険にすることなく毎日うまい飯を食わせてくれた。


「変な犬だよな……ウルフって」


 名前を口にした途端に顔が熱くなった。さっき囓られた耳もジンジンしてくる。


(かわいいと食べたくなるとか、なに言ってんだよ)


 マジで食ったりしたら、ただのスプラッタじゃん。そう思っているのに、囓られた耳を触るだけで首まで熱くなってくる。


(かわいいなんて、子どものときだって言われたことないのに)


 マジで変な犬。そう思いながらウルフの匂いがするベッドでぎゅっと丸くなる。

 目を瞑ると「雄の三毛なんて困るわ」という母親の声が聞こえた気がした。「そうは言っても」って言いながらオレを見ようとしない父親の横顔が蘇る。


(雄の三毛猫が狙われやすいってのは俺オレだって知ってるし)


 猫なら誰だって知っている。大型種の猫に狙われ、なんなら物好きの犬にだって狙われる。そのせいで家族がひどい目に遭うって噂も聞いたことがあった。

 三毛猫の雄が狙われるのは高く売れるからだ。売られた後どうなるかなんて知りたくもない。ただ、生まれた三毛の雄を金のために売る家族がいるって話を聞いたときはゾッとした。

 だから家を出た。家族に迷惑をかけたくなくて、最後まで家族だと思いたくて逃げ出した。

 それからはいろんな場所を転々とした。子猫のときは何とか食いつなぐことができたけど、成猫になったら駄目だった。安い食事場で残り物を横取りするのも難しくなって、ついに行き倒れてしまった。そこに現れたのがウルフだった。


(見ず知らずの猫にカツカレー食べさせるとか、ほんとお人好しすぎるだろ)


 食べ終わると風呂に連れて行かれて、怪我をしていないか全身くまなく調べられた。風呂から出たら新しい服を押しつけてくるし、夜は寝床の半分を譲ったりもする。そんなことをされたのは初めてで、あのときは正直どうしていいかわからなかった。それに「名前がないと不便だ」とか何とか言って名前までつけやがった。


(っていうか、ニャン太ってあんまりだろ)


 猫だからニャン太とか、どんなセンスだよ。


(変な名前つけやがって……)


 オレの初めての名前がニャン太なんて恥ずかしすぎる。そう思っているのに、ウルフに「ニャン太」と呼ばれるたびに胸がムズムズした。最近よく見かけるようになった笑顔を見ても体のあちこちがムズムズする。今日なんて尻尾と耳を拭われてしまった。あんなの、もう毛繕いと一緒じゃんか。


(犬が猫の毛繕いするなんて聞いたことねぇし)


 そもそも猫にかまう犬がいるなんてあり得ない。きっとウルフが変わっているんだろう。それに世話焼きだとも思う。

 ウルフは「おまえは子どもだ」と言わんばかりに何でもかんでも口出しするし手だって出す。おまけに妙に綺麗好きで毎日風呂に入れとうるさい。部屋を綺麗にするのはいいけど、風呂はオレの勝手にさせろってんだ。


「そもそも猫は毎日風呂になんか入らねぇっての」


 そう言いながら枕にぎゅっとほっぺたを押しつけた。シャンプーの匂いと洗濯した後の匂い、それに日向ぼっこしたあとみたいなウルフの匂いがする。


(……そういや、あのときもいい匂いがしてたっけ)


 初対面の日、腹が減りすぎて動けなくなっていたオレをウルフは軽々と肩に担いだ。慌てて背中にしがみつくと、ふわっといい匂いがして暴れるのを忘れてしまった。


(犬は嫌いでも、日向ぼっこみたいな匂いは嫌いじゃねぇし)


 むしろホッとする。気持ちがいい場所で日向ぼっこしたときみたいな匂いと、それに少しだけ石鹸みたいな匂いもした。この枕もそれと同じ匂いがする。匂いを確かめたくてスンと吸い込んだら、やっぱりいい匂いがして胸がポカポカした。


(……って、何だよこれ)


 スンスンしているうちにお腹がムズムズしてきた。体もちょっと熱い。変だなと思って縮めていた足を少し延ばしたら、股間がもっこり盛り上がっていることに気がついた。


「は? え? ちょっと待て」


 これはいわゆるそういうことだ。でも、近くに雌猫はいない。オレたちは雌猫がいないとこんなふうにはならないはずだ。


(どういうことだ?)


 駄目だ、考えようとしているのに股間がどんどん熱くなっていく。どうにかなりそうな熱さに、ズボンの上からそっと押さえたときだった。


「なんだ、発情期か?」

「……っ」


 全身がビクッと震えた。真っ暗ななか目をこらすと、すぐ近くにウルフが立っている。ドアが開いた音にすら気づかないなんて猫としてどうなんだと舌打ちしたくなった。


「そういえば、もうすっかり春だしな」


 ベッドの上にある小さな電気がパッと点いた。


「猫の発情期は初めて見るが、真っ赤な顔はまるでトマトのようだな」


「なに見てんだよ!」と言いたいのに、体が熱すぎて声が出ない。股間に伸ばした手も隠せないまま、オレをじっと見下ろしているウルフを見返すことしかできなかった。


「なんだ、発情期の相手をしてほしいのか?」


 ……は?


「猫の相手をしたことはないが、まぁできなくはないな」


 なんだって?


「しかし、この小さい体で受け入れられるかどうか」

「う……っせぇよ!」


 小さいとか言うな! そもそもおまえがでかすぎるだけだろ!


「なんだ、相手をしてほしいんじゃないのか」


 そう言ってベッドからでかい影が離れていく。それを見た瞬間、どうしてか胸がぎゅっとなった。


「待っ……」

「しなくてもいいならかまわないが、その状態で寝られるのか?」


 ……いつもの場所に移動しただけか。ベッドの足元にいたでかい体が、いつも寝ている左側に回ってぽすんと座った。そうして少しだけオレのほうに体を向けながら見下ろしてくる。


「取りあえず抜くだけ抜いておけ。俺のことは気にしなくていい」

「なに言ってんだ」

「やっぱり手伝ってほしいのか?」

「うるせぇよっ」


 座っていてもでかい背中を右手で叩いた。自分では思い切り叩いているつもりなのに、力が入らなくてポスポスと気の抜けた音しかしない。


「発情しているせいで力が入らないんだろう? 何回か抜けば収まるぞ」

「うっさい」

「まさか抜き方を知らないとか言わないだろうな?」

「そ、そのくらい知ってるし!」


 抜くくらいしたことある。だけど犬の前でなんてできるわけがない。大きな背中に拳を当てたまま「うぅ」と小さく呻いてしまった。


「はぁ。まったくおまえというやつは、こういうときまで面倒をかけるのか」


 ため息混じりの言葉にドキッとした。


 ――おまえってただでさえ三毛の雄で面倒なのに、ほかもいろいろ面倒くさいよな。


 これまで猫たちに散々言われてきた言葉だ。猫たちに言われたときはどうってことなかったのに、ウルフに言われるとどうしてか不安になってくる。


「自分でできないなら素直にそう言え。さっきからやってやると言っているだろうが」

「う……っさい」

「こら、力が入っていないとはいえ何度も殴るな」

「どーせ痛くねぇんだろ」

「痛くはないが鬱陶しい」

「どうせオレなんか」

「鬱陶しいが嫌いじゃない」


 背中を叩いていた手が止まった。すると、大きな体がくるりと動いて振り返る。


「っ」


 黒目にじっと見られて顔がカッとした。慌てて視線を逸らしながらでかい胸をポカポカ殴る。そうでもしないと「嫌いじゃない」って言葉を勘違いしそうだった。


「犬のくせに」

「おまえは猫のくせに肝が据わっている。そういう奴は嫌いじゃない」

「うるせぇ」

「我が儘でプライドが高くて妙なこだわりがあるのも、猫だからと思えば納得できる」

「犬だってそうじゃねぇかよ。毎日掃除して、風呂も毎日入って、ばっかじゃねぇの」

「口が悪いのはどうかと思うが、まぁおまえらしいし悪くはないな」


 ポカポカ叩いていた右手を掴まれた。そのままグッと引っ張られて、手首にチュッとキスをされる。


「な……に、してん、だよ」

「マーキングの一種だ」

「なっ、なに勝手なことしてんだっ」

「毎日同じ寝床で寝ているんだから、どうせ全身俺の匂いまみれだ。いまさらだろう?」

「なに、言って」

「今朝だって俺の胸にくっついて寝ていたのはおまえだぞ?」

「……っ」


 だって、すぐ近くにあったかいものがあったらくっつくだろ! 猫は温かいものにくっついて寝るのが好きなんだよ!


「さて、その発情期どうする? 一人で頑張るか? それとも俺が相手をしてやろうか?」


 覆い被さってきたでかい影に体がギュッと強張った。そんなオレにフッと笑ったウルフが耳に口を近づけてくる。


「相手をしてほしいか? ニャン太」


 背中がゾクッとした。尻尾がぞわわと震えて耳がピンと立つ。顔も首も熱くてたまらない。

 オレはまだ誰とも発情期を過ごしたことがない。雌猫なんて面倒だったし、雄なんて最初から眼中になかった。それなのにウルフの「相手をしてほしいか?」って言葉だけで、体がカッカと熱くなる。今一番熱くなっているところを、手首を握っているこの大きな手で触ってほしいと思ってしまった。


「……よ、余計なことしないなら」


 気がついたらか細い声でそう答えていた。

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超大型犬と拾われた小さな三毛猫 朏猫(ミカヅキネコ) @mikazuki_NECO

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