真夜中の詩集
花影さら
第1話 夜、歩く
あたしは高校二年生だ。女子高に通っている。なぜ女子高にしたのかというと、男子との面倒なしがらみがないからだ。
中学の頃は、男子の目を気にするのが苦痛だった。それにあのやかましい運動部の男子たちのかけ声や、汗臭さが不快でたまらなかったからだ。
女子高ならそういうことがない。男子の目を気にしないで三年間を過ごすことができる。
今日は土曜日だ。あたしは部活動に入っていないから、学校に行かなくていい。でも、一週間のうちで土曜日と日曜日は嫌いだ。家に、あの柿崎という気色の悪い男が来るからだ。
柿崎は五十くらいの顔が変に黒い男だ。最初見た時はウジ虫が服を着ているんじゃないかと思ったくらい気色悪かった。
柿崎は土曜の夜になるとあたしの家に来る。ママと一晩を過ごして、日曜の昼過ぎに帰っていく。
あたしはこの広い家にママと二人で暮らしている。元はパパとおじいさんもいたのだけれども、おじいさんが亡くなってしまって、パパも亡くなってしまった。それから数年間はあたしとママと二人暮らしだったのだけど、あたしが高校一年になってからあの柿崎が来るようになった。
柿崎は隣町の不動産屋だということだった。ママがどういうふうにして柿崎と知り合ったのかわからない。これからママが柿崎とどうしたいのかもわからない。
ただ、これだけは言える。ママは、柿崎が来る土曜の夜は、いつもとは違って、変にうきうきしてるってことだ。気持ち悪いくらいうきうきしている。
あたしは柿崎が来る日は、自分の部屋に閉じこもっていることにしている。柿崎はあたしのこともいやらしい目で見ることがあるから嫌なのだ。
家があって、プレハブでできたあたしの離れがあって、庭があって、クリニックがあって。それがあたしとママの家だ。
あたしの離れは本来はおじいさんの書斎だった。柿崎が来るようになってからここにあたしは避難している。
いつもは食事も家でママと食べるけれども、柿崎が来る土曜と日曜は、食事をここに持ってきてしまって一人で食べている。土曜はお風呂にも入らない。もうぜったい柿崎と顔を合わせたくもないのだ。
庭はイングリッシュガーデン。いろいろな草花が一年中咲いている。これだけはあたしの家で自慢できる。
中学の頃は何度か友達を連れてきたこともあったけれども、彼女たちは草花を欲しがって、あたしに黙って取っていってしまう子もいた。だから、今はあたしは誰も庭に入れさせない。
クリニックは、以前はあたしのおじいさんとパパのクリニックだった。神経科と内科が専門で、ちょっとしたうつ病の人や風邪をひいた人が診てもらいに来ていた。
おじいさんとパパが亡くなったあとは、大学病院で医者をしていたママが大学病院をやめてクリニックの院長になった。
ママはクリニックを改装した。それまでの落ち着いた雰囲気のクリニックから、ピンクの外装と内装に変えて、女性の美容外来をメインとしたクリニックに変えた。
内科はやっているけれども、保険診療ではないビタミン注射などをメインにやるようになった。クリニックのコンセプトがまったく違うものになってしまった。
あたしはおじいさんやパパの頃のような「いかにも町医者らしい古めかしいクリニック」が好きだった。あたしは今のクリニックが嫌いだ。通院してくる派手目の女たちも嫌いだ。
……午後6時。やっぱり柿崎が来た。
車が家の前で止まる。ママが出ていってゲートを開ける。ママのカン高い嬉しそうな声が聞こえる。
車が駐車場に入ってくる。
柿崎は車から降りた。
「恵理ちゃんは?」
柿崎の声、変に丁寧な猫なで声。あの声が気持ち悪い。男ならもっと元気のいい、はっきりした声で喋れ。
「また部屋にこもってるのよ」
ママが言う。
「陽子さんも大変だね。高校二年生くらいになると多感だから難しいんだよ」
柿崎が言った。
あたしは出ていって柿崎を包丁でぶち殺してやろうかと思う。
あたしはプレハブから出ないで、夜中まで過ごした。
食事はコンビニで買って来たものを食べた。
お風呂には入らない。
トイレはプレハブについている。
午後11時。家の灯りが消えた。
あたしはそっとプレハブから出て、フェンスを登って外の道路に出た。ゲートから出るとママに見つかってしまう。
「真梨邑ウィメンズクリニック」
ママのクリニックの前を通る。
なにがウィメンズクリニックだ。
ピンクのライトが看板を照らしている。
何もかもがピンクのクリニック。
ママの趣味は最低だ。
北へ行けば街。
南へ行けば海。
もう何度もこんな夜、街の方へは行った。
夜の街は飽きてしまっていた。
海の方へ行ってみよう。
暗い住宅街を抜けて、国道を渡って、また住宅街があって、神社があって、この神社の先は工場地帯になっていて、工場の先に東京湾がある。
あたしはたった一人で暗い歩道を歩いた。
運河に着いた。
運河の先はもう暗い東京湾だ。
運河の脇は歩道が続いているが、歩道には下りる階段があって、階段の下も人が一人通れるくらいの幅の道になっている。
運河に向こう側に渡る橋がかかっている。
橋の下にビニールシートハウスがあった。けっこう大きなビニールシートハウス。
あたしはそこで、あたしの運命を変える女性と出会った。
続く
真夜中の詩集 花影さら @sara_ituki
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