終章

ヴィクトール・ラセン

 天部カノンの住まう特別な世界ポタルカを一人の男が慣れた足取りで歩いていた。その後ろの地面が大きく隆起しており、それは明確な意志をもって男を追従している。隆起物は地中を掘っているわけではなく、水面を進む波の状態に近しい。

 そんなぽっこりとした物体だが、ぴくりと何かに反応すると、瞬時にどぷんと地面に沈んで見えなくなった。


 気配を察したのは男も一緒で、足を止めた。隙のないたたずまいは歴戦の強者つわものという風格だ。

 しかし身形みなりはみすぼらしく、着ている物は使い古して継接つぎはぎだらけの外套。その下の服装たるや擦り切れたり、穴が空いていたりと古色蒼然の色合い。まったくもって、どこの貧民窟スラムで物乞いをする風来坊かという出で立ちである。

 ぼさぼさで白髪しらがの交じった長い髪はろくに手入れされておらず、不精髭が生え放題。目は閉ざされており、頭部にはくすんだ銀の装飾がぐるりと付けられていた。


「……ゴクウ、悪ふざけもいい加減にしろ。モスが怯えてしまっている」


 男の名はヴィクトール・ラセン。西方社会オクシデントランス共和国の人間とされているが、生まれや育ちを知る人間は少ない。経歴不詳で、エーテリア近代史の裏には常にその影があったとうそぶかれる謎の男。

 魔法再興レアンシャントゥールの立役者となった魔法研究者ローラン・ド・ラヴォワーズの手記には彼の存在が魔力マナの回復に何らかの因果があると記されている。ランスの皇帝となったジャンヌ・ヴァルトは幼少期にラセンと出会っており、後に彼を大陸軍グランダルメの元帥として招聘しょうへいした逸話は一部で有名だ。真偽不明ながら新世紀一〇〇八年の第五次対ランス合従連衡の戦いでは、病床のジャンヌに代わって兵を率い、亡国の瀬戸際にあったランスを救ったといわれている。

 年齢も不詳だ。ラヴォワーズの手記には二十歳前後の青年とある。そうなると現在の推定年齢は八十歳ほどの老人になるはずなのだが、髪の色を除けばラセンは隆々と若くたくましく、おおむね健体康心であった。


「……」


 男は側にあった岩に近づいてすっとてのひらを触れさせる。ほんのわずかに体が動いたかと思うと、次の瞬間に岩は大きな音を立てて崩れた。


「うききっ! なんで分かるのかなあ」


 岩肌に擬態していたゴクウが飛び出し、そのままラセンにぶん、ぶんと拳や蹴りを放つ。ところが岩猿の攻撃はすべて空を切って一つも風来坊を捕らえられない。逆にラセンが猿の鼻っ柱を指でぴんと弾くと、ゴクウはもんどりうって転げまわった。


「隠れるならもっと気配を抑えろ。まるでレイを相手にしているようだ」


「レイ? ああ、知ってるぞ。レイ・アルジュリオ。新しいカーバンクルの使役者カルタだ」


 ラセンはふっと笑みをこぼす。ゴクウは男に飛びつき、肩車の要領で組み付いた。「うきっ、モス! 余興はおわり。怖がってないで出ておいでよ」


 その声に応えて地面がもこもこと隆起していき、ラセンが見上げるほどの大きさになった。次第にその姿は長い鼻と立派な牙、大きな耳をもった象へ変わっていく。黒と灰色の機械的な造形で、これこそカノンの機罡獣、大地の巨象ベヒーモスである。

 今は改心したことを知っていても、モスは岩猿を怖がった。主と仲良くしている姿を見て安心は得たが、まだ警戒心を解いていない。


「うきゃきゃ。おまえ、本当に憶病になったんだなあ。昔はこのおいらを圧倒するくらい暴れん坊だったのに」


 ぶるん、ぶるんと長い鼻を振り子にする様は、放っておいてよ、と言わんばかり。


「龍の使役者が来たようだな」


「来た。兄ちゃんはふつうかな。紅玉はすんごい美人。碧玉は生真面目だから、からかうと面白い」


「機罡戦隊が出揃ったわけだ」


使役者にんげんはね。でも肝心の機罡獣は? カーバンクルはルシィに囚われたまま。バハムートは海の底だし、レオは監禁状態なんだろ」


「よく知っているな。勝手に地上の様子を探るのはカノンに禁じられているはずだが」


 ぱっとラセンはゴクウの懐からタブレットを取り上げた。慌てたのはゴクウで、カノンにばれたら一大事である。必死に取り返そうとするも、ラセンの手に届かない。


「勘弁してくれよ、ここは娯楽が少ないんだ。その上カノンはけっこう抜けてて、あれやこれやと世話を焼くのも一苦ろうわっきゃっきゃっきゃっ!」


 突然ゴクウが頭を抱えて転げ落ち、悲鳴を上げてのたうちまわった。驚いたベヒーモスはどぼんと体を地面に沈ませた。ラセンの持つタブレットから女の声がした。


「これ、ゴクウ。余計なことを言ってないで、早くラセンを連れてきなさい」


「わ、分かった、いえ、分かりましたからお師匠様、ご勘弁ください」


 ゴクウが頭に巻いている金の輪であるが、これは金箍児きんこじという第三天(天界)の宝具で、カノンが呪文を唱えると輪は容赦なく縮む仕掛けである。この呪文がもたらす激痛は元ハジュンの機罡獣であっても耐えられない。

 むろんこの宝具が単なる矯正器や拷問具であるはずはなく、魔王の虜囚となった者に憑りついた邪気を打ち祓い、正気に戻す効果がある。

 とはいえ使用者に耐え難い苦痛を与えることはカノンも本意ではない。あくまでゴクウを魔王の悪意から解き放つため、致し方なく心を鬼にしているのだ。決して小馬鹿にされた腹いせではない。


「許してやれ、カノン」


 手にしたタブレットにはカノンが写っているのだが、ラセンは彼女を見て話していない。無礼とも取れる態度であるが、実はラセンは視力を失っている。彼がそうなった理由を知るカノンがそれを咎めるはずがない。


「少し抜けたところもおまえの長所だ。だから皆に好かれた。それに、いったいおれが何度おまえの寝相の悪さに寝床から蹴落とされたと思っている」


「もう、あなたまで一緒に私を馬鹿にして」


 ふっとラセンが笑う。


「おれにも定心真言じょうしんしんごん(輪を発動させる呪文)を使うか?」


 ラセンは額の銀装飾に指を当てた。これもゴクウが付けている宝具と同じで緊箍児きんこじといい、カノンが呪文を唱えればたちまち頭蓋を締め上げる。


「私が一度でもあなたに定心真言それを使ったことがありますか」


「おまえにやられたことは無いな」


 ゴクウが呪文から解放された。ベヒーモスがのっそりと姿を現す。カノンが言葉を続けた。


「早くこちらへお出でなさいな。私はともかく、アイゼンホークは待ちかねておりますよ」


 それだけ告げるとタブレットの通信は途切れた。


「そうだ、アイゼンホークのこと忘れてたや。バハムートをどうにかしろって催促かもね。でもおいら、あいつのこと苦手だな」


 ぶつくさと文句を垂れる岩猿に端末機器タブレットを返すと、ラセンは再び巨象を連れて歩き出した。


「うきゃきゃ、置いていくなあ」


 ゴクウは指笛を鳴らして雲を召喚した。觔斗雲きんとうんという魔法の雲で、天界の天部が足代わりに使う便利な乗り物である。長らくカノンの元で修業を続けた成果で、ゴクウも操雲の術を獲得した。雲に跳び乗り、すいーっとラセンに肩を並べる。


「なあ、カノンはあんたに呪文を使わなかったんだろう。じゃ、誰にやられたんだ」


 その質問にベヒーモスはびくりと反応し、足を止めた。悪気なく尋ねたゴクウだったが、巨象の反応には違和感を覚えた。


「敵にも、味方にもだ」


「うきっ……」 言われて気が付いた。ゴクウはこの男の複雑な経歴を知る数少ない一人である。「それって、もしかして」


「ああ」


 ラセンは言葉を濁すことなくゴクウに言ってのけた。


「おれはアラヤシキだからな」




(第三章へつづく)

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機罡戦隊ーきこうせんたいー2 ヴァイダムの超秘密兵器 あおくび大根 @aokubi

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