第44話 今日の姉さんは

 広場には、既にたくさんの領民たちがきていた。集会用に設けられたステージはあくまでも簡易的なもので、豪華さは欠片もない。


 そういえば人前で話をするのって、すごく久しぶりだわ……!


 大勢の前でなにかを話した経験なんて、ドロシーにはほとんどない。

 皆の前で表彰されるほど女学校の成績はよくなかったし、パーティーでも主催の挨拶をするのは父だった。

 誕生日パーティーの時だけは皆の前で話す機会もあったが、今年はそれどころではなかった。


「姉さん? 大丈夫?」


 ヨーゼフが心配そうな顔で覗き込んでくる。大丈夫よ、と答えて軽く深呼吸をした。


 領民たちは皆、忙しい中で集会に参加してくれている。長い間拘束するわけにはいかない。

 冷静に話せるよう、心を落ち着けておかなくては。


 ドロシーが深呼吸を繰り返している間に、マンフレートが壇上に上がった。その瞬間、ざわざわとしていた領民たちが静かになる。


「皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます。ご存知の通り領主のベルンハルト様は現在遠征中ですので、今日は代わりに奥方様が皆さんに話をしてくださるそうです」


 わあっ、と歓声が上がり、人々の視線が一斉にドロシーに集中した。


「奥方様」


 マンフレートに呼ばれ、足を踏み出す。領民たちはほとんどが好意的な眼差しを向けてくれている気がするけれど、中にはそうじゃない人だっている。


 そうよね。

 彼らからすれば、わたくしはいきなりやってきた大貴族の娘に過ぎないし、一時的とはいえ、わたくしのために公費を減らしていた時期があったんだもの。


 ステージに上がり、ゆっくりと領民たちを見回す。その中に見覚えのある姿を見つけて、一気に心が軽くなった。


 コリーナ……!


 以前、広場を案内してくれた少女だ。少女の両側にはやせ細った夫婦が立っている。コリーナの年齢を考えると、おそらく平均よりも高齢の両親だろう。


「ドロシー様!」


 ドロシーの名前を呼んで、コリーナがぴょんぴょん飛び跳ねる。愛らしいその姿に胸がいっぱいになった。


 大丈夫。きっとできるわ。


「皆様。改めまして、わたくしがドロシー・フォン・シュルツ。ベルンハルト様の妻ですわ」


 領主の妻として領民の前に立つ……というのは、貴族の女なら誰しも経験することではない。

 そもそも領主自身ですら領民と関わろうとしない者も多いし、女性はよりその傾向が強い。


 ドロシーが通っていた女学校でも、極端に平民を嫌っている子は少なくなかった。一方で、貴族という身分を隠して街に出かけるような子もいた。


 わたくしはまだ全然、領民たちのことを知らないわ。

 だけどできれば、ちゃんとみんなのことを知って、関わっていきたいと思ってる。


「今日は皆さんに話したいことが二つほどありますの。一つ目は、台車についてですわ」


 ドロシーがそう言った瞬間、アデルが台車を一台ステージの上に運んできた。

 領民のざわつきが落ち着いたタイミングで言葉を続ける。


「そこにいるヨーゼフ……ベルガー侯爵家跡継ぎであり、わたくしの弟であるヨーゼフから、結婚祝いにともらいましたの。皆さんに、一家に一台ずつ、差し上げたいと思ってますわ」


 わああっ! と、聞いたこともないような歓声が上がり、ドロシーは思わず固まってしまった。


 喜んでくれたらいいな、とは思っていたけれど……ここまでの反応を示してくれるものなの!?


 中には感動のあまり飛び跳ねて喜ぶ人たちもいる。

 コリーナも目をきらきらと輝かせてドロシーを見つめていた。


 そうよね。これがあれば、コリーナは重たい荷物を無理に背負う必要がなくなる。

 コリーナみたいに困っている人が、きっとたくさんいるんだわ。


「皆さんへの配布は子爵家の屋敷前で、明日の朝から始める予定ですわ。十分な数がありますから、焦らずいらっしゃってください」


 また、領民たちから歓声が上がる。

 彼らが落ち着くまで、次の話はできない。ドロシーが声を出してもどうせ聞いてくれないからだ。


 そんな簡単なことも、ここに立ってみて、わたくしは今初めて知ったわ。


「それともう一つ、皆さんに大事なお知らせがありますの」


 これは、マンフレートやアデルとたくさん話し合い、いろいろと考えた末に決めたことだ。


 上手くいくか分からないけど、やってみなきゃ分からないもの。


「週に一度、皆さんのご意見を直接聞く機会を作りますわ。要望や困り事などがありましたら、わたくしにご相談くださいませ」


 領民たちがどんなことに困っているのか、求めていることは何なのか。

 それを知るためには、直接聞くのが一番早い。


 文字の読み書きができない以上、直接話を聞くしかないもの。


「詳細については、マンフレートから話をしてもらうわ」


 マンフレートと交代する。これで、今日のドロシーの出番は終わりだ。


 本当に緊張したわ……!


 心臓がばくばくとうるさい。でも、少なくとも失敗はしていないはず。


「ねえ」


 ステージから下りると、ヨーゼフが軽くドロシーの手を引いた。


「今日の姉さんは、ちょっとだけ格好よかったよ」

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婚約破棄されたら、わたくしを「世界一可愛い」と言う辺境の魔法騎士にプロポーズされました。~なのに白い結婚って、どういうことですか!?~ 八星 こはく @kohaku__08

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