鞍持普は傷付きたい

犬蓼

鞍持普は傷付きたい


 傷とは、一体何だろうか。

 外的な力によって皮膚の一部が損傷している状態…と考えるのが一般的だが、心の傷の場合はどう解釈しよう。

 いずれにせよ傷とはそれ自体が原因を内包するわけでなく、あくまで外的な要因によって対象が破損、損傷している状態を差す。

 心の傷も、体の傷も。

 内部から自発的に発生してくることなどなく、外的な要因から発生する。

 傷は自然発生などしない。そういう前提。

 建前で…私、鞍持普は今まで生きてきた。

 傷師としての生き方を始めて、なおのこと傷の存在定義が気になった。

 傷師…触れただけでその個所に傷を負わせることができる不思議な力を持つ人間…。とはいえ傷師と言う名前も私が自分で勝手に名乗っているだけで正式名称などはわからない、が、世間一般で言う『普通』とはかけ離れているだろうことは考えるまでもない。

 まぁでも、この力に気が付くまでは『普通』も『普通』に生きていたのだけど。


 癒師、という癒術を使う人がいるらしい。

 そんな噂を聞いて探すに探して誘拐して強襲してあえなく負けて、などと言う事件から、早いものでもう二年も経っていた。

 私は変わらず傷師をやっている。

 「山岸さん、お疲れ様です~。

 私の方も準備済んだのでお客さん入れてってください」

 電話口の返答はそっけない。いつものことだ。

 私はさて、と机の上を軽く見渡す。

 殺風景な机には必要最低限の文房具しか置かれていない。

 電話口の彼、山岸は助手兼ボディガード。極めて無口なので事務的な会話以外はしたことないけれど、余計な所がなくてシンプルでいい。

 そういう意味で言うならばこの余計なものを排斥した机もいわば彼の趣味と言ってもいいのかもしれないが。

 そうこうしている内にお客さんが入ってきた。見るからにやつれている中年の男性。彼はそそくさと席に着くと依頼金額を机に置いた。

 「はい、こんにちは。ご利用は初めてですか?」

 「そんなことどうでもいいだろう、ほら、金払うから早く傷作ってくれよ」

 こういう客は少なくない。いやほとんどこんな感じだと言っていい。

 私は営業スマイルを崩さず続ける。

 「初めてですね。それで今回はどこにどのような傷を作ります?」

 「ここだ、ここに深めの傷を作ってくれ」

 彼はシャツの袖をまくり、左腕を差しだしてきた。

 「…一応確認しておくけど、あんたが刃物かなんかで傷付けるんじゃないんだろうな?」

 「違いますよー。私は触れるだけでいいので」

 これもよくある。そんなに懐疑的ならなんなら自分で傷付けて貰ってもいいんだけどね…どのみち目的が傷付けることなのだから、誰がやろうが、どういう方法でやろうが何も変わらないのだ。

 そう何も。傷を作るなんて聞こえがいい、傷付くのは変わらない。

 「じゃあいきますねー」

 腕に触れる。裂けるようなイメージをすると、みるみる触れた個所から皮膚が裂けて血が滲んでくる。

 これが傷術。私を私たらしめている傷付けるだけの力。



 OLだった頃、比喩でなく私には何もなかった。

 友達も、趣味も、家族も、当然彼氏なんかも。

 天涯孤独、両親は私が幼い時に他界して物心つく頃から独り身だった。

 生きていくのに精一杯で、趣味などにかまけている時間はなかった。

 食べていくのに必死で、彼氏なんか作る余裕もなかった。

 それでも、…そうあえて言っておくけれども、それでも私は今までのこの人生を後悔していないし、なんならむしろ誇りとさえ思っている。

 私は一人でやってきたし、これからも一人でやっていける。

 そう思うだけで、胸が軽くなる気がした。

 荷物は少ない方がいい、そう必要最低限で。

 …そういう思考があったからだろう、私が山岸を助手に選んだのは。

 無口で無表情、仕事のこと以外興味なさげなその無駄のなさに惚れ惚れした。

 「ねぇ、山岸さん。あなた、今の仕事で満足ですか?」

 私は、横に寝転ぶ彼に尋ねる。今日も今日で一方通行なセックスだった。

 私が単に求めたから、彼はそれに応じただけ。私の気が済むまで淡々と続く性行為。

 「…あぁ」

 小さく返答があった。

 「ならよかったです~。やることなんて単純で特に面白みもありませんしね…そう、癒師さんとことを設けた時には面白かったですよね」

 癒師、糸村紡。

 今もあの町に住んでいるのだろうか。あの一件があってからあの町には近付いていない。否、近付けずにいた。

 傷術が効かない人などいなかった、今までは。あの癒師以外には。

 傷付けるこの力を否定されたら、私の存在意義を見失ってしまう。

 そんな気がして。

 山岸にすり寄るも全く反応はなかった。構わず私は密着したまま話を続ける。

 「また会ってみたいものですね…本音を言うなら二度と会いたくないんですけど。癒術自体は恐ろしいけれど、あの子自身には変わらず興味があるんですよ」

 「…会いに行けばいい」

 「まぁそうなんですけどね」

 歓迎されるとも思えないが。


 傷とは、何だろうか。

 もう何度も繰り返した疑問。

 私は…私自身は傷付きたくなどない。正直な話をするならば、お金を払ってまで傷付きたい人がいるこの世の中は本気で狂ってるとさえ思ってる。

 ただ痛いだけなのに。

 傷とは痛みだ。外的な要因から齎された苦痛。

 なぜ人は傷付くのだろうか。

 傷付けるから傷付くのだが、…元より外的な要因でしか傷付きえない。

 ならばなぜ人は人を傷付けるのだろう。あるいは自分を。

 どうでもよかったら傷付けなどしない。ならばどうでもよくない理由が?

 山岸に跨って、いつものように体を重ねて、彼の腹部に傷を走らせるように。

 快楽の波に飲まれながらも、触れた先から傷付けるように。

 気付いてしまった。

 傷付けることは、愛することなのだと。

 愛おしさの先にある、甘噛みのようなもの。


 その日から私は、傷付きたくなった。



 二年振りに訪れたその町は、依然と何も変わっていなかった。

 寒空に行きかう人も皆足早、特に急ぐつもりもない私は追い抜かれてばかりだ。

 駅前のショーウィンドウは早くもクリスマスを祝う様相を呈している。

 そんな人混みの中で、私は見付けた。

 見付けてしまった。

 その二人は、はぐれないよう手をつないで向こうから歩いてきていた。

 見慣れた二人…言うまでもない、癒師・糸村紡とその助手右浦片瀬。

 その糸村のお腹は、大きかった。

 あぁなるほどねそういうことね、これはもうあれですよ、すごく傷付いた。傷師であるこの私が、傷付けられた。

 二人の穏やかな笑顔に、私は踵を返す。

 右浦片瀬、好きだったな。本当に好きだった。

 好きだったけれど、絶対に私のものにはできなかった彼は、今本当に愛した人と二人で親になろうとしていた。

 なんて、甘美な痛み。

 チクチクする胸の奥が、涙で霞んでくる瞳が、言いようのない切なさが、

 身の擦り切れるような心の傷の一つ一つが。

 愛した故の痛みなのだと、私に告げていた。

 私はきっとこの傷を忘れない。この痛みを抱いて、歩いていく。

 「あぁ…傷付きたいなぁ」

 なんて、嘯きながら。

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鞍持普は傷付きたい 犬蓼 @komezou

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