末っ子と絵本

花嫁の戦闘着 ウェディングドレスの話が出てしまったこともあり、親子関係のことも併せて相談するためにエリックの予定を聞いたが、あいにく今日は朝から会議に出ており帰りも遅いらしい。

(今、居てほしいのに!居てほしいときになんでいないのよ!!エリック!!)

頭を抱えソファーに沈むように座り込む私を心配そうに見ているメイドたち。

でもさすがに流れに身を任せて指輪を選んだり、ウェディングドレスを試着なんてできない。

私は顔を上げ一番近くにいたメイドに話しかけた。

「あの、今日の指輪選びとウェディングドレスの採寸は控えたいのだけれどどう?」

難しい?と続けるも、困惑した表情のメイドたち。

当たりまえだ。

新婦がわくわくしながら行う作業であろう指輪とドレス選び。

そのどちらもしたくないと言われるなど想像もしていなかっただろう。

「少々お待ちください」

1人のメイドがそう言い部屋を出ていった。

頼む!どうにかなって!!

私は信じてもいない神に頼むように、組んだ指を顔の前に出し祈りのポーズをとる。

数分後、メイド長のルーヴェウス夫人が入ってきた。

厳しい表情をしている、きっとわがままな新婦だと思われているのだろう。

でも、私も引けない。

運命を変えたかったとは言え、息子たちの感度は最悪だ。

33年生きた独身の私は他人の子育て経験談や机上の空論しか知らないし、経験値で言えば子どもだった時のものしかない、そしていくら現世の社会人経験をもってしても分かりやすく壁を作られすぎて手に負えるレベルではない。

それに子育てとなると彼らのこれからの情緒教育にも関係してくる、はたしてちゃんと育てられるのだろうか。

(まぁ本来の年齢は分からないし私よりもはるかに年上である可能性はいなめないけど)

昨日の夕食の様子が思い出される中、ルーヴェウス夫人から質問される。

「今日の予定を取りやめたいとは、どういうことでしょうか。よろしければ理由をお聞かせいただけますか」

鋭い視線が私に刺さる。

さすがメイド長、空気感が重々しい。

私は負けじと貴族令嬢の雰囲気を醸し出しながら話した。

「これはエリックと話したことなのだけれど、みんなに周知されていないようだから伝えるわね。私たち、愛し合ってはいないの」

ルーヴェウス夫人は細めていた目を丸くし、他のメイドたちは口元に手をやり驚く者、倒れそうになる者などさまざまだった。

「だから指輪もドレスも必要ないわ。私は、ただエリックの子どもたちの新しい母親になるために来ただけなの。だから…」

どちらかというとシッターみたいな感じなのよね、そんなの必要のない息子たちもいそうだけど。

言葉を続けようとした時ひとりのメイドが泣き始めた。

「し、失礼いたします…」

すぐに部屋から出ていったが、他のメイドも苦々しい表情をしていた。

ルーヴェウス夫人は額に手をやり、首を横に振りながら「そうですか」と答えた。

結局、今日の指輪とウェディングドレス選びの予定はなくなった。

意外とあっさりメイドたちが引き下がってくれたのだ。

ルーヴェウス夫人にいたっては、

「奥方様の気持ちが落ち着くまでは、こちらでなるべく予定を立てぬよう気を付けます」

と言い残し、渋い顔のまま出ていった。

エリックはどうやら使用人に詳しい事情を話していないようで、それまで立てられていた予定はすべてなくなった。

王妃としての仕事や、魔王城の女主人としての仕事もあったようだ。

(変な気を遣わせたかな…。でもいずれ言わなければいけないことだし)

そう思っても罪悪感が湧いてくる。

それもこれも全部すべてほったらかしのエリックのせいだ。焦燥感と安心感がどっと訪れため息をついた。

私は気持ちの切り替えも兼ねて図書館に案内してほしいとメイドにお願いした。

魔王城は広く、私のいる部屋から図書館までは2分ほど歩いた。

自宅で迷子も夢じゃないわね、なんて冗談めかしく思い図書館に入った。

これは、広すぎる、大きすぎる。

吹き抜けの天井に向かうように壁にはびっしりと本が並べられており、図書館内だというのに渡り廊下があった。

階段は左右に2か所ずつあり、中央に1か所の合計3か所ある。

それでも届かないであろう本は司書が魔法で取ってくれるらしい。

え、自宅に司書??

金持ちはえげつないこと考えるわね。まぁ魔王ですものね。

圧倒的な景色に驚きつつも、常駐しているという司書に話しかけた。

中央階段近くのカウンターにいるその人は、眼鏡をかけた少し気難しそうな40代くらいの男性に見えた。

魔族はみんな顔が整っているのかと思わざるを得ない、それほどまでに司書までもかっこよかった。

小説の世界とは言え今のところ魔族は魔王から使用人に至るまでみんな美男美女であることに驚く。

生まれつき魔力を持っていることと何か関係あるのかもしれない。

魔力もあり長命で美男美女揃いとなれば、畏れもあるかもしれないが嫉妬も多く受けただろう。人間側が戦争を仕掛けたのもそんな低俗な気持ちからだったりして、想像の範疇を出ない裏設定を想像してみた。

低俗な考えを払拭しようと司書に挨拶しようとしたが、先に彼が頭を下げた。

「初めまして奥様。私はこの図書館の司書をしております、ピュートと申します」

どこかの貴族と説明されても違和感を感じないほどに綺麗なお辞儀に私も返そうとしたが、ピュートに止められた。

「私共使用人に奥様がそのようなことをなさらなくて結構でございます。そして奥様のお名前も存じておりますゆえ、自己紹介も省略していただいて結構でございます」

鋭い目線だがそこから感情は伝わってこない。最低限必要なことを説明して相手の言動にも気を使えるところを見ると、仕事も合理的に考えて実行してくれるような安心感を感じる。

人としてというより、仕事をする人として好感を持てた。

「わかったわピュート。さっそくなんだけどこの広い図書館では読みたい本を探せそうにないから、あなたに見繕ってほしいんだけどいいかしら」

すぐに順応した私に少し微笑み「ええ、分かりました」と答えた。

ピュートに持ってきて貰ったのは、この世界の歴史に関する本だ。

ロベリアの知識はあるがそれはほぼ小説に出てきた内容と同じだった。

原作の知識と作者の設定を読んではいたが、魔族の中で生きていくとなると心もとなかった。

そのため私が知らない魔族の性質や生き方、小説の出来事より前の歴史を知りたいと思ったのだ―――。

「難しい…、字が読めないというより分かっているていで書かれているものが多くて、しんどい」

一行を読み進めるたびに知らない言語や言い回しが出てきたため読書はほとんど進まなかった。

汚いメモ書きも冗長なレポートも、ビジネス書だって何冊も読んだ私でも立ち向かえない。

また、すっかり電子に慣れてしまったためか紙の辞書を引くことすら億劫に感じてもいた。

私は図書館の端の机に紹介してもらった本をならべ、すべて軽く目を通したがやっぱり全く分からない。

きっと彼ら魔族には当たり前の歴史なのだと思うが、そもそもグロリアス王国どころがこの人間世界での暦ではなく魔族独特の暦もあるためいつの話か全く分からなかった。

でも「難しくて分からないから読めなかったわ」などと言えるはずもない、自ら調べず学ぶことを怠るなんて社会人としての私が許さない。

とはいえ遅々として進まない状況にどうしたものかと頭を抱えている私の視界に小さな黒い影がよぎった。

とっさにそちらを見ても、誰もいない。

私はそーっと黒い影が見えたところまで歩いて行った。

そこは他の場所よりも本棚同士の間隔が狭くなっており、並べてある本の背表紙を見るとどれも難しそうなものばかりだ。

どんどん奥まで歩いていくと、突き当りになり左側の本棚の一番奥に椅子があった。

本棚に囲まれ奥まったスペースにあるそこに子どもが座っていた。

「ウィード?」

突然名前を呼ばれ驚いた少年は、私を見つめたまま固まってしまった。

息子たちの中では一番出会ってはいけなかったかもしれない子にとっさとは言え話しかけてしまった。

もしここでウィードと出会ったことがカイルにも知られたら、今度こそあの冷たい眼差しだけで心臓を止められるかもしれない。

そして魔王が母親を必要とする理由である存在。

目を見開いたまま私を見るウィード。

どうしようかと周りを見るも当たり前だが本しかない。

このまま何事も無かったかのように戻ろうかとも考えたが、これから親子関係を築いていくうえで悪手な気もする。

視線だけ周囲を見回すとウィードが手にしている本に気がづいた。

絵本のようだ。

やっぱり子どもなんだと思い話しかけようとした時、ウィードは慌てて持ってきた数冊の本を抱きかかえ走ってどこかへ行ってしまった。

まるで警戒心の強い野生のウサギをみているような可愛らしさを感じつつ、怯えさせ

てしまった申し訳なさが混在した気持ちになる。

ウィードが座っていたところへ歩いていくと先ほど広げていた絵本が落ちていた。

慌てていたので1冊落としてしまったことにも気づかなかったのかもしれない。

絵本のタイトルは『レオナルドの冒険』というもので、可愛くデフォルメされた金髪の魔族の少年が表紙に描かれている。

魔族の子ども用の絵本かしらと思い拾ってはみたものの、戻すべき本棚が分からない。

ピュートに聞けばいいのだがせっかくウィードと仲良くなれるかもしれないチャンスだと思い、ピュートに紹介してもらった本と一緒に拾った絵本を部屋に持ち帰った。



初めてここに来た日以外、食事は自室でとっていた。

エリックが言っていたように本当に妻や女主人としての仕事は望んでいないようで、食事のとり方どころかどんなに自由に動いても何も言われることは無い。

それはそれでどうなのかとも思うが。

私はこれ幸いと部屋で食事をとり、体当たりで母親業に挑むより前に知識を得ようと思い行動していた。

魔族の世界で生きていくのだ、最低限の知識は必要だろう。

もちろん小説の知識もあるが、実際にグロリアス王国で過ごしたロベリアの記憶を見る限りではあの国が偏向教育をしていないとは到底言い切れない。

しかも小説での主人公は、エレナとアンドリュー。

小説では彼らが信じる世界、彼らが主観の世界しか書かれていない。

だからこそ情報が必要なのだ。もし私が魔族側で主人公たちと戦うことになった時、一発ずつ殴れるように。

まずはと、ウィードが落とした絵本から読んでみることにした。

何事も簡単なものから手を付けていかないとね、急がば回れよ。

絵本にしては厚みがある読み応えのあるものだ。

子供向けのようだが、ほぼ知識のない私にはとても読みやすく話もすーっと入ってきた。

そして私はいつも間にか『レオナルドの冒険』を読み終え、そして泣いていた。


レオナルドは魔族の少年なのだが、ストーリーはだいぶヘビーだった。

魔族がまだ人間たちとともに暮らしていた時代から、魔族だけの国を作るまでの過程をオブラートに包みながらも、しかし人間にされたことはきちんとすべて書かれていた。

迫害、虐殺、奴隷と元の世界でもあったようなとても言葉にできない行いがそこには書かれていた。

(魔族の子どもはこんな絵本を読むの?)

自分の価値観とは到底異なる“絵本”の内容に驚きつつも、そこはやはり子供向け。

レオナルドは最後に魔族の仲間をたくさん見つけ、幸せに暮らしたという終わり方だった。

読後の爽快感と満足感に浸りながら、この気持ちを誰かと共有したという思いが沸き上がる。

だがこの城の中で仲のいい人もおらず、とはいえ魔王の仕事で忙しいだろうエリックに報告するような内容でもないため、共有したいという気持ちだけが心の中で暴れていた。

ひとまず明日メイドに聞いてみようと思い、ベッドに入った。

そして翌日。

部屋に入ってくるメイドに絵本について聞いてみるが、そもそもここまで厚い絵本を読む子どもはそうそういない事、そして刊行部数が少ないようでメイドも見たことが無い本らしかった。

そもそも知らないのでは共有も共感もできない。

こんなに面白いのにみんな読んでいないなんて勿体ない。

この本の面白さを伝えて読んでみてほしいと進めてみようかなどと考えたが、そういう仲でもないため「ありがとう」と伝えてまた図書館に向かった。

そして自然と歩みは昨日ウィードがいたところに向かっていた。

(この本も返さないといけないし、どっちみに会わないとね)

メイドたちにウィードの部屋を聞いてみたが誰も「お答えいたしかねます。申し訳ございません。」と言うばかりで、もう頼みの綱はこの図書館しかなかった。

そして昨日ウィードがいた場所をそっと覗くと、今日も彼は座っていた。

ここが彼の特等席なのだろう。

昨日は驚かせてしまったが、今日は本を返すという理由がある。

私は少し近づき「こんにちは」と声をかけた。

昨日と同じようにビクッとするウィードによく見えるよう、両手を上げた。

海外ドラマでよく見る“私何も持っていません”のポーズだ。

そしてウィードと同じ目線になるように膝立ちになる。

「驚かせてごめんね。今日はあなたにお話があってきたの」

そういう私に目もくれず、彼は昨日と同じよう本を集めその場を離れようとした。

「レオナルドの冒険!」

私の言葉にまたビクッと体を揺らし反応するウィード。

「あなたが昨日落として行った本を返そうと思って持ってきたの。昨日返そうと思ったんだけど、私あなたの部屋を知らないから持ったままだったんだ」

ウィードは私に視線をむけることはなかったが、固まったまま私の声に耳を傾けてくれているようだった。

「とっても面白い本を読んでるんだね。私絵本なんて数十年ぶりに読んだけど、こんなに夢中になったのは初めて」

少し笑いながら続けたが、ウィードは固まったままだ。

このまま話しかけると彼の精神的負担になってしまう、そう思い絵本だけ置いて帰ることにした。

「怖がらせちゃってごめんね。私、もう行くね。この本はここに置いておくから、私がいなくなったら取りに来てね」

そう言い、近くの本棚の床に絵本を立てかけ立ち上がった時だった。

「どこが、おもしろかった?」

声のするほうに目を向けるとウィードも私を見ていた。

初めて目が合ったウィードをこれ以上怖がらせないように、またゆっくりとしゃがみ笑顔で答える。

「レオナルドが珍しい薬草を他の種族の人たちと協力して取りに行ったところかな」

魔族と人間だけではない、亜人と呼ばれる者たちも一緒に薬草をとりに行く回は涙なしでは読めなかった。

緊張をさせないように本の感想という熱量は抑えつつ、ただ好きなシーンを伝えた。

ウィードは少し笑顔になった。

「僕もね、あのお話大好きだんだ」

体を私のほうに向けて話す彼に、私は嬉しさがあふれた。

そしてこの日から定期的にウィードとは図書館奥のスペースで『レオナルドの冒険』について語り合う仲になった。

最初こそ本棚1つ分の距離があった私たちは、徐々に近くで話すようになり、今では隣に座って本について語らうほど仲良くなった。

あの絵本は特別らしく、今ウィードに勉強を教えている先生が発行した部数の少ない特別な本らしい。

どうりでもメイドたちも読んだことがないわけね。

ウィードは『レオナルドの冒険』が大好きらしく、歴史の勉強をするならこの絵本を読まないと分からないでしょ、と得意げに私に言った。

共通の話ができること以上に、いつの間にか砕けた話し方をしてくれるようになったことがひそかに嬉しかった。

それでも母親というより友だちのようになるよう意識して返事をした。

「そうなのよ、私も勉強しようと思っていろんな本を読んだんだけどやっぱりこの絵本が一番わかりやすいのよね」

素直な気持ちを吐露していく私に、ウィードも親し気に話してくれる。

「そうだよね、僕もそうだったんだ。最初はね、先生の言っていることなんて全然分からなくて、テストもいつも赤点だったんだ」

子どもらしいエピソードを微笑ましく思いウィードの話を聞いた。

「あのね、実はね僕気づいたんだ。先生のお話より、この絵本のほうが分かりやすいんだよ。これは僕たちだけのナイショだからね」

人差し指を口の前にだし、シーッというジェスチャーをするウィードを真似して、私も「分かった、ナイショね」と小声で言った。

私たちは飽きもせず毎日『レオナルドの冒険』について語り、感想を伝えあったり歴史だと暦のどの部分かなど詳しく教えて貰ったりもした。

そんなある日、私は体調を崩して寝込んでしまった。

医者によると「環境が変わったことによるストレス」とのことだった。

メイドたちは心配そうに「奥様、お大事になさってください」と言ってくれたが、正直原因はストレスではないと思う。

ここ最近メイドも連れず一人でお湯がぬるくなるまで入っている長風呂のせいだ。

日本人のさがなのか湯船につかる安心感はまるで実家のようだった。

色鮮やかな花を浮かべて貰ったり、毎日違うアロマオイルが香る入浴タイムは数少ないストレス解消の時間なのだ。

(いやストレス解消しても結果がこれって・・・。それこそ体調管理ができてないってことじゃない、この世界には追い炊きなんて無いのに。とてもじゃないけど風邪を引いた理由は恥ずかしくて言えない…)

医者がストレスと言っていたのだから、もう対外的にはそれでいいかと思いゆっくり眠ることにした。

気づくと外も暗くなっており、汗をかいたからか少し体も楽になった気がした。

今日はウィードと『レオナルドの冒険』の仲間たちについて語る予定だったのだが、あの子はどうしているだろうか。

図書館で待たせてしまったかもしれない。

一応メイドには私が体調不良で寝込んでいることをエリックや屋敷にいる人たちに伝えるようお願いした。

不必要な気遣い(なんて無いかもしれないが)を避けて、風邪をうつさないためだ。

それにウィード個人の名前を出すと、後でカイルあたりに目を付けられそうで怖い。

体調不良で寝込んでいるのに死因はカイルなんて冗談じゃない。

ゆっくりと置きあがり、ベッド横のテーブルにある水と蓋のある小さな小鉢に気づいた。

小鉢の蓋をあけると、そこにはすり下ろされたリンゴが入っていた。

メイドが気を利かせて食べやすいものを用意してくれたのかな。

最初は嫌われていると思っていたが気にしすぎだったかもしれない。

私は水を一杯のみ、ふた口ほどリンゴを食べたあとシャワーで汗を流すことにした。

メイドを呼ぼうとドアの近くに行くと、ドアの下の隙間から手紙のようなものがのぞいていた。

それは糊付けされていない便箋だった。

中を見てみると手紙が一通入っていた。


***


おねえちゃんへ


たいちょうが悪いとメイドからききました。


だいじょうぶですか?


ぼくはおねえちゃんと絵本のお話をしたかったけど、今日はがまんします。


元気になったら、またぼくと絵本のお話してくれますか?


りんごをもらったから、食べて、元気になってね。


またお話ししようね。


ウィード


***


手紙にはウィードの想いが書かれてあった。

私を心配してくれている。

私だけかと思っていたが、ウィードも私と二人で話す時間を楽しいと思ってくれていることが嬉しくて涙が出た。

手紙に涙が落ちないように目を拭き、さっそく返事を書こうと書き物机に向かった。


***


ウィードへ


しんぱいしてくれて、ありがとう。


私は元気になってきています。


ウィードがもらってきてくれたりんごのおかげかも!


とてもおいしかったです。


おてがみにウィードの気持ちがこもっていて、私はとてもうれしかったです。


早く元気になるから、また絵本のお話をしようね。


ロベリアより


***


私も糊付けや封蝋などはせず、便箋にいれてウィードに渡すようメイドにお願いすることにした。

メイドはドアの外で待機しており、私が便箋を渡すと少し笑顔になり「必ずウィード様にお届けいたします」と言ってくれた。

すり下ろしたリンゴをすべて食べきり、シャワーを浴びてまた眠りについた。

翌朝、少しだるい体を起こし今日も安静にしようとベッドでのんびりしている時だった。

コンコンと、ドアをノックする控えめな音が聞こえた。

「どうぞ、お入りください」

メイドかと思い声だけで返事をする。

するといつもとは違いゆっくりとドアが開いた。

入ってきたのはなんとウィードだった。

いつも図書館でしか話さなかった彼が今日は私の部屋まで来てくれたのだ。

ウィードははにかみながら中に入り、そっとドアを閉めた。

「あのね、今日もね元気がないって聞いたから、僕がお見舞いにきたんだ」

最初のころでは到底考えられない、子どもらしい無邪気な笑顔で私のベッドに近づく。

「ウィード、お見舞いに来てくれてありがとう。でもね、今日はもう帰ってほしいの」

絵本を大事そうに抱えてベッドに近づくウィードを止める。

「なんで…?僕のこと嫌いになっちゃったの?」

ライラックと少し被る彼の言動に、この先の言葉を言い淀みそうになる。

「違うわウィード。私は今熱があるの。一緒に居たら、ウィードに熱をうつしてしまうわ。今度はウィードがしんどくなっちゃうの。そうなると、私が悲しいわ」

ゆっくりと納得してもらえるように理由を話す。

そして不安を払拭するために、初めて”ウィード”と名前を呼んだ。

名前を呼ばれたことに気づいていないのか、それとも気にするようなことではないのか分からないが、拒否されないことに安堵した。

しかしウィードはギュッと絵本を抱きしめ、消えそうな声で「分かった」と返事をしただけだった。

心配して来てくれるほど心を開いてくれたという嬉しさと、傷つけてしまったんじゃないかという罪悪感で少し泣きそうになった。

ウィードは静かに、部屋を出ていった。

ウィードが部屋を出てどれくらいの時間がたっただろう。

今度はしっかりとドアをノックする音がした。

どうぞと声をかけると、メイドが便箋をもって入ってきた。

「これをウィード坊ちゃまからお預かりしました」

それは昨夜見た便箋と同じ柄の便箋だった。

私に会いに行けないということで手紙を書いてくれたようだった。

体は重いのに心は弾んでいるような、比例しない状態で手紙を呼んだ。

そこには昨日と同じく私を心配する言葉、そしてまたリンゴを貰ってくるという内容が書かれてあった。

しかし内容は昨日よりも長く、『レオナルドの冒険』についての感想も書いてあった。

嬉しさのあまり部屋を出てウィードに直接話しにいきたい衝動に駆られたが、まだ風邪気味のためうつしてしまうかもしれないと自分を律し、メイドを呼び止めてすぐに返事を書くからと待ってもらった。

そしてその日はウィードと何通か手紙をかわした。

メイドもまさか1日で、しかも同じ屋根の下の人同士が手紙でやり取りするとは思わなかっただろうに、せわしなく私の部屋とウィードの部屋を行き来してくれた。

他の仕事もあるでしょうに申し訳ないと思っていたが、メイドも徐々に「お任せください!」と元気に返事をしてくれていたためお願いしやすかった。

『レオナルドの冒険』を介してウィードと仲良くなり、メイドたちとも前ほどの壁を感じなくなる日が来るなんてあの本は魔法の本なのかもと思ったりもした。

次の日、やっと回復した私は食事もそこそこにすぐ図書館に向かった。

ピュートが私の体を気遣う言葉をくれ、その流れでウィードについて尋ねた。

今日はまだ来ていないとのことだったため、部屋で待っているほうがいいかそれとも図書館で待っているほうがいいか考えあぐねた。

悩んだ末、このまま図書館でウィードを待つことにした。

私が部屋にいないと分かればここに来るだろうと、ウィードの特等席で読書をしながらワクワクとした気持ちを落ち着かせていた。

しかし数時間経ってもウィードは現れない。

もしかして今度はウィードが体調を崩したのかもしれないと急いでメイドにウィードの部屋を聞いた。

屋敷の使用人の誰に聞いても部屋の場所は答えてくれなかったが、唯一昨日手紙の受け渡しをしてくれたメイドだけはこっそりと教えてくれた。

彼の部屋は館を入って正面の階段を上った2階の左側、最奥の部屋だという。

ほぼ行ったことのない2階に行き一番奥の部屋のドアをノックする。

コンコン

返事はない。さらにノックする。

コンコン

居ないのだろうか。

もしかしたら私が知らないだけでウィードは別の用事で出ているのかもしれない。

そう思いドアの前から離れそうとした時、ゆっくりとドアが開けられた。

そこにウィードはいた。

だが彼は頭の上から大きな黒いタオルを被り、顔が隠れてしまっていた。

「誰?カイルお兄様?それともソールお兄様?」

前が見えていないようだがその2人の名前を呼ぶ当たり、この部屋によく来ているのだろう。

私はしゃがんでゆっくりと話した。

「ロベリアよ、会って話すのは久しぶりね」

ウィードは驚いたのかすぐに私に背を向け頭から被っているタオルを外し、今度はベッドの中に潜っていった。

私は部屋入っていいか尋ねようとも思ったが、何かウィードに起こっているのかもしれないと心配になりそのまま部屋に入りベッドの近くに行った。

不思議なことに使用人は部屋の外にも中にもいなかった。

私はベッドの上で震えるシーツ見ながら声をかける。

「ウィード体調が悪いの?私の熱が移っちゃったかと思って心配で来たの」

ウィードは最初のころのように震えていた。

しかし震えた声のまま返事をしてくれた。

「僕、今いい子じゃないから、今日はお姉ちゃんに会えなかったんだ。今日の僕はいい子じゃないから、このまま会いに行ったら嫌われると思ったんだ」

どこかで聞いたような話だと思い、そっとシーツの上からウィードの背中をさする。

くぐもった泣き声がシーツの中から聞こえる。

もう夕方だが、まだ明るい外の光など遮断するように、真っ黒いカーテンが閉じられている。

明かりもついていないこの部屋は、まるでウィードの心を表しているようだ。

私は努めて優しく、彼に話し続けた。

「いい子じゃなくたって、私はウィードのことを嫌いになんてならないわ。いい子でいる必要なんてないのよ。そんなことしなくても、私はあなたを大切だと思っているわ」

「嘘だ、嘘だよ。いい子じゃない僕を好きになる大人はいないんだよ」

幼い子どもがこんな悲しい言葉を断言するなんて。

きっともっと幼い頃に大人から何かされたのだろう。

でも今そこは重要ではない。

ウィードの背中をさする手を止めることなく、気持ちを伝えた。

「嘘じゃないわ、そんな嘘をつく必要はないもの。例えいい子じゃなくたって、わがままで泣き虫で甘えん坊だって、どんなウィードでも大好きよ」

“大好き”という単語に反応したのかウィードがのそのそとシーツから顔をだした。

暗い室内にも目が慣れてきたからかウィードが不安そうに私を見つめていることがわかる。

ウィードはベッドから動かずシーツを両手で掴んだまま聞いてきた。

「大好きは、僕への大好き?それともお父さんの子どもだから、僕が大好き?」

一瞬何を聞かれているのか分からなかった。

だがもしかすると、昔誰かに“エリックの子どもだから好き”と言われたのかもしれない。そしてその時に、いい子でいるようにきつく言われたのだろう。

私は小さな子が抱えるにはしんどすぎる過去を想像し、言葉とともに涙が流れた。

「エリックなんて関係ないわ。ウィードはウィードでしょう。私はねあなたが大好きなの、エリックの子どもじゃなくてもきっと私たちは『レオナルドの冒険』で今みたいに仲良くなれたわ」

我慢していたのか抱えていたものが少しでも取り払われたのか、ウィードは大声で泣きながら私に抱き着いてきた。

その体を強く、強く抱きしめる。

「私の大好きでとっても大切なウィード。どれだけ泣いてもいいわ、私が泣き止むまで側にいるから」

背中をポンポンと叩きながらウィード気持ちを少しでも軽くしようと何度も言葉を重ねた。

涙も、泣き声も、暗い部屋が吸い取ってくれているようだ。

私たちは流れ落ちる涙を止めることなくずっと抱き合っていた。

泣き疲れたのか落ち着いたのかウィードは少し眠そうに目をこすっていた。

私がそーっとベッドから離れようとすると、ギュっと私の服の袖が掴まれる感じがする。

「…行かないで、一緒に寝てほしい」

ウィードは初めて私に甘えながらお願いをした。

でもこのままここに居ればメイドたちは私を探すかもしれない、いや突然いなくなったのだから探すだろう。

もし他の息子たちに見つかったら私の人生終わるかも。

そんなことを考えもしたが、今この子を1人にはできないと思い私もベッドに入った。

「いいよ。今日はこのまま一緒に寝ようか」

「やった!あのね、ギュってしてほしい」

希望通り小さな体を抱きしめると、ウィードは私のほうを向き首元に顔をうずめた。

背中をポン、ポンと叩きながら眠りに誘う。

「あのね、前…本で読んだんだ。…お母さんのクマさんが、子どもをね、ギュっとして寝るんだよ。それがずっとうらましかったんだ」

スヤスヤと寝始めるウィードにまた胸が締め付けられる。

クマの親子の話をうらやむほどに彼は親の愛情を受けとれなかったのかもしれない。

もしかしたら“エリックの子どもであるいい子”を求めたのは、ウィードの母親だったのではないか。

一番恐ろしい仮説を立てつつも私は自分の立ち位置を考え、とても居た堪れなくなった。

私は小説の流れを変えたくて魔王に付いてきた。

目的は、自由とお金。

ここに来たばかりの時はやっぱり子どもなんて荷が重いと感じて、メイドになりたいとエリックに話そうとしていたのだ。

結局エリックと会う前にウィードと仲良くなり、その相談はまだしていないのだが―――。

私が母親という立場で接することになれば、またこの子を傷付けてしまうんじゃないか。誰か知らない大人がこの子を傷つけたように。

いつか寂しい思いをさせてしまうかもしれない。

無責任な自分の今の立ち位置は正直楽だ。

母親になると口では言いながらも今の私は自分のしたいことしかしていない状態なのだから。

ウィードとは今のように話すだけでいいじゃないか、母親なんて名目上だけでいいのかもしれない。

自分の都合のいいように楽観的になろうとするが、それはウィードにとっては結局“エリックに頼まれたから側にいるだけの人間”になってしまう。

それではもっとウィードの心は傷付くだろう。

私が伝えた言葉もすべて嘘になってしまう。

母親になるということは、子どもを無条件に愛し、時には守ること―――。

それが私、若葉わかば麻友まゆが親から受けた愛情だ。

時に叱り、ともに喜び、辛いときは支えてくれ、愛していると抱きしめてくれる。

理想かもしれない、でもどうせ親になるなら私が受けた愛情をウィードにも感じてほしい。

親になるということを考えながら、私は眠りについた。

翌朝ウィードが私を呼ぶ声で起きた。

2人とも泣き疲れたからか、あれから一晩寝たらしい。

ウィードがおろおろしながら両手の指をくっつけたり離したりを繰り返し、ベッドに座った状態で私を見下ろしている。

昨日のことがまだ信じられないのかもしれない。それとも緊張しているのかな?

もしかして泣いて我が儘を言った自分を“いい子”じゃないから愛されないと決めつけて不安になっているのかもしれない。

私はウィードの心の中にあるだろう負の感情を払拭するようににっこり笑い、座っている彼を抱きしめた。

夢じゃない、私はウィードが大好きだという気持ちを込めて。

「おはようウィード。今日は朝ごはん一緒に食べましょう!」

まるで私が甘えているかのようにウィードに提案する。

ウィードは私を抱きしめ返し声を出して笑った。

「アハハハ、いいよ!僕も誘おうと思ってたんだ、一緒の気持ちだね!」

ウィードがこんなに大きな声で笑うのを初めて見た。

そのまま安心してほしくてもう一度抱きしめた。

そしてこの瞬間私は覚悟を決めた。

ちゃんと母親になろう―――。

息子たちに全力で向き合ってみよう。



ベッドから出るとウィードが両手を遠慮がちに伸ばしてきた。

その動作にこたえるように私はウィードを抱き上げる。

8歳の子はこんなに重いのかと少し感慨深くなった。

これからもたくさん抱き上げられるようにもっと運動して筋肉もつけたほうがいいなと思いながら、まだ抱っこできるウィードをギュっと抱きしめる。

「これからウィードのことをたくさん抱っこしないとね」

笑顔で言うとウィードは不思議そうに首をかしげる。

可愛いと思い柔らかい頬をつついた。

「ウィードはこれから私より大きくなるから、今のうちにたくさん抱っこしておかないともう抱っこできなくなっちゃうでしょ」

喜ぶかと思ったウィードの顔は、なぜか悲しそうな表情になった。

「…お姉ちゃんは、まだうちに居てくれるの?いつまでいるの?お父さんのこと嫌いになったら出ていくの?僕のこともいつか嫌いになる?」

いつか離れてしまう愛情を恐れているんだ。

(それもこれも昨日まで私が覚悟が決まらず、曖昧な態度だったせいもあるけど)

ウィードの背中をゆっくりと叩き額に私の額を重ねる。

「そんなことになんてならないわ。私は、ウィードのお母さんだからね」

嘘ではない、親として息子たちに向き合うと決めたのだ。

もしかしたら新しい母親なんて受け入れられないかもしれない。

境遇は違っても、ロベリアも継母との距離感に悩んでいたから義理の母親との関係が難しいことは分かる。

でもどうかこの子の心にあるわだかまりが無くなるまでは、母親として側に居たいと思った。

「…ママ?」

小さくつぶやく声に今度は私が怖くなり早口で言ってしまう。

「すぐにママって呼ぶ必要はないし、この先も呼ばなくていいのよ。ただ、私がウィードのお母さんになりたいと思ったの」

なぜか言い訳がましくなる言葉。覚悟は決めたはずなのにいざ気持ちを伝えるとなると本当に私でいいのか不安に駆られる。

ウィードはくっつけていた額を離し、泣きながら言った。

「ママ!僕にママができたんだ!!ママ、ママ!!」

嬉しそうに大きな声を出し、またぽろぽろと涙を流す。

「…えぇ、ママよ。ウィード、私のかわいい子」

またお互い泣きながら、抱きしめあうのだった。

部屋を出ると使用人たちが慌ただしく屋敷内を歩いていた。

何かあるのだろうかとウィードと様子を見てみると1人のメイドが私に気づき「奥様!!」と声を上げた。

その声を聞き他の使用人たちも集まってきた。

メイドは息を切らしながら私とウィードの側に来た。

「どちらに行かれたのかと探しました」

息を整えながら心配そうに言ってくれたが、すぐに隣に立つウィードの姿を見てとても驚いていた。

「ウィード様、おはようございます。朝から騒がしくしてしまい申し訳ございません」

挨拶をして深く頭を下げる彼女にウィードは「おはよう」と呟くように言い、私の服の裾を掴んだ。

なぜメイドにここまで緊張しているのかと違和感を感じつつも、ここまで探させてしまって申し訳ないと思い今度は私が頭を下げようとした時、階段から焦った表情でカイルとブランドン、そして紫色の髪色をした天パの青年が上がってくるのが見えた。

紫色の髪の青年は使用人が着るような服でもカイルたちが着るような豪華な服でもなく、全体的にくたびれた印象の長袖長ズボンを着ている。

そして驚くことに裸足であった。

彼らが私たちの前に来たタイミングで私は頭を下げる。

「一晩言伝ことづてもなく部屋を留守にしてしまってすみませんでした」

深く下げた頭上から「チッ」と舌打ちが聞こえた。

裸足の男がウィードの前に立ち目線を合わせるようにしゃがんだのが視界の端に見えた。

「ウィード、これはどういう状況だ」

怒っているような心配しているような低い声がウィードに尋ねる。

「・・・ごめんなさい兄様。あの、えっと・・・」

ギュッと私の服を掴む力が強くなる。

会話から察するに紫色の天パはウィードの兄―――会ったことの無い息子だろう。

ウィードが怒られていると感じて頭を上げて慌てて弁明しようとすると、紫色の天パは私を睨みつけていた。

今まで見たことのない冷たい視線―――体が震えて鳥肌が立つ、これが殺意なのかもしれない。

その視線を受け、体温がどんどん下がっていくような体が冷える感じがした。

とはいえ自分の蒔いた種なのでその視線も甘んじて受け入れるよう努めた。

そして弁明した。

「ごめんなさい、私がウィードの部屋に行ってうっかりそのまま寝てしまったの」

「おいウィード、本当か?」

視線をウィードに移し私の言葉の真偽を確かめるように尋ねた。

ウィードはおろおろしながら私と兄を交互に見た後、深呼吸をして説明をした。

「あのね、本当は僕が側にいてほしいって言ったんだ。クマの親子みたいに一緒に寝て、それから僕のママになってくれるって言ってくれたんだよ」

頬を少し赤らめたウィードはとても可愛かったが、紫色の天パはその肩をガシッと掴んだ。

「ありえない、ありえないだろ。いいかウィード、俺たちに母親はいない!」

その声はまるで怒鳴っているかのようだった。

「お前に母親なんていらないだろ、俺たち兄弟がいればそれでいいじゃないか!」

「イヤだ!僕はママが欲しいよ、ママに側にいてもらいたいよ!なんでそんなひどいこと言うの?!」

ウィードも感情的に言う。

「酷いのは俺じゃない、母親ってやつだ!それにお前の本当のママってのは、俺たちが処分し・・・」

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!聞きたくない!!・・・僕のせいだ、僕のせいでママが!!うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」

ウィードは突然大声で泣き叫んだ。

咄嗟に抱きしめようと伸ばした手を紫色の天パに跳ね除けられる。

しかしそんな兄をウィードは両手で押し返し、自ら私に抱きついてきた。

泣き叫びながら私にしがみつく姿に胸を痛めながら、落ち着くまで背中をトントンと叩く。

押し返された兄だけではなく、カイルもブランドンも驚いたようにこちらを見ていた。

どれくらい経っただろうか、落ち着いたウィードは顔だけみんなに向けて言った。

「僕のママを殺したのはお兄様たちなのに・・・」

8歳の子どもの口から出た言葉とは思えない内容に、私は思考停止してしまった。

母親を殺した―――?

嘘だと思いたいがこの場にいる誰も言い返すことなく、使用人たちまでも私と視線を合わせることなく俯いたり目を背けたりしている。

ウィードの腕の力が強くなったその時、カイルが困ったように笑い近づいてきた。

「ウィード、その話はまた今度にしよう。それより朝食を食べに行こうか、お腹すいてるだろ?」

ロベリアさんもと付け加え、使用人たちと他の兄弟たちにも促す。

その提案をきっかけにみんなが階段を降りるなか、紫色の天パだけがまるで動けないかのようにそこに立ち尽くしていた。

声をかけるにも何と言っていいか分からず、ズルズルと鼻をすするウィードを抱き上げて私も階段を降りる。

私の一晩不在の件は、ウィードの爆弾発言で霞みその後誰からも咎められることは無かった。

その日の朝食は以前にも増して気まずかった。

エリックはこんな大変な日にもかかわらず不在、カイルとブランドンだけが席についていたが何もしゃべらない。

ウィードだけが何もなかったかのように私に話しかけ、初めて会った時とは別人のように笑顔で食事をしていた。

朝食後、ウィードとはお互い身支度を整えてまたお昼過ぎに会おうと約束して部屋に戻る話をした後のことだ。

「ロベリアさん」と呼び止められた。

振り返るとそこにはカイルとブランドンが居た。

カイルは珍しく焦った表情をしており、ブランドンは笑顔で両手を頭の後ろで組んでいる。

先ほどのウィードの爆弾発言についての話だろうか。

カイルは「お話したいことがあります。別室にご案内しますね」と、朝食後早々にお茶の時間となった。

部屋に通され、机を挟んで向かい側にカイルとブランドンが座っている。

神妙な面持ちのカイルは落ち着いたトーンで話し始めた。

「なぜあなたはウィードと仲良くなっているのですか?」

質問の意図が掴めないでいると「どうやって仲良くなったか知りたいんだ」と笑顔でブランドンが聞きなおした。

私は図書館で『レオナルドの冒険』という絵本を拾い、そこから本を通じて仲良くなったことを話した。

ブランドンは先ほどよりも笑顔になり「そうかそうか!よかった!」と言い、カイルは両手を組み頭を下げているため表情が見えない。

しかしカイルは私の話を聞いた後にため息をついた。

「あなたのせいでまたウィードを悲しませてしまう。あなたは”母親”になってはいけないんだ」

カイルは真剣な面持ちで言うが私を嫌って言っているようには見えない。

「カイルさすがに言いすぎじゃないか。ウィードにとっては2人目の母親だぜ?それにあんなに懐いてたんだからロベリアさんを母さんとして扱っても問題ないだろ」

ブランドンが笑顔でカイルの言葉に異を唱えるも、カイルはそうじゃないと頭を横に振る。

「だからだろう、こんなにも懐いてしまったんだ。もしロベリアさんに裏切られたらウィードは壊れてしまうかもしれない」

「ちょっと待って。私はウィードを裏切ったりしないわ」

私の言葉を嘲笑するように「どうかな」と続けるカイル。

「あなたは人間でここは魔族の国だ。あなたがどういう理由でここに来ることにしたのかは知らないが、魔王が用無しだと言えばあなたは元の国に戻ることができる。所詮、私たちはその程度の仲ではないか」

最初は”ママ上”なんてふざけて呼んでいたくせにと思うも、私がすぐに自国へ帰ると思っていたからなのかもしれない。

私は昨日決めた覚悟について話した。

「今まではそうだったかもしれない。でも私は決めたの、ちゃんと母親としての役目を果たすって。私は人間であなた達は魔族だけど、だからといって憎み合う必要なんて無いでしょう。私は魔族のことをもっと知りたいし、そのうえであなた達の親として生きていく覚悟はあるわ。ウィードもあなた達のことも裏切ったりしない」

エリックにお役御免と言われればそれまでだけどと小さく呟き、それでも私は真剣であると伝わるようカイルとブランドンの目を見た。

彼らは驚いていたがカイルは渋い表情をしていた。

ブランドンはカイルの肩に手を置き話しかける。

「なぁカイル、やっぱりこの人は大丈夫かもしれないだろ?その証拠にこの人は親父を好きだとか愛してるだとか言わない」

ここでエリックがなぜ出てくるのか分からず私は首を傾げた。

(むしろエリックを愛して両親の仲がいいほうが子どもたちにもいい影響になるんじゃないかしら。まぁ私はエリックを愛してはいないけれど)

カイルは迷ったようにブランドンを見るが「だが前の母親だって・・・」と苦い表情で呟いた。

私はそれを聞き逃すまいとすかさず質問した。

「前の母親が問題ってこと?ウィードにとって私は2人目の母親って言ってたわよね、詳しく教えてほしいの」

カイルは苦い表情のまま、ブランドンは困ったように頭を掻く。

「あなたには・・・話せません」

「おいカイル!ロベリアさんは俺たちの母さんになる覚悟があるって言ってくれたじゃないか、信じてみようぜ」

「お前も分かっているだろ!信じたら裏切られたときによりしんどくなる。俺たちはもう慣れちまったが、ウィードはまだ子どもなんだぞ」

「だからって分別の付かない馬鹿じゃない、ウィードだって自分で考えられるしあの出来事から数年経った、成長してるんだ。俺たちが信じないでどうする」

ブランドンは力強くカイルに言った。

それでも渋い表情でどこか虚空を見つめているカイルは返事をしない。

そんな態度にじれたのかブランドンはパンッと手を1回叩き宣言した。

「俺はロベリアを信じる!カイルも悩むならロベリアを信じる俺を信じてみろ!もし怪しい動きをしたらその時俺たちが動けばいいだろう」

決定事項のように言い「母さんには監視するって宣言するようで悪いが」と私にも了承するように促した。

「私はいいわ。ついこの間までみんなと何の関わりもなかった人間だから、監視されたって文句言われたって仕方ないわ。もう覚悟はできたし。ただ、私はウィードを蔑ろになんてしないし裏切ることも無いと誓うわ」

私の言葉に満足げなブランドンと未だに懐疑的なカイル。だが「分かった」とカイルが呟き、ひとまず私たちの間での認識は統一された。

一応今日の出来事について父親のエリックにも報告しておこうかと考えていた時、今度は落ち着いた声色でブランドンが続けた。

「あとはソールの対応だが、俺たちじゃああいつを説得するのは難しい。これからウィードともっと仲良くなるにしてもソールとの関係も築いていったほうがいい」

ソールは先ほど階段の上に居た紫色の天パの青年のことらしい。

全体的によれよれでくたびれた服を着ており、髪も伸ばしっぱなしのためか目元は隠れ暗い印象を受ける。

どの方面から仲良くなれるか全く想像がつかないが、確かにウィードに対して強い口調で話していたし”母親”という存在そのものを嫌悪しているような言い方だった。

いずれ仲良くなる予定だったし、思っていたよりそのタイミングが早くなっただけだと思いなおして気合を入れるようにパンッと自分の頬を両手で叩く。

目の前の2人は私の行動に驚く目をぱちくりさせている。

「カイル、ブランドン、話してくれてありがとう。早速ソールに会いたいんだけど、私未だにみんなの部屋を知らないのよね。だから案内してほしいんだけど」

しかし「それは出来ない」と2人揃って言った。

プライベートスペースを伝えるほど、まだ私のことが信用できていないのだろう。

息子たちの部屋どころか形式上の夫でもあるエリックの部屋さえも、使用人の誰に聞いても「申し訳ございません、お伝えする許可が得られておりません」と言われるばかりだった。

ウィードとはメイドを通して手紙のやり取りしていたからかひっそりと教えて貰えたが、本当は教えてはいけなかったのかもしれない。

今日使用人たちが私を探していたということは、私にウィードの部屋を教えたことを夜が明けてもなお誰にも話さなかったということだ。私を探すよりも優先するような命令だったのかもしれない。

雇われている身なのだ、それは仕方がない。

それにエリックの考えとはいえ休戦中の国の貴族令嬢が嫁いできたとなると、警戒をしても不思議ではない。

(もし私があの国の王子の婚約者だったなんて知られたら警戒どころじゃ済まないわね。隠しているわけじゃないんだけど、さすがに今は話せる状況じゃないわ)

今後の身の振り方を考えたが、今はソールと話すことが第一優先だと思い部屋ではなく彼がよく行く場所を教えてもらった。

引きこもりのためほとんど自室にいるとのことだったが、その他には植物園にいることが多いのだそうだ。

なんでも彼は毒に詳しく、自分で植物から育て薬剤の調合なども行うらしい。

部屋を出る前にウィードのママを殺したという発言について聞いてみたが、そこについても教えてはくれなかった。

今の関係性だとまだ早いということかもと考え、他人の暗い過去をわざわざ掘り返す必要も無いため「分かった」と言い植物園に向かうことにした。

大きな屋敷の裏手に植物園はあり、ほぼ透明の建物だが暗い印象を受ける。

日当たりが悪いわけでもなく今日の天気が曇りや雨なわけでもないのだが、なんというか醸し出す雰囲気がじめっとしており入るまでに数分戸惑った。

(とはいえ中に入るしか私に選択肢はないんだけど)

メイドに着いて行くと言われたが1人で考えたいこともあるからと遠慮してもらった。

意を決しおじゃましまーすと小声で言い扉を開けた。

中は意外と明るく外観の暗い印象とはかけ離れていた。

植物の種類や貴重さはよく分からないが、とにかくたくさんの種類が植えられており区画がきっちりと分けられている。

この植物園は庭師なども入ってくるようだが管理はほぼソールが行っているらしい。

ここに来るのも彼にとってのもう1つの大切な空間だからなのだろう。

今日の朝―――といってもつい先ほどだが、睨まれて殺意に恐れおののいていた私が急に話しかけて大丈夫だろうか。

思い立ったが吉日!と言わんばかりに来てしまったがここに来るまで結局仲良くなるための材料は思いつかなかった。

それ以前に私はソールのことを何も知らない―――なんならこの家の人たちの事、魔族という種族についてもあまり分かっていない。

まぁほぼ自室に居ると言っていたし今日ここで会えるとも限らないため、私はゆっくり植物園を見て回っていた。

素人目でも分かるほど手入れがきちんとされており、大切にされていることが見て取れる。

(植物でもこんなに大切にする人だから、きっと今日ウィードに強い口調で話していたのも弟が心配だったからでしょうね。たぶん、きっと、偏見だけど)

どこまでも続いているように広く、いつの間にかただこの空間を楽しんでいた。

だから気づかなかった、後ろに人がいることを。

「チッ」と舌打ちが聞こえ周りを見てみると、背後にソールが居た。

ウィードと一緒にいた時ほどではないが前髪から覗く瞳が私を睨みつけていた。

よれよれの服は少し泥で汚れておりくたびれ感が増している。

まさか本当に今日会えるとは思っていなかったため頭の中で何を言おうか迷っていると、ソールは私を避けて歩いて行った。

よかったという思いとこのままだとダメという思いがない交ぜになる。

(どうした私、覚悟を見せてみろ!今こそ!!そう、気難しい取引先の担当者と会う時の気持ちと対応を思い出すのよ!)

心の中で再度自分を奮い立たせてソールの後を追い、話しかけた。

「おはようございます、ソールさん。私はこの家に嫁いできたロベリアと言います、よろしくお願いします」

まだ正式に婚姻関係は結んでいないためみんなと同じファミリーネームを使うわけにもいかず、また公爵家の名前も言いたくないため失礼とは思いつつもファーストネームだけで自己紹介をした。

それでもソールは何も反応せずスタスタと前を歩いていく。

「私エリックに頼まれたんです、息子たちの母親になってほしいって。それから私も考えてやっと覚悟を決めたんです、親として頑張るって。だからそのことをソールさんにもお伝えしたくて・・・」

”母親”という言葉を聞き急にソールは止まった。

(あぶなっ、危うくぶつかるところだった)

私も彼の背中を目前に急ブレーキをかけて止まった。

やっぱり彼の中で”母親”という存在は何か特別な意味があるのだろう、よくない意味だろうけど。

ソールは振り向きもせず小声で何か言っている。聞き耳を立てていると、きっと私に言っているだろう内容が聞き取れた。

「・・・そう・・だ、あいつはいつもそうなんだ。俺たちに何の説明もなく急に母親だのなんだのを連れてきて、俺たちの生活を壊すんだ。何にも知らないくせに親父面したかと思ったら何も知らない女連れてきて母親とか舐めてるだろ。俺たちはペットじゃねぇんだぞ」

早口だがエリックと母親という存在をいかに嫌っているかが分かった。

「お前だってそうだ、俺はもういいけどウィードが傷つくかもしれねぇ・・・。それはダメだ、もう親父にも母親ってやつも信じない。俺たちは兄弟がいればそれでいいんだ、無遠慮に入ってきやがって」

私に向かって話してはいないが確実に私に対しての気持ちの吐露だと判断して答えた。

「エリックとあなたたちがどんな関係かも知らないし、あなたたちの過去に何があったのかも知らないけれど、今はっきりと言えることは私は母親になる覚悟があるってこと。そしてウィードと仲良くなって、彼にとっての本当のママになりたいってことです」

言い切った私に今度は振り返り「嘘だ、お前人間のくせに」とボソッと言った。

「人間の中でもあのグロリアス王国の貴族なんだってな、魔王城に何しに来たんだよ。偵察か?悪いが息子を手籠めにしたって魔王の情報は何も得られないぜ、あいつは俺たちのことを何とも思ってないからな」

あざけりながら吐き捨てるように言いニヤッと笑ったソールは少し悲しそうにも見えた。

「そんなわけないじゃない。私はたまたま生贄を求めてたエリックに声をかけたのよ、もしかしたら奴隷にされるのかもと思っていたんだから。でも母親が必要だからとお願いしてきたのはエリックよ?あなた達のことを想っているからでしょう?」

私があの国のためになるようなことなどするはずもないがそんな言葉だけでは信用できないだろうと、エリックと初めて会った時の話を事実として語った。

ソールは驚いた表情をして「あんたは何も知らないくちか」と言い、さっきまで睨みつけていた眼差しが和らいだ。

何も知らない?確かにそうだけど、該当する”知らない”が多すぎて何のことが全く見当もつかない。

「・・・ウィードと仲良くするのはほどほどにしろ、深く関わるとお前が居なくなった時あいつが傷つく」

「だから母親になる覚悟があるって言ったでしょ、居なくなりません!」

「そうか、今はそうだろうな。でもいずれ分かる、俺たちもお前も所詮魔王のための駒なんだ。あの国に帰りたくなったら夜逃げるように祖国にでも帰るんだな。俺は止めない。でももし俺たち兄弟に何かしようと考えたら、ただじゃおかない」

そう言ってさっきよりも早足で去って行った。

何も解決していないがひとまずウィードと一緒に居ることについてはまぁ大まかに見積もって許可を得たということにしよう。

しかしエリックの発言とは裏腹に息子たちは親から愛情を受け取っていないという素振りをしていた―――ソールだけではなく、他の兄弟たちにも言えることだが。

(お昼まではまだ時間があるし、エリックの予定を聞いて話す時間を作りましょう。ちゃんとどういうつもりで生贄を求めたのか、子どもたちとどうせかつしてきたのか聞かないと)

色々と考えながら、ゆっくりと植物園を周り出口に向かった。

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