第35話
(今からこんなに胸がドキドキして……。レイに会って、もし泣き出したりしちゃったらどうしよう)
屋敷を出てから馬車に揺られている間中、どきどきと早鐘を打つ鼓動と、胸を締め付けるような緊張感に、ずっとどうにかなってしまいそうだった。
というのに――。
「やあ!久しぶりだね、ジュリエッタ嬢。なんだか今日は、一段と美しく見えるね」
久しぶりにこの笑顔を見たら、そんなはち切れそうだった気持ちが、途端に何処かへ吹き飛んでしまった。
城下街の隅、貴族向けのお店が多く集まる地区。レイが指定してきたのは、その中で一番人気のあるカフェの、テラス席だった。
無駄なキラキラは、会えない間も健在だったようで……遠くからでも見間違えようのない、爽やかな笑顔とキラキラのシャワーに、一瞬、回れ右をして帰りたくなってしまった。
「ちょっと!ま、待って待って!」
焦ったレイに引き留められ、渋々椅子に座る。ケーキと紅茶をオーダーし終えると、レイの後ろに立っていたパーシーが、苦笑しながら私へぺこりと頭を下げた。
「お久しぶりッス、ジュリエッタ様。その……なんだか、すみません」
「久しぶりね、パーシー卿。貴方が謝ることなんて何もないわ」
「そうだぞパーシー。何を言ってるんだ」
(……誰のせいでパーシー卿が謝ってると思ってるのよ。全く……)
こんな状況では、帰りたくもなる。
レイは、どうしてか普段以上にキラキラをまき散らしているし、それに当てられてなのか、このテーブルには周囲の席に座る女性客からの熱い視線が、これでもかというほど突き刺さっている。
それに加えて、ここはテラス席。
店の利用客だけでなく、道行く女性たちまでもが、二度見ならず三度見、四度見をしてしまうほど、レイはキラキラとイケメンを発揮しまくっていた。
一応、町に溶け込もうという努力はしたのだろうか。服装は、下級の貴族が着ているようなシンプルなデザインの地味めなもの……なのだけど。
(本人がこんなにもキラキラしてたんじゃ、服が地味だろうと意味がないじゃない!)
「本当に申しわけないっス……。中にお席を用意してもよかったんですが、その、警備の問題上、こちらが一番都合がよかったんで……」
「気にしないで、私は大丈夫だから」
「うっ……久しぶりのジュリエッタ様の優しさに、俺、涙が出そうッス」
「いつまで話してるんだ?パーシー。そろそろ2人にしてくれないか?」
少しだけムッとしたレイの言葉に、やれやれと大きく肩を落とし、パーシーは「では、自分は控えていますッス」と言って、近くの鉢植えの側へ下がった。
「では、僕も」
ミオも静かに断りを入れて、パーシーとは別方向の鉢植えの側に下がる。
よく見れば、ミオとパーシーの他にも、何人かの神殿騎士が道の途中に配備されていて、警護をしてくれているようだった。
「またあの夜みたいに、襲われたらいけないからね」
さらりと言って、レイは優雅に紅茶を飲む。
(……言いたいことも、聞きたいことも、沢山あったのに)
こうして面と向かってみると、そのどれもが上手く言葉になってくれない。
(どうしよう。私、レイにどう接していたんだっけ?)
あまりにも久しぶり過ぎて、これまでどう振る舞っていたのか、わからなくなってしまった。
今日のために、マーサとナナリーと一緒に選んだ、レモンクリーム色のドレスをきゅ、と握りしめる。
「本当に、久しぶりだね。ジュリエッタ嬢」
優しい声に、顔をあげる。ちょっとだけ申し訳なさそうな顔で、レイがこちらを見つめていた。
「突然会えなくなって、連絡もすぐ返せなくて、ごめんね。ミオから聞いたよ。随分と不安にさせてしまったみたいで、申し訳なかった」
「……本当に、突然だったから。驚いたわ」
「うん、そうだよね」
「突然いなくなった理由を聞いたら、教えてくれるの?」
「んー……。ごめん、まだ、言えないかな」
(そう言われるだろうって、思ってた)
レイは、私に隠し事をしてる。彼についての、たくさんの隠し事を。
聞いたところで、はぐらかされるか教えてもらえないか、そのどちらかなのだろうって、これまでの彼の振る舞いから、なんとなく予想はついていた。
「まだってことは、そのうち、教えてくれるつもりはあるってことかしら?神官様?」
少しだけ拗ねた感じに問いかけると、レイはふわっと微笑んだ。
「……うん。いずれ、話したいと思ってる」
僅かに、声の色が、真剣になっている気がした。
「それまで、待っててくれる?」
「そうねぇ……」
素直に、「待っている」と答えること自体は、簡単なことだ。
だが、なんとなく、素直に返事をするのが癪で――。
(秘密ばっかりで、何も話してくれないんだもの。ちょっとくらい、意地悪してもいいよね?)
目の前に置かれている美味しそうなシフォンケーキには、真っ白でふわふわのクリームが添えられていた。クリームをすくって、甘そうなピンク色のシフォンにそっと乗せる。
そして、クリームを乗せた部分を大きめに切り分けると――貴族の淑女としては、ちょっとだけはしたないだろうが――ひとくちでぱくり、と頬張った。
口の中には、甘酸っぱい果物の香りと、滑らかなクリームがいっぱいになって、胸のもやもやが、少しだけ晴れた気がする。
正面のレイは、私の突然の大口に、珍しくぽかんとしていた。
ごくん、と飲み込んで、にっこりとレイに笑いかける。
「私、見ての通り、我慢が効かないほうだから……いつまで待っててあげられるか、わからないけど。それでもよければ、好きなだけ秘密にしているといいわ」
「……っふはは!」
握ったフォークを見せつけ、びしっ!と決めてあげたはずなのに。
私の言葉に、レイは目の端に涙を浮かべながら、お腹を抱えてテーブルに突っ伏し、大笑いを始めた。
「ちょっと待ってよ……!何、今の……!あははは!」
「待って、じゃないわよ!ここ笑うところじゃないでしょう⁈ねえってば!貴方が待っててって言うから、譲歩してあげてるんじゃないの!」
「いやその……っふ、ふふふ、ごめ、ごめん!わかった、もう笑わないから!ね?ほら、もう笑ってないから!」
「口元がにやけてるじゃない!」
「いや、だってさ!君が可愛すぎるのが悪いと思わない?」
「はぁ…⁈」
ふう、と息を整えながら、真っ白な頬をふんわりと赤く染めて、レイが顔をあげる。
これまで見たどんな笑顔よりも無邪気な彼の笑顔に、私の心臓がどきん、と痛いほど跳ねた。
「――可愛いよ、ジュリエッタ嬢」
鮮やかな緑の瞳が、優しい熱を含んで、私を見つめる。
温かみのある優しい声が、まっすぐにそう伝えてくると――私はそれ以上、何も言えなくなってしまった。
真っ赤になっているであろう頬に、ぱっと両手をあてて隠そうとする。が、それすらもかわいい、と言わんばかりの笑顔で、レイがにこにことテーブルに頬杖をつき、こちらを見つめていた。
(なんだか、悔しい)
「……流されたりしないから。誰にでもそういうこと言ってるんでしょ?」
じろり、と恨みを込めた視線で睨み返すけど、レイは本当に楽しそうに笑顔のままだ。
「僕が?誰にでもこんなこと?ないなぁ。君以外の女性には、こんなこと口が裂けても言わないよ」
整った顔で、にこにことこんなことを言う彼が憎たらしい。
そして、こんなことを言ってもらえて嬉しい、と思ってしまっている自分が、すごく悔しい。
「ほら、好きなだけ食べてもいいよ。他のケーキも頼んでみようか?」
「これで十分よ!」
店員を呼ぼうとするレイを慌てて制止する。それすらも楽しい、とでも言うように、彼は晴れやかな笑顔で笑っていた。
「……ジュリエッタ嬢、僕ね?今日が楽しみで仕方なかったんだ。会えなくなって、1ヶ月……いや、もっとかな?本当に君に会いたくて、仕方なかったんだよ」
そんな優しい声で言わないでほしい。恋人でも見つめるような甘い視線で、こちらを見つめないでほしい。
ついうっかり、「私も会いたかった」――なんて、零してしまいそうになるから。
今日はまだこれから、街を歩いたり、ゆっくりと時間を過ごす予定だというのに。
会って10分も経たないうちに、私はもう、白旗をあげたい気持ちになっていた。
悪役令嬢の私、神獣拾っちゃいました 櫻井綾 @aya_sakurai
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