初めての夫婦喧嘩

執務室ではペンの走る音がしている。

いや、その音しかしていなかった。

何の憂いもない状態で仕事に集中できるのはいつぶりだろうか。

エリックは子どもたちのことを考えつつ、滞っていた仕事を進めていた。

プロスペリ魔王国では近年移民が増えている。

特にグロリアス王国から亜人が多く来ており、法整備などの環境を整えることが求められていた。

亜人は人間の次に多い種であり獣人と魚人がいる。

人間の国で多くが共存しており、そのほとんどがグロリアス王国に住んでいるのだ。

亜人だけの国ははるか遠く東の地にあると聞いたことがあるが、そこに移り住むには距離がありすぎる。

だからプロスペリ魔王国なのだろうが―――移民としてやって来る亜人たちはみなやせ細り、とても満足した生活ができているようには見えない。

そのような状況を昔の自分たち―――魔族と重ねてしまい、法整備を急ピッチで行いながら受け入れ態勢をとっている。

こんな状況下で子どもたちに時間を割くことは難しかった。

特に一番下の子ウィードは実の母親とのトラウマがあるため、メンタルケアが必須である。

ロベリアは変わった人間だがよくやっている。

部下や使用人たちの話ではグロリアス王国に情報を流しているような素振りもないらしい。

しかしあのグロリアス王国の貴族家の娘だ、警戒しないわけにはいかない。

それに―――


コンコン


執務室のドアをノックして、失礼しますと入ってきたのは側近のアルクであった。

この国を守るプロスペリ騎士団に所属し魔王の身辺警護を任せている男だ。アルクはいつものように笑顔を絶やさず柔らかい雰囲気のまま話し出す。

「陛下、いつまで敵国の間者と夫婦ごっこをするおつもりですか?」

声のとげとげしさはわざとだろう。

エリックはアルクを一瞥してため息をつく。

「お前も知っているだろう、ロベリアは特に怪しい行動はしていない。それに子どもたちの面倒だけみてくれればいいんだ、ウィードがロベリアを不要だと思えばお前に言われなくとも祖国へ帰す」

「それこそ問題です、その時は殺すべきでしょう」

「やめろ、今は休戦中なのだぞ」

「それはどうでしょう。あの国は魔族どころか亜人でさえ迫害する国ですよ、あんな事が怒っている今の状況で私たちに喧嘩を売っていないと考えるほうが難しい。そしてその国の王子の婚約者だった貴族令嬢です。信じろというほうが無理な話でしょう」

アルクは語気を強め、エリックに詰め寄る。

ロベリアが馬車でエリックにしたお願い事を対処していると、嫌でも情報が入ってきた―――ロベリアは王子の婚約者であり王妃教育も受けたのだと。

ただ次期王妃とは名ばかりであり、王子が本当に愛しているのは平民の女だという情報も簡単に入ってきた。

(ロベリアは王子に気に入られるために敵国に潜入をしたのか?だが、祖国に帰る気など無いと断言していた。いったい何が本当のことなのか)

エリックはロベリアの扱いに迷っていたが、子どもたちに―――特にウィードの教育に使えるのであればひとまず今のままでいいと思っていたのだ。

とはいえ国を想い、魔族という種族を想う男―――アルクのその考えを蔑ろにするわけにはいかない。

2人の男がロベリアの取り扱いについて話している時、またもや執務室のドアがノックされた。

アルクがドアを開けると、そこには屋敷の使用人が息を切らして立っていた。

何事かと彼を執務室に入れ、エリックも話を聞く体制にはいる。使用人はエリックに頭を下げ、何度か深呼吸をして伝えた。

「奥様がウィード様のお部屋に行かれました」

「!?」

エリックとアルクは驚き目を見開く。

使用人はその2人の様子を気にする余裕もないかのように続けて言った。

「そしてウィード坊ちゃまが、奥方様のことをママとお呼びになりとても懐いておられます」

「なんだと・・・?」

アルクは使用人の言葉を信じられないという風に目を白黒させ、エリックはガタッと椅子から立ち上がった。

この屋敷にいる者であればみんなが知っているウィードの事情を考えれば、使用人の言葉はとても信じられなかった。

実の母親に裏切られ殺されそうになったあの子が、ただの継母―――しかも人間である女をママと呼ぶほどに懐いたのだ。

「・・・午後の仕事は後ろ倒しにする。ロベリアを呼んでくれ」

エリックは使用人に言うと、困った表情で使用人が答える。

「それが、奥方様からも陛下に会いたいとの言葉を預かっております」

「ハッ、結局陛下に気に入られたいがための策だということか」

アルクが鼻でわらい自分の想像通りの展開だと言った―――が、使用人は続けてロベリアからの言葉を続ける。

「奥方様から必ず伝えてほしいと言われている事がございます、あの、決して私の気持ちではございませんのでどうかご容赦ください」

今にも泣きそうな顔の使用人。

「”我が子から逃げるヘタレ男が魔王なんて笑わせる、今日は逃げるなよ。血がつながっているだけのただのおじさんになり下がりたくないでしょ”とのことです」

ついに泣いてしまった―――使用人が。エリックは伝言に呆然とし、アルクは「やっぱりあの女は・・・」とぶつぶつ言いながら怒り心頭である。

エリックは再度椅子に腰かけ、視線を宙にさまよわせた。呼ぶ予定ではあったがやはり今日中にロベリアと会ったほうがいいようだ。

アルクがエリックの側に来てロベリアと縁を切るよう先ほどよりも熱弁しているなか、エリックは使用人にロベリアへの伝言を頼んだ。

”今日のお昼は一緒にとろう”

アルクは苦虫を噛んだような表情をしているが、子どもたちのため―――特にロベリアと仲良くなったというウィードとの近況を知るためだと説明をして納得させた。

ため息をつきながら書類に手を付けようとしたがなかなか集中できない。

(そういえば、俺が最後にウィードと話したのはいつだったろうか)

ふと過った考えをまぁいいかと頭の片隅に追いやり、仕事に向き直った。



***



子どもたちと話したことで母親として最初にするべきことはエリックとの話し合いだと考え、使用人にエリックとの時間を作りたいと伝えた。

屋敷の人たちは皆一様に「できかねます」の一点張りだったため、それなら私が直接乗り込むと言うとしぶしぶだが伝言を受けてくれた。

少し刺激的な言葉をオブラートに包まず伝えるようにお願いした。

客室という名のロベリアの部屋に戻り、エリックの返事を持ってくるであろう使用人を待つ。

紅茶を飲みながらこれからの自分の立ち位置を考えていたころ、ドアをノックする音がした。

部屋の中にいたメイドがドアを開けると、そこに居たのは目に涙をためた使用人であった。

急に泣き顔の人が来たことに驚きとっさにかけよった。ケガは無いようであるが、声をかけようとするとその使用人に止められた。

「陛下に奥方様からの伝言を申し伝えました。それで、その・・・」

「えぇ、伝えてくれてありがとう。ゆっくりでかまいませんよ」

震える声で歯切れの悪い言葉だったが、落ち着かせるように続きを促した。

彼は深呼吸を何度かして続きを話してくれた。

「陛下からは、本日のお昼を一緒にとる時間を作るとのことでした。それから、アルク様がとても怒っておられました、奥方様に」

言い切った途端、チラチラとこちらを見てビクビクとしだした。

「私は怒ったりしないわよ、今日のお昼ね、分かったわ」

今まではエリックの”忙しい”を鵜呑みにしていたが、今日は予定を空けさせることに成功したようだ。

(煽り言葉を伝えたのが良かったのかしら?)

アルクという誰か分からない人は怒っているとのことだが、今はそんなことどうでもよかった。私が知るべきなのは、まずは子どもたちのことだから。

私の言葉に安心しない様子を見るに、使用人が恐れているのはエリックの対応かアルクという者の感情に対してだろう。

「疲れたでしょ、一杯飲んでいく?」

「え?」

「え?」

私の言葉に使用人とメイドがポカンとしていた。

麦茶が無いから紅茶を飲んでいるが、特別好きなわけでもないためティーポットにはまだまだ残っている。

どうせなら温かいうちに飲んだほうが紅茶も(ついでに勿体ない精神が発動する私も)喜ぶだろうと軽く誘ってしまったが、2人とも開いた口が塞がらないようだ。

人間の私が誘ったことか、それとも奥方様という立場の者が使用人を誘ったことか、もしかして言い方か―――何秒経ったか分からないが静寂に耐えきれずすぐに撤回した。

「ごめんなさい、急に驚くわよね。紅茶はまだあるから、あなたも飲めば少しは落ち着くんじゃないかと思ったのよ。エリックとアルクさんにあんな言葉を伝えたことで、精神的に疲れたかと思って。今のは忘れて!」

どんどん言い訳がましくなっていき、いたたまれなくなってくる。

2人の顔を見れないでいると「それでは有難くいただきます!」と使用人が鼻をズビズビとすすりながら言い、部屋の中にズンズンと入っていった。

メイドは使用人を止めようとしているが、そんなことなど気にせず彼は自分で空いたティーカップに紅茶を注ぎ飲み始めた。

今度は私がポカンとする番だった。

「こんないい紅茶なかなか飲めないので有難いです」

「あの、これは奥方様のために・・・」

メイドを気にせず飲み干したカップを置き、まだドアの前にいた私の前まで来た。

「あの、お気遣いいただきありがとうございました!奥方様がこんなにお優しい方だとは思いませんでした。俺勘違いしていたみたいです。紅茶美味しかったです!」

先ほどのこの部屋に来たばかりの彼ではないように笑顔で、頭を下げて仕事に戻って行った。

「申し訳ございません奥方様、あの者は最近屋敷に来た者でして・・・」

「いいのよ、私が誘ったんだから」

急な展開にフッと笑いがこみ上げてきた。

「彼の名前は?」

「名前ですか?ピーターです、執事長のロウエル様の親戚です」

「ピーターね。教えてくれてありがとう」

ティーポットの中は空になっていた。ピーターがすべて飲んだのだろう。

(紅茶をあんなにガブガブ飲んでいたものね)

おかわりはいらないとメイドに伝え、張り詰めていた何かがなくなっていることに気がついた。

色々考えすぎて気を張っていたのかもしれない。

ピーターのおかげで緩んだ口元にティーカップを運び、ひとまずはエリックとの昼食で何を話すかを考えることにした。

そしてまだこの屋敷に馴染んでいないだろうピーターは、これから使えるかもしれない―――と利己的な考えも沸き上がっていた。

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生贄令嬢の訳アリ家族計画 猿投山くるぶし @saru8-man

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