すぐそばにある幸せ

「ロベリア!起きてくれ、ロベリア!!」

今度は低い女性の声ではなく、ロベリアの名前を呼ぶ男性の声で目が覚めた。

「よかったわ。このまま目が覚めなければどうなることかと」

涙を流しながら男性の肩に寄りかかって泣く女性。

(ロベリアの父親と継母ね)

心配しているように見えるけど、起きてほしいのは王族に嫁ぐ娘がいなくなるから。

どうなることかと心配していたのは、今後の自分たちの未来に対してでしょうね。

夢の中でロベリア本人と話したからか、現状を冷静に理解できてしまう。

マユとしての記憶を思い出すのと同じようにロベリアの記憶を辿れる今、はたして私は今ちゃんと彼らに怪しまれない表情ができているだろうか。

ぐつぐつと沸く感情を抑えられているだろうか。

医者と思しき壮年の男性に、毒の心配はもう無いと言われ安堵する両親と使用人たち、そして少し遠くに立っている弟。

「あの、申し訳ないのだけれど。少し混乱していて・・・、1人になりたいの」

起き上がりながら、か弱さを意識しつつ周りを見た。

「ああ、分かった。ちゃんと休むんだ。何かあったらすぐにメイドを呼びなさい」

父親がそう言うと他の人たちも部屋を出ていった。

私はたくさんある枕をひとつ取り、みんなが出ていって数秒後にドアに向かって投げつけた。

「何が“すぐにメイドを呼びなさい”よ!娘が死にかけたんだから、どんだけ忙しくてもメイドより先にあんたが飛んできなさいよクズ親父!!!!」

それが貴族としての普通なのかもしれないが、父親の人となりを知っているだけに穿った見方をしてしまう。

今すぐこの家を出ていきたい。

でもまだその時ではない。

「耐えるのよ私、原作を知っているんだからどうとでもなるわ。いつか一発お見舞いしてやればいいのよ」

いったんベッド近くに置いてある水を飲み、自分を落ち着かせる。

それにしてもどうして自殺を謀った娘に優しくするのかしら。権威主義なら「この恥知らず」みたいに怒っても不思議じゃなさそうだけど。

最初に目が覚めた時の頭痛が二日酔いではなく毒のせいだと思うと、怖くもあり悲しくもある。

毒を飲む苦しさよりも、生きていく苦しさに耐えられないと感じて本物のロベリアは亡くなった。

「絶対かたきをとるから天国で休んでてね、ロベリア」

私はいつか来る運命の日まで、この家で情報を集めることにした。

ロベリアの服毒自殺は、“王妃になるロベリアに嫉妬した何者かが暗殺を謀った”という結論に至り、公爵が犯人を捜しているらしい。

自殺という考えにも至らない父親に安堵しつつも、子育てなんてまともにしなかったのだからロベリアの苦悩に気づきもしなかったのだろうとも思う。

ロベリアはちゃんと助けを求めてあなたたちを頼ったのに。

療養という名目で部屋に籠り2日がたち、そろそろ覚えている小説の内容を紙にまとめて今後の計画を立てることにした。

この世界には魔法が存在する。

と言っても魔力を持っているのは一部の人間と魔族、そしてドラゴンだ。

多くの人は魔力の込められた魔力石をエネルギーとした魔法器具を使用し、生活のあらゆるところで活用していた。

ドライヤーのような風を起こせるもの、ライターのようにすぐに火を付けられるもの。

下水道も浄化する魔法器具が存在するため、貴族の家には水洗トイレがあるのだから驚きだ。

魔法に種類があるわけではないらしいのだが、闇魔法と光魔法だけは異なるらしい。

光魔法は主に聖女が使えるとされその力を発現した者は国に保護される決まりになっている。

そして聖女は1世代に1人しか存在しないため、今の聖女が亡くならない限り新しい聖女は出てこない。

(そうはいってもこの世界の聖女は万能ではないのよね。治癒はできるけど、損壊とかは戻せないし。草木の成長を早めるとかもできない)

いずれ小説の主人公エレナが発現するであろう光魔法だが、あまり強力にしすぎるとアンドリューが霞むからかそこまでチート性は高くない。

一方、闇属性と呼ばれる力。

これは凶悪な者にのみ発現すると言われており、主に魔族がもつものとされている。

しかし、この説は大嘘だ。しかもグロリアス王国主導での大嘘である。

グロリアス王国は神から人間界を平定するよう指示を受けたユーファリアス一族―――いまの王族の先祖が建国したとされている。

だからこの国に限っては神の遣いは王族のみ。

グロリアス王国が偉大で、その国に住まう民こそが選ばれし者たちだとされている。

そのためすべての民が生まれつき魔力を持ち、圧倒的な力を誇る魔族について皆が納得できる説明が必要となった。

それが「凶悪なもの、人間の敵」という解釈だ。

幸いにも魔族は少なかったため、迫害は簡単だった。

しかし魔族も黙ってはいない。魔王が台頭し、迫害はやがて戦争となった。

数十年前にこのままでは勝てないと踏んだ当時のグロリアス王国の国王が、魔王に休戦協定を持ち掛け今は落ち着いている。

魔族は長寿のため、人間と違いこの戦争に行った者たちもまだ生きているだろう。

これらは裏設定にあたるため小説には王国の思惑などほぼ書かれていない。

ヒロインに感情移入できず裏設定を読み漁ったがまさか役立つ時が来るとは思わなかった。

この裏設定の後、小説ではついにこの休戦協定が魔王によって破られる。

強大な力を持つ魔王をアンドリューとエレナの愛の力で止めることにより、世界に平和が訪れるのだ。

また魔族以外にも、亜人と呼ばれる種族もいる。

この国にも少なからず住んでいるらしいが、小説には詳しく出ていなかった。

魔力を持っていて目障りという理由で魔族を迫害するくらいだ、亜人たちが迫害されていてもおかしくはない。

(でも魔族のように敵対した過去は小説には載っていなかったな。とはいえ、獣人や魚人がいるなんて夢があるわ。一度会ってみたい)

グロリアス王国は思っていたよりも保守的かつ排他的だ。

貴族といえども善良であればあるほど生きにくい国。

私には関係ないけど、いつかこの国も変わればいいのにと思いながら小説の設定を紙に書きだしていった。

思い出せば出すほど純愛ストーリーなんかではなく、主人公たちにイライラする。


小説「光への歩み」はロマンス小説好きの友人が、浮気され失恋した私にもう一度ときめきを感じてほしいと勧めてきた作品だ。

玉の輿の幸せストーリーとのことだったが、まさか主人公たちを浮気相手に重ねて読んでしまうとは友人も思わなかったのだろう。

内容は平民でヒロインのエレナがお忍びで遊びに来ていた王子に見初められ、愛を育む物語。

しかし王子の婚約者で公爵令嬢のロベリア・ケールズリンドにしいたげられ、命の危機を迎える。そのことに激怒した王子が婚約者である公爵令嬢を死刑にするのだ、前代未聞の平民殺しの罪で。

エレナは「悲しい人、あなたは愛し方を間違えてしまったのね」と泣き、死刑はとめるよう王子に相談する。しかし、これからの国のためだと言われ、「国のためなら」と死刑を見届けた。

その後、エレナはなんとその公爵家に養子として入り王子と結婚。権威主義の公爵家は結果的に王家との繋がりができるのならと娘の死を責めることもしなかった。

そんな前代未聞の刑執行後、魔王が攻めてきたため王子と騎士団は応戦するも苦しい戦いを強いられる。

魔王に追い詰められ死を覚悟する王子をエレナが庇い、魔王に愛とは何かを説くのだ。その時聖なる光がエレナを包み聖女としての力を覚醒させる。

魔王も二人の愛に心を打たれ、魔族ともども遠くへ行くことを決意。

魔王を撃退した王子とエレナは英雄として国民から祝福され、結婚して幸せに暮らしましたとさ、というオチなのだ。

要するに玉の輿小説だったのだ。

ロベリアに特に思い入れはなかったが、浮気された挙句、浮気相手に面と向かってマウントを取られ、浮気相手に見守られながら死んでいったのだ。

あまりにも理不尽で読んでいて苦しくなったことを覚えている。

そんな男、熨斗つけて浮気女にくれてやんなと思ったが、ロベリアは権威主義の公爵家に逆らえるわけもなく婚約を続けたのだ。

 

ぐつぐつと沸く感情を今度は枕にぶつけつつ小説の内容を紙にまとめていった。


ロベリアが倒れて1週間後の昼。

今日も家族で食事をしようということなった。

ロベリアになって何度か家族で食事もしたが、現代育ちの私からすると両親は自分の価値観を押し付けるばかりの視野の狭い大人たちに感じられた。

父親のナスタリアス・ケールズリンドは、公爵家をより大きくし権力を維持する必要性を懇々と話すばかり。

国一番の土地と富を持った貴族のくせに領民のことは何も考えていないのですね。なんてすばらしいお父様かしら!と心の中でぼやきながら愛想笑いをする。

(まさか異世界に来てまで接待することになるなんて・・・)

会社員時代の飲み会でも自分語りばかりの上司が居たなと感慨深くなる。

継母のルピナス・ケールズリンドは、浮気されても愛してくれなくてもいつかは振り向いてくれる、とロベリアに恋愛について話すばかり。

浮気と分かっていながら妻帯者と肉体関係を持ち、前妻の子どもに恋愛について語る図太さ、尊敬に値しますわ!と毒づきたい衝動を抑え愛想笑いをする。

弟は話を振られるまで喋ることもなく、時折訝し気に私を見るだけ。

(はぁ~疲れる。なんで家にいながら毎日接待みたいなことしないといけないわけ?しかも無給とか、ボランティアもいいところよ)

公爵家なのだから、ロベリア個人のお金もさぞや溢れんばかりにあるだろうと思っていたが、ロベリアに充てられた予算は両親の独断ですべて王子へのプレゼントに使用されていた。

おかげで貴族とは思えないほど、自由に使えるお金はなく、こうしてボランティア接待をしているのだ。

それもこれもストーリー改変のため、王子との婚約破棄を取りつけるためなのだが、今のところ全線全敗である。

王子にもすでに婚約破棄をしようと手紙を送ったが返事はNO。

公爵家は今以上の権威を欲し、王子は公爵家の後押しを無くしたくないのだろう。

簡単にはいかないと思っていたが、現代人の私が考える以上にロベリアの打てる手は無かった。


ある日の昼食後、弟のライラック・ケールズリンドが部屋を訪ねてきた。

珍しいと思いながらも、情報収集もかねてソファーに座るよう促した。

「姉さん、どうかしてるよ。なんで急におかしくなったの」

ロベリアは距離を置いていたという弟。

小説でもロベリアの弟についてはほぼ書かれておらず、またロベリアの記憶でも本人から話を聞いた以上のものはなかった。

「そんなこと無いわよ。あなたこそ、疲れてるんじゃないの?」

弟を迎えるため急遽メイドに用意してもらったお茶を飲みながら、何事もないかのように言った。

「それより家族だからとはいえ、急に女性の部屋を訪ねてくるのはマナー違反よ」

指摘する風に話を変えようとしたが、ライラックは続ける。

「絶対におかしいよ、前まではあんなに笑いながら食事をすることはなかったし。まだ毒の後遺症があるんじゃないの?僕知ってるんだ・・・姉さんが毒を持っていたの。てっきりあの平民の女に使うんだと思ってたのに・・・」

「なんで知ってるの・・・」

言わなくていいのにふいに思ったことが口から出てしまった。

なんで知っているんだろう。

距離を置いていたと言う割に、誰よりもロベリアを心配しているように見える。

ライラックは整った顔を歪ませ、ポロポロと涙を流していた。

黒い直毛に切れ長の目、まだ幼さの残る口元はきつく閉じられている。

ロベリアが7歳の時に生まれたライラックは、まだ10歳だ。

持っていたハンカチでライラックの涙を拭き背中をさする。

姉が自殺をしようとしたこと、毒を持っていたこと、そうせざるを得ない環境だと理解していること―――。

大人びているとはいえ、10歳の子どもには過酷な環境だ。

「あなたに心配をかけてごめんなさい」

ライラックは私の謝罪の言葉に対し首を横振った。

「姉さんは僕のことが嫌いだから、僕も姉さんのこと嫌いにならなきゃって思ってた。だから毒を持っていても、それを何に使っても、僕は何も言わないって決めてたんだ。でもさ、姉さんが死にそうになったときそれは間違いだったって気づいたんだ。毒を持っているって気づいたときに姉さんを止めていれば・・・あんなことにならなかったのに」

私は椅子に座ったライラックを抱きしめた。

「あなたは何も悪くないじゃない。誰にも言わないでいてくれたのはあなたの優しさでしょう。ありがとう、ライリー。それと私はライリーのことが大好きよ。あなたに幸せになってほしくて距離を取っていたのだけど、不安にさせてごめんね」

ライラックの肩は震え、先ほどまでとは打って変わって大声で泣きだした。

これはロベリアの罪であり、私が背負うべき罪なのだろう。

こんなに近くにあなたを想っている人間がいたわ。

心の中でロベリアに語りながら運命の日について考えを巡らせた。

明日、私は公爵家を出ていく計画をしている。

もちろん家を出るときは従者や護衛騎士が付くだろうけど、そんなものどうとでもなるほどの出来事が起きる。

その時、ライラックはまた悲しむだろうか。

いっそ一緒に出ていくのもありかもしれない。

その日は泣き止むまでライラックの背中をさすり、夜にまた話そうと約束をした。

夕食後ライラックはまた私の部屋に来た。

思っていたよりもライラックが早く来たため驚いたがメイドにドアを開けてもらった。

そこにはテディベアを抱きしめたライラックがいた。

恥ずかしそうに伏し目がちに立っている姿はとても愛らしい。

こんな弟ができるなんて初めて憑依してよかったと思えた。

ライラックは広いソファーに座り私は横に座る。

「姉さん、あの、このテディベア覚えてる?」

大事そうに抱きしめられていたテディベアを私に見せながら、少し嬉しそうに話す。

私はロベリアの記憶の中で

【テディベア 弟】

と検索した。

―――全然思い出せない。

でもそんなこと言ったらライラックは絶対に悲しむ。

必死に記憶を探りながら答えあぐねていると、ライラックは「覚えてないよね」と寂しそうに言った。

「覚えてなくてもいいよ。このテディベアは、姉さんが初めて僕にくれたプレゼントなんだ」

どう接していいか分からず距離を置いていた弟に、まさかロベリアがプレゼントを贈っていたなんて。

ライラックが5歳のころ公爵家嫡男としての教育に耐えられず屋敷の裏庭で隠れて泣いていた時、ロベリアが1人で歩いてきたそうだ。

その時からすでに姉から嫌われていると思っていたライラックは、涙を拭いながら声を潜めていたらしい。

泣き声が聞こえたらもっと嫌われるかもしれない―――ライラックはそれが怖かったのだそうだ。

ロベリアはライラックの目の前に来ると何かを差し出した。

それがテディベアだった。

「公爵家嫡男でしょう。このぐらいの勉強で音を上げないで」

冷たい言い方と行動がかみ合っていない違和感に、ライラックは反応できずただロベリアを見るしかできなかった。

「ほら、受け取りなさい。この家では逃げることは許されないの、誰も助けてなんかくれないわ。だから、泣きたいときは部屋でこれに聞いてもらいなさい。人前では泣いてはダメ、簡単に人に弱みを見せたら傷つくのはあんたよ」

きつい口調でも、確かに自分を慰めてくれる姉に驚きつつもテディベアを受け取った。

ロベリアはもう仕事は終わったとでもいうように、そのまま屋敷の中に戻っていった。

その日からライラックは泣かないようにしたらしい。

公爵家として恥ずかしくないよう、誰にも相談できなくても毅然としていようと決意した。

そして泣き言は毎晩ベッドの中でテディベアに聞いてもらった。

「姉さんは嫌いかもしれないけど、姉さんは僕を救ってくれたんだ。今ならありがとうって言える気がして持ってきたんだ」

大事そうに抱えていたのはロベリアとの思いで、自分の心を救ってくれた宝物だからなのね。

やっぱりライラックも連れて行こう!

こんな家に置いていけばいつかロベリア以上に苦しむことになるかもしれないもの。

「もう大丈夫!私が側にいるから、なんでも相談しなさい!私の前なら泣いても弱音を吐いても悪口だって問題ないわ。もう1人じゃないからね」

ライラックの頭をなでると、ロベリアの記憶の中にもない満面の笑みで私を見た。

それからは今どんな勉強をしているか、好きな食べ物や本について話してくれた。

全部聞いてほしいと言わんばかりに早口になったり、身を乗り出して楽しそうにしゃべり続ける姿からは10歳の子どもらしさを感じさせた。

「ライラック様、そろそろ部屋にお戻りになったほうがよろしいかと存じます」

ドアの外にはライラック付きの使用人が迎えに来ていた。

ライラックは俯き黙っている。

やっと公爵家嫡男ではなく弟としての一面を見せてくれたライラックに「よかったら今日は一緒に寝ましょう」と提案した。

ライラックはポカンとしたかと思うと、すぐに笑顔になり「うん!じゃあまた後で来るね!」と嬉しそうに部屋を出た。

ちゃんとした会話自体今日が初めてだったにもかかわらす、私は寂しさを感じていた。

「ロベリア様」

「何、ルナ」

ロベリア付きのメイド ルナがめずらしく微笑みつつ話しかけてきた。

「あの差し出がましいとは存じておりますが、お二人が仲良くお話されていて私も喜ばしい限りです」

ポニーテールを揺らしながら、そばかすのある頬を赤く染め恥ずかしそうにルナが言った。

普通なら使用人が主人にこんなことを言うのは不躾なのかもしれない。

でもこの家にいたら嫌でも人間の歪さを目にすることになる。

なかには何もできなくてもロベリアやライラックを心配してくれた人たちもいたでしょうね。

ルナは特にロベリアと一緒にいる時間が多いから、辛い場面も多く見ただろう。

私は微笑みながらルナに「ありがとう」と言った。

ルナは「はい!」と元気よく返事をしたあと、お風呂に入る準備をしてくれた。

湯船につかりながら1人のメイドが髪を梳き、ルナは私の腕をマッサージしている。

リラックスしながら最後の公爵邸での夜を迎えていた。

誰にも話していない、公爵家脱出の計画。

きっと上手くいくだろう。

だが、ライラックと仲良くなるという思わぬ収穫のため、計画に修正が必要となった。

正直この家は歪だ。

都合のいい愛、都合のいい子ども、権力も富も乱用する公爵と公爵夫人。

子どもたちの気持ちも領民の生活も何も考えていない人間が支配する公爵家。

ライラックだってこの家にいないほうがいいに決まっている。

そう思っていても、本当そうだろうかと迷いは出てくる。

この世界は平等じゃない。身分制度があり、教育も未来も自由に選択できる人は限られている。

だからこそこんな腐った公爵家でも、この家に居たほうが得られるものが多いのも確かだ。

10歳の子にこの家を出ていくか持ち掛けるなんて現代では考えられない。

(でも、やっぱり騙して連れていくんじゃなくて、ライラックの意思を聞いてみたい。この家に残っても私の案に乗っても、きっとその先は地獄なのだから)

寝物語にしてはヘビーだと思ったがすべてをライラックに話す決意を固めたのであった。


ちょうど髪を乾かし終えたころ、ライラックがテディベアを持ってやってきた。

青いストライプ柄のナイトキャップと、テディベアの首のリボンがおそろいでかわいい。

「誰かと一緒に寝るのは初めてだからドキドキする」

私の左側で嬉しそうに話すライラックの手を握る。

ロベリアが愛されないわけではない、そもそもあの両親は子どもを愛してはいないのだ。

怖い夢を見たときはどうしていたの?

寂しくて苦しいときはどうやって耐えていたの?

その言葉たちをグッと押し込め「ライリーに大切な話があるの」と切り出した。

「何?」

初めて家族というものを味わっている弟にこれはあんまりな仕打ちだろう―――でも話さなければいけない。

「ライリー、私は明日この家を出るわ」

「え・・・?」

何を言っているのか分からないという表情のライラックに、私は容赦なく続ける。

「もうこの家では生きていけない、婚約破棄もできず両親の政治の道具にされ続けることをやめようと思うの。だから・・・」

「なんで!?なんで今なの?もっと後は?僕が公爵になってこの家のおかしいところを直すよ!婚約だってなんとかするから!!出ていかないでよ!」

涙と言葉が止まらないとでもいうようにライラックから溢れている。

それはそうだ。

今日初めて姉とまともに会話をし初めて姉弟らしいことをしたのに、そんな日にこんな話をするなんてと思うだろう。

でも―――。

「ライリー、私は明日出ていかないともう助からないの。きっとライリーが公爵になる前に私はあの男と結婚することになる。それにあの権力とお金が大好きな公爵があなたにすぐ爵位を譲るとは到底思えない。だから提案があるの」

泣きじゃくるライラックの涙を拭いながら、真剣に、ゆっくりと伝える。

「私とこの家を出ましょう」

部屋に静寂が訪れる。

ライラックは驚き、私の顔をただ見つめていた。

さわさわと木々が揺れる音がする。

まるでスポットライトが当たっているかのように、月明かりはライラックの涙を照らしていた。

何分経っただろうか。

「僕は出ていかない」

絞りだしたような声でライラックは言った。

それもそうか、公爵家という家を大切にするよう教育されたのだ。

この返事は想定内だ。

「姉さんが出て行って僕も出ていけば、きっと2人ともただじゃ済まないよ。姉さんがどうやってここを出ていくのか知らないけど、それなら僕は残る」

だんだん力強く声に出すライラック。

「それに大丈夫、僕は婚約もまだ決まっていないし酷い扱いもされていないから。もし姉さんが戻りたくなったら、僕が公爵として迎えるよ」

本当はずっと一緒にいてほしいけど、と続けテディベアを強く抱きしめる。

「だから、止めないから、僕のこと嫌いにならないでくれる?」

私はライラックを強く抱きしめていた。

今日だけで何回あなたを抱きしめて、あなたを泣かせたのだろう。

この子は出ていこうとする姉を恨むでもなく、落胆するでもなく、ずっと先の未来でいずれ戻ってくるかもしれない姉の帰る家を守るために、そして嫌われないように強くあろうとしている。

「そんなことしなくたっていいのよ。あなたは自由でいていいの。責任感だけで決めなくていいの。そんなことで、私はあなたを嫌いになんてならないわ、ライリー」

2人とも泣きながら、お互いを離さないとでもいうように、強く抱きしめる。

ライラックの泣き声が落ち着いてきたころだった。

「それでも僕は残るよ。僕は公爵になって、公爵領の人たちを幸せにしたいんだ。僕の将来の夢」

トンビから鷹が生まれるとはこのことか。

ライラックは両親から利用されていると分かっていながら、それでも公爵領の未来を考えていた。

「わかった。ごめんね、突然こんな話をして。もっと楽しい話をしようか!」

自分の涙を拭きながら何を話そうかと考える。

「姉さんは明日どうやってこの家を出ていくの?絶対に護衛騎士も付いてくるし、たぶん走って巻くとかできないよ?」

ライラックは心配そうに先ほどの話を続ける。

私はここに残るライラックに話していいものか逡巡した。

でもきっとこの子は誰にも言わないでいてくれるだろう。

33歳にもなって10歳の子どもに甘えているようでやるせない気もするけど、ここまできたら話すべきだと自分に言い聞かせた。


「明日、中央広場に魔王が来るの」



これは小説の序盤に出てくる話。

【魔王が突然王族直轄の中央街の広場に現れ、王を呼び出した。

その場にいた貴族の私兵や駆け付けた王子と王族騎士団が倒そうとするも魔王の圧倒的な力の前ではなすすべなく倒れた。

ちょうど街の近くに視察できていた王はこれ以上犠牲を払えないと自身の武装を解除して魔王のもとに自ら出ていった。

魔王は一人若い女を生贄のために差し出せと言い出した。

あまりに突然のことかつとても非人道的な内容だったため、王国側は時間が欲しと伝えた。

魔王は1日だけ待ってやろうと姿を消し、その晩王族と貴族は集まって対策を練ったのだが、戦争の準備すら満足にできていない状況で魔王に勝てるとは思えなかった。

やはり希望通り生贄を差し出そう―――そう結論を出し若い女の生贄を見繕った。

それは、国に遣える聖女であった。】


明日魔王はなぜか生贄を欲して街に現れる。

王族直轄の中央街に、しかもわざわざ王が近くの街へ視察に来ているタイミングで。

あまりにも出来すぎている。

小説では【邪悪な力を維持するには生贄が必要なのだ】と言いきりで書かれていたが、あれはグロリアス王国側の見解でしかない。

視察のタイミングで魔王が姿を現したのは、王の顔を見て話したかったなどの理由があったのかもしれない。

きっと内部に魔族側の協力者がいるのだろう。

しかしこのまま聖女が生贄として魔王について行っても無事では済まない、魔族側も聖女も―――。

なんと王国側は聖女にお守りとして持たせた魔力石に仕掛けを施し、数時間後に爆発する仕組みにしていたのだ。

王国は聖女がその力で国を守ろうとした―――と話していたが、作者のあとがきに「あのような嘘でもつかないと内乱が起きてしまうほど王国にとってはとんでもない出来事で、聖女はそれほど国民の精神的主柱だった」と書いてあった。

要するにエレナに光の魔力を持ってもらうため、聖女には死んでもらう必要があったのだ。

いくら頑丈な魔族と言えども魔王側の被害も尋常ではなく、側近や魔族一の強い兵士まで吹き飛ばせるほどの威力を持っていたそうだ。

魔王軍がなぜ無策でそこまでしたのかは不明だが、この出来事のおかげでグロリアス王国はきたる魔族との戦争で昔ほどの被害を出さなくて済んだのだろう。

しかしこれは見方を変えると私にはまたとないチャンでもある。

私が魔王の生贄になれば、

1.この腐った公爵家から出ていける

2.有無を言わさず婚約破棄が可能(そもそも現時点ではアンドリューに勝ち目はない)

3.国のためにその身を犠牲にした可哀そうな生贄となるため国民の心象も悪くない

4.聖女は死なずに済み、エレナの聖女化を防げる

一石四鳥でいいことしかない。

もちろん魔王に気に入られなければその場で殺されるかもしれない。

だとしてもどうせここに居続ければ私もロベリアのように自ら死を求めてしまうだろう。

両親に利用された挙句、不義理な婚約者に理不尽に虐げられることになるのだ。

やらずに後悔するより、やって後悔するほうがまし!

常に挑戦し続けたことで元の世界では昇進できたのだ。

幸か不幸かロベリアの自殺のタイミングが魔王来訪の前だったため運がよかったとも言える。

まさかこのすべてを話すわけにはいかないので「実はアンドリュー様から聞いたんだけどね」とライラックには付け加えておいた。

ロベリアが倒れたという情報が伝わっているはずなのにお見舞いにも来ないあのクズから聞いたなど、疑われるかもしれない。

もっと深掘りされるかと思ったが「それでも姉さんがそれでいいなら止めないけど、絶対に生きてね」と言われるに留まった。

ライラックは私の行動を止めることなく、ただ無事を祈る言葉のあとに「おやすみ、お姉ちゃん」と言って眠りについた。



そして迎えた今日、私はまだ家から出られないでいた。

「街に出るですって!?駄目よ、それよりアンドリュー王子へのプレゼントを決めましょう。その前に今日は王妃様とお茶会をするからロベリアも参加するでしょう?」

公爵に許可を求めに行ったところ、継母が「私との予定があるわ」と止めに入ったのだ―――いやそんな予定なんて聞いていないんだけど。

継母の1日の予定には私が勝手に組み込まれており、事前に聞いていなかったなど理由も伝え継母に外出の許可を取っているのだが、一方的に話されるばかり。

そもそも許可が必要なのも腹が立つのだが。

でもここで強行突破すれば護衛に取り押さえられて監禁ルート待ったなしだろうな。

家ぐらい簡単に出られると思っていたのにこのままじゃご破算だ。

何か言い訳を考えようとしていたがあまりにも継母について知ろうともしなかった私は、この人の気をそらせる話題を何も思いつかなかった。

仕事では情報こそお金に繋がると分かっていたのに、ぬかったわ。

「いえ」とか「それでも」などと言いながら話をどうそらそうかと逡巡していると、コンコンとドアをノックする音がした。

「どうぞ、お入りになって」

継母の部屋にいた私はチャンス!と思ったが、入ってきたのはルナだった。

「奥方様、そろそろ街へ視察に行くお時間ですので、お嬢さまをお迎えに上がりました」

「まぁ、でも王妃様はそんなこと言ってなかったわ」

と言い、ルナを頭の先から足の先までなぶるように見る継母。

使用人と言えども他人をそんな目で見るんじゃないわよ気持ち悪いわね、という感情が沸き上がるのと同時に、そんな予定あったかしらとまたもや記憶を探る。

「申し訳ありません。私も詳しいことは伺っていないのですが、王命であるとお嬢さまより伺っております」

継母がビクッと反応する。

継母は王妃と友人らしいが、とはいえ王命には逆らえない。

この国では王が絶対であるからだ。

「それなら王妃様から伝えてくださると思うのだけど」

「お母様、それはアンドリュー様から直接私にお伝えいただいたからですわ。時期王妃として視察も必要と国王様とお話されたとか。王妃として考え判断ができるように1人で行くようにとのことでしたから、ぜひこの機会を逃したくありません。どうか行かせてくださいませ」

私は咄嗟に話を繋げた。ここで娘を思っている親であれば、アンドリューがロベリアにわざわざそんなことを伝えるような人ではないと気づくはずだが、継母は疑うことなくむしろ喜び笑顔になった。

「そう!なら仕方ないわね。でもそれならアンドリュー王子へのプレゼントはあなたが選びなさい。あなたのセンスでは喜ばれないかもしれないから、私が付き添おうと思ったのだけれど。王妃様とのお茶会は14時だから、それまでにはプレゼントを決めておくのよ」

さりげなくロベリアを貶し、視察だと言っているにもかかわらずプレゼントを買う時間はあると思うほどには無知、しかも王妃とのお茶会なんていう地獄に誘ってくるなんて、よくこんな人間のそばでロベリアもライラックも生活できたものだ。

「分かりましたわ、お母様。ご許可いただきありがとうございます。それでは失礼いたします」

品よくお辞儀をしてなんとか継母の部屋から出た。

私の部屋に戻ると、ルナは一気に力が抜けたように床にへたり込んだ。

「大丈夫?あんな生き物と対峙したんだもの疲れたでしょう。本当にありがとう!今水を持ってくるわね」

そう言って歩き出そうとした私のドレスの裾をつかみルナは「申し訳ありません」と消えそうな声で言った。

「私ごときが出過ぎた真似をしてしまいました。ですが、お嬢様は昨日ライラック様に街へ行くことを楽しそうにお話ししておいででしたので、その、王命などと嘘までついてしまいました」

記憶にないと思ったら、ルナの嘘だったのか。

ドレスの裾から手を離し、床に額を付けて土下座をするルナ。

一介のメイドがここまでしてくれるとは思わず、でもそも気持ちが嬉しかった。

とっさの判断でロベリアを助けてくれるほど、ルナにとってロベリアは大切な主人だったのだろう。

「盗み聞きをしたうえに独断でこのようなことをしてしまい、本当に申し訳ございません」

「いいのよルナ。私のことを思ってくれてありがとう、本当に。とても助かったわ、だからもう頭を上げて立ってほしいわ」

私の言葉に涙で溢れた顔を上げ、はいと立ち上がった。

「とはいえお仕えする方の行動に口を出してしまったことは確かですので、お仕置きは後ほど受けます。でもまずはお嬢様の視察の準備をなさいませんと」

涙を拭い笑顔を取り戻したルナは、他のメイドを呼んでまいりますと言って出ていった。

思っていたより、ロベリアには味方がいるのかもしれない。

ライラックだけではなく、ルナにも報われてほしい。

単純だが私の幸せを願ってくれる人たちだけには平和が訪れてほしいと願った。

だがもし王命ではなかったと知られれば、偽証罪で重い罪に問われるだろうことは想像に難くない。

しかも王の命令を語ったとなれば、極刑もあり得る。

もしかしたらルナは死を覚悟していたのかもしれないという不安が、私の中に過る。

ルナは私が今日出ていくことを知らない。

だが私が残ったとしても公爵家と王家の操り人形である私では、守るにも限界がある。

(生贄として連れていかれるときに“この人も一緒に”っていえばどうにかなるかな?)

今考えられる最善策を思案している間に、ドアのノックが聞こえてきた。



王族直轄の中央街は、各国のすべてが集まる街だ。

北方の氷菓子、東方の絹織物、隣国から来ている大道芸人たち、貴族たちがお抱えの魔力持ちに作らせた新しい魔法器具まで多くの人や物が街の活気を作っていた。

ケールズリンド家はロベリアを王家の婚約者にしてからは王族直下領の別邸で過ごしている。

公爵領をほぼ放置するなど愚の骨頂だが、物理的距離が近ければ国王の印象もいいと思ってのことだ。

だからこそロベリアはよく視察に行けていたのだが、私は視察にもかかわらずワインレッドのドレスを着て街に来ている。

首まで生地があり胸元から腹部にかけて正中線上に黒いレースがついており、ロベリアの持っているドレスの中では派手過ぎず下品さもない。

ドレス自体は二の腕の途中までだが、その先は長さのある黒い手袋をしている。

今日はルナに同行してもらい日傘をさしてもらっている。

そこに護衛を2人も連れて歩く様はとても目立つ。

しかし、これはすべてわざとだ。

いつも視察では裕福な商人の娘のようなワンピースを着て、茶色いローブを被り歩きやすい靴で街まで出る。

もちろん護衛騎士は付けない、もしくはできるだけ遠くから様子を見てもらう。

ロベリアは貴族とバレない状態で見る街並みこそが国を把握するために必要だと考えたからだ。

だが、今日は敢えて目立つ必要があった。

何も知らないルナにはとても不思議がられたが、コルセットまでして髪もセットしてもらった。

もちろん継母が言った王妃様とのお茶会に参加するためではない。

この姿はどう見ても貴族だ。

そう、私は今日多くの人に“貴族の娘”だと認識してもらわなければならないのだ。

そして護衛騎士をこれ見よがしに2人つけることで、鞘や鎧にある家紋を多くの人が目にする。

目ざとい人ならわかるだろう―――ケールズリンド公爵家の娘だと。

今日生贄として連れていかれても、その後いずれ気づいた人たちが噂してくれるはずだ。

“ケールズリンド公爵家の娘は国を守るために魔王への生贄となり、王子の婚約者という立場すら投げうつ女性だ”と。

もし物語が私を悪女として断罪への道に引っ張ろうとしても、エレナやアンドリューと対峙することになったとしても、この噂がある限り私は国を思う女性として国民の心に残ることになる。

私がいなくなったあとエレナとアンドリューがありもしない噂を流したとしても、国民の多くが私に好意的であれば広まる速度も遅くなるだろう。

(前提としてあいつとの婚約がまるで素敵なことかのように思われているのは癪だけど、使えるものは使わないとね)

大げさに貴族の令嬢が街を散策していますというようにゆったりと歩き、魔王が来るであろう場所を中心にぐるっと街を回る。

ドレスに合わせたヒールもしんどいし、正直コルセットがすべての感情を無にさせる。

よくこんなもの身に付けて涼しい顔できたわねと貴族として育ったロベリアに改めて感嘆した。

この世界に四季は無く、その国独自の気候が存在する。

グロリアス王国は春のような温かさで、過ごしやすい風が吹いている。

しかし今の私は貴族令嬢の完全装備をしてきているため、とても暑い。

通常室内で着るために作られ、外を歩くことは想定されていないドレスと靴。

涼し気な顔で歩いている私は主演女優賞ものだ。

あぁ、でも世の中は無常。

泣きっ面に蜂という言葉がもあるように、私のこのしんどさにさらに拍車をかける出来事が目の前に現れた。

エレナとアンドリューだ。

ゲッと思ったのもつかの間、2人は私のほうに気づいた。

そしてあろうことかこちらに歩いてきたのだ。

アンドリューはお忍びだからか茶色い麻の羽織をし、フードで赤い髪を隠していた。

浮気をするクズでも王子は王子、私は貴族の礼儀に則り街中でカーテシーをし王子に挨拶をした。

まぁ彼のことを思うなら彼自身の身分がバレるような行動は良くないのだろうが、私が彼を思いやる理由が無い。

「この国の光、麗しい王子殿下にご挨拶申し上げます」

「ふんっ、まったくそんな恰好で街をあるくなぞ正気を疑うぞ、ロベリア」

挨拶もまともにできないなんて、憐れみ申し上げます王子殿下。という気持ちを表情に乗せ、微笑んで見せる。

お忍びで来ている割に慌てたり隠そうともしないあたり、側近に忠告されただけで自分では隠す必要はないと思っているのかもしれない。

一国の王子がほぼ1人の状況で街を歩き、ましてや堂々と浮気に走ることがどれほど恥か自覚できないほどの知能なのだと思い、少しだけこの国の国民を憐れに思った。

「そんな酷いこと言ってはダメよ、アンドリュー!ロベリア様もおしゃれをして街を歩いているだけだわ。誰にもその恰好を止められないなんて、かわいそうだけどお綺麗よ」

はい、どの口が言っているのかしら浮気女~。

身分制度のある国でも、権力のある男の愛人はどこもこんなにふてぶてしいのかしら。

それとも平気で他人にマウントを取れるぐらいの面の皮の厚さがないと、浮気なんてできないのかも。

自殺までするほど追い込まれたロベリアを思いふつふつと沸いてくる怒りを心の中で言語化し「ありがとう」と答える。

17歳の本物のロベリアならまだしも、現代で社会人として揉みに揉まれ過ごして身に付けたスルースキルを持った私に喧嘩を売るなんて上等じゃない。

冷静にお礼を言う私にアンドリューとエレナは驚いていた。

そうでしょうね、今まで嫉妬に狂った顔や悲しんだ顔しか見てこなかったあんたたちにはロベリアの愛想笑いすら珍しいでしょう。

元の世界で社会人としての洗礼を受けてきた私だ。

愛想笑いもおべっかも慣れたものよ。

それでは、とその場を去ろうとした時「待て」とアンドリューが止めた。

「はい、なんでしょうか」

「せっかくだ、お前も俺たちと共に歩くことを許す」

は?

言葉は分かるのに意味が分からない。

「いえ、お二人のお邪魔はできませんわ」

さも“あなたたちのこと考えて断っています”風を装い拒否するも、今度はエレナが泣きまねをし始めた。

「そんな、ロベリア様はやっぱり私のことを…」

その姿にアンドリューが語気を強めて私に言う。

「なぜそのような態度しか取れぬのだ!それでもお前は公爵家の令嬢か!」

ちゃんとブーメランな言葉を吐く王子の声は、思いのほか大きく、多くの人手に賑わう街も少し静かになった。

このバカのおかげで公爵令嬢だと多くの人に知られたけど、この状況はまずい。

これはよく見る悪役令嬢ムーブに見えてしまう。

エレナの肩を抱きながら、私を強く睨みつける王子。

そして涙は出ていないが「うぅ…」と小さな声を出すエレナは、私からは少し笑っているように見えた。

いままでもこんな風にロベリアを悪者に仕立て上げて、自分たちの正当性を周囲に見せつけて彼らの言う愛を育んできたのでしょうね。

左手を上げ、ルナに日傘を下げさせる。

そして私も泣いて見せた、本当の涙を流して―――。

「そんな風に思われていたなんて、私も悲しいわ」

美しい貴族の女性が涙をひとすじ、ふたすじと流す姿を多くの国民が見ている。

「何の真似だ貴様!貴様はエレナを泣かせたのだぞ!!」

どうすればいいのか分からなくなったのか、とにかくお前が悪いと言わんばかりに声を大きくする。

声が大きくなるほど焦っているのね。

「まさか王妃教育としての一貫で行っている視察中に、お二人から誘われると思わず。アンドリュー様はよく街においでですからこの辺についてはご存じかと思いますが、私はあなたの婚約者として国政を担うために日々学び、そして今日は座学後に時間ができましたので国民の皆様の生活を知ろうと視察に伺いました。婚約者であるアンドリュー様がエレナさんと肩を組んで逢瀬に興じているところにそんな私が混ざるなんて、とても申し訳ないと思いましたの」

話をそらしつつ、皮肉を言う。

『お前は王子のくせに遊びまわっているから知らないだろうけど、国政を担うには知識が必要で毎日勉強している私はめったに街には来られないわけ。視察という仕事中にあんた達がいると邪魔なのよ』

外野はざわざわとしだした。

『王子て言った?』『国政のために視察に来た貴族なのか』『婚約者って言ってたわよね、じゃあ隣の女性は』『アンドリューと呼ばれた男は、もしかして王子か』

今までお忍びで遊び倒していたアンドリューは、私に喧嘩を売ったことでとうとう顔バレしてしまった。

そして公爵令嬢とわざわざ大声で言ってくださったから、私も婚約者であることを強調して伝えた。

この時代に娯楽は少ない。

そして貴族のゴシップほど面白いネタもない。

(ここにいる人たちはこれから噂をしだすでしょうね。“王子”と“公爵令嬢”と“婚約者”、そして“エレナ”というワードで)

それでも涙を止めずにとどめを刺す。

「それでもついて来いとおっしゃるなら、分かりました。私の足が血まみれになろうとも、お二人の後についていきますわ。もちろん視察はそのあとにいたします」

ハンカチを取り出し、泣きすぎてとても立っていられないという風に少ししゃがんで見せる。

「お嬢さま、慣れない靴でお歩きになっておいでなのです。少し休まれませんと」

ルナはそう言いながら私の体を支える。

アンドリューは目を見開き、エレナは驚いたのかすでに泣きまねをやめていた。

勝手に被害者面しておきながら予想外の事態が起こると思考停止するなんて、大したこと無くて助かるわ。

この状況はどう見てもアンドリューとエレナの負け。

私はルナに大丈夫よと声をかけ、まるで気丈に振舞うかのように背筋を伸ばした。

「皆様、お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません。さぁ、アンドリュー様、エレナさん、どこについていけばよろしいかしら」

街の人に軽く頭を下げ謝罪し、儚げに笑いながら2人に話しかける。

『なんてひどい男だ』『貴族とはいえ、あんなに泣かせるなんて』街の声はどんどん大きくなり、居た堪れなくなったのかアンドリューが言った。

「もうよい!さぁ、行くぞエレナ」

「えぇ、アンドリュー様…」

この喧嘩、勝った。

きつく締めてコルセットのしんどさと、わざわざ高いヒールで歩き回った足の痛みに意識を集中させることで(痛みによる)涙を流すことができた。

(悲劇のヒロインになれるのはあんただけじゃないのよ、エレナ)

ルナと護衛騎士にありがとうと言い、早くこの場を離れようとした時だった。

「お嬢様、大丈夫でしょうか。平民の私が話しかけるなんておこがましいですが、とても頑張っておられたわ。お辛かったでしょう」

近くにいた買い物中と思しき女性が話しかけてきた。

それを皮切りに多くの人が声をかけてくる。

「よかったらうちの果物を受け取ってください、元気が出ると思います」

「国のために街を見に来ていただいたのか。有難い」

「未来の王妃様なんですか?!ぜひこの街をたくさん見ていってください!」

「よく頑張ってたぜ」

「お前が言うなよ」

小説の中だからか、それともこの国の人たちが貴族になれているからか、それともこんなめったにない状況だからか。

街の人たちは私に話しかける者、こそこそと話す者がいる。

平民が貴族に話しかけるなど普通はあり得ないどころかあってはならないことだろうが、私には一気に見方ができたようで嬉しかった。

そんな彼らをルナと護衛騎士が注意しようとするのを制し、街の人との交流を楽しんだ。


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生贄令嬢の訳アリ家族計画 猿投山くるぶし @saru8-man

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