生贄令嬢の訳アリ家族計画
猿投山くるぶし
生きることを託された日
「お願い、私を助けて」
少し低い女性の声が聞こえる。
悲痛な声が二日酔いの頭に響く。
そういえば昨日は昇進祝いとはいえ飲みすぎたなと思いながら、ひとまず水を飲もうとベッドから這い出る。
肌触りがいつもと違う布団にパジャマ、床には高そうな絨毯が敷いてあり立つと少し足が沈む。
慣れない感覚に違和感を覚えつつも二日酔いが残る頭では何がおかしいのか考えることもできず、まだ夢の中かもとふわふわする思考で結論付けた。
夢ぐらい二日酔いを忘れさせてほしいと思いながら視界に入った鏡を見ると、美しい女性が疲れた表情でこちらを見ていた。
その時、部屋のドアが開きマンガや小説にいるようなメイドが入ってきた。メイドはこちらを見て驚き、ご主人様―と叫びながら廊下に戻っていった。
少しずつ目が覚め、また鏡を見る。自分と全く同じ動きをする鏡の中の美しい女性、そして徐々に痛みを増す頭痛。もしかして・・・と窓の外を見ると、馬車に変わった服装の人、ビルひとつ見えない青い空には飛行機も飛んでいない。そうまるで異世界にでも来たような。
「え、えぇ?!異世界?!なんで、どうして?!私死んだの?まだ33歳だったんですけど!!?嘘でしょ!昇進したのに!給料上がったのにー!!」
頭を抱えながら叫び、頬をつねるも痛みしか感じない。
あまりの情報量の多さと絶望に私は気絶した。
「・・・きて、起き・・・なさ・・・、起きなさい」
誰かの呼び声でまた目を覚ます。
やっぱり夢だったのだと思ったが、先ほどとは違い真っ白い世界で女性が私の肩に手を置いていた。
先ほど鏡に映った美しい女性と同じ、ツヤのある茶色いウェーブのかかった髪が胸まであり、宝石のような緑色の瞳が印象的だ。
「ずっと目が覚めないから焦ったわ。でもよかった、あなたに伝えたいことがあるの、これから私の代わりに生きていくあなたに」
「あなたの代わりに?」
何を言っているんだ、とバカにしたようにその女性を見つめるも、彼女はいたって真剣だった。
「自己紹介が遅れたわね。私の名前は、ロベリア・ケールズリンド。ケールズリンド公爵家のひとり娘よ」
ロベリア・ケールズリンド、聞き覚えのある名前を何度か頭の中で巡らせる。
「もしかして、“あの”ロベリア・ケールズリンド・・・?」
彼女の名前をどこで見たか思い出した。
仕事の息抜きに読んでいた小説「光への歩み」というロマンス・ファンタジー小説に出てきた、悪役だ。
友人に勧められてちょうど寝る前に読んでいたためすぐにピンときた。
ヒロインである平民女性エレナと王子アンドリューのロマンスを主軸としているのだが、婚約者がいる男に入れあげるヒロインにも婚約破棄をせずに自由恋愛をする王子にも感情移入ができず、読後のもやもやを解消するためにやけ酒をした覚えがある。
私にはときめきよりも過去の恋愛を思い起こさせるストーリーだった。
「王子は自分の下半身の制御が効かない屑だし、エレナは優しいとか言われていたけど、本当に優しい人間は略奪なんてしないしマウントもしないのよ。本当に嫌いだったわ2人とも」
物語を思い出し、ふと出た言葉にロベリアがピクッと肩を揺らした。
「なぜ2人のことを知っているの?でも、そうよね、私がおかしいわけじゃないわよね」
自嘲するように言うロベリアからは、小説で言われていたようなわがままさも傲慢さも感じなかった。
もしかしたらロベリアを悪役令嬢にしていったのは、王子とエレナなのかもしれない。
そう思うと無性に腹が立ったと同時に、まるで愚かだった過去の自分を見ている気分になった。
「私、自殺したの」
自嘲気味に発せられた言葉のインパクトに目を丸くした。
「お金も権力もあって家族も婚約者もいるのにおかしいと思うでしょ?でも、私にはとても生きづらい環境だったわ。だから、毒を飲んだの」
小説に書いていないロベリアについて、彼女は語り始めた。
ロベリアは公爵家のひとり娘として生を受けたが、母は病弱でロベリアが7歳の時に亡くなった。
母の死を悲しむなか、父が新しいお母さんだという女性を連れてきた。
腕には赤ちゃんを抱いて―――。
ロベリアはすぐに気づいてしまった、その赤ちゃんが新しい母親という女性との間に生まれた子であること。
そして、父が病弱な母と幼い自分を置いて外で浮気をしていたこと。
新しく母になった女性は元伯爵令嬢で、男に見初められることこそが女性の至上かつ唯一の幸せだ、男に選ばれない女性が悪いのだとロベリアに言い続けていた。
ロベリアには「だからあなたの母親に魅力がなかった」と言われているようで毎晩枕を濡らした。
8歳のころ、王子 アンドリュー・グロリアス・ユーファリアスとの婚約が決まった。
両親のようになりたくないと思いちゃんと愛し合いたいと思ったロベリアに対し、アンドリューは冷たかった。
この国グロリアス王国のたった一人の王子のだったため甘やかされ育ってきたのだ。
それでもロベリアは愛されるために懸命に勉強し、王妃教育だけではなく国政についても考えるようになっていった。
しかし17歳になり、アンドリューは頻繁にお忍びで街に降りては女遊びにあけくれた。
ロベリアは遊びなら大丈夫と自分に言い聞かせたが、国を統べる人が国政について考えないとやがて国は衰退するとアンドリューを説得しようとした。
アンドリューは毎回嫌な顔をし「お前がやればいいだろ、口を出すな」と言うだけで、他の貴族や他国の要人の相手をするのはロベリアの仕事だった。
それでもまだ頑張れると思い、愛されるために、国のために懸命に学び働いた。
そんなロベリアに、運命は追い打ちをかける。
アンドリューが平民の女 エレナに夢中になったのだ。
クリーム色のストーレートヘアが肩にかかる、優しい微笑みを称える女性。
こんな仕打ちは耐えられないとアンドリューに伝えると、「嫉妬か。結婚してお前の子が王位継承権を持てばいいだろう」とすげなく言い捨てられた。
愛、とはなんだろうか。
歪んだ両親の愛しか見たことがないから現状を受け入れられなかったのだろうか。
あまりの苦しさに両親へ婚約破棄を願い出たが、「婚約は破棄しない。そもそも選ばれないお前が悪いのだろう」とロベリアを責めるばかりで寄り添ってはくれない。
この両親はこの9年間、娘がどれだけの努力を積んできたのか見てもいなかったのか。
アンドリューも両親も彼ら自身に問題があることは分かっている。
でも“愛されない”理由が私にあるのではと思ってしまう。
絶望するロベリアにあまり話したことのない弟が話しかけてきた。
弟に罪はないと分かっていてもどうしても優しくできる自信がなく、距離を置いていた。
「姉さん、もう諦めなよ。頑張ればしんどくなるのは姉さんだけだよ」
「そんなこと分かってるわよ。でも、私にも感情があるのよ!そんなに割り切れないわよ!!」
八つ当たりだと分かっていても止められない言葉を、まだ10歳の弟は悲しそうに受け止めていた。
それでも頑張り続けるロベリアにとどめを刺したのは、アンドリューが夢中になる女 エレナだった。
国政に携わる者としてより国民の求めているものや必要なものを知ろうと、従者と2人で街にお忍びで出かけた時のことだ。
偶然にも近くの露店にエレナがいた。
ロベリアの心臓はいつもより早く動いている。
今話しかけられたら絶対に酷いことをしてしまう―――そう思い避けようとした時、不幸なことにエレナはこちらに視線を向けてしまった。
エレナはこちらに気づくと小走りで近づいてきた。
「もしかして、アンドリューの婚約者の方ですか?」
もう”様”を付けることもないほどに、2人の関係が近づいていることにショックを受けた。
そしてロベリアの正体をすぐに当てたかと思うと、今度は悲しそうにこう言った。
「愛し合っていない人とは結ばれませんよ。なぜ彼を苦しめるのですか?彼を本当に愛しているなら、解放してあげてください。彼は私を愛しているんです」
鈍器で頭を殴られたように、刃物で体を刺されるように、言葉がロベリアに襲い掛かる。
何も知らないくせに。そう思っても、突然のことで体が動かない。
「私が王妃になって、この国の未来を作ります。あなたのような人に彼も国も任せられないわ」
そう言い放つとまた走って戻っていった。
エレナは、アンドリューが王子であることを知っていた。ということは婚約者が貴族であることも知っていたはずだ。
平民が貴族に面と向かってケンカを売るなんて、舐められたものね。
「お嬢さま・・・、申し訳ありません。私が不甲斐ないばかりに」
一連の流れを止められず見ていた侍女は、泣きながらロベリアに謝罪をした。
【エレナに手を出すことは許さない。これは王命だ】
各貴族やその使用人にこのような内容の命令が王族から下されたのは、いつのことだったか。
侍女は子爵家の娘だが、王命のせいで平民のエレナには何も言えない。
貴族たちは反発したが、王は王子を支持し続けたのだ。
こんなにも貴族に強く出られるのは、他でもないケールズリンド公爵家が王を支持し続けたから。国一番の土地と財を持つ公爵家が後ろ盾となっているため、報復恐れた貴族たちは沈黙を選択した。
本当に笑える。娘がここまでバカにされている状況を、こともあろうにその親が暗に推奨しているのだ。
「結局私は両親の権力維持の道具でしかないのね」
じゃあ感情の無い人形を産めばよかったのに。
ロベリアは街の視察をしつつも国のために働くことは結局両親や王子のためになってしまっていると思うと、心の中にどす黒い何かかが沸き上がるような感じがした。
その晩、買っておいた毒を飲んで自殺した。
悲しすぎる生い立ちと、アンドリューとエレナに対する怒りで、私は泣いていた。
平民のエレナが突然ロベリアに文句を言い逃げしたところに少し違和感があるけど、それ以上に悲しさと怒りで涙が止まらない。
そして、死後神様と名乗る声に言われたそうだ。
「このままでは物語は成り立たない。もう一度生きなおすか、別人の魂でロベリア・ケールズリンドを生きながらえさせるか、選べ」
ロベリアは生きなおすことは出来ないと思い、その時ちょうど別世界で死んだ私の魂が選ばれたのだという。
「貴方を巻き込んで申し訳ないと思っているわ。でも私はもう無理なの。あなたに押し付けるようで気が引けるのだけれど、どうかお願い。私として私の代わりに生きてほしいの」
あそこまで酷い境遇を話されて、その環境のなか自分の代わりに生きてほしいなんて正直嫌だけど―――。
私が死んでしまったのならもう元に戻る体もない。
でも私にはまだ生きる希望がある―――ロベリアとして生きるという希望。
「良いわ、やってやるわよ。どうせ死んじゃったんだし」
泣きながら懇願していたロベリアの涙を拭って、彼女の手を握った。
「自己紹介が遅くなってごめんなさい、私の名前は若葉 麻友。気軽にマユって呼んで。どうせあなたの体に憑依して生きていくんだもの、私は私の好きなように生きるから。アンドリューもエレナも公爵家も王国も、全部ひっくり返してこの世界で一番幸せなロベリア・ケールズリンドになるわ!ロベリアも天国から私の生き方見ててね」
根拠も何もない威勢だけいい言葉をロベリアは嬉しそうに聞いて頷いた。
“マユ、ありがとう”そう言いながら消える彼女を見送り、気づくとデジャブのように肌触りのいい布団の中にいた。
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