道を譲らせる能力

秋都 鮭丸

1

 指名手配犯っているだろう? 国家権力が貼り紙を出して、国中に顔と名前が知れ渡る。誰に知られているかもわからない状況で、それでも奴らは、今日まで逃げおおせている。奴らがなかなか見つからないのは、「追われていることの自覚」が大きいのだろう。自分が追われていると自覚していれば、当然対策をとる。顔を隠す、変える、人混みに紛れる、目立たない、とどまらない、などなど。

 それに比べれば、「探されているとは微塵も思っていない人」は見つけやすい方だろう。


「ついに見つけました。あの『伝説』は、あなたのことですよね?」


 この街では、ある「伝説」がまことしやかにささやかれている。タクシードライバーとして街を走る男。彼は生まれてこの方、赤信号に止まったことがない。信号に左右されず、行先までの旅程を最速の理論値で走りきる。人々は彼を「法定速度下最速の男」と呼び、その伝説を称えた。

 タクシー会社は否定したが、人々の噂は止まらない。彼のタクシーに乗った、という証言はふつふつと湧いてくる。伝説の男は実在するのか否か。その真偽が確かめられれば、なかなか良い記事が書けるだろう。俺はタクシーを乗り漁り、伝説の捜索を開始した。


 そうしてついに見つけた。今、俺が乗るタクシーを運転しているこの男。30代半ばといったところの中肉中背、いたって普通な彼こそが、「法定速度下最速の男」に違いない。

「『伝説』……ですか? どういう意味です、お客さん?」

「『法定速度下最速の男』ですよ、運転手さん。もう30分以上も乗っているけど、一度も赤信号にひっかかってないでしょ?」

「いやぁたまたま……そういうこともあるんじゃないですかね」

 そう濁しながら、再び青色を灯す信号機を通過する。

「とぼけないでくださいよ運転手さん……えぇっと」

 車内に貼られた顔写真付きの名札をちらりと見る。

「アオヤギシンノスケさん、ですか。実は俺、この伝説の取材が目的なんです」

 バックミラー越しに、彼——アオヤギはちらりとこちらを見た。

「おや、それでは、天文台には用はないと……?」

「すみません、適当に遠い目的地を言っただけです。赤信号に止まるかどうかを見たかっただけなので……あ、もちろん運賃は払いますし、それとは別に取材の謝礼もしますよ」

 ため息のように軽く息を吐いた後、彼は観念したようだった。

「わかりました、着くまでの間だけですよ」

「おっと、そいつは急がないといけませんね。なんせ『最速』でしょうから」


 「法定速度下最速の男」は、やはり彼、アオヤギシンノスケで間違いなかった。彼が信号のある交差点に差し掛かると、必ずその信号に青が灯る。だがもちろん、信号機を意図的に操作しているワケではない。

「信号が青になるタイミングで、たまたま私が通りかかる、という感覚の方が近いんじゃないでしょうか」

 つまりは、赤信号に引っかかっていないことに、理屈で説明することができない。今までたまたま引っかかっていなかっただけで、次の信号では引っかかるかもしれない、というのがアオヤギの見解だ。

「いや、その今までっていうのは、今日の30分の話だけじゃなくて、今までの人生全てにおいてってことですよね? たまたまなんてありえないっすよ」

「運転する上での心構えの話ですよ。私も、いまさら赤信号にひっかかるなんてことはないだろうと思ってしまっていますけどね」

 彼は車を運転する時だけでなく、徒歩や自転車での移動時にも、赤信号にひっかからないらしい。あらゆる交差点において、他方向の通行者に道を譲らせる。アオヤギは自身の特異性を、「道を譲らせる能力」と言っていた。

「『道を譲らせる』、ですか。なかなかネガティブですね」

「私ばかり青信号で、これでも罪悪感はあるんですよ。まぁ名付けたのは友人ですが」

 伝説の男にも、色々悩みはあるらしい。ミラー越しの瞳から哀愁を漂わせながら、またも青信号の下を通過した。


 大した時間も経たない内に、彼のタクシーは終着点にたどり着く。都会の喧騒から少し離れ、人の代わりに緑が増える。街から山へと変わる境目に、大きな筒状の人工物。目的地として設定していた天文台だ。

「噂に違わず、あっという間でした」

 俺は運賃と謝礼金を手渡し、タクシーを降りた。伝説のタクシーに実際に乗り、アオヤギ自身の話も聞けた。これ以上ない収穫だ。せっかくだし、天文台のプラネタリウムでも見て帰ろう。

 タクシーの扉を離れ、見送ろうとしたその時、山道の方から降りてきた1台の車が目に留まった。どうとういうことはない、いたって普通の一般車。法定速度は守っているし、妙な動きもしていない。奇抜なカラーなワケでもないし、ライトがつけっぱなしというワケでもない。

 それでもなぜか、その車の運転席から目を離せなかった。正確には、その運転手から目が離せなかった。


 どこかで見たことがある。


 どこかで見たことがある気がする。目を凝らし、その顔をにらむように見つめながら、記憶の棚を探し漁る。会ったことがあるワケではなさそうだ。では有名人? 何か違和感がある。なんだ、誰だ、どこで見た?

 そのとき、記憶の棚が当たりを引き当てた。脳の回路がばちんっとつながる。そうだ、わかった、思い出した。

 指名手配犯だ。

 なんの容疑だったか、なんて名前だったか、詳しい情報は覚えていないが、あれは指名手配犯のポスターで見た顔だ。あんな高速道路のサービスエリアでしか見ないような顔を、我ながらよく思い出せたものだ。今日の俺はついているらしい。

 一人で興奮している間に、アオヤギのタクシーはゆっくり発進し始めていた。俺は慌てて駆け寄り、タクシーを止める。

「どうしました? まだなにか……?」

「アオヤギさんあの車! あの車を追って!」

 タクシー運転手に、一度は言ってみたいセリフ第1位(俺調べ)。そうして再び、俺は伝説のタクシーに乗り込んだ。


 アオヤギに車を追ってもらいながら、俺は指名手配犯の情報を調べなおした。先ほどの男の顔を思い出しながら、並べられた顔写真を眺める。すると、やはりあった。この山本とかいう指名手配犯が、前の車の運転手に間違いない。間違いない、よな?

「見間違えではないんですか?」

「いや、この山本って手配犯であってますよ、多分! 間違っていたら、その時はその時!」

 見間違いだとしても、確かめないワケにはいかない。俺は震える手で110のダイアルを押す。通報なんて初めてだ。携帯を耳に当てると、身体の震えが耳まで伝わる。

「事件ですか? 事故ですか?」

「あぇっと、事件、事件ですかね……? 事故じゃないもんな、あの、指名手配犯が……、指名手配犯を、あぁ、指名手配犯らしき人を見ましてですね……」

 しどろもどろになりながら、今の状況を伝える。指名手配犯の山本によく似た人物を見かけたこと、タクシーでその人物を追っていること、現在の住所、走っている方向、乗っているタクシー、追っている車、それぞれの車種やナンバーなどなど。

「お客さん、可能な限り追いますので、電話は繋いだままで、随時場所を伝えてください。現在南2丁目交差点、西方向に通過」

 相変わらず青色の灯る信号機の下を走り抜けながら、アオヤギの言葉を復唱する。つかず離れず、見失わず、実に一般的なグレーの車体を追って、タクシーは街中を奔走する。アオヤギは2、3台ほどの車を間に挟み、確実に車を追っていた。近づきすぎることで何かに感づかれ、暴走でもされたらたまらない。かといって、少々離れすぎではないだろうか。これだけ間が空くと、信号のタイミングで切り離されることも……。

 そこまで考えて思い出した。今、このタクシーを運転している彼こそが、「法定速度下最速の男」であることを。彼が赤信号で足止めされることはない。「道を譲らせる」この男と、標的との差は、縮むことはあっても広がることはない。いや、相手が法定速度を無視してかっ飛ばせば差は広がるが、それはそれで、速度違反で警察に止められる可能性が高まる。俺が指名手配犯なら、そんな危険は冒さない。市街地でこの状況、車両での追跡行為にここまで適任の男がいるだろうか。俺は自然と口角をあげていた。


 片側2車線の大通り。標的の車は3つ前。あらゆる交差点を青信号で通過し、タクシーは前へと進み続ける。

 しばらくして、後ろから来たシルバーの車が追い越し車線へと移動し、俺たちが乗るタクシーの横についた。その車の助手席に乗る男は、無線機のようなものを手に持っている。

 警察だ。

 助手席の男はこちらに目をやると、懐から警察手帳を出して見せた。通報時にナンバーを伝えている、このタクシーが通報元だとわかったのだろう。それから前方、グレーの車を指さし、「あれか?」とでもいうようなジェスチャー。俺はうんうん頷きながら、同じくグレーの車を指さした。彼は軽く頷き、無線機を口に当てる。それからじわじわと速度を上げ、標的への距離を詰めていった。


 それから警察車両と指名手配犯、火の粉を散らすデッドヒート、映画顔負けのカーチェイスが繰り広げられる——ワケではなかった。駆け付けた警官は、後ろから来て目配せをしたあの1台のみではなく、前から横から数台はあったようだ。アオヤギは「警察の邪魔にならないように」と道を変えたため、詳細を見ることはできなかったが、彼らの連携により、標的に暴走をさせることなく、車を止めさせることに成功したらしい。というのは後で聞いた話だ。


「成り行きでここまで来てしまいましたが、どちらで降りますか? 緊急事態でしたし、運賃は取りませんよ」

「え、いえいえ、悪いですって。それに緊急事態かどうかは、本当に指名手配犯かどうかで変わるじゃないですか。俺の見間違いかもしれませんし」

 俺が言うと、アオヤギは白い手袋をした手で顎をさすりながら、数秒考えた。

「では確認しますか、近場の警察署に行きましょう。本当に指名手配犯なら、情報提供の報奨金も貰えるはずですよね?」

 報奨金! そういえばそんな話もあったな、すっかり忘れていた。指名手配犯を見つけた(かもしれない)、という高ぶりで、ただただ純粋に追跡をさせてしまっていた。正義感とも違う、子供じみた探求心のようなものだ。今更少し恥ずかしくなる。

「貰えるはずですね、行きましょう、警察署」


 近場の警察署はかなりいい立地に建っていた。地下鉄駅の側にあり、商業ビルが集中したエリアの一角。車通りの多い通りに面し、平日昼間の時間帯でも、人通りが多く活気がある。

 大通りに面していない裏道に回り、署の入り口手前で、アオヤギはタクシーを停車させた。

「アオヤギさん? 署内に来客用駐車場がありますから、入って大丈夫ですよ。警察署の真ん前で路駐はまずいですって」

「いえいえ、私は仕事中ですし、指名手配犯を見つけたのはお客さんですから」

「え? いやでも、見失わなかったのはアオヤギさんの、『道を譲らせる能力』のおかげじゃないですか」

 どうやら彼は、俺を置いてこのまま立ち去るつもりらしい。とぼけた顔をして飄々と答える。

「通報をした時点で時間の問題ですよ。私達が仮に見失っていたとしても、警察の方々が見つけ出していたことでしょう」

 果たして本当にそうだろうか。何年もその警察から逃げおおせているのが、指名手配犯というものだというのに。やはり俺には、アオヤギの功績が大きいように思える。

 というか、本当に指名手配犯だったか、見間違えじゃなかったか、確認するというのも目的の一つだったはずだ。それを確認せずに去るというのなら……

「なら運賃を払いますよ、いくらですか?」

「いえいえ、今回は——」

「アオヤギさんの理屈なら、通報した時点で緊急事態は終了ですよね? そこから警察署までの運賃は、ただのタクシー移動。違いますか?」

 そう言うと、彼は片方の眉を吊り上げた。「そう来たか」と言わんばかりの顔で、顎に手をあて少し唸る。

「負けましたよ、では運賃だけいただきます」

 彼はしぶしぶ運賃を受け取り、俺はタクシーを降りた。「それでは」と右手をあげ、アオヤギはゆっくりと発進。交通量の多い、大通りへと、そのタクシーは消えていった。


 結果から言えば、俺が見つけたのは間違いなく指名手配犯の山本であった。情報提供の功績を称えられ、報奨金も貰い、書いた記事も飛ぶように売れた。もちろん記事には「法定速度下最速の男」の活躍も書いたが、「指名手配犯を発見した人」と「その人に従い追跡した運転手」では前者に注目が集まってしまった。

 俺としては、二人分の功績をアオヤギに譲られてしまった気分だ。

「一方的に譲られるというのも、むず痒いものなんだなぁ」

 「法定速度下最速の男」の苦悩の一端を、真に理解できた気がした。


 ただ、彼の善意を無碍にするワケにも行くまい。このむず痒さは「一方的」の部分にかかっているはずだ。つまり今度は、俺から何かを提供できればいい。譲り譲られ与えあい、協力するのが人間社会。借りた貸しは返さねば。

 伝説の男、「道を譲らせる能力」を持つ、「法定速度下最速の男」。彼を再び見つけ出す。この道だけは、譲りはしない。





















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