06 恐怖を抱くのは生者だけではない。時には幽霊も恐れることが起きるのだ。
連戦連敗という屈辱的な結果を残した私は考える。何をどうしたら歴戦の勇士である看護師たちを怖がらせることができるのか。
そもそも、看護師の仕事が忙しすぎるのだ。故に、恐怖に心を震わせる余裕すらない。加えて、昼夜関係なく日々の業務だけでなく不測の事態にも対応している。不測の事態。それは容態の悪化だけではない。認知症やせん妄によって患者が想定外の行動も含まれる。
先住民すなわち長期入院患者の行動を観察することで、看護師たちは上から現れる存在よりも下に潜む存在に恐れること。更に暗闇に紛れて聞こえてくる笑い声や床に散らばる血痕に顔色を悪くすることに気付いた。しかし、これは得体の知れない存在への恐怖によるものではない。看護師たちはこれらの情報から患者の身に起きていることを想像するのだ。
今日も、点滴留置部位も包帯で隠し、ルートを袖に通していたにも関わらず自己抜去をされたと嘆いている看護師がいた。
看護師たちが手強い理由を分析したところで、効果的な方法が思いつかなかった。なので、今宵は院内を散歩して見聞を広めることにした。
決して、予定時間に始まった手術が延長した状態で夜勤に突入しただけでなく、夜勤開始早々に緊急入院が決定したことでぴりつく看護師たちを恐れたわけではない!
「外来へ取りに行ってほしいんだけど」
「えっ、私がですか!」
「場所分かるでしょ」
「分かりますが、深夜の外来に行くなんて怖くて無理です」
「研修医をやっていて夜の病院が怖いなんてことある?」
初級編の新米看護師よりも簡単そうな研修医を発見し、散歩をしたかいがあったとほくそ笑む。
どうやら救急外来には置いていない、処置に必要な器材を外来まで取りに行くように当直医に指示されているようだ。怖くて無理、なんて訴えたところで当直の研修医と救急外来の看護師を天秤に掛ければ研修医が行くしかないのだろう。
背を丸めて外来へ向かい始めた。とぼとぼと、しかし早足で。
「なんで真っ暗にするんだよう……少しくらい明るくてもいいじゃないかあ」
スタッフ通路と違い、外来は全ての照明が消されている。この夜間は利用者がいないので当然のことである。
研修医は想像以上の暗さに嘆きながら、恐る恐ると目的地へ向かう。
これはいい悲鳴を上げてくれそうだ。何をしてやろう。ラップ音を鳴らすか、それともポルターガイストか。どれもこれもやってやりたくて、考えるだけで顔がだらしなく緩む。
何をしてなくてもこの怯ようなので、行きではなく帰りにやってやろう。必要な器材を取りに行く前に怖がらせ、腰を抜かしたなんてことになれば待たされている患者が可哀想なのでね。
「あったあった。よし、帰ろう。走って帰ろう」
外来の処置室にて、お目当ての器材を入手した研修医はお守りにするように抱き締める。物音を立てないように処置室から出て、駆け足でスタッフ通路まで行こうとしたそのときだった。
研修医は不穏な空気を察知する。
「……なんの音?」
診察室から音がする。
人間の本能なのか、それとも医療従事者の性なのか。あれだけ怯えていたというのに、誰もいないはずの診察室から聞こえてくる音の正体を確かめようと近付いていく。
「…………は」
診察台から軋む音が薄暗い部屋に響く。それに合わせるように荒い呼吸音。空気は湿っぽく、匂いにむせ返りそうになる。
そして、混ざる嬌声。
「っ」
研修医は走り出す。
診察室で繰り広げられる情事を理解するよりも早く、その場から逃げ出したのだ。
幽霊である私の方が生身の人間に恐怖を抱く日がくるなんて、思いもしなかった。
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幽霊さんは怖がらせたい きこりぃぬ・こまき @kikorynu
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