第6話

 「伏せて!!」


 一閃、重厚な風切り音が辺りの雑多な冒険者たちを薙ぎ倒す。ミシャとグラジアは僕の声に従ってすぐさま身体を丸めて、業背負いの切先から逃れた。


 業背負いは周りのことなど気にもかけず、時々雄叫びを上げて、狂戦士のように大剣を振り回している。


 「あいつをやれ! 首でも刎ねればいくらなんでも死ぬはずだ!!」


 トシュアが業背負いから少し離れた場所で子分たちに発破をかける。テーブル、椅子、人間が吹き飛ばされるような場所に子分たちは怯えながらも突っ込んで行く。


 「ディランさん! こっち!」


 振り返ると受付嬢がカウンターの方へと手をこまねいている。僕とミシャ、そしてグラジアは流れ弾や飛んでくる物体に当たらないように、争いを尻目にカウンターへと走った。


 普段目にすることのないカウンターの向こう側は、受付嬢の仕事と趣味が共存しているようなスペースだった。レポートや手配書が山積みの仕事机のすぐ横に、畳まれたカラフルな服、デザイン案の描かれた紙、文字の連なる原稿用紙、ハサミと針と無地の生地。業務的で独創的な作業場が、今となっては戦場の一部へと変わっていた。


 「ここから外に通じてます、早く逃げましょう」


 受付嬢の手で開かれたドアの向こうには、いつもと変わらぬ夜の風景が待っていた。後ろの喧騒とは無関係を貫き通す、陰鬱で仄暗い、日常の一部と成り果てた風景が。


 僕はこの場にいる全員が外に足を向けていると思っていた。しかし1人だけ、グラジアだけが動こうとしなかった。彼の足も視線も、カウンターの窓越しに見える業背負いへと向けられている。ミシャがそのことに気付いたのは、一歩、片足だけ外へ踏み出した時だった。


 「なにグダグダしてるの!?」


 「俺、アイツを倒す」


 ため息も、驚嘆の声も出なかった。さっきまで萎縮しきっていた男が、突如発したその荒唐無稽な発言に、誰1人としてまともな反応が出来なかったのだ。僕はグラジアに近づき顔を両手で抑え、無理やり僕の方を見るように固定した。


 「飲んだのか?」


 「何を?」


 「ファストレベリング、あの瓶だよ、飲んだのか?」


 いつの間にか声が大きくなる。グラジアの目が反時計回りにグルグルと泳ぎ、そしてまた俯いた。


 「飲みましたよ、あなた達が来る前に二瓶ほど薦まれて」


 ため息だ。僕の息だ。横からミシャが足早に、グラジアに掴み掛かる。鬼の形相というより、どこか焦っているような顔をしていた。死に急ぐ大切な人を必死に止めようとする、そういった恋の一部がミシャの表情から感じ取れた。


 「アンタ、あの人に勝てると思ってるの?」


 「あの人ってなんだよ、アイツは賞金首で」


 「アンタは私がいないとろくに戦うこともできないじゃん!!」


 ミシャがグラジアの声を遮ってまで伝えたかった言葉は、グラジアに目を見開かせて、ハッと息を呑ませた。悲哀と怒りがゴチャ混ぜになったように、グラジアの瞳の奥で渦巻いていた。恋などかけらもない。


 「いつもいつも前に突っ込んですぐにボロボロになるし、アンタの死角からゴブリンが襲ってきた時も私が射抜いてあげたじゃん!! 私がいなきゃ、アンタなんて」


 言い終わる前に、グラジアが動いた。ミシャの華奢な身体は思いっきり突き飛ばされ、後ろの棚にぶつかる。ガラス張りの扉が揺れてうるさい音を響かせた。


 「気持ち悪いんだよ....!」


 だがそんな音より、ミシャの耳にはグラジアの言葉が響いたようで、立ち上がることも、言い返すこともせず、茫然自失とへたり込んでいる。


 「なに....それ....」


 ようやく口から出た言葉はさっきまでの態度とは見違えるほど弱々しく、か細いものだった。


 突然、グラジアの背後、カウンターが設置された場所から轟音が鳴り響いた。名も無い冒険者が瓦礫と共にグラジアの足元へと転がり込んで来る。泡を吹いたり痙攣したりと忙しない様子に、グラジアは驚きを隠せず、後ろにのけぞってそのまま尻餅をついた。


 瓦礫の向こう、眩しい酒場の中央に業背負いは立っている。血塗れの怪物だ。


 「化け物が....!」


 瓦礫を尻目にトシュアが呟く。掲示板を背に彼は立っている。


 血の匂い。頭の中にその言葉が遅れてやってきたとき、さらに遅れて吐き気が襲いかかってくる。


 「うっ....」


 受付嬢は口を押さえてうずくまる。当たり前だ、こんな光景ベテラン冒険者でもあまり見ることは無い。


 「は....ハハ....!」


 ゆっくりと、グラジアが立ち上がる。その顔は笑っていた。


 「やっぱり、アイツはボロボロじゃんか! 首さえ刎ねれば....!」


 前へ前へと進むグラジア。ファストレベリングの影響か、息が荒い。止めなければ。僕は咄嗟にグラジアの腕を掴む。


 「行っちゃダメだ!!」


 「邪魔するなよレベル10!」


 いとも容易く僕の手は振り解かれた。それがレベルの違いによるものなのか、動揺によるものなのか、僕には分からない。


 若々しい臆病者の狂気の雄叫びが、上がる。勢いよく剣を抜き、業背負いへと走り出す。走って、振り上げ、その切先は、業背負いの首元へ。


 「死ねぇええええ!!」


 しかし、刃が届くことは無かった。剣を振り上げ、攻撃の構えを見せた瞬間、業背負いが渾身の蹴りをガラ空きになったみぞおちにくらわせた。


 さっきの威勢は何処へやら、彼は口をパクパクと動作を繰り返し、苦悶の表情を浮かべながら呆気なく倒れた。業背負いは何も言わず、見向きもせず、トシュアへと向き直った。その瞳に感情なんてものは無い。


 何も、起こらなかった。ただ走った、それだけ。今この現状は依然変わりなく、地獄のままだ。


 「あ....あぁ....」


 呆然と、ミシャがヨロヨロと走り出すのを、僕はただ眺めていた。グラジアの元へ、この町における低レベル冒険者の最も典型的な末路へ向かって。


 「グラジア? ねぇ、返事してよ....?」


 肩を揺する。何も反応は無い。何度語りかけても、何度揺すっても、何も反応は無い。


 トシュアも業背負いも、流石にこの様子を無視することはできず、両者共に視線はミシャとグラジアに向けられていた。


 「そうだ....教会....教会に運ばなきゃ....」


 震える手でグラジアを運び出そうと動くミシャ。必死で、限界で、追い詰められていて、それゆえに背後に立つトシュアに気付くことが出来なかった。


 「こっち来い!!」


 突然の衝撃に反応すら出来ず、少し呻き声を出すと同時に半身だけ起き上がっていたグラジアの身体が再び、無造作に倒れた。


 トシュアの腕が、蛇のようにミシャの首に絡みつく。もう片方の手にはステーキナイフが握られている。ミシャはもはや放心状態で、うんともすんとも言わない。


 「動くんじゃねぇ!!」


 力量の差を理解したのか、トシュアはミシャを人質にして業背負いへ叫ぶ。業背負いはため息をつくだけで、トシュアの要求通り動くことは無かった。


 「俺の命令に従え、さもなくばコイツの首を掻っ切る」


 そう言ってナイフを業背負いへと向ける。トシュアは勝ち誇ったようにほくそ笑み、ゆっくりと後退する。それを見て業背負いは一歩進む。


 そう、一歩進んだ。


 「....おい、聞こえなかったのか? 命令に従わなかったら、首を」


 「やってみろよ」


 また一歩。業背負いはトシュアの言葉を遮る。


 「....どういうことだ? お前の仲間じゃねえのか?」


 「生きていようと死んでいようと俺の目的は変わらない」


 また一歩。トシュアが壁に追い詰められる。


 「だけど1つ、言っておく....お前がそいつを殺そうとその手を動かしたとき、俺はこの剣をそいつもろともお前の身体を切り刻む」


 「お、俺を殺したら、キースの居る場所は分からないままだ」


 「配慮はするさ」


 業背負いの言葉を思い出す。


 「俺は正義の味方じゃない」


 業背負いの目は何の迷いもなく、トシュアを捉えていた。その目はミシャを貫くことに一切の躊躇を感じさせない。一方トシュアはミシャと業背負い、そしてナイフに目線を動かし、さながら催眠術にかかったように、文字通り目が回っている。


 今、僕に何ができるのだろう。


 ミシャを見捨てて逃げることも出来る。


 ミシャを助けようと突っ込むことも出来る。


 その両方を未だに実行していないのは、両方とも考えて一つの結論に至ったから。


 それでどうなる? と。


 逃げて、どうなる? ミシャは死ぬ、何も変わらないだろう。


 突っ込んで、どうなる? 思い上がるな低レベ冒険者、グラジアの惨状を見ただろ、何も変わらない。


 けどこのままじゃミシャが死んでしまう。俺が助けなきゃこの娘は死んでしまう。俺が、助けるんだ。俺が、俺が、俺が....


 けど、死にたくない。いくら奮い立たせても、自分の中の1人がそう呟く。すると身体は言うことを聞かなくなり、結局僕は動けないままだった。朝、死に微笑む自分は一体どこに行ったのだろう?


 後ろで足音がした。振り返ると受付嬢が外に逃げる瞬間だった。ああ、俺も逃げようかな。しょうがないさ、低レベだもの。この現状を変えられるほどの力なんて持ち合わせてないんだ。


 今度は前で風切り音がした。トシュアがナイフを振り上げた音だった。業背負いはすでに剣をまっすぐ水平に保ち、走っている。


 全てが、スローモーションに見えた。


 「やめろおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」


 業背負いの剣が、斜めに一閃。それは急所から逸れたものの、重要な一撃であることに変わりはない。


 けど誰も、僕も、業背負いも、ミシャもトシュアも、この状況を理解できなかった。


 血を流しているのは、グラジアだった。


 時が止まったように思えた。ここにいる誰1人として、動くことが無かったからだ。


 時が動いたのは、グラジアが倒れた瞬間だった。その時、同時にあらゆることが起こった。ミシャはまたグラジアの元へ駆け寄り、トシュアは堰を切ったように出口へ走り出し、業背負いはその後を追った。


 今までの喧騒が全て嘘だと思えるほどの静寂が、辺りを包んでいた。


 「グラ....ジア、い、今、手当を....」


 「ミシャ....ごめん....」


 僕は死の恐怖から解放されたことをいいことに、すぐさまグラジアの元へ駆けつけ、手当の手伝いを行う。ミシャもグラジアも涙がこぼれ落ちて止まらない。


 「ごめんなんて言わないでよ!!」


 「あのとき....突き飛ばしちゃって....ごめんよ....ホントは....君に....カッコいいとこ、見せたかった....だけなのにさ....」


 ミシャの制止も聞かず、心ここに在らずといった感じだ。


 「ホント....ありが....とう....」


 最後、彼は僕の方を見やると、彼はニヤリと笑って見せた。それは本当はただの微笑みだったかもしれない。けど、だとしても。低レベを理由に何もせず、ただ傍観していた僕を嘲笑っているように感じた。


 「....まだ息はある、急いで教会に運ぼう」


 ポーションを使って応急処置を施したものの、意識が戻るまでここに置いて行くわけにもいかない。身体に異変が起きないようにゆっくりと優しくグラジアを持ち上げる。


 酒場を出る前に、僕は振り返って変わり果てた様子をもう一度眺めた。もしかしたらもっと酷い状況になっていたかもしれないこの場を、自分より年下の、レベルだって下かもしれないような1人の少年が、変えてみせた。


 そのことにどこか複雑な気持ちを抱えたまま、僕は前を向き、夜闇へ一歩を踏み出した。

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その男、業背負い。 @2007855

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