クリスマスの魔法使い

藍沢 紗夜

クリスマスの魔法使い

 ――なんでよりによって、クリスマスに街に出てきてしまったのだろう。

 クリスマス自体は嫌いじゃない。けど、手を繋いで歩くカップルに、はしゃぎ回る子供連れの家族、さらには大学生グループが楽しげに喋りながら歩いている中に一人ぼっちで紛れていると、なんだかみじめな気持ちになってくる。それでも、どうしても家に帰りたくはなかった。

 昨日塾から返却された模試の結果を見た父は、朝から私を怒鳴りつけた。高校二年生の冬が大事な時期なのはわかっている。でも、だからって大好きな部活を辞めることを迫られるなんて思わなかった。せっかくフルートも上手くなってきて、外部講師の先生にも褒めてもらえるようになったのに。

 塾の冬季講習からも逃げてきてしまった。ダメだって分かっていても、もう頑張れる気がしなかった。


 とぼとぼと街を歩いていると、人気のない路地を見つけた。どこか落ち着ける場所があればいいのだけど、とその道を歩き進めると、目の前に小さく可愛らしい洋館が現れた。真白い壁は雪のようで、窓や壁にカラフルなクリスマスの飾り付けがなされている。

「わぁ、素敵……」

 その立地も相まって、魔法使いが住んでいそうだと思った。入り口前にある看板を見ると、『クリスマス雑貨 ひいらぎ』と書かれていた。クリスマス雑貨? オーナメントか何かだろうか。なんだか中も素敵な予感がする。

 どきどきしながらドアを開けると、カランコロン、とベルが大きく鳴って、思わずびくりと身体を縮める。頬がかっと熱くなって、それが余計に恥ずかしくて俯いた。

「あら、お客さん? いらっしゃいませ」

 声を掛けられて、思わず逃げ出したくなって後ずさると、「あら、そんなに怯えなくって大丈夫よ」と言いながら、声の主が近付いてきた。

 彼女は肩までの長さの美しい銀髪を耳にかけ、優しげな皺を重ねた頬を緩めた。耳に付けられた氷のように透明に澄んだ雫型のピアスがきらめく。纏うワンピースはすみれ色で、銀刺繍が雪風のように生地を飾っている。

「魔法使いみたい……」

「あら、そうかしら? ありがとう」

 身体の緊張はいつしか解けていた。不思議と目を惹く老婦人だ。洒脱で、淑やかで、声色も仕草も優美で、物語から出てきたみたいに魅力的。じっと見つめる私に、彼女はお茶目なウィンクをした。

「よければゆっくりご覧になってね。せっかくのクリスマスなのに、一人もお客さんが来ていなかったの。だから、今はあなたが独り占めできるわ」

 そうして奥の方へ去ろうとする彼女の服の裾を、無意識のうちに掴んでいた。

「あっ、その、すみません! えっと、お店の中を案内してもらうことって、できますか」

 彼女は目をぱちくりとさせたのち、ゆっくりと頷いた。

「ええ。それなら、ひととおり説明しましょうか」

 私はなんだかほっとして、「お願いします」と頭を下げた。


 クリスマス雑貨、と一口に言っても、その種類はさまざまらしい。店の中には、オーナメントはもちろん、ぬいぐるみや木の人形、クリスマスリースにガーランド、スノードーム、さらにはお菓子類も置かれている。店の中央には、積み木でできた素朴なクリスマスツリーが置かれていて、かわいらしいサンタやトナカイ、雪だるまにジンジャーブレッドマンなどの置物が飾られているのを、彼女は一つずつ丁寧に説明してくれた。

「まるで童話の中みたい」

 私が呟くと、彼女は花を咲かせるように声を華やがせた。

「まあ、嬉しいわ。童話が好きで、このお店もそんな風にメルヘンで温かい場所にしたいと思って飾り付けたの」

「そうなんですね。私も、童話とか、好きです」

 彼女はふふ、と可笑しそうに声をあげて、少しからかうようにこう言った。

「こんな私を見て、魔法使いみたい、なんて言うくらいだものね」

「こんな、だなんて。本当に、物語から出てきたみたい、って思ったんです。あなたなら、突然魔法を使い出したって、きっと違和感がないんじゃないかなって」

「うふふ、ありがとう。あなたの見ている世界って、とっても素敵ね」

 彼女はそう言ってくれたけれど、自分の言葉がなんだか恥ずかしくなってきて、私は俯いた。昔から夢見がちだとよく揶揄われてきて、高校に上がってからはこういうことは言わないようにしてきたのに、彼女の前だと不思議と本音が出てきてしまう。


 誤魔化すように、私は側にあった売り物を手に取って眺める。何も考えず手に取ったスノードームの中には、お菓子の家の前に並ぶ仲睦まじい家族がいて、どきりとする。まるで心を見透かされたような気がした。

 ――大学受験を意識するようになってから、急に家にいることが辛くなってしまった。父の言うことは、私のことを思ってのことだと理解している。成績が伸び悩んでいるのは私の努力不足だ。だけど、責められるほどではないと思う。まだ試験まで一年はあるし、伸び悩んでいるだけで明確に成績を落としているわけではないのに。

 スノードームを凝視して黙り込んでしまった私の肩に、ふいに温かい手が触れた。

「ねぇ、顔を上げてみて」

 その言葉に私は顔を上げて、首を傾げて彼女の顔を見た。彼女はおもむろに人差し指を立てて、

「本当は内緒なのだけど、あなたには特別に見せてあげるわ」

 と意味深に唇に当てる。呆気に取られていると、彼女はそのまま指先を宙に向け、くるり、と、芝居がかった仕草をした。その瞬間、ふわりと下から風が吹き上がって、思わず「え?」と声を上げる。

「周りを見てご覧なさい」

 言われて周囲を見渡すと、リースに付いたベルの飾りがリンリンと鳴り出し、人形たちは歌い踊り始め、クリスマスツリーはゆっくり回転を始めていた。

「え、え、え!」

 腰を抜かしそうになるのを、彼女が支えてくれて、なんとか踏み止まる。彼女は悪戯っぽく笑って、ワンピースの両裾を掴み、恭しく一礼をした。

「あなたのご明察どおり、私は魔法使いです。魔法使いのサーヤと言います。くれぐれも内密に」

「え、本当に? これって、そういう仕掛けの、とかじゃなくて? 夢見てるのかな」

 ほっぺたを引っ張ると痛みが走って、慌てて指を離して頬に手を当てる。そんなの、信じられない。魔法なんて、自分で言い出した身で言うのも何だけれど、所詮はフィクションのはずだ。ものの例えのつもりだったのに……。

 でも、まるでファンタジー映画の中に迷い込んだみたいで、それこそ昔から大好きだった童話の世界の登場人物になれた気分だ。きらきらと光るその情景に、私は夢中になって目を凝らした。

「ずっと魔力を使うのも疲れちゃうから、一回止めるわね」

 人形たちの歌がひと段落したところで、彼女はまた、指先でくるりと弧を描いた。すると音楽は止まり、動いていたものも全て元の場所に戻っていく。

「驚いて悩みも吹き飛んでしまったでしょう?」

 サーヤのウィンクに、私はこくこくと頷いて応えた。まさか、こんな不思議な光景に出会えるなんて。

「私には大した魔法は使えないけれど、でも少しだけ誰かを笑顔にすることはできる。そう信じて、ときどき子供にだけ魔法を見せることにしているの」

「まるで、サンタクロースですね」

 私がそう言うと、予想外だったのかサーヤは目をぱちくりとさせた。

「そう、かしら。私が憧れたサンタクロースに、少しでも近づけていたら良いとは思っているわ」

 サーヤは何かを懐かしむようにしみじみと言った。


 それからは、サーヤが扉に臨時休業の看板を掛けて、少しの間二人でお茶をした。私が自分の悩みを話すと、彼女は親身になって聞いてくれた。

「それは、辛かったわね。私も昔、フィンランドの魔法学校に行っていたけれど、入学試験の前は母と毎日大喧嘩したわ。私は、魔法が上手くはなかったから、頑張っても母の望むレベルには辿り着けなくて、それを努力不足だって言われるのがいつも悔しかった」

「魔法使いの世界にも、そういうものがあるんですね」

「ええ。辛くなって逃げ出してしまったこともあった。その時辿り着いたのが、クリスマス雑貨のお店だったの。

 店主はサンタクロースの格好をしたおじいさんだった。私に甘いお菓子をたっぷり持たせてくれて、悲しい時や辛い時に、それを少しずつ頬張った。その人は魔法使いではなかったけれど、私に魔法を掛けてくれたの」

 彼女は遠くを見つめるように目を細め、大切そうにその思い出を語ってくれた。

「私には、あなたの現状を変えてあげることはできない。けれど、少しだけ、今を耐えるためのおまじないくらいなら渡してあげられる」

 と、彼女はふいに立ち上がって、戸棚からいくつかのお菓子を持ってきてくれた。

「魔法なんて掛かっていない普通の輸入菓子だけれど、好きなだけ持っていきなさい。それから、これはお守り」

 手を出して、と言われて両手を受け皿のようにして差し出すと、彼女はその上に小さなスノードームを乗せてくれた。

「こっちは、魔法が掛かっているの。あなたの心に連動して、中の景色が変化していく。今は、あら、雪が積もりすぎね」

 スノードームにしては多すぎる雪の中に、この店のミニチュアが入っている。イルミネーションとはまた違う、自然で温かな光がチカチカと瞬いていた。

「魔法を掛けた本人と持ち主以外には普通のスノードームに見えるから、誰に見られても大丈夫よ。よければ持って帰って」

「すごく、素敵です……ありがとうございます」

 私はスノードームをゆっくりと握った。素敵なものを貰えたことももちろんだけど、それ以上に彼女の心遣いが嬉しくて、じんわり心に沁み渡る。

「あの、また、会えますか」

 私が問いかけると、彼女はスノードームごと私の手を握った。

「もちろん。いつでも私はここにいるから、また遊びに来てね」

 私は少し泣きそうになりながら頷く。二人の手の隙間から、スノードームの光がきらきらと漏れ出していた。


 店のシュトーレンを買って、別れを惜しみながら彼女と別れ、私は帰路についた。帰って、ちゃんと話をしよう。大切にしているものを諦めたくないこと、それから、両立するから頑張りたいということ。

 ポケットの中のスノードームを握りしめ、私は前を向いて歩き始めた。

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