ミニョン、どうしている?

九月ソナタ

一話完結


「Do you know アオイサンゴショー?」

 先日、突然、訊かれた。

 質問したのは若い韓国の若い男子で、サンフランシスコに戻ってきたばかり。祖父の誕生日を祝うために、ソウルに行っていた。昨年も行っていたから、今年が特別な誕生日ということではないようだ。韓国の人って、お祝いに、みんなが集まるのが好きな気がする。

 私は両親の看病のためには帰国したことはあるが、誕生日には行ったことがない。大体、誕生日を祝ったりしないし。


「青いサンゴ礁って、歌?」

「そう」

「昔、松田聖子さんが、歌っていたあれ?」

「そう、セイコ」

「それがどうかしました?」

「ソウルで今、すごく流行っている」

「アニメにでも使われた?」

「いや。カラオケで、みんな歌っていた」

 へーっ、なぜだろう。

 みんなって、どのくらいのみんなか知らないけど、韓国の人って、歌が好きな気がする。

 

 そう言えば、いつだったか、韓国に行った時、ある方にお座敷に招待されて、豪華な夕食をご馳走されたことがあった。食事がおわった頃、娘がやってきて、私に「恋人よ」は知っているかと訊いた。

 知らないと答えると、日本人なのになんで知らないのという顔をして、突然、立って歌い出した。この子、声量がある。

 一部屋借りているとはいえ、その大声は料亭中に聞こえているはずなのに、平気。「コイビトヨー」と歌いこむ部分があって、そこが特に気にいっているように見えた。


 それから、もうひとつ。

 もっと昔の話だが、友人の友人で、なぜか私に会いたいという人がいて、その家に招待された。その時はたしか日本の歌が禁止されていた時ではなかったかと思うのだが、X JAPANを知っているかと訊かれた。私はプロジェクトXは知っていたが、X JAPANがロックグルーブだということも知らなかった。

 その人はCDをもっていて、そのカバーを見せてくれた。

 すごい化粧だ。

 これ、日本人かと驚いた。


 彼はCDをかけながら「すごくいいだろ」と自慢そうな顔をしたが、その曲が何だったのか覚えていない。このCD 披露のためた招待されたのかな。招く人を間違えたねと思っていたら、X JAPANはただのご挨拶。

 

 肝心なのはそのあとである。その人は予備校かなんかの先生で、奥さんが銀行勤務。娘がふたりいて、下の中学生の娘がすごい秀才。小さな頃から哲学書を読み、ドイツ文学を好み、成績はいつも一番。

 それを両親は誇りにしていたし、有名高校、ソウル大学に進むことだろうと信じていた。

 ところが、中学二年になり、二学期末の試験で、一番を逃した。それについて教師が「今度は一番でなかったな」程度のことを言ったらしい。すると、この子は帰宅の途中、よそのアパートの階段を駆け上り、六階から飛び降りてしまった。

 病院に駆けつけて、血の染みた包帯を巻いて、管につながれている娘を見た母親は失神し、以来心臓を悪くして、休職することになった。

 

 娘は重傷で、両ひざを複雑骨折したものの、命は助かった。

 父親はベッドのそばで言った。

「成績なんか、もういいから。もう哲学書も読むな。勉強もしなくていい。愉快なことだけして生きろ。やりたいことだけやって生きろ。生きていてくれたら、何をしてもいい」


 すると娘が口をひらいた。

「日本に行きたい」


「よし、わかった。元気になったら、みんなで行こう」

「ひとりで行きたい」

「わかった。治ったら、行かせてやる。だから、早く元気になりなさい」

「わたし、治るから、約束だよ」

「約束だ」


 二か月たち、娘は近く退院できることになった。それが先日のこと。

 娘は学校に戻る前に、日本に行きたいと言った。

 約束だから、ひとりで行かせなければならないのだ。


 娘が行きたいのは、四国巡礼。

 四国を回り、帰りに大阪の親戚のところに寄る、という計画を立てている。

 それで父親は私に、ひとりで行かせて大丈夫なものか、と訊きたいのだった。

 たとえ大丈夫でなくも、 死んでしまうより、ずっといいに決まっている。父親はやってやるつもりだ。でも、韓国の子供がひとりで日本に行って、いじめられはしないだろうか。


 四国巡礼は大丈夫でしょうと私は答えた。

 父親は大丈夫だという言葉が聞きたいのだ、日本人の私の口から。

 だから、私に選択肢はない。その先は危険かもしれないが、その道しか進むことしかできない時が、人生には何度かある。私も、当時はそういう場所に住んでいた。

 

 巡礼路に住む四国の人々は親切だと聞いている。

 それに、そこは空海という偉い坊さんが歩かれた道で、「同行二人」といって、いつも彼が一緒です。ひとりでも、ひとりではないです、となけなしの知識を語った。

「誰かついてくるのですか」

 と父親がびくっとした。

「違います違います。そのお坊さんの魂です」


 父親に頼まれて、私は厚紙でプレートを作った。

「韓国から来た中学二年のミニョンです。巡礼をしています。どうぞよろしく」

 その後、私は夫の赴任先のアフリカに戻ったので、その後のことは聞いていない。

 ミニョンは私の書いたあのプレートを首からかけて、四国を歩いたのだろうか。

 その後は、どうなったのだろう。

 そんなことを思う朝。

 

 あちこちに移動し続けた人生だったから、私の日々はとても忙しかった。異国で多くの人と知り合い、すぐに仲良くなってくれた人達もいた。でも、SNSもなかった時代、次の国に行くと、前の人達との付き合いは消え、新しく知り合ったかと思うとまた次の国へ、というパターンだった。

 よく考えてみると、付き合いが途絶えたのは、私に責任がある。連絡をし続けて人もいたのに、私がコミュを怠った。私は冷たい人間なのだ。

 ごめんね。すみません。


 もう一度、生まれてきたら……、

 いや、もう一度やり直しても、この性格が同じなら、同じことを繰り返すのだろう。

 疎遠ですみませんとは心から思っても、人とはつながらないほうが楽だというのも本当。楽を採ってしまったなぁ、と思う曇り空の朝である。

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