生贄に立候補

思わぬ街の人との交流でとても楽しい時間を過ごした。

しかもアンドリューは顔がばれたため、もうお忍びで出かけることもしにくくなったことだろう。

「いい気味で最高!」

織物を勧めていた店主とルナ、護衛騎士がえっ?と声を出す。

「ごめんなさい、織物の黄色味具合が素敵と言ったの」

店主はそうかと笑いながら織物を勧め続ける。

ルナと護衛騎士は訝しがりなりながらも黙っていた。

アンドリューもエレナも、ロベリアとしても私のあの行動は想定外だったでしょうね。

通常貴族は感情を出さないように教育を受ける。

特に平民の前で自分の弱点となり得るところを見せるなんて、プライドが許さない。

でも私は体だけ貴族、心は庶民の社畜。

たとえ貴族にとって恥だとしても、公爵家の名誉などどうでもいいので私には無関係ともいえる。

私には傷つくプライドもない。

どうせ今日で公爵家からおさらばするので説教を受けることもない。

まさかあんなにあっさり街の人たちを味方につけられるとは思ってなかったけど、これである程度アンドリューの株も下がったはずだ。

甘やかされて育てられたあの王子はまだ知らないのだろう―――国のトップとして求められる王族のあるべき姿を。

そして国を形作っているのは民であることも。

まぁ実際国王も王妃も権力と金のことしか考えていないから、あんな子どもに育ったのかもしれない。子どもは良くも悪くも親の背中を見て育つって言うものね。

物語上仕方ないとしてもなぜ浮気をしたり婚約破棄を言い渡したりする王子や貴族はみんなバカなのか、と疑問に思たことがある。

でもあれは逆ね。それほど無知で傲慢でなければ、そもそも婚約者を蔑ろにはしないということだろう。

頭の中で“なぜ王子は愚かなのか”を考えながら街を一周したころ、街の中央―――噴水の近くが慌ただしくなった。

様子を見て参りますという騎士に、私も行くわと歩き出す。

「いえ、お嬢さまを守ることが私たちの務めです。どうかこちらで待っていてください」

「いいえ、待ちません。私はいずれこの国の王妃になるのよ。国民を守るのは私の責務、民に何か起こっているのなら私には知る必要があります。だから止めないで、そして近くで私を護りなさい」

騎士も言いたいことがあるようだったが、国民を守るためと大義名分を大きな声で言うとバツの悪そうな表情でそれ以降は何も言わないでいてくれた。

まぁ王妃になんてなる気は無いのだけれど、などとは口が裂けても言えない。

これから公爵令嬢としての責務から解放されると思っていても、私は少し緊張していた。

きっとあの喧騒は魔王が来たからに違いない。

小説では強大な力を誇示する恐ろしい存在として書かれていただけに沸き上がる怖さを止められなかった。

そして噴水のある広場につくと、噴水を中心に空一帯は紫がかった黒色で覆われていた。

噴水の上には―――人が浮いている。

より近くで見ようと人ごみをかき分け進んでいくとはっきりと見えた、あれが魔王だ―――。

羊のような角が耳の上から生え、毛先にゆるくウェーブのかかった赤く長い髪に、黒いビロードのマントが映える。

見た目は30代ぐらいに見えるが、魔族なら実年齢はもっと上だろうか。

浮いているからか、より背の高さとしっかりとした体躯が目立つ。

不敵な笑みを浮かべゆっくり降下しながら、よく通る声でしゃべり始めた。

「やぁグロリアス王国の民たちよ。私はお前たちの言う、魔王だ。今日はこの国の国王に用があり、わざわざ私自ら出向いてやった。さぁ、早く国王を呼べ」

不遜で傲慢な態度で言い放つ姿は、まさに想像していたとおりの魔王。

見た目も小説の通りだ。

誰もが恐れ声も発せられない状態だったがどこから来たのか王家直属の騎士や兵士、どこかの貴族の紋章が刻まれた鎧を着ている騎士が魔王の前に出る。

護衛騎士も私の前に立った。

ルナに腕を引っ張られながら、早く逃げましょうと言われる。

それでも私は動けなかった。

怖さではない、魔王のあまりの美しさに見惚れてしまったのだ。

(眼福~)

ライブでアーティストを生で見た時のような高揚感が沸き上がり、先ほどまでのこわばった緊張もほどけ、計画を実行するタイミングを見計らった。

ルナに促され噴水広場が見える少し遠くまで下がった。

「ルナ、怖かったらあなただけでも逃げていいのよ」

(私はこの人に用事があるから)

逃げることを提案するもルナは強く首を振った。

「いいえ!お嬢さまを置いて逃げたりなどいたしません!もしものことがあれば、わ、私がお守りします!」

震える声で今にも溢れそうな涙を目に浮かべながら、力強く言った。

私のことを思って怖さを我慢して断言してくれるルナの手を握り、噴水周辺を見た。

どんどん出てくる兵士たち、この状況でまず戦闘の口火を切ったのはアンドリューだった。

「魔王よ!お前がどんな理由でここに来たかは知らないが、ここであったが百年目!無事帰れると思うなよ!!」

物語の王子らしい啖呵を切るも、魔王は顎に手を置いて考えるようなポーズをとり、

「はて。百年前にそなたと出会ったことは無いと思うが?」

としっかり煽る。

そこで上手く言い返せばいいものの、アンドリューはバカにされた怒りで遠くからでも分かるほど顔が赤くなっていた。

「バカにしやがって。いいか!俺はこの国の王子、アンドリュー・グロリアス・ユーファリアス。いずれこの国を統べる次期王だ!お前の名前は聞かぬ、この無法者め。行くぞみんな!この国を荒らしに来た敵に、鉄槌をくだしてやるのだ!!」

おおおおぉぉ!!!!!と四方八方から雄たけびが上がる。

いつの間にか数十人にも増えた男たちが刀を持って魔王に飛び掛かる。

だが、見えない壁でもあるかのように近づくことさえできない。

「ずるいぞ!」

アンドリューが大声で魔王に言うがなんて恥ずかしいのだろうと思わざるを得ない。

戦いを前に“ずるい”は存在しない。

魔族との戦争を学んだ人間であれば、魔王があれくらいのことをしたっておかしくないと思うだろう。

そうでなくとも魔族はみな魔法を使えることなど常識だ。

必ずしも相手が自分と同じ土俵で戦ってくれるとは限らない。

(この世界の人間だからそんな考え方になるのかしら?王子としての教育は本当に受けてきているの?現代とは違うとはいえ、敵対する相手は自分の土俵に巻き込んでこそなのに。一回社会人としての経験を積むべきね)

そんな考えにも至らない男がこの国を背負うと豪語したことに、私は笑いを堪えるのが大変だった。

この小説をコメディだと思って読めばもっと楽しめたのかもしれない。

よくもあんな王子を育て国を統べるなどと言わせるような教育をしたものだと、改めて国王と王妃を軽蔑した。

まったく攻撃が当たらないなか、魔王がしびれを切らしたのか右手を頭上に挙げる。

すると右手のひらにまるで光が集まるかのように、輝く玉が形成されていく。

私は“本当に異世界に来たんだ”と今更ながら感動していた。

そしてテニスボールぐらいになった光の玉は、アンドリューに向かって勢いよく飛んで行った。

まるで重いものでも当たったかのようにアンドリューは1メートルほど飛ばされ、人ごみにぶつかった。

その白い球は消えることなく、まるで生きているかのように他の騎士や兵士にぶつかり圧倒的な力で倒していった。

ボーリングの玉を自由自在に動かせるとしたらこんな感じかしらと思わせるような動きだ。

その中にはもちろん公爵家の護衛騎士も含まれる。

わずか数十秒の出来事で街中が騒然となった。

「ふむ、今までも大して強くはなかったが、もしや貴様らまた弱くなったのか?それともここにいるお前らが特別弱いのか?」

疑問を投げかけているていでつぶやくも、答えられる者はいない。

圧倒的な強さ、そして見た目の人外具合、からのイケメンさ。

この場で内心興奮しているのは実は私だけだけではないのではないか。

それほどまでに圧倒的だった。

心の中で“ヒュー!かっこいいですよ魔王様―!”なんて声援を投げていると、人ごみをかき分けて豪奢な馬車がやってきた。

馬車は白を基調としており、縁に金箔を惜しげもなく使用している。

権力を持つと金箔を使いたくなるのかしら、などと考えていると中から国王が降りてきた。

国王の風貌はロベリアの記憶でもうっすらとしかない。

それほどおいそれとは会えない人なのだろう。

想像では白髪で髭も伸びていたが、全然そんなことはなかった。

白髪交じりではあるが髪の毛は魔王とはまた違った血のような赤毛、そして体躯はがっしりとしており、魔王ほどではないが風格がある。

鼻の下に整えられた髭があり、それをなでながら魔王の前に立った。

「何用だ魔王、そなたら魔族とはいま休戦協定を結んでいるはず。このように単身で来られあまつさえ国の兵に手を出されては、わしも黙っていることはできぬ」

先に攻撃したのはあなたの息子さんですけどね、と思いつつ様子を見ていた。

魔王はまた不敵に笑い、言った。

「戦争をしに来たのではない。今日は、生贄をもらいにきたのだ」

街中の空気が凍るように冷たくなりみんなが息をのむ中、私は心の中でガッツポーズをした。

春の穏やかしかないこの国にいきなり冬を迎えたかのような空気の冷たさが漂う。

傍らでは女性が泣き、子どもを守るように抱きしめる大人や絶望で膝から崩れ落ちる人など、絶望という言葉がぴったりな状況だった。

国王はゆっくりと深呼吸をして威厳のある声色で話す。

「なぜ生贄を渡せば成らぬ。それで戦争をしに来ていないとはよく言ったものだ。本当は何が目的だ」

息子とは違い冷静に怒りを込めた言葉を投げる国王。

だが魔王も態度は変わらない。

「なぜだと聞かれればそなたが一番わかっているのではないか、ユーファリアスよ。俺はまだお前に直接お願いをしに来ただけマシと言うものだ」

どういう話かは分からないが国王や周りの側近たちの空気が変わった。

このまま問答が続くと思っていたがあっさりと国王は折れた。

「…いいだろう。生贄はどのようなものを望んでいるのだ。牛か、馬か、それとも鶏か」

「バカにしているのか。家畜を欲してくるわけがなかろう。そうだな、人間の若い娘を連れて来い」

「「!!!!」」

騒然とする広場に若い女性の悲鳴が飛び交う。

娘を隠そうと家に入り、ドアを閉める音も聞こえてくる。

「なぜ、若い娘なのだ。なぜ家畜では…」

「グロリアスの王よ、何度も言わせるでない。生贄は若い娘、1人で良いのだ。良心的であろう」

まるで親切とでもいうように魔王は笑いながら言い切った。

どんな理由かは分からないが、国王たちは動揺している。

それもそうだろう。

圧倒的な力を前に、人間を1人生贄に差し出さなければならないのだから。

でも安心してほしい、ここに志願者がいる!

私は今だとばかりに歩き出そうとしたが、腕を強く掴まれた。

ルナが泣きながら、声にならない声でお嬢さまと私の呼びかける。

体が震え瞳は怯えている。

大丈夫だから、ね、と優しく声をかけルナの手を腕から離す。

「分かった。だが今すぐには用意できぬ、しばし時間が欲しい」

国王がそう魔王に伝えた瞬間、私はヒールを脱ぎ捨て魔王のもとに走り出していた。

(ごめんね、ルナ。本当に、ごめんね…)

突然やってきた私に国王も魔王も、騎士や兵士、街の人たちも目を向ける。

ヒールで颯爽と歩いてこようかと思っていたけど、このまま国王の提案にのり魔王が消えてしまえば私になすすべはなくなる。

「初めまして魔王様。私、グロリアス王国 ケールズリンド公爵家が娘、ロベリア・ケールズリンドと申します」

激しく動く心臓を落ち着かせる間もないため、少し声がうわずる。

うやうやしくカーテシーをしたが、裸足だと少し不格好に見えるなぁと思い余計に心は焦る。

しかしこれは千載一遇のチャンス。

絶対にこのチャンスをものにすると顔を上げた瞬間、「ロベリア!なぜここに!!」と公爵の声が聞こえた。

公爵は国王と共にこの場に来ていたらしい。

ちょうどいいタイミングだ。

「不躾ながら、魔王様に一つ質問がございます」

公爵の声などまるで聞こえていないかのように凛と背筋を伸ばし、じっと魔王の目を見つめる。

「やめるんだロベリア!!戻れ!!」

私はただ魔王を見つめ続ける。

ふむ、とまた顎に手を置き考えるポーズをとる魔王。

「よいだろう、ケールズリンド公爵家のロベリアよ。私への質問を許そう」

「ありがとうございます」

胸に手を当て会釈をする。

そして、少し息を整えて切り出した。

「若い娘1人が魔王様についていけば、この場は収めてくださいますか」

公爵はもう私の名前を呼ばない。

公爵だけでなく、ここにいるすべての人が息をのんで魔王の答えを待った。

「そうだな、いいだろう。別段争いたいわけではない、これは本当だからな。若い娘1人差し出せば私は帰るとしよう」

その解答にまた民衆がざわざわとしだす。

周りを見渡すと、ルナは泣きながらこちらを見ていた。

アンドリューも目が覚めたようだったが、両脇を支えられながら立つのがやっとのようだ。

そして国王と公爵だけが青い顔をしている。

まさか私の考えに気づいたのかしら。

見てなさい、あんたたちが操り人形だと思ってきたロベリアが、自由に歩き出す姿を―――。

私は魔王の回答を聞き一歩また前に出た。

「ご回答いただき大変うれしく存じます、魔王様。そして続けて不躾なことを申し上げる私をどうかお許しください」

魔王は私から目をそらさず、ただ見下ろし続けた。

「その生贄、私がなるのはいかがでしょうか」

民衆の声が一気に大きくなる。

若い娘、しかも公爵家の娘が生贄に立候補したのだ。

誰も考えていなかったであろう展開に一同騒然としていた。

「ロベリア!バカなことを言うな!」

「いいえお父様、どうか私をお止めにならないでください。私は今日この街を視察して思ったのです。優しくも明るいこの街を、この国の民たちを守りたいと。公爵家の娘であり、アンドリュー王子の婚約者である私にどうか皆を守れるこの機会をお与えください」

さもみんなのためですよ、と言い連ねさらに言葉を重ねる。

「公爵家の娘である私が行けば、魔王様への失礼にもあたりませんでしょう。私1人が行けば、この国は信義を果たし、国民は守られるのです。どうか国王陛下、ご決断ください」

公爵家の私だからこそ生贄になる意味がある、だから私を1人で行かせてくださいという意味をこめ国王に頭を下げる。

そしてわざわざ魔王にも聞こえるように言ったのは、暗に”公爵家の娘という価値がある”と知ってもらうためでもあった。生贄を求める目的は分からないが、休戦中の相手国の貴族であれば生かして何かに利用できると考えるかもしれない。私がこの後も魔王のもとで生きるには、すぐ殺すには惜しいと思われなければいけないのだ。

今まで操り人形だと思っていた王子の婚約者である小娘にここまで言われたのだ、この場をおさめた後に公爵家以外の娘を用意したとしても魔王への生贄としては失礼にあたるだろう。

彼らが体面を気にして無駄にプライドの高い権威主義者たちだと分かっているからこそ、私のこの宣言は先手必勝。

この状況で他に生贄を用意すると言い切っても、国民により大きな不安と不信感を抱かせるだけだ。

そして小説の中では未だ物語の序盤であるため、彼らはどうあがいても魔王を倒すことなどできない。

さぁ、良いっていいなさい。

あんたたちにはもうその選択肢しかないのよ。

ずっと頭を下げていた私の頭上から「いいだろう」と声がした。

ふっと顔を上げると、魔王が私の右隣に降りてきていた。

その表情はさきほどよりもよく分からない。

嬉しそうないぶかしんでいるような、何とも言えない表情をしている。

「ま、待ってください魔王様!どうか娘だけは!」

我に返った公爵が魔王と私に近づいてくる。

国王は何も言わなかったが脂汗をかいているように見える。

アンドリューは、開いた口がふさがっていなかった。

公爵はお願いしますと魔王に言い続けるが、決して頭を下げはしなかった。

本当に娘が心配なら頭の一つでもさげるでしょうに、そんなにプライドが大切?

冷ややかな視線を公爵に浴びせる私を知ってか知らずか、魔王は公爵を指で弾き飛ばした。

公爵は少し飛び、背中を建物の外壁に打ちつけ気絶していた。

魔王は私の腰に手をまわし、膝の裏に腕をまわして一気にお姫様抱っこの状態にする。

突然の行動で何も言えなかったが、だんだん恥ずかしくなってくる。

「あ、あの魔王様。この格好は少し…」

言い淀む私の言葉など聞こえていないかのように魔王はまた浮きあがった。

「さらばだ、ユーファリアス国王、そしてグロリアス王国の民たちよ。みな、息災であること願っておるぞ」

この恥ずかしい格好で空に浮かび上がっている状況に、自分で自分がいたたまれず手で顔を覆う。

そして空一帯を覆っていた紫がちな黒い空へ吸い込まれていく。

街が見えなくなるその刹那、アンドリューと目が合った。

まだ開いた口が塞がらない情けない面をしていたが、中指を立ててベロを出し、心の中で「ざまあみろ」と言ってやった。

黒い空に吸い込まれたかと思うと、次の瞬間には森の中にいた。

その景色に似つかわしくない、漆黒で統一された馬車が縦に3台、目の前に並んでいる。

引いているのは馬ではなく、馬の形を模したおもちゃのような木製の物体だった。

あの黒い空は転移魔法だったのかとか、この馬の模型はどうやって動いているんだろうかなどすぐに私は好奇心に支配されていた。

「無事お戻りになり安心いたしました、魔王様」

数人の兵士と思しき男性たちが魔王に頭を下げる。

皆一様に藍色の制服で首まで襟があり、ボタンは左胸に一つついている軍服のような姿だった。

靴は自由なようで編み上げブーツに革靴、そしてヒールのあるブーティーを履いている人もいる。

「お前たちも私が戻るまでの待機ご苦労であった」

魔王が労をねぎらうと、真ん中の馬車のドアが開けられ私を抱っこしたまま魔王は入っていった。

中は想像通り広く、魔王の髪色と同じ赤色の椅子に赤い絨毯と派手な色見をしていた。

(全体的にあかすぎてここで血がながれても気づかなそう)

もしかしたら生贄をこの中で殺しても問題ないように色を統一しているのかも、と不安がよぎったところで魔王の横に降ろされた。

「お前は今日から魔族の国に住むこととなる」

「あの、ちょっと待ってください」

魔王の言葉に、左手を上げて物申す。

「なんだ、やはり怖いか。魔族の国などお前たちには・・・」

「違います、魔族の国に住むことはどうでもいいです。むしろそこに関してはありがとうございます」

「どうでもいい・・・?ありがとう・・・?私の空耳か?」

「はい、どうでもいいことです。生贄の話が出た時点で国を移ることは想像できます。そんなことより、私のことを“お前”と呼ぶのはやめてください。私自己紹介しましたよね、ロベリア!ロベリアです。生贄とはいえちゃんと名前は憶えてください」

まったく近頃の魔王はなってないわとでも言わんばかりに、顔の横で手のひらを上に向けやれやれと首を振った。

とはいえすぐにやってしまったという感情が湧き上がる。“お前”という言葉に過剰反応してしまいつい強い口調で言ってしまった。

(あの王子もどきを思い出しちゃった・・・、殺されそうになったらどうやって逃げようかしら)

魔王はポカンとしていたが、魔王の前から大きな笑い声が聞こえた。

「ははははっ、いやぁすまないね。あの、ぷっふふ・・・おかしくてね」

誰もいなかったはずの向かいの席に、1人の美男子が現れた。

銀糸のような短髪がキラキラと光り、時折瞳の色が赤から碧に輝いている。

ビー玉みたいな瞳に見入ってしまった。

肌の白さが華奢な雰囲気をだしているが、先ほどの兵士たちよりもがっしりとした体躯だ。

まさか小説にも出てこなかったモブにこんなイケメンがいたとは。

笑い声と突然のイケメンに対する驚きで、今度は私がポカンとする番だった。

魔王が咳払いをし私を見る。

「あー、すまない、ロベリア。今度からは名前で呼ぼう」

「え、えぇ、分かってくださればいいんですの」

どことなく固い雰囲気になった魔王に、まだ笑っている白銀のイケメン。

はーおもしろいとひとしきり笑った後、

「俺達も自己紹介をしないとね」

と言い魔王の足を蹴り挨拶を促した。

魔王は意外にもその態度を注意することはなく、困ったような苦々しい表情だ。

この人は側近かしら?でも側近にしては気安いわよねと考えていることも見透かしているかのように、ニヤニヤしながら白銀は私を見続けている。

「私は魔族の国 ロックス王国を統べる王、エリック・オースティン・リートニアスだ」

白銀ではなくワインレッドの髪を揺らして魔王が自己紹介をする。

まさかいち生贄にも自己紹介をしてくれるとは思わず、小説で見たことのあるその名前を頭の中で繰り返した。

「そして・・・」

「そして俺がその息子、カイル・オースティン・リートニアスだ。よろしくね、ロベリア嬢」

魔王の言葉に割って入るように自己紹介をし、胸に手を当て頭を下げる白銀のイケメン。

魔王の息子らしい・・・。

息子、息子?

魔王に息子がいたなんて設定見たこと無いけど。

こんなにイケメンの息子がいるにもかかわらず、小説でたったの1行でもその事実が書かれていなかったことが不思議だった。

突然の関係性に驚き言葉をなくしていると、座る姿勢を整え、魔王の息子がまたもとんでもない言葉を発した。

「それで父さん、この人が新しい俺たちの母親?」

ん?んん???

ハハオヤ???

シッテルコトバダナー。

母親、母親・・・

「えっ、母親!??」

私は少しの間のあと、今日一番の大声を馬車の中に響かせた。

外の兵士が大丈夫ですかとドアを叩くが、魔王が大丈夫だ下がれを命令する。

生贄だからてっきり奴隷かと思っていた。

だって原作では聖女が(彼女の希望ではないとはいえ)自爆したから分からなかったが、生贄を求める目的など奴隷ぐらいだと思っていた。

それでも公爵家に居続けるよりはまだ自分らしく生きられるかもしれない、ダメもとで使用人にしてくれるよう頼みこむつもりだったのだが―――。

まさか母親になるとは。

しかも目の前の息子と名乗る男は、どう見ても人間年齢で20代後半に見える。

確か魔族は長命だから、私よりも明らかに年上であろう彼に

「母親ですか・・・」

と、言葉を確かめるように口に出してしまう。

「そうだよ。あれ、父さんから聞いてないの?ちょうどいい人間の女を嫁に迎えるって言いに行ったから、てっきり伝えてあるのかと思ったよ」

不思議そうに言う言葉を遮るように、魔王がまた咳払いをする。

「あの、若い娘を生贄に貰うとしか聞いていません」

ひとり付いていけない私は、混乱する頭の中を整理しながら情報をまとめていた。

魔王は生贄をもらいに来たわけではなく、嫁を貰いに来た。

しかも魔王には大きな息子がおり、私は自動的に母親にもなる。

殺されたり奴隷になる未来はなくなったけど、まさか元の世界ですら結婚したことのない私がいきなり母親になるなんて。

今度は私が顎に手を置いて考えこむ。

「生贄、ね」と呟いたカイルの声と被さるように魔王は所在なさげに説明をし始めた。



魔族の国 プロスペリ魔王国は今年で建国600年、現在2代目の魔王であるエリック・オースティン・リートニアスが魔族の国を治めて200年経つ。

魔族の中でも特に王族は長命のため、魔族間での軋轢が生まれることのないように、次期魔王は魔族から妻を取らないと決めているらしい。

魔族間で権力争いがあると、その寿命ゆえに長く尾を引くことは想像に難くない。

しかしエリックは200年の間に人間、亜人などから5人を妻に迎えたというのだから驚きだ。

ただ、それも王族だからというのが理由のようで、数十年前まで戦時中ということもあり王族の血を絶やさないための策として、王妃が亡くなったら新しい人を迎えるというサイクルだったようだ。

そしてさらに驚くことに、息子は現在6人いる。

人間とは違うとはいえ、毎回やることやってんのねこの魔王と若干引いてしまった。

5人目の王妃も亡くなり、本当ならば妻募集中の意を他国に広めて娶ろうとしたが、とある事情によりグロリアス王国の女性にしたという。

とある事情が何か、なぜ生贄として要求したのか、6人も息子がいるのにまだ子供が必要なのかと考えていた時。

私の心をまるで読んだかのように、魔王は続けた。

「私の一番下の息子なのだが、その、まだ幼くてな。産まれてまだ8年しか経っていない。あの子にはまだ母親が必要なのだ。だからロベリアには、俺の妻というよりあの子の母親になるよう努力してほしい」

腕を組みその子を思い出しながら話す魔王は、どこにでもいそうな父親の顔をしていた。

ロベリアを連れて行かないでほしいと叫んだ公爵でさえそんな表情はしたことがない。

白銀の息子は困ったように笑い、何も言わなかった。

私は「はい」と頷き、魔王は満足げに目を閉じて頷いた。

我が子を想うその姿を前に、疑問をぶつけようなどとは思えず窓の外をに視線を動かした。

そして馬車は魔王城に向かって走り出した。

馬車は緑の森を走り続ける。

木々が生い茂る森をスムーズに進む馬車を不思議に思いながら、窓の外を眺める。

「ねぇ、ロベリア嬢。ロベリア嬢は、ママとお母さんと、母上とお母様、どれで呼ばれたい?」

いたずらっぽく笑う息子(仮)に聞かれる。

「何でもいいです、好きに呼んでください。なんならロベリアでも。私はカイルって呼びますね、もちろん嫌でなければですけど」

窓の外を眺めたまま、すげなく答える。

何歳か不明だが、17歳のロベリアより年上だろう男性にお母さんと呼ばれるのは違和感を感じる。私はあくまで便宜上”母親”という職務に就くだけだ。

ふふふっと楽しそうにカイルの笑う声が聞こえる。

「じゃあママ上って呼ぼうかなあ」

とても楽しそうに私をからかうカイルに「なんかダサいな~」と小さくつぶやいてしまった。

「そうかな、ダサいかな。可愛くない?ママ上」

カイルを見るとキラキラとした瞳で、あざとくこちらを見ている。

(なるほど、イケメンを自覚して活用しているタイプね)

正直呼び方など本当に何でもいいのだが、突然6人の息子の母親になるという衝撃をまだ咀嚼していた私は、なげやりに「じゃあこれから絶対に何があってもママ上って呼びなさいよ」と大人げなく言い放った。

今の私は17歳だが、年上であろうカイルはそんなこと気にしていない様子だ。

カイルは手を小さくあげて「わーい」と喜びを表していた。

一方、妻を娶りたくて国に来たが生贄を貰いに来たとのたまった魔王ことエリックは、私たちのやり取りを気にかける様子もなく、私とは反対側の窓の外をただ見ていた。

横顔でもはっきりわかるほど整った顔立ち、鼻の高さといいほりの深さと言い、俳優と言われても信じてしまう美しさだ。

その美しい横顔を見ながら”母親業”について考える。妻もとい母親となるのだ、私の経験だけでは当たり前だが心もとない。

でも私の隣には子育ての当事者がおり、6人の息子を持つ父親がいるではないか。私は頭を切り替え、これからのことをエリックに相談することにした。

そう、仕事だって下準備が大事なように継母になるにも下準備と話し合いは必要だ。

「魔王様、これからはエリックと呼びますね。母親になるにあたってこれからについて話したいんだけど」

「・・・」

「黙っていれば解決すると思っているほど愚かな男の妻になったと、暗にあなたはそう伝えているわけ?ほら、耳ついてんでしょ」

それでも黙っているエリックになおも話しかける。

「この耳は飾り?随分とおしゃれな飾りね、ピアスでもつけられそうだわ。あら、おかしいわね。飾りに似つかわしくない穴があいているわ。どうせ聞こえていないなら埋めたほうがいいと思うわよ?もしかして本当に聞こえていないのかしら」

煽り続けてもなおびくともしないエリックの耳元で

「こーれーかーらーのーこーとーなーんーだーけーどー」

と大声で叫ぶと、エリックはやっとこちらを向いた。

「なんだ、聞こえてるんじゃない。無視なんて幼稚なことやめてください、私よりも数百歳は年上でしょ?」

一連の流れで不機嫌そうな顔をするエリックとは対照的に、カイルはお腹を抱えて笑っていた。

ヒィヒィ言いながら息も絶え絶えというありさまだ。

笑いを提供できてよかったわと皮肉交じりにカイルに言い、エリックに向き直った。

「女には妻になるにも母親になるにも準備が必要なの。通常だと最初にお互いを知り親になる覚悟を持つものだけど、私たちにはそれがないでしょう。だからまずはあなたの妻になるうえで、気を付けることを教えてほしいわ」

真剣にエリックの目を見ながら伝えた。

グロリアス王国の王妃になる気は一ミリもなかったが、魔族の国で王妃になるとは。

ロベリアがしてきた王妃教育という今までの努力が無駄にならないと思うと少し嬉しかった。

それはそれとして最低限の情報くらいはもらってもバチはあたらないはず。

エリックはしぶしぶ、もう本当に仕方のない奴だという表情でため息をつき、妻としての役目を話した。

「私は妻に子どもは望んでいない。そして王妃であることもだ。おま・・・ロベリアには、ただ息子たちの母親として生きその生涯を終えてほしい。それを守ってくれるのなら、国を自由に出歩いてもいい。金も好きなだけ使うといい。使用人が欲しければつけよう、必要なものは何でも言え。ただし、グロリアス王国に戻れる日は来ないと知れ」

冷たい目つきとはこのことかというほどエリックの視線が私に刺さる。

「その条件はすべて飲めですって…?」

「あぁそうだ、これが生贄でなくてなんだというのだ」

自嘲気味に鼻で笑い、また窓の外を見ようとしていた。

あぁそうか、条件を聞いておいて本当に良かった。

他の人間にとっては確かに生贄という言葉に相応しい待遇だと思う、そしてエリック自身もそう思っている。

しかし私は―――。

「最高!ありがとう!え、もう人生ゴール??つまり子育てに専念すれば、あとは自由にしていいの?お金も使いたい放題??控えめに言って最高よ、エリック!!生贄ばんざーい!!!」

この反応は想像していなかったのか、エリックも、そしてカイルも信じられないとでもいうように見ている。

「本当にいいの?父さんはママ上を愛さないって宣言してるようなもんだよ?」

カイルがおかしいと言いながら私に聞く。

「えぇ、どうせ生贄名目で来たんだから愛されたいなんて思わないわよ。それにエリックの子どもを産む必要はないんでしょ?私もさすがに好きじゃない男の子どもを身ごもるの戸惑うわーと思ってたから、ちょうどいいわ」

そこも意外だと言わんばかりの彼らを前に、立て続けに言った。

「しかもグロリアス王国に戻らなくていいなんて、エリックも分かってるじゃない。あの国本当に最悪なの、ごめんなさい国の王に愚痴るなんてよくないわね。ともかくすべてが最高の条件じゃない。結果的に私とエリックは形式上結ばれる運命にあったのよ、こんなにも利害が一致していることなんてそうそう無いだろうし。子育てはしたことないけど、頑張るわ!ひとまず子育て経験者の魔族や今まで息子たちを見てきた使用人の声が聞きたいんだけど、どうにかなる?」

さっきまで広場で「魔王様…」と言っていた私はもういない。

形式上だけとはいえ妻になるのだからと敬語も消え失せていた。

異世界に来てまさかこんな当たりくじを引くことなるなんてラッキーと思いルンルン気分を隠さないままエリックの返事を待った。

「…わかった、どうにかしよう」

「ありがとうエリック!ではさっそく!必要なものは何でも言えって言ったわよね、だからひとつお願いがあるの」

「なんだ、言ってみろ」

私の勢いに気圧され、魔王城に着くまで彼らは驚きの表情を隠さなかった。

この時の私はまだ浮かれていた。

原作のロベリアの運命を知っているだけに、目の前にぶら下げられた富と自由に目がくらんでいたのだ。

魔王の息子たちが一筋縄ではいかないこと、そもそも子育てがどれほど難しいものかを想定していなかったのだから。

魔王城は想像に違わぬ威圧感と荘厳さがあった。

お城はしっかりと昼の日差しを燦燦さんさんと浴びているにもかかわらず、暗いオーラでもでているような雰囲気だ。

黒が強いグレーの城壁が理由かもしれないが、草花の色が単調なのもあるだろう。

外がこんなに明るいのにここまでおどろおどろしい風貌になるなんて、家にも個性が出るのね。

そんなことを考えながら、エリックにエスコートされつつ周りを見渡した。

黒いバラと赤いバラしか咲いていない庭園に囲まれており、城壁とは異なり白を基調としたお城。

そして私たちを出迎える使用人たち。

みな一様に羊のような角が生えているが、それ以外は普通の人間のように感じられた。

(まぁあとは耳が長いくらいね。本当にピアス映えそう)

緊張感もなく城に入っていくと、執事長のロウエルという壮年の男性が迎えてくれた。

隣にいるのがメイド長のルーヴェウス夫人というらしい。

私は少し汚れたドレスに裸足のまま、それでも礼を尽くすように彼らに挨拶をした。

2人とも一瞬目を見開いたが、すぐに何事もなかったかのようにお辞儀をした。

「何かあればこの2人に聞くように。夕食時に息子たちを紹介しよう」

要件は終わったという風に私を置いてどこかにいくエリックと、そんな私を部屋に案内するメイドたち。

(何よエリック、これでも新妻なんですけど。もっと気を使ってくれてもいいのに。まぁ名目上は生贄だから仕方ないか)

心の中で悪態をつきながらメイドについていこうとするが、メイドは私の目の前に手を出している。

私もメイドも「?」と頭に浮かんだ状態だったが、何かに気づいたのかメイドは「失礼いたしました」と言い、馬車に向かった。

しかしまた「?」という表情で戻ってきた。

「あの、どうかされましたか?」

このまま往復させるのも忍びないので聞いてみると、

「あの、奥方様のお荷物はどちらでしょうか?」

と、至極当たり前のことを聞かれた。

「ありません、この身一つです。なんなら私を運びます?」

なんて冗談を言うも、メイドたちは固まって動かなくなった。

「ごめんなさい、冗談ですよ。ちょっと寒かったですね…」

ファーストインプレッションは最悪だと反省しながら言うも、メイドたちはまだ動かない。

現代のノリのままなんて良くないのかしら、これじゃあ会社の飲み会で後輩に気を使わせている気分だわ。

ダジャレを良く言う部長はこんな気持ちになっていたのかもとも思った。

「あの…」

「奥方様、お荷物はその、ないのですか?」

えぇと返すと、メイドたちは手で口をふさぎメイド長は頭を抱えてしまった。

それはまぁそうよね、嫁いできた女が身一つなんて聞いたことないもの。しかもこれで公爵令嬢なのだから余計に信じられないだろう。

彼女たちの表情を見ながら、(それに加えて歓迎されてないだろうし)と心の中でつぶやく。

そう、歓迎されるわけがないのだ。

私は人間、そして彼らは魔族。

魔族を迫害し戦争をふっかけた因縁の種族だ。

いくら魔王に嫁いてきたとはいえ、他の種族が良かったと思うのも仕方がない。

しかも私はあのグロリアス王国の公爵令嬢。

一番魔族を嫌い、敵視している国の貴族令嬢だ。

そんな女が荷物も結納金も無く表れたのだ、そんな表情にもなるだろう。

申し訳なさでうつ向いていると、メイドが「ご案内いたします」と厳かに言い動き始めた。

まぁ一人暮らしをしてきた私は、最低限必要なものさえ用意されてくれればなんとかなるだろうとすぐに楽天的に考え方を切り替えた。

服や本など必要なものは買ってもらおうと思い、嫌われていてもどうにかなると気を取り直していた。

パジャマだけでも貸してほしいなと思う私の後ろ姿を、使用人たちに見続けられているとも知らずに。

部屋は王妃の部屋にしてはこじんまりとしていると感じた。

とはいえ数日前までワンルームで過ごしていた私にはグレードアップした部屋に違いはなく、客間なのかもしれないがこの部屋で過ごせることにわくわくしていた。

1階のため窓の外はすぐに庭園が広がっており、バラがよく見える。

小さなバスタブに(といっても足を延ばせるほどの大きさ)、トイレ、そして小さなクローゼット(まぁ現代人の私には通常サイズ)。

すべてそろった部屋に入り向かって左手側に大きな天蓋付きのベッドがある。

窓の近くにあり、寝ながらにして外の景色を眺められる最高の間取りだ。

新しい部屋での生活を想像して言葉もないという私に向かって、後ろからメイドの声がする。

「申し訳ありません、奥方様。まだ奥方様の部屋が整っておらず、しばしこちらの客間での生活をお願いすることになります」

申し訳なさそうに話しているが、まさかすぐにこんな豪華な部屋に案内してもらえるとは思っていなかった私は何の憂いも感じていなかった。

「いえ、客間でも十分素敵なお部屋です。皆様、ありがとうございます」

私は何とも思っていませんよと本音を言い、貴族令嬢の笑顔でメイドたちを見た。

一瞬彼女たちが傷ついたような表情をしたことは、見て見ぬふりをする。

(元が庶民だからか、貴族令嬢に対する嫌味はたいてい私には効かないのよね。どうあがいても全部今までより豪華なんだもの)

これからもこんな地味な(でも私にとっては嫌がらせに入らない)嫌がらせが続くのだろうか思ったが、すぐにこの部屋でどう快適に過ごそうかを考えることで私の頭の中はいっぱいになった。

「あと、メイドは私に付けてくれなくていですから」

振り向いてそう伝えた私に、メイドは力強く反論した。

「いえ、そういうわけには参りません。ですがまだ専属メイドを決めておりませんので、どうかしばしお待ちください」

頭を下げる彼女たちを見やり、「分かりました。楽しみにしていますね」と言い私は部屋の散策を始めた。

部屋の中で散策という言葉もおかしいが、それほど広かった。

泊ったことは無いがドラマで見るようなホテルのスイートルームはこんな感じだろう。

ドアの前に立ち続ける彼女たちに気が散ってまうため、少し1人にしてもらおうと部屋から出るようにお願いした。

「はぁ~。まぁ私付きのメイドになったほうが、私の動向も嫌がらせもできるもんねー。私は何も企んでないしグロリアス王国の利益になるようなことなんてしないのに。ちょっとお金と自由に惹かれただけのどこにでもいる人間なのに」

そう独り言ちてベッドにダイブする。

パジャマを借りようと思ったが幸いにもクローゼットに服が数着入っていたため、それを拝借すればいいかと思いエリックに伝えるのはまた今度にすることにした。

「夕食は…、まぁこの服でもいいか」

そして私だけの部屋を隈なく見て回った。

日が傾いてきたころ、メイドたちがやってきた。

私の着替えを手伝ってくれるとのことだったが、私はそれを断りあのワインレッドと黒いレースのドレスのまま夕食に向かった。

夕食を取る部屋は大きく縦長のテーブルの上座に一脚、そしてテーブルを囲む両サイドには六脚ずつ椅子が並べられている。

上座には廊下に続くドアは無いが、別の部屋に続くドアがあるようだった。

窓は大きく、庭を一望できるレストランのような場所だ。

上座にはエリック、そして向かって左側にカイル、カイルの向かい側にオレンジ色の短髪なマッチョ、そしてマッチョの横には栗色でマッシュルームヘアの中学生ぐらいの少年が座っている。

まさか私よりも数倍大きなあのマッチョが息子になるの?

護衛じゃなくて?

メイドに案内され、カイルの2つ隣の席を空けた3つ目の席に座った。

嫌がらせにしては可愛いなと思ったが、カイルが「隣にウィード、一番下の弟が座るんだ」と説明してくれた。

私は自分が穿った見方をしていることを恥じた。

そりゃ5人も子どもがいるのだ、彼らの席が決まっているとしてもおかしくはない。

一番下の子の母親として連れてこられたのだから、その子の隣が妥当ということなのだろう。

確かに愛し合ってもいないのにエリックの近くに座らされても、どうしていいか困ってしまっていただろう。

マッチョはずっとニコニコしながら私を見ており、マッシュルームは私と目を合わせる気がないようでずっと目の前の皿と睨めっこをしていた。

そしてドアが開き、小さな男の子が入ってきた。

「お、遅れて申し訳ありません。お父様、お兄様」

黒い髪が全体的にウェーブをえがいており、少し前髪が長い。

説明通り8歳くらいの男の子だった。

しかし私を見るとすぐに緊張した面持ちになり、それでも何も言わず静かに隣に座った。

そして最後の息子は――――、来なかった。

エリックがボソッと「またひきこもっているのか」と言っていたので、いつものことらしい。

そしてエリックが手を叩くと使用人たちが料理を持ってきた。

公爵家のようにコース料理で出てくるのかと思っていたが、一気にテーブルを埋め尽くすほどの食事で溢れかえった。

シーフードパスタ、サラダにスープ、各人に500グラムはありそうなステーキ、そして焼きたての香りがするパンに豚の丸焼きだ。

私が来たから特別な料理にしてくれたのかな、なんて気持ちが高揚していたが、

「今日は量が少ない気がするぞ?まだ料理長は作っているのか?」

とマッチョが言っていたので、この量は割と普通(彼には少ない)らしかった。

何事も無いように食事を始めたので、私も気にせず食事を始めた。

食後に紹介をしてくれるのだろうと思い、目の前のスープから手を付けた。

「!おいしい!なにこれ、こんなにおいしいスープ初めて飲んだ。胃に染み渡る~、野菜のうまみがすごく出ているのに具はごちゃごちゃしてない。もしかして出汁は別でとっているの?手が込んでるわ~」

急に話し出した私に隣のウィードくんがビクッとする。

マッシュルームはどこ吹く風だったが、マッチョは

「そうだろう!うちの料理はうまいんだ!もっと食べろ、あんたは細すぎるからな!!」

と笑いながら言いてくれた。

私の親戚にもこんな豪快なおじさんいたなぁと思い出しながら、食べられるだけの料理を胃に詰め込んだ。

そしてデザートも食べ終わったころ、紹介される準備をしていた私に気づかないとでもいうように、エリックは席を立とうとした。

「ちょ、ちょっと待ってエリック!えっと、家族の紹介をしてほしいのだけれど。まさか食事だけで済ませようとしてるの?」

思わず声を張りエリックを呼び止めた。

彼はハッとまさに言われるまで本当に気づきませんでした、という風に

「すまない、紹介しよう。彼女は私の新しい妻でお前たちの母親だ。みんな仲良くしてやってくれ」

と言い、部屋を出ていこうとした。

いや紹介だけど、もっとあるでしょ魔王!!

それでも私は社会人だ、適当な上司に合わせることにも慣れている。

立ち上がり、息子になるであろう彼らに向かって恭しく挨拶をした。

「初めまして。グロリアス王国 公爵家の娘だったロベリアと申します。至らないところも多いでしょうか、どうぞよろしくお願いいたします」

「まぁ至らないだろうね」

とても小さな声だったが聞き逃さなかった。

私は貴族の微笑みを称えたまま声のするほうを見やると、マッシュルームが今度はテーブルと睨めっこしながらつぶやいていた。

少年よ、“至らない”ってのはな、謙遜言葉であってだね、初対面の君が私を至らないと言っていいわけではないんだぞ。

と、大人の事情を心の中に押しとどめた。

「また新しい妻かよ。もういいよ、あんたは一体何度間違えば気が済むんだ!」

マッシュルームはテーブルを見つめたまま続けて今度は大きな声で叫んだ。

それでも言葉はエリックに向かっており、声色には呆れと怒りが混じっている。

エリックは苦々しい顔をしたが、ただ彼を見つめているだけだ。

「お前たちのためだ」

そう言い残し、本当に部屋を出て行ってしまった。

マッシュルームは怒りを向ける先がなくなったのか、今度は私を睨み、荒々しい音を立てながら立ち上がり部屋を出た。

歓迎されないだろうと思っていたが、ここまでとは・・・。

シン・・・と静まり返った部屋に、明るい声が響いた。

「俺は次男のブランドン・オースティン・リートニアス、よろしくな新しい母さん!」

マッチョなオレンジ色の髪をした青年だ。

この巨体に母さんと呼ばれることに少し違和感を感じながら、よろしくねと微笑んだ。

ブランドンは先ほどまでの険悪な雰囲気など意にも介さず、ニコニコとしている。

その態度で胸の中の何かがほぐれる感じがする。

「俺は馬車の中で自己紹介したから、あっ、さっき出ていった弟はルークっていうんだ。うちの五男だよ。癇癪もちなんだけどさ、仲良くしてやってよ」

カイルも馬車の時と変わらず、ニコニコと話す。

しかし心なしか屋敷に来てからは妙に壁があるような、まるで品定めでもされているような感覚に陥る。

笑顔の中に冷たさがあるような、たまに目が笑っていないのだ。

(うわ~、こういう時“気のせいよね”と思うのが定石なんだろうけど、絶対気のせいじゃない。しかもきっとこれがカイルの本性なんだろうな)

私も表情は変えずにカイルにお礼を言う。

そして最後に私の隣の席―――、ウィードの自己紹介を聞こうとしたがそれは叶わなかった。

彼は声を押し殺して、泣いていた。

何の前触れもなく泣き出したウィードに驚き、とっさに彼の背中をさすろうとしたその時。

「待ってくれ!」

ブランドンが私の動きを止めた。

「すまない、待ってくれないか。俺たちで何とかするから」

本当に申し訳なさそうに、でも絶対に譲らないという風にブランドンが私の伸ばした手を優しく制止した。

カイルがウィードを抱き上げ、しきりに「大丈夫だ」と言っていることが気になった。

ブランドンが申し訳なさそうに私を見やる。

「新しい母さんには本当にすまないが、今日はこのまま部屋に戻ってほしい。俺が送るよ」

そういうと、ブランドンは私を部屋までエスコートした。

私は所在なく部屋を出たが、ブランドンはこの屋敷のことや食事のこと、そしていかに筋肉が大切かを部屋に着くまで話してくれた。

ブランドンが部屋のドアを開け私が入ると

「本当にすまない。だがウィードには時間が必要なんだ。少しずつ仲良くなってくれると嬉しい」

と言い、ドアを閉めた。

なんだろうこの、急においてけぼり感。

さすがに初日で馴染めるとも思っていなかったが、想像していたより重たい何かを感じた。

歓迎されないことも、子育てが一筋縄ではいかないことも分かっているはずだった。

でも所詮私の考えは人の体験を聞いて成り立ったもの、机上の空論しか知らないのだ。

幼い子どもから成人済みまでの男の子への母親としての対応など、独身だった私がどうにかなるかもと楽天的に考えていいものではなかったのだ。

そう、甘かったのだ。

よく考えれば6人もの女性と結婚し、今は独り身のエリックにこれ以上の事情だって無いわけがない。

そして一番下の子に母親が必要という理由も、なんとなく察した。

一番下の子はエリックが話すたびに終始ビクビクしていたからだ。

詳しくどんな理由があるかは分からない。

エリックと仲良くないのか、恐れているのか、父親としての役割ははたされているのか。

私が怖いのか、母親という存在が怖いのか、それとも女性が怖いのか、もしくは人間が嫌いなのか。

分からないことだらけだが、彼は時折手を震わせながら食事をしていた。

(私も原因だったのかも…。エリックに相談すればよかった)

後悔してももう遅い。

私はただウィードが元気になることを祈った。

いろいろと衝撃的な夕食の後、私はお湯だけメイドに用意してもらいひとりで湯船につかった。

メイドたちは手伝うと聞かなかったが、慣れない土地で疲れたから1人にさせてほしいとお願いしてぼーっとしていた。

問題はウィードだけではない。

マッシュルームヘアの五男、ルークもきっと一筋縄ではいかないだろう。

あの子の言葉、きっと6人の女性と結婚し離別した父を軽蔑しての言葉だろうと思った。

ケールズリンド家では浮気とほぼ略奪という最悪の家族の形を見せつけられたが、エリックも浮気をしたのだろうか。

そこも知らないといけないだろう。

ルークはエリックをとても憎んでいるように感じた。

何があればあそこまで父親を憎むことがあるのか。

私の知るエリックは、今日初めて会った様子と小説での説明でしか知らない。

何も知らないと同義だ。

湯船からつま先を出し、体を今よりも少し沈める。

ブランドンは気のいいお兄ちゃんという感じだったが、頑なに兄弟の話はしようとしなかった。

いや、しなかったというよりは筋肉の話のほうが盛り上がっただけなのかもしれないが。

でも、あの夕食での言動だけでわかる。

彼は弟をとても大切にしている。

歓迎はしてくれたが、本当は私を良く思っていないかもしれない。

だとしたらポーカーフェイスが上手すぎると自嘲気味に笑う。

そしてカイルは、もうダウト。

絶対私のことは良く思っていない。

よくもまぁあの本性を、馬車の中という短い時間とはいえ隠しきれたものだ。

夕食時からのカイルの目は明らかに部外者の私を品定めし、これからどう動いていくのか知ろうとする、探るような目つきだった。

飄々としていながら心の内を読ませない、もしかしたら一番手ごわいかもしれないと思い、何も信じられない家に来てしまったとやっと気づいた。

そして話からすると三男は、ひきこもり。

流石の私もひきこもりは専門外だ、役立てられる知識もない。

そもそもなぜひきこもりになったのか、という理由を知らなければいけない。

知ったところで「部屋にいることが好き」とかなら、なーんだ今のままでいいじゃんと思ってしまう。

そして一番味方になるはずだったエリックは、子どもたちのことも私のこともどこ吹く風。

母親が必要だと言っていたわりに子どもたちについて詳しく話すそぶりも気にするそぶりも見せなかった。

何を考えているのか、何も考えていないのか。

あの噴水広場での威勢や傲慢さはなく、ただ寡黙な父親のように感じた。

(あんたがしっかりしなさいよ!父親なんでしょ!!)

その気持ちをお湯にぶつけ、年甲斐もなくまわりをびしょびしょにしてしまった。

最高とか言いていたのはどこのロベリアだったか・・・。

私は人生で一番複雑な人間関係の問題―――親子関係について、頭を悩ませ続けた。



お風呂から上がった後すぐに寝てしまい、起きたのは昼前だった。

さすがに起きない私を心配したメイドが、私の体を大きく揺すりながら声をかけていた。

「よかった。心配いたしました。無礼な行動をしてしまい申し訳ありません」

頭を下げるメイドに、まだ半分も起きていない頭のまま大丈夫ですよと伝えた。

「慣れない環境でお疲れとは存じますが、その、今日は奥方様にしていただかなければならないことがあります」

申し訳なさそうにメイドはまた頭を下げた。

まだ1回しか家族で食事をしていないが、もう勘弁してほしいと思っていた。

これなら妻じゃなくてちょっと給料のいいメイドがよかったと後悔しているし、生贄というていではなく本当の生贄扱いでよかったかもと1日のうちで喜びと後悔の間を気持ちが反復横跳びしているようだ。

今からでもエリックに相談しようかと考えもした。

昼食は私が寝坊をしたせいで、そのまま自室で取ることとになった。

もう毎日寝坊しようかと思うほどに、気を遣わない場での食事はおいしく感じた。

メイドは終始申し訳なさそうにしていたが、理由は分からなかった。

1人分としてはちょうどいい食事、そして気を遣わず気楽に過ごせることのなんと有難いことか。

デザートまで食べ終わり、エリックのところへ行くことにした。

(やっぱりメイドにしてもらおう!うん、そうしよう!!メイドが母親業も兼任ってのもアリでしょ!)

側に立っていたメイドにエリックの予定を聞こうとした時だった。

「奥方様、本日はウェディングドレスの採寸を致します。昼食後に申し訳ありませんが、先に指輪をご確認いただき夕食前に採寸でもよろしいでしょうか?」

てきぱきと説明するメイドの言葉に、フリーズする。

ウェディングドレス…。

「あの、ウェディングドレス!?」

一度でも着てしまえばもうメイドにはなれないだろう結婚式の最終兵器、ウェディングドレス。


私はまた考えあぐねることなった。




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