船に舞う旗のように

@medaka_minamo

第1話

 今日は青空が広がっているのに雨が降る、不思議な天気。この村では、「龍の嫁入り」と呼ばれています。この天気になった日は、誰かが村の民家をまわってお祭り用の旗を集めて、広場に全てをかけるのが慣わしでした。「龍の嫁入り」をお祝いするためです。

 しかし、この村の人は少しめんどくさがり屋で、広場いっぱいにかかった色とりどりの旗を眺めるのは大好きだけれど、集めるのは大の嫌いでした。だから、その係の押し付け合いが始まって、結局は誰よりも優しくて、頼り甲斐のある子が引き受けてしまうのでした。専ら、最近はジャーミがその係でした。

 ジャーミはふわふわの濡れ羽色の毛に、灰色の目をした子猫でした。

 ジャーミはつぶやきました。

「みんなの心がこもっていないお祭りなんて、やめてしまえばいいのに…」

この日は稲刈りの季節が終わってしばらく経った頃で、冷たい北風が吹いていました。


 さて、ジャーミはやっと3軒目の家の旗を集め終わったところでした。空の色は晴れているのに、普通に雨は降っているので、ジャーミは身長の2倍はあるずぶ濡れの旗を荷台に乗せるのに大変苦労しました。もちろんジャーミの身体は旗よりもっと濡れていて、濡れ羽色の毛がペタンと寝て、黒光りしていました。ジャーミは申し訳程度に毛繕いをすると、また歩き出しました。

 「雨が止む前に、広場にかけ終わらないと。みんなが楽しみに待っているんだから」

 まわる家はあと15軒もありました。


 11軒目は、リリサおばさんの家でした。その頃にはジャーミの肉球はかじかんで、荷台を押すのが辛くなってきました。ずっと雨に降られたせいで、鼻がちんちん痛んで、垂れてくる鼻水を舌で拭っても拭っても、また垂れてくるので、ジャーミはぬぐうのを諦めてしまいました。

 リリサおばさんは戸口に突っ立っているジャーミを一瞥すると、

 「あら、やっときたわねジャーミ。旗の準備は終わっているわ、早く持っていってちょうだい。雨が止んでしまうわ」

 と旗をジャーミに押し付け、さっさとドアを閉めようとしました。

 思い切ってジャーミはリリさおばさんを呼び止めました。

「おばさん、僕もう寒くて仕事できないよ。ちょっとここで休んでいい?」

 リリサおばさんはジャーミを振り向きもせずにこう言い放ちました。

 「何言ってるの。空は晴れてるじゃない」


 ジャーミは悲しくてとぼとぼと荷車を押して、坂道を登っていました。ヒゲの先から雫が垂れて、ひげが跳ね上がりました。雨の中なので、雨の水なのか、涙の水なのかはジャーミしかわかりません。

 次の家は、漁師のラゴルンおじさんの家でした。一風変わった人で、村の人とほとんど交流がなく、村で働きもせず、1人で魚を釣って暮らしているということでした。ジャーミも旗を貰いにいくとき以外は話したことはありませんでしたが、渡す時に「お疲れさん」といって頭に大きな肉球を置いてくれるので、ジャーミは大好きでした。


 「…ごめんください、旗をいただきにきました」

ジャーミが声をかけると、なかから身長の高い猫のおじさんが出てきました。おじさんの毛は茶トラ柄で、目はダイヤみたいにキラキラ光る、緑の目でした。

 おじさんはジャーミの姿を認めると、驚いたように目を見開いて、しばらく固まっていました。

 ジャーミは我慢できなくなって口を開きました。

 「…あの、旗を…」

おじさんは唸ったのか、喋ったのかわからないような低い声で何事か言うと、奥に引っ込んでしまいました。


 30秒くらい待ったでしょうか、おじさんが持ってきたのは瀟洒な旗ではなく、おっきなバスタオルでした。おじさんは手際良くジャーミの身体をふわふわのタオルで拭きながら、風邪引くぞお前、と言ってくれました。


 おじさんが入れてくれたココアをすすりながら、ジャーミは旗集めの話をしました。村のみんなからの頼みを断れなかったこと、リリサおばさんに言われたこと…。いつもは弱音なんて吐けないのに、おじさんが相手だとなぜだか、口をついて言葉が出てくるのでした。

おじさんは口を挟まずに、ときどき頷きながら静かに話を聞いてくれました。

おじさんは話を聞き終わったあと、一緒に旗集めをしてくれることになりました。


 最後の家を回り終わったとき、ジャーミの顔色はさっきまで青ざめていたのが嘘のように、笑顔で輝いていました。ラゴルンおじさんがほとんどの力仕事をしてくれたし、歩いている時はおじさんが海の楽しい話をたくさんしてくれました。おじさんが貸してくれたレインコートはブカブカだったけど、それを引きずっておじさんについていくのも楽しかったのです。

 おじさんは言いました。

「なぁ、船は好きかい?」


 それから30分後。ジャーミとラゴルンおじさんが集めた旗は、大海に翻っていました。蒼穹、大海原、小雨、あか、あおきいろ、オレンジ…。さっきまではあんなに悲しい色に見えた旗が、笑ってるみたいでした。

 おじさんが船のマストに旗をくくりつけてくれたのでした。徒歩で広場まで運ぶより、船の方が早いから、とおじさんは言っていたけれど、それならマストにくくりつける必要はなかったよなぁとジャーミは口元を綻ばせました。

 ジャーミは甲板に出てみました。潮風は冷たかったけど、不思議と震えたりはしませんでした。しばらくそうやって海を見ていると、おじさんが隣に来た。そして、おもむろに話し始めました。

「なぁ、悲しみとか苦しみって、誰かに決められるものじゃないんだぜ。それは目に見えるものじゃないし、目に見えるものだけが苦しみじゃないからだ」

 ジャーミは陸地を振り向きました。

「だけど、僕が頑張ったらみんなが笑顔になるし、早くしないと雨が止んじゃうよ」

おじさんは静かに笑いました。冷笑のようにも、見えました。

「そうかよ。ただ、自分のために生きるってこと、忘れんなよ」

 ジャーミはおじさんの白い顎を仰ぎ見た。

「自分のために、生きる?」

 おじさんの緑の目は、陽光に透けて綺麗でした。

「そうさ。たとえば、雨宿りする方がいいときもある。また虹が出たら、船出すればいいのさ。」

「そんなの、ぐうたらしてると思われない?」

「言ったろ、自分の気持ちは他人に決められるものじゃないって。それにさ、休んでるんじゃないぜ、英気を養ってるんだ。」

「じゃ、おじさんが村で働かないでぐうたらしてるのも、英気?」

おじさんはチラッと笑いました。

「どうだか」

2人はしばらく笑い合っていました。


それからは、ジャーミは「龍の嫁入り」の日が楽しみになりました。旗をおじさんと一緒に集めて、船にくくって海に出るのが、定番になったからでした。


おしまい

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