異説・大坂の陣

花影さら

第1話 大坂城の鬼火

その夜、真田幸村は鬼火を見た。


大坂城の出城、真田丸の見張り台に出て、大坂城の本丸を振り返って見た時のことであった。その夜は、月も星も出ていなくて、恐ろしく暗い夜であった。天守閣に鬼火が一つ飛んでいたのである。


(鬼火というものは、いくさの後、死体がいくつも転がっている地に見えるものだが……)


幸村がいぶかしく思って、鬼火を見ていると、鬼火の数はいくつも増えてくる。

天守を回り、石垣のあたりまで下りてくる鬼火。

二つも三つもじゃれつくようにくっついたり離れたりする鬼火。

空高く舞い上がってはまた下りてくる鬼火……。


(これは、どうしたものだ。途方もない不吉の前兆ではないか……)


歴戦の幸村も、さすがにその時は全身が総毛立ち、汗をひどくかいた。

小半刻も過ぎて、ようやく鬼火は姿を消した。



「幸村さま、何を見ておられるのですか?」

家来の柳小十郎が見張り台に来てそう言った。


小十郎は、頭のいい男だった。よく気がつく。腕の方も確かだ。その一方で神経の細かいところがあるので、戦闘隊長にすることはできなかった。そばに置いて意見を求める、そういうことにふさわしい家来だった。


「いや、なに。何でもない。ただ、少々、疲れただけじゃ」

と、幸村は言った。

「籠城も疲れますな」

小十郎は言った。

「殿様、今夜は早くお休みなされませ。あとは小十郎が見張りに立ちますでな」

「うむ」

「それに……」

と、小十郎は付けくわえた。

「疲れますと、いろいろなものが見えてまいります。見えない方が良いものも、見えてくるようになりますでな」


(こいつ、わしが鬼火を見たことに気づいておったか……)


幸村は苦々しい思いをしたが、その場を小十郎に任せ、自身は真田丸の奥深くの部屋に引き込んだ。



徳川家康は、20万もの大部隊を率いて大坂城に進撃してきていた。

対する大坂方は、9万の兵力を擁してはいたものの、その多くが関ケ原の合戦の敗残者の寄せ集めであり、軍隊としての統一が取れていない有様であった。


大坂城では、迫りくる徳川勢に対してどう対抗するか。その軍議が行われたが、真田幸村が提案した「攻めるは守るなり」の攻撃策は一蹴された。


「大坂城は難攻不落の城じゃ。籠城に徹するのが一番じゃ。どのように家康が攻めてこようとも、この城は5年でも10年でも持ちこたえられる。そのうちには、我が方に寝返る大名も出てくるであろう」

それが、大坂城を指揮する淀殿の考えであった。


淀殿は、大坂城の城主、豊臣秀頼の母であり、政治の実権を握っていた。

淀殿が籠城を言い張るのであれば、武将たちは従うほかはなかった。


幸村が、

「守るだけでは勝算はござらん。ここは、打って出てこそ、勝ち目はあると存じまする」

そうふたたび口にしてみたところ、淀殿は烈火のごとく怒りだした。

「やかましい! 真田の小せがれ! 浪人がこざかしいことを言うでない! それとも、幸村、おまえはわらわに楯突く気か! 事と次第によっては容赦はせぬぞ!」

淀殿にそう言われたのでは仕方がない。幸村は「打って出る」策を引き下げる以外に手はなかった。



1614年(慶長19年)の11月下旬になると、ついに家康の軍勢と豊臣方の軍勢との間で前哨戦が行われた。

まずは「木津川口の戦い」が11月19日。

次に「鴫野・今福の戦い」が同月26日。

続いて「博労淵の戦い」と「野田・福島の戦い」が29日。

それらすべての戦いにおいて大坂方は敗れ、大坂城に撤収して本格的な籠城戦となった。

つまりは、前哨戦において、明らかに徳川方に力の差を見せつけられたという結果になったのである。



(間もなく、この真田丸に来るであろうな)


その朝、幸村は、真田丸の見張り台に立って、徳川勢の方角を見ていた。人馬の動きが遠目に見える。炊飯の煙も見える。


(敵は20万か。外国から輸入した強力な大砲もあると聞く。一気に押しつぶされるのではあるまいか……。あの夜、見た鬼火。あれは豊臣家の滅亡を知らせる鬼火ではなかろうか……)


その時、小十郎が来た。

「裏門に殿様に会いたいという者が来ておりまする」

「なに、裏門に? どこから裏門に来たのじゃ」

「それがどこから中に入ったのかわかりませぬが、お城の中庭から真田丸の裏門に来たようで、ちょうどこの下に来ておりまする」

「どのようなやつじゃ」

「一人が、白い着物を着た、かくしゃくとした老人で、これが目つきが鋭いのなんの。連れが2人おりまして、二人とも百姓の身なりをしておりますが、一人は小柄で赤ら顔でまるで猿のような男」

「もう一人は?」

「これがなんとも薄気味悪く、痩せこけて背が高くて、死神、と言ったらよいでしょうか。不気味な男でございます」


小十郎の報告を聞いて、幸村は表情を変えた。

「すぐに、わしの部屋に案内せい!」


幸村は腕組みをして、たった一人で部屋で待っていた。

やがて、戸が開いた。

老人が部屋に音もなく入ってきた。

老人の姿を見て、幸村は平伏した。

百姓の身なりの男のうち赤ら顔の男が、戸を閉めた。


老人たち一行は幸村の前に座った。

幸村は顔を上げた。


「久しぶりでござるな、幸村殿。お元気そうでなによりじゃ」

老人は、幸村に言った。


続く









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異説・大坂の陣 花影さら @sara_ituki

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