第34話


 綺麗に晴れた昼下がり。清々しい天気とは裏腹に、私は難しい顔をしていた。


「うーん……」


 ベッドの上に広げた3着のドレスをじっとりと睨みながら、大きくため息を吐く。


「青はちょっと、清楚すぎるかしら?赤は……街中で着て歩くのには派手すぎる?黄緑のドレスは良さそうだけど、もう少し可愛げがあったほうが……」


 むう、と悩み続けるジュリエッタの背後、ずらりと並んだドレスハンガーから、マーサが新たに薄ピンク色のドレスを引き出す。


「お嬢様!こちらなんていかがでしょう?」


「んー、ごめんなさいマーサ。それはちょっと狙いすぎてるというか……」


「では!こちらはいかがですか?」


 今度は別のドレスハンガーの影から、ボブカットを揺らしたナナリーが顔を出した。彼女の手には、柔らかなレモンクリーム色のドレスがふわりと揺れている。


「あら、良さそうかも……」


「でしたら一度、こちらのドレスに合うお靴やジュエリーを用意してみましょう!ジュリエッタ様!マーサさん!」


「承知しました!それであれば――」


 決して狭くはない寝室を埋め尽くすようなドレスと、装飾品の山。

 窓際に押しやられたロロは、珍しく子猫の姿で窓枠に飛び上がり、伸びをしながらげっそり呟いた。


「お前たち……そのやりとり、まだ続けるのか?」


 呆れたような声に反論したのは、活き活きと目を輝かせたナナリーだ。


「当然ですよ!明日はジュリエッタ様の晴れ舞台……!いえ、待ちに待ったレイ様とのデートなんですから!」


 力説するナナリーの横で、私はふぐっと変な音を立ててむせこむ。


「ち、違うのよナナリー!デートなんかじゃないの!これは、勝手に連絡を断ったレイを問いただしに行くための、戦闘服を選んでいるだけで――」


「もう、ジュリエッタ様までそんなこと言って……」


 やれやれ、と大袈裟に肩を竦めて首を振るナナリーは、ぐっとこちらに身を乗り出してくる。


「明日、街中でレイ様とお会いするのですよね?」


「え、ええ……」


「待ち合わせをして、お食事をして、お話しをするのですよね?」


「そう、だけど…」


「それを!世間ではデートというのですよ、ジュリエッタ様……!ここは、今出来うる限りで最高の装いをしていくべきです!そして、レイ様のお心をがっちり掴んできていただかないと…!」


 力説するナナリーに、マーサまでもが後ろでうんうん、と大きく頷いている。


「うう……、そ、そんなんじゃ……」


 どんどん頬に集まる熱を隠したくて、両手で顔を覆う。


(違うのよ。本当に、そんなんじゃなくて……!私はただ、レイに文句を言ってやらないとって!)


 頭の中でたくさんの言い訳をならべて、自分へ言い聞かせようと必死になってしまう。

 そんな中、部屋にノックの音が響いた。

 見れば、少し緊張した表情のミオが戸口に立っている。


「お忙しいところ、失礼いたします。ジュリエッタ様、奥様がお呼びです」


「お母様が?」


「その……。王妃殿下が、お見えになっております」







 慌てて身支度を整え、中庭へと向かう。

 そこには本当に、母と談笑する王妃殿下がいた。


「急にごめんなさいね、ジュリエッタ」


「王妃殿下、ご無沙汰しております。お待たせしてしまい申し訳ありません」


 子猫姿になっていたロロを抱えたまま、片手でスカートを広げ、深く膝を沈める。王妃殿下は、にこにこと懐かしい笑顔で首を振った。


「良いのです。押しかけたのはわたくしですから。ね、ユロメア夫人?」


「そうですわね。リーエ、王妃殿下から貴女へ、お話しがあるのですって。座りなさい」


「はい」


 侍女が新しく紅茶を用意してくれている席に、少しだけ緊張しながら空いた席に腰掛ける。

 お母様――ユロメア公爵夫人は、王妃殿下と大の親友同士だ。

 よく2人でお茶をしている、というのは聞いていたが、その場に呼ばれるという経験はほとんどなく……。


(改まって話だなんて。一体何のこと?)


 落ち着かない気持ちのまま、それでも昔、王妃教育で教わったマナー通りに、外見上は落ち着いた様子を取り繕い、紅茶をひと口いただく。

 ほう、というため息に顔をあげれば、王妃殿下がこちらを見つめながらうっとりとしていた。


「さすがはジュリエッタだわ。ここまで所作が美しい令嬢は、今の社交界にはいないもの。堂々としていて、凛としたローザリアのような気品があって」


「当然です。私の自慢の娘ですもの」


「ありがとうございます。王妃殿下の教えのお陰です」


 胸に手を当て、教えられた作法通り、にこりと微笑む。すると、王妃殿下の目にじわりと涙が浮かんだ。


「殿下⁈どうかなさいましたか?」


「ごめんなさい、なんでもないの……。その、も、貴女のように良い淑女だったらと……」


 ハンカチで涙を拭う王妃殿下の背を、お母様が無言で撫でる。

 あの子――それが誰を指すのかは、明白だった。

 王妃殿下は今、私に代わりヴォルシング王子の婚約者となった聖女アリサへ、王妃教育をしているはずだ。普段からのアリサの様子をみれば、王妃殿下の苦労も計り知れないものだと想像がつく。


「取り乱して悪かったわ。今日は大切な話があって来たのに」


 王妃殿下は、紅茶で口を潤すと、少し言いづらそうにしながらも、私へと向き直った。


「ジュリエッタ。貴女ならもう、第一王子レイナルドが王室に戻ってきたことは、知っているわね?」


 その名前に、小さく心が跳ねる。

 それさえも悟られないように、テーブルの下で拳を握りしめた。


「はい、先日参加したパーティーで、令嬢たちが話していました」


「その話は本当よ。ずっと城を……王家に関わるのを避けていた彼が、やっと戻ってきてくれたの。わたくし、本当に嬉しくて……」


 確か、レイナルド王子は、亡くなった前王妃の息子だったはずだ。

 目の前の王妃殿下は、レイナルド王子のことを話す間、彼がまるで自分の本当の息子かのような、優しい笑顔だった。


「わたくしは貴女のことを、本当の娘のように思ってきました。いずれ、王家へ嫁いできてくれるものと……今でも、そうなって欲しいと思っているわ」


 続く言葉に、何かの予感を感じて、鼓動が少し騒ぎだす。


「ねぇ、ジュリエッタ。貴女さえ良ければ、第一王子レイナルドと婚約し直して欲しいと思っているのだけど……どうかしら?」


「……え、っと」


 ――婚約。

 その言葉が、私の胸に重く響いた。

 確かに私は、長年王妃教育を受けてきた。……だから、王家の人間に嫁ぐのに、都合がいいと言えばその通りだ。

 家柄で考えても、公爵家の娘として王室に嫁ぐというのは、自然なことだとわかる。

 頭では、わかるけど――。

 俯いた視界の隅に、しゃらりと光が揺れた気がした。


(――レイは、なんて言うだろう)


 一瞬そんなふうに考えてしまった自分に驚く。

 レイはただの友人だ。私が誰と婚約しようと、彼には関係ないはず。

 ……ない、はずなのに。

 押し黙ってしまった私の肩に、お母様がそっと手を触れた。


「リーエ。これは、貴女が決めなさい」


「お母様……」


「嫌なら、断ってくれていいのよ。貴女には、幸せになれる結婚をしてほしいの。王妃殿下も、無理強いしたりはしないわ」


「ええ、もちろんよ。わたくしだって、ジュリエッタが嫌がるのなら無理に、とは言わないわ」


「……王妃殿下」


 どうしよう。

 ふたりが私を見つめる瞳は、本当に優しくて、柔らかくて。


「私、は――」







 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る